第15話 罪に裁きを

「ん……」


 ぱちり、ベッドの上で私は目を覚ます。

 寝起きでぼやける脳を叱責し起き上がれば、そこは数日前この屋敷に来て以来、私に与えられた部屋だった。

 壁紙や絨毯、多数の家具はどれも一目で分かる高級品である。といっても元々あった物をそのまま使っているだけなのだが、実はこれでも減らした方なのだ。

 趣味の悪い調度品の類が多数並んでいて、微妙な表情で全て倉庫送りにしたのがつい先日の事である。

 そんな、懐かしささえ覚える過去を思い出しながら、私は共にベッドに眠る少女を見た。


「ん~……お姉、ちゃん……」


 此方の腕にしがみ付きながら寝息を立てる妹の姿に、つい笑みが零れる。

 ほんの少し前まではもう会う事も、こうして触れる事も出来ないと思っていた家族の存在に、心が温かく癒えていくのを感じた。


(これも全て、あの人のおかげだ)


 窓から見える茜色の空を眺めながら、私は思う。

 あの人には、言葉に出来ない程お世話になり助けられた。だからこそ、自分の罪から逃れる訳にはいかない、と。

 ゆっくりとベッドから立ち上がる。不思議と、足の重さは無かった。理屈だけではない、心もきっとこれからの行動に賛成してくれているのだろう。


「行って来るよ、クスナ」


 最後にもう一度、眠る妹の髪を撫で。私は、静かに部屋を出た。


 ~~~~~~


 コン、コン、コン。

 ノック三回、軽い音が部屋に響く。その音色に意識を浮上させ、コオヤは欠伸一つ、ベッドから身を起こした。


「誰だぁ。俺は眠いんだが」

『すまない、コーヤさん。今、良いだろうか』


 面倒だ、という態度を隠しもせず問えば、何処か固い少女の声が返って来る。


「フェリナか。別に構わんが」

『そうか。なら、入るぞ』


 扉が開き、入って来たのは思った通りカリオンの少女。

 普段見るメイド服と違い、簡素な寝間着に身を包んだフェリナであった。


「どうした。家族と一緒に居なくて良いのか?」

「良いんだ。今はそれよりも、やる事がある」


 やる事? と問い返すコオヤに、フェリナは、


「――本当に、すまなかった」


 深く深く、頭を下げた。


「それは、何についてだ?」

「貴方を、騙していた事。殺そうとした事。それら全てについて」

「成る程ねぇ……」


 顎に手を当て口を歪める彼に、フェリナは続ける。


「今更こんな謝罪で、どうにかなるものでは無い。それは分かっているつもりだ。だがそれでも、どうしてもきちんと謝っておきたかった」

「…………」

「それから、感謝を。家族を救ってくれて――本当に、ありがとう」


 顔を上げた彼女は、薄く微笑んでいた。まるで寿命を終える寸前の蝉のように、眩しい夕陽に照らされながら。


「家族が救われた。また会い、触れ合うことも出来た。もう思い残すことは無い、コーヤさん。私を、裁いてくれ」


 覚悟と共に真っ直ぐ彼を見る。

 そう、フェリナがこうしてコオヤの下を訪ねた理由は、断罪の為だった。といってもするのではなく、される為である。

 自分のして来たことは、到底許されるものでは無い。どのみちいずれは、エルフ達の手で裁かれるのだろうが……どうせならフェリナは、コオヤ自身の手で裁いて欲しかった。

 それは、彼に余計なものを背負わせる行為なのかもしれないが――それでも。どうせ殺されるならば、彼が良い。

 それが、フェリナにとっての最後の我侭であったのだ。

 覚悟を決めた彼女を、コオヤはじっと見詰め返す。そうして二秒、三秒。

 時が止まったかと錯覚する程間を空けてから、彼は口を開いた。


「なら」

「なら?」

「まず謝罪しろ」


 は? と頭に疑問符を浮かべるフェリナ。既に謝罪なら終えている、これからは実際に彼が自分を裁く番のはずだ。

 無論、謝れというのならば幾らでも謝るが――


「そうじゃない。確かにお前は謝ってたが、んなこたどうでも良いんだ」

「ど、どうでも良いって……」

「俺が言いたいのは、俺を舐めていたことについて、だ」


 その言葉に、またもフェリナは疑問符を浮かべた。

 彼を、舐めていた? 勿論物理的にでは無いだろう、詰まりは彼を侮っていたということだ。


(もしかして、私なんかが彼を殺せると思っていたことだろうか?)


 そう当たりを付けるフェリナだが、答えは全く別のものであった。


「お前、何で俺に相談しなかった?」

「え……?」

「だから、相談。家族が囚われているんです、助けてくださいーって、何で俺に言わなかったのかって聞いてんだよ」


 予想外の言葉に、思考が止まる。

 何故相談しなかったのか? 決まっている、それは相手が六戦将だからで、助けるなんて無理な話だったからで――


「だから、それが間違いだってんだ。出来ない、無理だ、助けられない? それは詰まり、俺がその程度のことも出来ないと、舐めてるってことだろう?」


 不機嫌そうに、彼は言う。


「言やぁ助けてやったさ。面倒臭えが、適当に空間ぶち抜いてお前の家族の所まで行って、邪魔する奴等は全部ぶっ飛ばして、助けてやった。難しいことは無い、たかがそれだけの話だ」

「そんな……そんな事は不可能だ! 今回は偶々相手が六戦将本人ではなくその部下で、偶々彼女が此方に通信を繋げて来たから居場所が分かったに過ぎない。何の手掛かりも無い状態で、助けることなんて……!」

「だーかーら。それが舐めてるって言ってんだ」


 一際大きな声を出した彼に、気圧された。

 黙ってしまった彼女に、コオヤは続ける。


「手掛かりが無い? 六戦将が相手? んなこたぁどうだって良いんだよ。居場所が分からねぇなら勘でぶち抜く、六戦将が相手ならぶっ飛ばす。それで終いだ」

「そ、そんなこと」

「俺なら、出来る。他の誰に無理でも、俺なら」


 自身満々、というよりは淡々と、ただ事実を述べるように彼は告げた。

 それは、あまりに無茶苦茶でまるで子供の戯言のようだったが……同時にすとんと心の奥に入り込んでくるような、強さがあった。


(ああ……そうか)


 この時初めて、フェリナは気付いた。自分が、大きな思い違いをしていたことに。


(この人は私が思っているよりもずっと、ずっと、無茶苦茶で――強い、人なのか)


 素直に、そう思えた。下らない理屈や常識をすっ飛ばして、そう思えるだけの芯が彼の言葉にはあったから。

 同時に、これが彼の強さの一端なのだろう、とも。


「コーヤさん」

「あ?」

「――すまなかった。改めて、謝罪する。私は貴方を、侮っていたようだ」


 再度頭を下げるフェリナに、満足そうにコオヤは小さく笑った。下げた頭の裏で、フェリナもまた小さく笑う。


「それで、コーヤさん。裁きについてだが……」

「ん、ああ。それなら――」


 顔を上げ、生真面目に裁きを求めるフェリナに、コオヤの手が伸びる。

 遂に終わりの時か、と覚悟を決め瞳を閉じるフェリナ。そんな彼女の腕を、コオヤはがっしりと掴み取ると、


「コーヤさん? 何を――ふぇあっ!?」

「これで良い」


 倒れこむように、ベッドに引きずり込んだ。

 狼狽するフェリナだが、次第に現状を把握すると、その顔を真っ赤に染める。


「こ、こここここコーヤしゃん!? ななななななな何をっ!?」

「あ~? 何ってそりゃ……」

「も、もしや償いとして、私の身体を!? そそそそそんな、幾ら何でもそれは……! い、いや、別に嫌という訳では無いんだ、コーヤさんがそれを望むというのなら私は……た、ただな、私はそういう経験が無くてだな、果たしてコーヤさんを満足させられるかどうか……!」

「うるせえ」


 耳元で捲くし立てられ、眉を顰める。そうして、黙らせるように彼女を胸に掻き抱く。


「あうっ……」

「別にお前の妄想してるようなことじゃない。ただ、俺が快適に眠る為の抱き枕になれ」

「だ、抱き枕っ!?」


 頓狂な声を上げ身を捩るフェリナだが、コオヤの腕は自身をすっぽりと包み込んで離さない。

 仕方なくフェリナは抵抗を諦め、代わりに言葉で抗議することにした。


「コ、コーヤさん。貴方が何を考えているのかは知らないが、私の罪はそんなことで償えるものでは」

「ん~、やっぱ肉付きが良いだけあって、抱き心地も良いな。尻尾も有るし」

「ひゃあっ! きゅ、急に尻尾を撫でるな! それよりだなコーヤさんっ」

「うん。獣臭いかと思ったら普通に良い匂いだ」

「匂いを嗅ぐな! 誤魔化さないでくれコーヤさん、きちんとした裁きを……!」


 喧しく訴えて来るフェリナに、小さく溜息。


「裁き裁きって、これ以上一体何を裁けってんだよ」

「それは勿論。貴方を……「勘違いしてもらっちゃ困るが」」

「そもそも、お前の言っていた二つ。騙してた事と殺そうとしてた事、だったか? それがまず間違ってんだよ」

「何?」


 どういうことだ、と問いかけてくる彼女を抱きしめながら、答える。


「まず一つ目だが。騙されるも何も、始めから俺はお前を信用なんざしちゃいない。というか、あんな怪しい出会い方と強引な転がり込み方で、疑われないとでも思っていたのか?」

「う、それは……」

「だから信用なんざして無かったし、何か狙いがあんだろうなとも思っていたさ。分かるか? そもそも騙されてなんざいねぇんだよ」

「な、なら、殺そうとした事は!」

「それも論外。だってお前じゃ俺、殺せないじゃん」


 当たり前に言われて、フェリナは固まった。目をぱちくりさせる彼女に、続ける。


「色々試してたみたいだが、全部話にならねぇ。傷一つ付けられないんじゃ、殺すも何も無いだろ」

「だ、だからといって私のしたことが許される訳ではっ」

「本人である俺が大したことじゃないからこれで良い、って言ってんのに、それ以上何が必要だってんだ。やった側が望む裁きをしてどうすんだよ。それじゃあ裁きも糞も無い、ただ願いを叶えてやっただけじゃねぇか」

「うう、確かにそうだが」


 望まぬ処断だからこそ、罰になるのだ。して欲しいことをして貰った所で、それが何の罰になろうか。

 そういう意味では、フェリナの望む通り彼女の命を奪ったとしても、それは罰には成り得ない。またコオヤ自身、そこまでする価値を彼女の罪に感じていない。


「だから、これで良いんだ。それ以上が欲しいんだったら、手前で勝手にやってろ。ああでも、エルフ達に裁きを求めるとか、んな下らない事はすんなよ。今回の件は俺とお前の問題だ。無関係の奴に何を求めたってしょうがない」

「しかしだな、貴方はエルフ達にとって重要な存在で……」

「で? なら逆に俺の価値があいつらにとって軽ければ、何をしても許されるのか?」

「それは……違う」

「分かってんなら、黙って俺の与える罰に従っとけ。という訳で、お休み」

「え、あ、コーヤさん!?」


 もう一度ぎゅっと腕の中の抱き枕を抱きなおし、コオヤは目を閉じ眠りに入った。

 狼狽するフェリナだが、既に彼は静かな寝息を立て始めている。ホールドされた腕から抜け出すのも、容易では無さそうだ。


「…………」


 フェリナは思う。きっとこの裁きは、彼の温情……では無いのだろう、と。

 彼のことだ。思うがままに行動した結果が、これであるに違いない。素直にそう信じられる程度には、フェリナは彼を理解出来ていた。

 だからその裁きに、ありがとうは言わない。ただ静かに受け入れて、フェリナは身体の力を抜く。


「……お休み。コーヤさん」


 そうして彼の胸に顔を埋めて。中てられるように、ゆっくりと眠りに落ちて行った。


 優しい夕陽が差し込む中、少女の悲劇が終わりを告げる。だがそれは、全ての終わりには成り得ない。

 これより始まる。彼女の、新たな人生が。そして――コオヤの、新たな戦いも。


「失敗しましたか。まあ良いでしょう、想定内です。さて、次はどうやって彼を殺しに掛かりましょうか」


 決戦の時は、近い。

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