第19話 出陣

 戦いの時、来る――。

 それを、誰もが過不足無く理解した。老若男女分け隔てなく、ローレンド聖王国に住むエルフ達、その誰もが。

 ばたばたと通りを人が駆け、街外に繋がる巨大な正門の前には鎧を装備し剣や槍を持った兵達が整然と立ち並ぶ。

 その数およそ一万。正に大戦、その出陣直前の様相である。

 この日の為に用意した幾多もの資材が荷馬車に積まれ、その最終チェックに文官らしき者達が慌しく指示を飛ばし部下を動かす。整列し点呼を繰り返す兵達の顔には、一様に緊張の色が滲み出ていた。

 そしてそんな光景を、街を囲む城壁の上から眺める集団が一つ。


「おーおー、随分とこり固まって。出発したからって、直ぐに戦う訳でもないのによ」

「確かにそうかもしれませんけど……でもやっぱり、緊張はすると思います。これから戦いに赴くぞー、って時なんですから」

「そうそう、あんたとは違うのよ。前々から注意されてたっていうのに、いきなり寝坊しそうになるなんて、馬鹿じゃないの?」

「そりゃお前が昨日の夜、下らない事でぎゃーぎゃー騒いでたからだろうが。別に良いだろ、デザートの一つや二つ」

「甘いものは宝物より大切なの!」


 今にも噛み付かんとばかりに眉を吊り上げるクランに、それを宥めるイリア。二人のエルフを一歩離れながら眺め、コオヤは呆れた顔をする。


(そもそもそのデザートだって、俺の金で買ってきた物じゃねぇか)


 フェリナが街に出た際、経費で以って購入してきた限定デザート。それは詰まりコオヤの金を使ったという事で、それを幾ら食べようが文句を言われる筋合いなど無いはずなのだ。


(そもそも、何で当たり前にクランの分まで買ってんだ?)

「ちょっとコーヤ、何か失礼な事考えてない?」

「いんや、何も」


 鋭く睨まれ、適当にあしらった。今の彼女と口論しても無意味に過ぎる。何せ、こっちの話をまともに聞く気が無さそうだ。

 まあ、それだけあいつが屋敷に馴染んでるって事かね――そう感心半分、失笑半分で納得しておく。別段、身内が増えても悪い気はしない。少なくとも、彼女なら。

 そんな内心の評価をおくびにも出さずイリアに抑えられる少女を眺めていたコオヤだが、ふと遠くから名を呼ばれ振り向いた。


「コーヤさん! 探したぞ、こんな所に居たのか」

「ようフェリナ。って、何だその格好は」


 振り向いた先に居た彼女の格好は、いつものメイド服とはかけ離れたものだった。

 ノースリーブの上着に短いホットパンツという、実に動きやすく目に悪い姿。おまけとばかりに薄い皮の鎧が着けられているが、はっきり言って防御力に期待は出来なさそうだ、というのが正直な感想である。

 その美貌と相まって、数多の男達を虜にしそうな見た目の彼女は、調子を確かめるように軽く体を動かしながら告げた。


「これか? 決まっている、私も戦争に参加するのだ!」

「……許可は貰ってるのか?」

「勿論。イリア経由で、国王・ジンカー殿に許可を貰っている。特に部隊には入らず、コーヤさん直轄の遊撃兵という扱いだがな」

「そうかい。てかそういう事は事前に言っとけよ、お前もジンカーの爺さんも」


 頭を掻き、不満を漏らす。が、彼女の参戦に反対はしなかった。

 何となく、こうなる予感はしていたのだ。或いは当然の帰結と言うべきかもしれない。

 未だ侵攻先は一般には知らされていなかったが、それでもある程度頭の回る者ならば自然とコオヤと同じような結論に行き着くだろう。これから攻めるのが、隣のガレオス領だという結論に。

 そしてもしフェリナがその結論に至ったのならば、こうして参戦を表明するのは当たり前の事だった。何せ元々ガレオス領は彼女達カリオンの土地、その領土と囚われた同胞達を解放するとなれば、それは十分戦争に参加する理由となる。

 まして家族を虐げ自身を利用したガレオスとの戦いだ、直接戦う事は出来ないにしろ、武勇に覚えのある彼女が参戦しない訳が無い。

 それが分かっていたからこそ驚かなかったし、その心の内を察したからこそ反対もしなかったのだ、コオヤは。


「ま、そういう事なら俺の指示に従ってもらうぞ。といっても、基本は自由だが」

「ああ、分かっているとも。私は貴方の従者だからな」


 ぎゅっと拳を握り締めるフェリナの瞳に、暗い色は無い。その事実に、少しほっとする。


(どうやら、復讐や恨みで戦う訳じゃあないらしい)


 可能性は低いと思ってはいたが、それでも多少心配ではあったのだ。家族を取り戻し、彼女自身も無事だったとはいえ、それでもガレオスの非道は彼女の心を怒りに染めて余りある。

 が、それで無駄な突撃でもされればたまったものでは無い。もう彼女は己の身内なのだ、死なれては非常に困る。

 そう、自身の無茶な行動を棚に上げて安堵する彼に僅かに首を傾げるフェリナだったが、直ぐに気を取り直すと自身の胸をどんと叩いて見せた。


「どんな指示でも出してくれ。必ずやこなしてみせよう!」


 ぶるんと揺れた大きな胸に、クランが思わず舌打つ。

 胸が大きいのが何よ。私だって全く無いわけじゃないし。そう愚痴を零す彼女に、隣でイリアが苦笑を漏らした。

 きっ、と睨まれた。所詮はイリアも巨乳の仲間である、クランに味方はいないのだ。


「何をやっているんですか、貴方達は。これから戦争に向かうというのに」


 いや、一人居た。やって来た犬族の少女の一部を見て、クランはほっと安堵の息を漏らす。

 その意思を直感で感じ取り、顔を顰めるカルナ。しかし文句を言う前に、もう一人のエルフに話し掛けられていた。


「もしかしてカルナさんも戦争に? ……って、その格好じゃ違いますよね」


 カルナが纏っているのは、平素と変わらぬメイド服であった。これではとても、激しい戦闘は出来そうに無い。


「ええ、私は貴方達と同じく留守番です。流石に屋敷を管理する者が一人も居なくなるのはどうかと思いましたから」

「本当に良いんですか? 屋敷なら私一人でも何とか出来ますし、その……」

「詰まりイリアさんは、私に戦場に出て欲しい、と?」

「え、いえいえいえ! そんな訳ありませんっ!」


 慌てて首を横に振って否定した。誰であれ、危険蔓延る戦場に出て欲しいなどとそんな事を思うはずが無い。

 ただ、彼女はそれで良いのかと思ったのだ。祖父から聞いて知っているが、今から攻め込む先はカルナにとっても故郷のはず。その故郷奪還の作戦を、遠くから祈るだけで済ませて良いのか。

 元は同じ様に故郷を奪われていた者として、イリアには彼女の悔しさが分かる気がしていた。だからそう考えたのだが、


「……無駄に軍を乱さぬ為にも、外部からの緊急参加はフェリナ一人に抑えようと思っただけです。私の意志ならば、彼女が全て受け取ってくれましたから。それに……」


 ちらり、イリアとクランを窺う。

 数日前の襲撃の件もあって戦闘力の無い貴方達だけにはしておけないんですよ、とは言えなかった。それでは暗に足手まといだと言っているようなものだ。

 基本、物事は真っ直ぐ切り込んで話す事を好むカルナでも、その程度の分別はある。


「とにかく、私は戦争に出ない。それだけです」

「そ、そうですか……」


 引っ掛かる所はあったようだが、最終的にイリアは頷いた。元から然して興味を抱いていなかったクランは論外である。


「総員傾注! これより国王様より、出陣前のお言葉がある!」


 と、いまいち緊張感に欠ける彼等の意識を引き締めたのは、街中に響くような勇猛な声だった。

 軍の指揮官であるその男の声に従い、誰もが一ヶ所を見る。門の丁度真上、城壁上であるその場所には、豪奢な衣装に身を包んだ一人の老人の姿が。

 この国の王、ジンカーだ。彼は普段の好々爺然とした態度から一変、一国を預かるに相応しい威厳と共に、雄雄しく声を張り上げる。


「諸君! 既に理解出来ているとは思うが、これより君達は戦争に赴く事になる。それも瑣末な小競り合い等ではない、正真正銘この国の今後を賭けた大戦だ!」


 兵士達の気が一段と強く引き締まったのを、肌で感じた。


「幾多の危険が、君達を襲うだろう。怪我をし、死ぬ者も大勢出るだろう。だが、しかし! 敗北する事は許されぬ。此処で敗北する事は即ち、この国の、我々エルフ達の、そして人間以外の他人種全ての未来を閉ざす事にも繋がるからだ!」


 ぎゅっと、誰かが剣の柄を握り締める音が聞こえた。

 鋼の兜の下で、引き結ばれる唇の強さが明々と理解出来た。


「故に! 私は、君達の勝利を疑わない。君達の敗北を考えない! ただこの戦いの先に広がる未来を見据え、明日の為の治世を練ろう。行くべき未来へと続く、輝く道をただ進もう!」


 最早この場に、先程までの雑然とした空気は無い。緊張だけに支配された、破裂する寸前のゴムボールのような雰囲気も無い。

 在るのは、勝利へ向かう強い瞳と、真っ直ぐな覚悟。


「揺るがぬ意思と共に、諸君等の凱旋を待つっ! ――以上!」


 シン、と波打ったように静寂が場を支配した。

 直後――爆発するような歓声と共に上がる、雄叫び。


「ジンカー国王様万歳!」「我らの勝利に!」「この国の未来に!」「終わらない明日に!」


 まるで天を突くような歓声だった。皆が剣を、槍を、天へと実際に突き上げその意思を示している。

 そこに、暗い思いは存在しない。つい先程まではあったはずの、人間達への憎悪や恨みさえ、何処か霞んでしまっている。


(上手いもんだ。あくまでも自分達の戦う理由は復讐では無く、明るい未来を勝ち取る為って事かね)


 この場に居る誰もが――無論、コオヤは除くが――きっと、人間達への恨みを抱いているだろう。

 少なからず、何てものでは無い。むしろ恨みを抱いていない者が居るのなら、教えて欲しい位だ。

 だがきっとそれだけで戦ってしまえば、負けてしまう。憎悪は人の心を鈍らせ曇らせる、元より不利な帝国との戦いでそれは、即ち敗北へと直結するのだから。


(だが……今のあいつらの心には、その曇りは無い)


 晴らしたのだ。他でもない、ジンカーが。その言葉と、態度と、威風で。


「中々どうして。人の上に立つの、向いてんじゃねえの」


 苦笑するように、コオヤはそう漏らした。最も本人に言えば、笑いながら否定されるだろうが。

 どーにもあの老人は、自分の器を過小評価しがちである。


「それでは、出陣!」


 指揮官の男の声に従って、巨大な門がその口を開けた。整然としたまま巨口に呑まれて行く兵達を一瞥し、コオヤもまたその両足に力を入れる。


「それじゃ、俺達も行くか」

「ああ。道中の世話は任せてくれ!」


 ずれた事を言いながら気合を入れるフェリナに、小さく苦笑。共に城壁の縁に脚を掛ける。


「コーヤさん!」

「ん?」


 と、己を呼ぶイリアの声に振り向けば、


「どうか、ご無事で……」

「――はっ。当たり前だろ、俺を誰だと思ってやがる」


 祈るように言う彼女に、不敵に返す。そうしてフェリナと共に、オルニウスの街から弾丸のように飛び出した。

 晴天の空の下。戦いに赴く勇者達を、子供達や街の皆の激励の声が、温かく送り出していた。


 戦争が、始まる。

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