第14話 貫け、怒りで

 重力に従い、勢い良く落下した刃。行使された処刑を前に、フェリナは絶望と共にその場に崩れ落ちた。

 スクリーンからは、ルーネシアの嘲笑が五月蝿い程に聞こえてくる。大切な、何より大切な家族を失った――その事実に、どうしようもなく打ちひしがれ。


「え……?」


 誰かが零した小さな声に、ゆっくりと顔を上げた。

 皆が、スクリーンの向こうを見る。フェリナが、カルナが、イリアが、クランが。

 その視線、そして何故か絶望ではなく呆気に取られたような瞳の色に、ルーネシアが疑問を感じ振り返れば――


『あ、れ~? どうなってるんですか、これはー?』


 そこには、ギロチンの刃があった。振り切られることなく、空中で止まる、巨大な刃が。

 皆、意味が分からない。支えるものを失った刃は、どう足掻いても重力によって真下に落下するはずだ。空中で止まるなど、物理法則を捻じ曲げでもしない限りありえない。

 とその時ルーネシアは、そして遅れてフェリナ達も、気付く。良く見ればギロチンの刃の下に、何かがあることを。

 巨大な処刑器具に比べれば随分と小さく、しかしそれ一つで鋼鉄の重みを支える、見覚えのあり過ぎるそれの正体は――


「人の、手?」


 まさしく手であった。まごうことなく、手であった。力強さを感じさせるその手が、腕が、何処からか現れてギロチンの落下を止めている。

 予想外の事態にルーネシアも、フェリナも、フェリナの家族も、皆固まって。


「何を調子に乗ってんだか知らないけどよぉ」


 揃って振り向く。声の主は、長らく無言を貫いていたあの男。

 その姿を視界に入れた誰もが――レストは除くが――己の目を疑った。何故なら彼の、コオヤの右肘から先が、空中に入った皹のような空間に突っ込まれ消えていたからである。

 未だ現実に思考が追いついていないフェリナやカルナ、そしてルーネシアを置いて、彼とそれなりに長く過ごしてその無茶にもすっかり慣れていたエルフの二人は、現在の状況を半ば直感で理解した。

 即ち、彼がギロチンの刃を止めたのだ、と。


『え、あれ、え~とぉ……?』

「わざわざ中継繋げるなんて、お前馬鹿だろ。手前程度が映像を繋げる所なら、俺が直接ぶち抜けない訳無いだろうが」


 当然の事のように、コオヤは言った。他の人間からすればありえない、しかし彼にとっての常識を。

 それに対する反応は、種種様々であった。

 呆然と、目を瞬かせるフェリナ。

 信じられない、と目を見開くカルナ。

 嬉しそうに、喜色を滲ませるイリア。

 全くこいつは、と溜息を吐くクラン。

 コオヤと同じく、当然のこととばかりに軽く頷くレスト。

 そして、残るルーネシアはと言えば。


『は? は? は? はぁあ~~~~!?』


 それまでの余裕は何処へやら、可愛らしい顔を醜く崩し、驚愕の叫びを上げた。


『何を意味不明な事をのたまっているんですか~、貴方! そんなこと、出来るはずがないでしょー!』

「お前には出来ないかもな。でも、俺には出来る」

『何ですそれ~! 何か、もの凄くむかつくんですけどー!』


 地団駄を踏みながら悔しがるルーネシア。しかしまだ余裕の全てが消えた訳では無い、愚かにも。


『ぬぬぬー。こうなったら、私が直接彼等を処刑して――』

「そんな真似が出来ると本気で思ってるなら、お前はどうしようもない程の馬鹿だぜ」


 懐から小さなナイフを二本、取り出し両手に握るルーネシアがその言葉に反応するよりも早く、コオヤはその腕を大きく振り上げる。

 途端、重力が逆転したかのようにギロチンの刃は天井を突き破って上空遥か高くに消え去り、振るわれた腕の衝撃で、皹の入っていた空間は大きく砕かれた。

 硝子の割れるような甲高い音を鳴らして、世界が繋がる。スクリーンの向こうと此方の、空間が。


「ありですかー、そんなの!」


 思わず両手のナイフを取り落としそうになるルーネシアを余所に、悠然とその『穴』から歩み出てきたコオヤは、腕を一振り。それだけで、フェリナの家族を拘束していた処刑器具は粉々の塵へと変貌する。

 物理法則も何もあったものでは無かった。だが同時に、これが彼にとっての物理常識でもあった。

 しかしそんな異常な常識に、ルーネシアが付いていける訳が無い。遂に同じ空間に立った化け物に、彼女の顔から余裕が消える。


「もうもうもう! なんなんですか貴方は、存在がいかれてるんじゃないんですか! もうどうだって良いから――死んで下さーい!」


 二歩、地を踏みつけ加速したルーネシアは、そのまま飛び上がるとコオヤへと襲い掛かる。

 その見た目からは想像出来ない体捌きの鋭さは、六戦将の腹心だけあるということなのだろう。ダイヤモンドさえ真っ二つに切り裂く程の力を両手のナイフに集束させて、命を刈り取ろうと急降下。

 迫り来る敵を前にコオヤの腕に力が籠もり、


「死っねー……ぶゃ!?」


 振るわれる前に、横を駆け抜けた影がルーネシアに拳を突き刺した。


「不躾な願いだとは、分かっている。だがコーヤさん」


 その影、フェリナはゆらりと振り向きつつ、言う。


「私に、やらせてくれ」

「……はっ、好きにしな。元からあんな小物に、興味はねぇよ」


 薄く笑って、コオヤは近くの壁に寄り掛かる。

 小さく頭を下げてから、フェリナは先ほど殴られた頬を押さえ座り込む、可憐で醜い少女へと歩み寄った。


「ルーネシア」

「いったいですー。そんなに私に殺されたいんですか、フェリナちゃんー」


 バク転、素早く起き上がるとゆったりと戦闘体勢を取るルーネシアを睨みつける。けれど彼女は怯んだ様子も無く、むしろこの期に及んで見下した目つきで、


「良いですよー、別に。フェリナちゃんも、その家族も、そしてあっちの男も。みーんなまとめて、殺してあげまーす」

「愚かだな、お前は」

「はいー?」

「もし、私が飛び出してこなければ。お前は今頃とっくに、その命を散らしていたさ」

「何ですー、それ。まるで私が、負けるみたいな言い分ですねー」

「ああ、負ける」

「はい?」

「お前では、コーヤさんに手も足も出せず敗北する。未熟な私にも、その程度は分かる」

「ん~……。むっかつきますねー!」


 溜めた力を足裏より解放しての、奇襲突撃。そうして振るわれた左手のナイフを、身を低くしてかわす。

 続いて迫る、右手の追撃。高速で繰り出された突きを、左腕を盾にして受け止めた。

 痛みと共に、ナイフが腕に突き刺さる。深々と、を通り越して最早貫通したその刃。血が吹き出、命の源がぼたぼたと流れ落ちていく。

 けれど感じる痛みより、今は怒りの方がずっと強い。

 心のまま、私は右の拳を握り締め、腕を引き絞り、地を踏み締めた。


「それと、もう一つ」


 射殺すような鋭い瞳に、ルーネシアの身体が強張った。それは、刹那の戦場に置いて致命的な隙となる。


「私にも、だ」

「ぎゅうぃ!」


 放たれた拳は、狙い違わずルーネシアの顔面を真正面から打ち据えた。奇怪な悲鳴を上げながら吹き飛んで行く彼女を見送り、左腕に残ったナイフを無理矢理引き抜く。


「返すぞ」

「……ぁ……」


 空を裂く音を鳴らし投じられたナイフは、すとんと呆気ない程簡単に、ルーネシアの心臓を貫いた。

 目から、光が消えて行く。カリオンとしての優れた聴覚で鼓動が止まったことを確認した私は、此方に歩いて来ていたコーヤさんへと振り向いて、


「……ありがとう」

「下らん礼なんぞ良い。それより、家族の所へ行ってやりな」


 送り出すように、彼の手が軽く私の腕に触れた。もう一度ありがとうと呟いて、私は駆け出す。

 気付けば、腕の傷は治っていた。

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