第21話 戦場で泣き、笑う

 それから二日。ガレオス領首都、コーテンクノアに辿り着くまでの進軍・侵攻は、概ね順調に推移した。

 いや、実際の所、何度もガレオスの策略が一行に牙を向いたのだ。だがその全てを、服に付いた埃でも払うかのようにコオヤが打ち破ってしまっただけで。

 進軍した最初の砦で、攻め立てている間に後ろから伏兵が現れた。が、元から気配でそれを感じ取っていたコオヤはトラッドにその存在を事前に知らせており、案の定待ち構えていた迎撃部隊に打ちのめされ伏兵は壊滅。

 更に強固に固めていたはずの城壁や門は、コオヤの拳一つで呆気なく瓦解、結果一時間と掛からずに砦の制圧は完了した。

 予想外に簡単で簡潔な占領に、速攻を掛けるべきだと判断し休む間も無く進軍してから、二時間後。太さこそあるものの随分と浅い河を渡っている最中、上流から塞き止められていた水が解き放たれ、巨大な水流となって一行を襲った。

 が、コオヤがその脚を一振りすると、荒れ狂う竜のような水は纏めて蹴散らされ舞い上がり、炎天下を歩いてきた兵達を癒すシャワーとなって朽ち果てた。

 そこから更に三時間、中規模の町を占領する為攻め立てた所、何故か人っ子一人居ない空城であった。どうなっているのか、と疑問を抱きながらももう日も暮れてきていたので此処で一晩を明かそうとした所、夜中突如街の各所から火の手が上がり、それは驚くほどの速さで以って広がって、兵達を飲み込もうとしてきたのだ。

 罠に掛かった、と気付いた時にはもう遅い。門は仕掛けられていた火薬による爆破で崩壊し塞がれ、懸命な消火活動も空しく一行は此処で猛火に焼かれて息絶える――訳も、無く。

 コオヤがつまらなそうに地を一度踏み締めると、拡がった衝撃が如何なる理屈か各所から吹き出し、火の手を纏めてなぎ払い鎮火させたのだ。

 そうして安全になった町で一晩過ごして、更に進軍を続けて。その間に仕掛けられた待ち伏せ・奇襲・トラップの類を全てコオヤによる事前察知や拳の一撃で打ち払い、遂に一行は首都をその視界に捉えたのである。


「全く以って、反則と言う外無いな」


 これまでの道程を振り返り、総指揮官であるトラッドは思わず呟いた。

 自分達とて、警戒や索敵を怠っていた訳では無い。それでも気付けない程、ガレオスの策略が巧妙で見事なものだったのだ。

 しかしその策略の全てを、彼は一拳でなぎ払ってしまう。これでは作戦も何も無い、いっそ仕掛ける相手が可哀想になる程である。


(どうりで上の連中が、彼の参戦を嫌う訳だ)


 正直な話、軍を預かる身としてトラッドは、コオヤの参戦に関しては賛成派であった。

 確かに上の者達の言う事――誇りの為にも、出来る限り自分達だけで戦わねばならない――も分からないでも無い。しかし、実際に現場で失われていく命、そしてそれによって悲しむ同胞を見ていると、それで被害が減るならば良いのではないかと思っていたのだ。

 が、今回の道程を鑑みて、彼はその考えを改めた。確かにこれでは、自分達は完全におんぶに抱っこだ。流石にこれで俺達は勝った、と胸を張って言える程、トラッドは恥知らずでは無い。


(だからこそ。次の戦いでは、わしらの力を示さねばならない)


 次はいよいよ大本命、ガレオス領首都コーテンクノアを落とす戦いである。

 今回ばかりは、コオヤの力を満足に借りる事は出来ないだろう。何せ彼には、ガレオスと戦うという最重要の役目がある。他にかまけている暇は無いだろうし、その余力も無いはずだ。


「――敵軍、出陣してきました!」


 部下からの報告に、半分宙に浮かんでいた意識を引き締める。魔力強化を両目に掛けながらコーテンクノアを見やれば、頑強で巨大な城壁の真ん中に聳えるこれまた分厚く頑丈そうな門から、続々と敵の軍が溢れ出てきている。

 やがて出てきた敵軍――総数は、恐らく三万程か――は街を守るように横に広がり陣を敷くと、その動きを止め静かな敵意と共に此方を睨みつけてきた。


「わざわざ出てくるとは、防衛戦の利を捨てる気か? 確かに数では勝っている分、平野での正面決戦となればあちらに分が有るが……」


 唸るトラッドと同様、周囲の指揮官達もまた首を捻る。

 此処で出てくる理由が、実に不可解であったからだ。街に籠もっていた方が圧倒的に有利だし、時間が経てば恐らく援軍も来る。それら全てを捨ててまで、短期で決着のつきかねない平野での勝負を挑む意味が分からない。


「あのガレオスの事、恐らくは何か狙いがあるのだと思われますが……」

「間違いないだろう。しかし同時に、これはわしらにとっての好機でもある」

「好機、ですか?」


 薄く笑みさえ浮かべるトラッドに、困惑し聞き返す部下達。

 その疑問の声にうむ、と一つ頷いて、


「仮に奴等に堅牢な守りを築かれ、街に籠もられていれば。時間を掛ける訳にはいかないわしらは、強引な攻めを展開せざるをえなかっただろう。そうなれば勝ちの目は薄く、また勝てたとしても壊滅的な被害が出る。そんな事になれば、やってくる援軍に対応出来まい」


 だが、と強調するように言って、


「奴等は、街から出てきた。作戦あっての事だろうが、それは逆に、此方が突く隙にもなる。基本、完璧で万全な策など存在しない。相手を嵌めようとすれば、必ず自分が嵌る穴が何処かに空いてしまうものだ」

「そこを突ければ、一気に勝利を手に出来る……」

「そうだ。……ガレオスめ、自分の気質に溺れたな」

「? どういう事ですか?」

「そのままの意味だ。ただ籠もっていれば勝てるものを、奴は己の欲望に負けたのだ。策を弄して勝ちたい、という欲望にな」


 ただ城壁の中に籠もり、援軍を待つ――そんなものは策では無いと、きっとガレオスはそう判断したのだろう。

 だから自らの指示によって自由に陣を変え、兵を動かし、策を仕掛けられる平野での戦いに持ち込んだ。

 きっとそれは、勝てるという確信あっての事だろう。が――


「その自信。完膚なきまでに、叩きのめしてやろう」


 コオヤに頼りきりだったこれまでの鬱憤を晴らすように、トラッドは口角を僅かに吊り上げ、凄惨な表情を形作る。

 もし此処にジンカーが居たのなら、冷や汗と共にこう言っただろう。ガレオスを叩き潰すと宣言した時のコーヤ殿そっくりじゃ、と。


「全軍進撃! 思い上がった愚かな六戦将を、羽虫の如く打ち散らせ!」


 ~~~~~~


「おーおー、流石にこれだけの規模の戦争ともなると壮観だな」


 二つの軍がぶつかり合う戦場より幾許か離れた、小高い丘の上。隣に直属の部下、という扱いになっているフェリナを置いたコオヤは、人とエルフの入り乱れる血生臭い死地を眼下に納め、暢気に後頭部を一掻きした。

 魔法が飛ぶ度人が焼け、矢が飛ぶ度エルフが貫かれる。槍が、剣が、互いの体を傷つけ、その度に鮮血が舞う。

 そんな凄惨な光景を前にしてなお暢気な主の言葉に、フェリナは思わず溜息を吐く。


「参加しなくても良いのか? コーヤさんは」

「それは俺の役目じゃないしな。さっきからずっとガレオスの奴が何処に居るのか探ってるんだが、どうにも気配が掴めねぇ。用心深い奴だよ、全く」


 不服そうに一度、鼻を鳴らす。どうやら少々当てが外れたらしい。


「にしても、大したものじゃねぇか。こっちの軍は」


 切り替えるように息を吐いて眼下の戦場へと目を戻したコオヤに続き、フェリナもまた激突する軍へと視線を向けると大きく頷き、


「そうだな。数で劣っているというのに、互角……いや、それ以上に戦えている」


 二つの軍はそれぞれが一つの生き物のように激しく動き合っており、一瞥しただけではどちらが有利か分かり難かったが、しかし良く見ればエルフ側が徐々に人間側を押している事が見て取れた。

 二万対三万、1.5倍の差がある――いや、『あった』というのに見事なものである。


「ま、ガレオスが無駄に色々と仕掛けようとして失敗しているってのもあるだろうが」

「そのようだな。数で勝っているのだから、無難な正面決戦を挑めば良かったものを。頻繁に策を変え陣を動かすから、その隙を突かれる」

「始めは左右に兵を広げながら中央を下げて――所謂、鶴翼の陣で――相手を誘い込み包囲しようとしたらしいが、察した此方が深入りせず精鋭の騎兵だけを薄くなった中央に突撃させた事で、半ば分断される形になって失敗。そんで次は分断された事を生かして完全に軍を二つに分け、左右から挟み込もうとしたものの……」

「此方の一団が無視して街に突撃しようとした事で、慌てて防衛の為に兵を戻してしまい、左右が薄くなって失敗。しかも兵を戻しきった頃には、既にその一団は本体の元まで帰還している始末。ガレオスめ、相当悔しかっただろうな」


 怨敵の悔しがる顔でも想像したのか、愉快そうな顔になるフェリナ。

 やはり、恨みは相当に積もっているらしい。まあ、飛び出していかないだけまだましか。


「んで、業を煮やしたのか完全な突撃陣形――所謂、鋒矢の陣――で中央を突破、指揮官を討ち取ろうとした所――」

「それを見抜いたトラッド殿の指示で軍が見事に左右に散開、突撃を空かされた挙句本陣のあった場所に置き土産の巨大な魔法トラップを仕掛けられ、あえなくその餌食になった、と。そうして混乱した所に左右から敵が迫って来たので急いで退いて――今に至る、か」


 ははは、情けないものだ、とフェリナは笑った。幾ら恨みがあるとはいえ、彼女のちょっと暗い所が見えた気がしてちょっぴり冷や汗。

 ともかくそういった経緯があり、今現在両者はほとんど小細工なしで正面からぶつかり合っていた。度重なる失策によって生まれた死者・負傷者のせいで既に数の差はほとんど無く、むしろ勢いに乗ったエルフ側が押している。


「ある意味当然の結果かもな。何せ此処数十年ずっと帝国の支配は磐石だったんだ、兵も指揮官も戦争の経験なんて全く無い。大して聖王国は、此処最近ずっと戦争続きだ。練度も慣れも、それから士気も、圧倒的に此方が上。そんな状態で互いに軍を動かしあえば、多少の数の差なんて吹っ飛ぶ位、こっちが柔軟に動ける」

「ガレオスもそれに気付いたから、力押しに切り替えた訳か。ふふん、策略が得意と言っていたくせに結局はそれとは、惨めな事だ」

「……だが膠着状態になれば、でかい魔法を撃てるこっちが有利だ。ここら辺は人間とエルフの差だな」

「ああ。このまま行けば、私達の勝ちだろう。だが――流石に、それで終わるとも思えないが」


 笑みを消し、真剣な顔を作るフェリナ。彼女の言う事には、コオヤも概ね同意であった。

 噂を聞くだけでも酷く陰湿な雰囲気を纏うガレオスだ、このまま終わる訳もないだろう。それが、両者の共通認識。

 唯一つ、二人の間で違いがあるとすれば。


「実際、仕掛けて来たみたいだぜ」


 彼は既に相手の策を感じ取っていた、という点だろう。

 叩かれたように、前を向く。目を細め、魔力強化まで施せば、戦場の向こうからやってくる一団が目に付いた。


「あれは……カリオンの軍団!?」


 強靭な四肢でもって平地を走る二千にも及ぶ軍団は、その全てが獣の姿をしていた。

 傍から見ればただの獣にしか見えない彼等も、同族であるフェリナが見れば直ぐに気付く。その全てが、獣化したカリオン達だと。


「このまま行けば、此方の軍の横っ腹に突っ込むぞ! どうして、人間の味方をするような真似を……!」

「さてね。心から人間様に忠誠を誓った、ってんじゃないのなら――奴隷の魔法による強制か、もしくは人質か」

「腐った事を……!」


 憤怒と共に唇を噛む。一体あの卑怯者は、何処まで他者を嘲れば気が済むのか。

 憤るフェリナだが、止まっている暇は無い。同族達の戦闘力は良く知っている、何とかしなければ一気に形勢が逆転しかねない。


「しかし、どうすれば……!」

「悩む事は無いだろ?」


 にっ、とコオヤが笑った。

 一拍遅れて、フェリナも気付く。そうだ、悩む事は無い。何故なら――


「彼等を救って貰えるか? コーヤさん」

「勿論」


 此処には、彼が居るのだから。

 短く答えたコオヤは素早くフェリナを抱えると、そのまま跳躍。どんっと大きな音と共に地面が一部爆ぜ、彼等の体が宙に踊る。

 ほんの一度の跳躍で数百メートルを越える距離を跳び、ぶつかり合う両軍をも跳び越えて、コオヤはカリオンとエルフの間に降り立った。

 突如顕れた乱入者に、カリオン達の進軍が止まる。味方であるはずの人間に前に立たれ、困惑する彼等を余所にフェリナを下ろすと、彼等の困惑は更に大きくなった。


「皆、止まってくれ! 私の名はフェリナ、狐族のカリオン。そして彼はコーヤ、人間ではあるが共に聖王国に付き帝国と戦っている者だっ」


 ざわりと、広がる波紋。互いに顔を見合わせるカリオンの集団の中、奥から一際大柄な女性が一人、滝を割るように歩み出て来る。

 頭部の耳や尻尾から、どうやら彼女は熊のカリオンであるらしかった。


「なる程噂には聞いた事がある、他人種に付く奇特な人間がいるとな。我が名はシーネア、熊族のカリオンだ。それで一体、何故我らの前に現れた? その命を捧げる為か?」

「違う。皆には、私達の味方となり、共に帝国と戦って貰いたい!」


 再び、集団が騒がしくなる。

 背後からのざわめきと、前方からの戦火の音。その雑音にも目もくれず、シーネアと名乗った女性はその太い眉を強く歪め、


「それは出来ない。今の我らは、帝国の……いや、ガレオスの味方だ」

「それは、家族や大切な人を人質に取られているからか?」


 真っ直ぐ切り込んだフェリナに、シーネアの顔がまた歪む。


「……そうだ。加えて、契約の魔法も掛けられている。我らに、自由は無い」


 忌々しげにその首の首輪を見せるシーネアに、やはりと内心渋い表情を作った。

 二重の枷によって縛りつけ、操り、自分達の手で自由へと繋がる道を砕かせる。陰湿で、吐き気がする程外道なやり方だ。


「どけ。これ以上の問答は必要ない、している時間も無い。邪魔をするのならば、例え同胞であろうとも蹴散らすぞっ!」


 脅すような彼女の言葉に、しかしフェリナは怯まない。そんな必要は無いのだと、彼女達を救う手段があるのだと、今の自分は知っているから。


「いいや、退かない。そして貴方達も、これ以上ガレオスになど従う必要は無い」

「何……?」


 訝しげな顔のカリオン達を置いて、隣の主へと目を向けた。

 小さく頷き。コオヤがその手を軽く振るう。


「!? こ、これは……首輪が!?」


 それだけで二千に及ぶカリオン達、その首に嵌っていた拘束具が弾け飛ぶ。掛かっていた契約の魔法も、また同じ。


「これで魔法は砕けた。もう命令に従わなくても、死にゃしない」

「ま、まさか本当に……? いやだが、まだ人質が――」


 取られている、とは続けられなかった。

 それよりも早く、またも虚空に向かってコオヤの拳が軽く振るわれ、空間に巨大な穴が空けられたからだ。

 そこから覗き見えるのは、薄暗い独房のような空間と、


「ラムリザ!? ど、どうして!?」


 捕らえられた、数多のカリオン達の姿であった。

 シーネアが叫び、駆け寄る。自分よりも小さな――恐らくは、子供であろう――熊族の下に辿り着くと、本物である事を確認し、呆然とコオヤを見た。


「人質達に掛けられてた契約の魔法も、ついでに壊してある。これでもう、ガレオスに従う理由はないよな?」

「何がどうなっているんだ、一体……」

「それは今は重要な事じゃないだろ。それよりお前らは良いのか?」


 と、同じく呆然としていた他のカリオン達に目をやれば、はっとしたように一斉に人質達の下へと走り出した。

 ある者は家族との再会を喜び。ある者は恋人と抱き合い。ある者は友人と泣き合う。

 少し前、フェリナが経験したばかりの光景が、そこにはあった。


「全く。世話の焼ける奴等だよ」


 そんな彼等を見るコオヤの、やけに暖かで優しい笑みが、強く目に残った――。

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