第18話 笑う小鬼

「どうやら全く上手くいってないみたいじゃない? あれだけ自信満々だったのにね」


 薄暗い会議室の中に響く、妖艶な女の声。その骨まで溶かしてしまいそうな毒婦の誘惑を受け、枯れかけた細枝のような中年の男――ガレオスは小さく呻く。

 その顔にはいつものような卑しい笑みは無く、演技では無い、本当の悔しさが滲み出ていた。


「……まだまだこんなものは序の口ですよ。幾らでも手はあります、何もそう結論を急ぐ事もないでしょう。所詮は狩り、一種の余興なのですから」

「でもさー、だからっていいようにやられすぎじゃない? 飼ってたペットに逃げられたあげく、腹心まで一人失ったんでしょー?」


 若い少女の、挑発するような指摘に再度顔を歪ませる。しかし声を荒げる事は無く、ガレオスはあくまでも冷静に、


「どちらも、数ある駒の一つです。失った所で何も問題などありはしないとも」

「そうやって次々と駒を落とされていくのが、お主の得意な戦略というやつなのかのう? それはまた、わし等のような馬鹿には分からん高度な考えじゃな」

「わし等って爺ちゃん、私達まで馬鹿の中に含めないでよー」


 ほっほっほ、悪い悪い。と、老人は高らかに笑った。頬を膨らませていた少女も、そんな謝罪を受け大口を開けて笑い声を上げる。

 あからさまに馬鹿にされていた。だがそんな挑発行為も、この円卓の中では有り触れたもの。今更それで心乱す程、ガレオスも未熟では無い。


「言ったでしょう、余興だと。一手目、二手目で潰してしまっては、面白くないではありませんか」

「けれどガレオスさん。あまりそう油断していると、案外呆気なく潰されてしまうかもしれないですよ?」


 そう、他とは違い真摯な色を滲ませて注意してきたのは、この中で最も若く見える少年――シュナエルである。

 同席に座する幼い実力者の言葉に、しかしガレオスは余裕を崩さず、


「それはもしかして、奴等――エルフ共が私の領地に攻め入ろうとしている事を言っているのですかな?」


 彼等の狙いなど、ガレオスはお見通しであった。当然だ、彼はこの文化的に発展途上の世界において、数少ない『情報』の重要性というものを痛い程に理解している人間である。

 そも策略は、情報が無ければ満足に立てる事も出来ない。それを分かっているからこそ、彼はたかがエルフと見下しながらも、しっかりとした情報収集を欠かしてはいなかった。

 そうなれば勿論、隠し切れない大規模な戦争の用意には直ぐに気付くし、その狙いが何処であるかを推測する事も容易というものだ。策略を得意とする、と自称までする自信は伊達では無いのである。


「心配ご無用。私はこう考えています、策略、策謀とは攻めより守りにおいてこそ真価を発揮するものだ、と。それが戦争となれば尚更です、敵が自ら罠に飛び込んで来てくれるのですから」

「そう……なら信じて良いんですね? ガレオスさん」

「ええ。皆さんは私の描く劇場を、ただ楽しんで見ていただければ良い。帝国に歯向かった愚か者共の末路には、きっと満足してもらえるでしょう」


 役者ぶった大仰な素振りでそう主張するガレオスに、皆は納得したようだった。いや、正確には元から心配していた訳ではなく、ただ彼をからかっていただけなのだ。

 此処にいる者は誰も彼も、自分達――及びそれと同格なガレオスが、たかが元奴隷達やそれについた人間如きに負けるなどとは、露ほども思っていないのである。

 そう……たった一人を、除いて。


「しかし皆さんも人が悪いですなあ。そんな事を言う為だけに、こうして集まったので?」

「まさか。ほら、今度帝都リグオンで王の聖誕祭があるだろう? それに関して、誰が音頭を取るのかって話をしたくてねぇ」

「そうじゃなあ。王自身も出る一大行事じゃ、失敗は許されん。確か去年はガレオスが指揮を取ったんじゃったか」

「なる程、その件でしたか。しかし残念、私は今年は無理ですよ。エルフ達の件に専念したいもので」

「ならば、僕が請け負いましょう」


 小さき者の声が、議論を一蹴した。


「あれー、良いのシュナエル? 祭りの運営なんて、面倒なだけじゃん」

「持ち回りという奴ですよ。明確に定められている訳では無いですが、今までも大体一年交代で回してきましたから。本来ならば今年はレストさんの番だったのですが……あの人はもう、六戦将ではありませんからね」


 だから、僕がやります。そう語るシュナエルの言葉に、皆は口々に賛成を表明した。

 少女が言っていたように、結局は祭りの運営など面倒なだけなのだ。自分以外の誰かが受けてくれるのならば、否やは無い。

 そうして間も無く、会議と言えるかも分からない雑談は終わりを告げた。いつものように――皆が出るのを待ってから――シュナエルは最後に議場を出る。


「「お疲れ様でした、シュナエル様」」


 そうしてこれ又いつものように、二人の従者が出迎えてくれた。

 常と同じ静かな表情を携えた二人のメイドに顔を上げるよう軽く手で合図しながら歩き出せば、後ろをそっとメイド達が追従する。


「いかがでしたか? 今回の会議は」


 これもまた、いつもの定型句である。


「今度の聖誕祭、僕が担当する事になったよ。皆にも伝えて置いてくれる?」

「畏まりました。よろしければ、此方で大まかな計画を建てておきますが……」

「うん、よろしくお願いするよ」

「はい。三日以内には、纏めた書類を提出いたします」


 メイドというより、秘書か副官のような素振りであった。

 が、それをこなすだけの実力と信頼があるのもまた事実。だからこそ彼女は、シュナエルに最も近い従者、側近なのだから。


「? シュナエル様……?」


 と、そんな優秀な彼女は気付いた。敬愛する主の機嫌が、普段と比べて幾分か良い事に。

 今回の会議で良い決定でもあったのだろうか、と疑問を抱く彼女の心を感じ取ったのか、主であるシュナエルは、


「ああいや、たいした事じゃないんだ。ただ……状況は中々上手く推移してくれているな、と思って」

「状況、ですか」


 まさか、聖誕祭の事では無いだろう。その程度は自分達にでも分かる。


「うん。ガレオスは随分と余裕でいたようだけれど……このままいけば、多分そう遠くない内に『彼』と直接ぶつかる事になるだろう」

「彼……レスト様を倒したという、人間ですね」

「そう、その彼。僕もそれなりに情報を集めているから言えるんだけど、彼はきっとガレオスの策略じゃ止まらないし止められないよ。だからきっと、もうすぐ直接衝突する事になる」


 それは決して、帝国に属する六戦将としては芳しい事態では無いはずだ。だがそれでも、シュナエルは嬉しそうに顔を綻ばせ語り続ける。


「その時こそ、分かるんだ。『彼』が果たして――帝国を打倒するに相応しい器かどうか、がね」


 期待の籠められた声だった。恋焦がれる相手に対するような、何処か熱の籠もった声だった。

 だから、彼女は嫉妬した。愛する主の心をこんなにも掴んでいる、その男に。


「……もしかして、妬いてくれてる?」

「っ!? い、いえ、私如きがそんな……」


 いつの間にか振り向き目の前に立っていた主に下から顔を覗きこまれ、思わずうろたえながらそう返す。

 すると主は、しょうがないなぁと手間の掛かる子供を見るような目で此方を手招きした。催促に従ってしゃがみこみ身長を合わせれば、


「今夜、部屋においで。可愛がってあげる」

「――っ!?」


 そっと耳元で、そんな言葉を囁かれた。

 耳の先まで、顔が真っ赤に染まる。茹で上がりのぼせてしまった蛸のような彼女に微笑み、シュナエルは再度前を向くと脚を動かす。


「さて。君の可能性を、見せてもらおうか――」


 その瞳には、鈍くぎらつく光が宿っていた。

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