第17話 離れない
ある日の夕方の、コオヤ邸にて。エルフの重鎮達と作戦会議という名のちょっとした打ち合わせを終えたコオヤが自宅へと帰還すると、偶々庭先で一人お茶を飲んでいる金髪の美丈夫を発見した。
丁度いいか、とその青年――レストへと歩を進める。此方に薄っすらとした笑みを浮かべ手を振る彼に少し眉を顰めながらも、緑広がる庭園の一角に存在する休憩所まで辿り着くと、白木の椅子に座り込みながら彼へと話し掛けた。
「よお。ちょっと良いか?」
「ああ、別に構わないよ。沈む夕陽を肴に、紅茶を飲んでいただけだしね」
「はっ、相変わらずキザったらしい奴だ」
しかし同時に、そういった行為や仕草が嫌味無く溶け込む男でもあった。褒めるのも癪なので決して口には出さないが。
「それで? 何の用だい?」
「何、聞きたい事があってな。六戦将の一人に、ガレオスって奴が居るだろ?」
「ああ、居るね。私も以前は時たま顔を合わせていたよ」
「そいつについての情報が欲しい。知ってる事を話せ」
命令口調のコオヤにも感情を荒立てる事なく、レストはそっと紅茶を口に運ぶ。そうして湿らせた喉で、応えた。
「理由は、まあ良いさ。聞かなくても予想は付く。しかしそうか、ガレオスに関する情報か」
数秒、考え込む。聡明な彼のそれは明らかにポーズだと分かっていたが、あえてコオヤは待った。一応は聞く立場としての配慮である。
ややあって、
「昔から、直接的な戦闘を忌避し、逆に策略を巡らせて相手を陥れる事を好む男だった。他の六戦将の大半が部下を塵としか見ていないのに対し、彼は部下を駒と見る。そうしてゲームでもするようにそれらを動かし、得られた結果を見て愉悦に浸るんだ」
饒舌に、ガレオスの情報を語りだす。そこに、元仲間を売る事への忌避感など微塵も無い。
いやそもそも、仲間だったとは思っていないのかもしれない。他の六戦将達が、互いを仲間と思っていないように。
「姿は?」
「骨と皮で出来ているような痩せこけた中年の男だよ。後は、いつも豪勢に着飾っている。見れば直ぐに分かるさ、一番嫌らしい顔をしているのがガレオスだ」
「ふーん。想像通りだな。で、他には?」
「他か。他は……教えない」
人差し指を唇の前で立て、黙秘権を行使するレストに、コオヤは少しだけ唇を尖らせた。
「なんだ。今更出し惜しみか?」
「まあね。私は一応此方についているが、だからと言って何でもかんでも話す訳では無い。情報が欲しいのならば、私だけに頼らずもっと広い範囲で聞き込む事だ」
彼以上の情報源など無いと分かっていてなおそう言ってくるレストに、コオヤは更に不機嫌になった。
恐らくはこの男の事、策謀を巡らせるのが得意なガレオスが自身の情報を秘していると知っていて言っているのだ。何とも意地が悪い。
「これ以上は無駄って事か。ま、良いさ」
しかしコオヤは軽く鼻を鳴らして不満を蹴散らすと、椅子から立ち上がり背を向けた。
「おや、諦めるのかい?」
「どうせ、情報が有ろうと無かろうとやる事は一緒だ。なら面倒背負ってまで情報を集めるより、昼寝でもしてた方が何倍もましだ」
「ふふ、君らしい。なら一つ、その潔さに敬意を表して忠告を」
ん? と屋敷に向かっていた脚を止める。そうして振り向けば、レストは最初とはまた違った笑みを浮かべて続けた。
「ガレオスには、気をつけた方が良い。常に、ね」
「……曖昧過ぎて忠告になってねぇんだよ、貧弱魔法使いが」
文句一つ残して、コオヤは屋敷に入って行く。
その背を見送り、紅茶を一口。
「いいや、十分な忠告だよ。ガレオス相手には、ね」
中身を全て飲み干すと、レストもまた後を追うように屋敷へと戻って行った。
~~~~~~
朝、日の出の頃。いつものように、静かに太陽がレンタグルスの街を照らし出す。迫る戦争とは裏腹に、何処までも平常通りで、しかしそれが何より幸せなこの街で、それでも牙を研ぐ者は存在する。
その一人――狐族の少女フェリナは、もふもふの尻尾を揺らしながら朝の鍛練に励んでいた。
幾多の徒手空拳が唸りを上げ、短く刈られた草を細くしかし肉付きの良い脚が踏み締める。汗を流し、荒い息を吐きながらも、その動きは止まらない。
「――?」
と、永遠に続くかと思われていた彼女の演舞が、唐突に終わりを告げた。
息を整えながら振り向けば、軽く手を振りながら此方に向かってくる主の姿が目に入る。
「コーヤさん? どうしたんだ、こんな朝早くから」
「いや、ちょっと目が覚めてな。……ってのは、嘘で。お前に会いに来たんだ、フェリナ」
「私に?」
はて、何かあっただろうか。昨夜もきちんと抱き枕としての役目は全うしたし、朝こっそり抜け出してこうして鍛練を行う事は、彼にもきちんと許可を得ている。
それとも、今日の家事についてか――そう思案していれば、
「そうだ。実は一つ、頼みたい事があってよ」
答えを見つけるより先に、彼から答えが返って来る。
そうして、また首を傾げた。彼がわざわざこうして自分に会いに来てまで、頼む『何か』が思いつかなかったからだ。
「一体何だ? 私に出来ることなら、何でもしよう。家族の新しい住居まで用意してもらって、本当にコーヤさんには感謝してもしきれない」
しょうがなく、聞き返す。その言葉は決して誇張でも何でもない、大恩ある主の為ならば彼女は火の中水の中、戦場の真っ只中にだって突っ込んでいく覚悟があった。
そんな忠実な従者の様子に肩を竦めて笑いながら、コオヤは言う。
「そうかい、それなら良かった。実はな――」
そうして紡がれた言葉に、フェリナは暫くぽかんと口を開けて呆ける羽目になったのであった。
~~~~~~
それから数刻後、朝食の席にて。いつも通りフェリナとカルナのメイドコンビが作った朝食を皆――コオヤ、イリア、メイド二人にレスト、後何故か居るクラン――で雑談を交えながら食している時の事。
ふと何気ない動作で、コオヤが自らの席から立ち上がった。それは本当に何気ない動作で、周りの女性陣はトイレにでも行くのだろう、と特に気にする事もなく会話を継続する位に、極自然な動作であった。
しかし彼は大方の予想とは違い食堂の出口には向かわず、無駄に長い長方形のテーブルをぐるりと回ると、反対側に座っていたイリアの後ろで脚を止める。当然、そんな彼の動きを誰もが不審に思った。優雅に紅茶を飲んでいる一人は除くが。
「あの、コーヤさん? どうかしたんですか?」
皆を代表するように、振り返ったイリアが問う。自身の後ろに何かあるのだろうか、と軽く見回してみるも、特におかしな点は見当たらない。
他の皆も同じだ。けれどコオヤは周囲からのそんな疑問には答えず、暢気に欠伸を一つ浮かべると、やおらイリアの長い青髪の先を手に取った。
「コ、コーヤさん?」
「んー。……んー……」
寝言のような声を出しながら、コオヤは右手でイリアの髪を弄り続ける。優しく撫でるようなその手つきに、思わず顔を赤くする髪の持ち主を見て、まず真っ先に食って掛かったのはクランであった。
「ちょっとコーヤ、あんた何のつもりよ! そ、そんなに女の子の髪を触りたいのならほら、此処にだって……い、いや、しょうがなくよ!? そのままだとイリアがかわいそうだし、ほら!」
ふわりとその頭に付く金色のツインテールを揺らしてみせるクランだが、コオヤの視線はちっとも向きはしなかった。変わらずイリアの髪を弄りながら、他に何をするでもなく突っ立っている。
しょぼくれるクラン。直後、続くように名乗りを上げたのは、狐耳の少女。
「クランでは駄目ならば、私などどうだ? これでも毛並みにはそれなりに気を使っているのだぞ」
ふふん、と自慢げに栗色の長髪を揺らしてみせる。が、これにもやはりコオヤは振り向かず、どころか掬い上げたイリアの髪に顔を埋め始める始末。
しょぼくれるフェリナ。自然、無関心なレストと真っ赤になって焦っているイリアを除いた二人の視線は、残る一人に突き刺さる。
「私はしませんよ。別に触られたくなどありませんから」
その一人、犬族の少女カルナはかばうように自身の髪を押さえながら二人に返した。
思わず反応したクランが言い返す、
「べ、別に触られたい訳じゃっ――えっ?」
その、言葉の途中で。突如大きな音を立て、窓ガラスが一つ、割れ砕ける。
それは丁度、佇むコオヤの真後ろで――
「危ない、コーヤさんっ!」
叫び、身を乗り出すフェリナ。しかし彼女がそれ以上動くより先に、幾多の凶器と化した硝子片はぴたりと揃ってコオヤの背中五センチ前で動きを止めると、そのまま力無く地に落ちて行く。
呆気に取られる一同――と、そこで気付いた。空いていたコオヤの左手が、何かを掴んでいる。イリアの頭部近くで止められているそれの正体は、
「矢……? それも、あんなに太い」
直径五センチはあろうかという、図太い金属製の矢だったのである。先には鋭い鏃が付いていて、突き刺さればエルフなど一撃で絶命するだろう事は容易に予想がついた。
先程までの浮かれた気分も霧散させ、イリアが恐る恐る問い掛ける。
「コ、コーヤさん、これは……」
「触るな、毒が塗ってある。ご丁寧にシャフトの部分までべったりだ」
すっと遠ざけられるコオヤの手。そこに握られている矢を通じ、ぽたりと粘性の高い液体が一滴カーペットに染み落ちた。
「ちょ、それって大丈夫なのコーヤ!? あんた思いっきり触ってるけど!」
「お前らだったら駄目だろうな。触っただけでも、皮膚から染み込んで暫く寝込む。まあ、俺に効く訳ないんだが」
言って、その手の矢を軽く放った。行き先は、レスト。
「処分しといてくれ。垂れた毒も一緒にな」
「君は私を便利屋か何かと勘違いしていないかい? まあ、構わないけれど」
彼へと到達する前に、矢は魔法陣に包まれ消えた。同時、幾つかの陣がカーペットや散らばった硝子片に浮かび上がり、微かに輝く。
「これで完了だ」
「ありがとよ。じゃ、俺はちょっと出てくる。直ぐ済むから、飯はそのままで良い」
「あ、コーヤさん!?」
手を伸ばすイリア達にも応えず、コオヤは窓から飛び出して行く。あっという間に離れ、街並みの中に消えた彼を、皆は呆然と見送るしかなかった。
「ど、どうなってんのよ、一体」
「……貴方ならば何か分かるのではないのか? レストさん」
フェリナが、唯一この一連の騒動にも全く動じていない男へと問う。ここ数日で慣れて来てはいるようだが、やはり元六戦将である彼と話すのは少々緊張を伴うらしい。その声には、若干の硬さが含まれていた。
が、そんなフェリナの微妙な心境になど気付いた風もなく、レストは口に含んだ朝食のパンを食べ終えてから、
「別段、難しい事ではないよ。何者かが狙撃を企てていた、そしてそれに気付いた彼が防いだ、それだけの話だ。今は、下手人を捕らえに行っているのだろう」
「だが、狙いは明らかにイリアだったはずだ。一体誰が、何の目的で……?」
「それも難しい事ではない。君なら分かるだろう?」
「まさか……ガレオスの手の者かっ……!?」
思い至る節など、それしかない。フェリナがコオヤを殺す指令を受けていたように、買出しに出かけた時に刺客に襲われたように、ガレオスは明確にコオヤを標的として設定している。
「だが、直接狙ったのでは殺すのは難しい。そう、判断したのだろうね。だからまずは周囲から切り崩そうとした」
「で、でも私なんか何の役にも……」
「それは違う」
自信無さ気に漏らされた声を、レストは即座に否定する。
「確かに、戦力という点では役に立たないかもしれない。が、それを言い出したらこの世界のほとんどの者がそうだろう。少なくとも彼にとってはね。重要なのはそちらではなく、精神的な問題だ」
「精神的……」
そう、と呟き、続ける。
「彼は一見、一人で何処までも行けるような唯我独尊な人間に見える。が、彼とて人間だ。人と関わりあえば情が生まれるし、周囲の者達が傷つけばショックを受け傷つきもする。そうなれば当然、精神的な綻びも生まれる」
「そうして崩れた所を叩く、と」
「ああ。最も、全ては私の下らない推論に過ぎないが」
そう言って、レストは言葉を締めくくった。
沈黙。皆、黙って考え込む。
もし彼の言うことが真実ならば、今後はコオヤと関わる自分達も狙われる可能性があるという事だ。特に、まともな戦闘力を持たないイリアとクランにとっては、脅威という言葉で済む問題ではない。
「――よお。どうした、皆黙っちまって」
と、そうして静寂に支配されている間に窓からコオヤが返って来た。彼はやけに静かな周囲に首を傾げながらも、自分の席に座ると再び朝食を取り始める。
「どうなったんだい? 愚か者は」
静寂を破り、レスト。
「ん? ああ、警備隊に引き渡したよ。潜んでいた奴も含めて、全員な。全く、朝っぱらから面倒臭い――「コーヤっ!」あ?」
と、会話を遮って、クランが大声を上げた。注目を集めながら彼へと迫り、言う。
「言っとくけど、私は此処に来るのを止めないからね!」
「わ、私も、コーヤさんの傍を離れませんっ!」
「勿論、私もだ。何せ私の命は、既にコーヤさんのものだからな」
イリアとフェリナもまた立ち上がり、彼女に続く。
訳が分からず困惑するコオヤだが、「まあ好きにすれば良いさ」とだけ答えると、朝食の残りを胃に流す作業に戻ってしまう。
そんなぶっきらぼうな彼にも気を悪くする事はなく、むしろ上機嫌にさえなって、三人は席に戻ると同じ様に食事に取り掛かって行った。
ちなみに。
「私は別に、了承していないのですが。はぁ……」
その横で、溜息をつく犬族が居たが……何だかんだで、此処を離れる気はないようである。
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