第13話 悪鬼

 朦朧とする意識の中、敗北を自覚する。

 大の字に寝転がる身体にはもう、一片の気力も残っていない。よしんば立ち上がれたとしても、戦闘を継続することは不可能だろう。

 完全無欠の、敗北だった。自身の実力を余す所なく発揮し、それさえ超えた真の全力を以って相対した。そして確かに打ち込んだ、渾身の一撃を。

 けれど――それでも尚、奇跡を掴むには足りなかった。自身の実力不足……無論、それもあるだろう。だが何よりも相手が、コーヤさんが奇跡でさえ及ばぬほどの規格外であったのだ。

 言い訳では無く、純粋にそう思う。きっと彼は、彼を倒せる程の奇跡を起こしても、それを更に奇跡を起こして覆すような埒外の人間なのだと。もっとも、今回の戦いではそんな奇跡を起こすまでも無かったのだろうが。

 此方が手を掛けた勝利を、真正面から問答無用で打ち砕く。実に容赦が無く、そして実に強者らしい。


(これが、格の違いというものか)


 視界一杯に広がるのは、よく晴れた青い空。その空のおかげだろうか。決して負けてはならない戦いに敗北したというのに、不思議と心に淀むものはない。

 ただ負けたという実感と――深い悲しみだけが、そこにはあった。


「コ、コーヤ! あんた大丈夫なの!?」

「心配いらねぇよ。俺がそう簡単にやられると思ってんのか? この通り、怪我一つ無いさ」

「良かったです、コーヤさん。あの時は本当に、どうなることかと……」


 遠くで聞こえる、三人の声。その内容から、ああやっぱりまだまだ遠かったのか、と自重するように内心呟く。


(追いつくには一体、どれだけの時を費やせば良いのだろうか。最も……そんな時間は、与えてはもらえないだろうが)


 何せ私は彼に反逆し、その命を狙ったのだ。自身を殺そうとした相手を、放置しておくわけもあるまい。この国における彼の重要性を考えれば、それこそ処刑されても何らおかしくはないのだ。

 それに、何より。全てを失った自分に、再度立ち上がる気力が残るかと言えば――


「……?」


 と、そこで気付いた。既に戦いは終わったはずなのに、場に再び奇妙な緊張感が満ちていることに。何事か、とそう考えて……感じ取った気配に目を見開いて、慌てて上体を起こしに掛かる。

 全身に痛みが走り、身体を持ち上げるだけでも苦労する程疲弊してはいたが、それでも何とか身を起こしたフェリナの目に入ったのは――嵐にでも向かうかのように立つ、親友の背中。


「カ、ルナ?」

「……すいません、フェリナ。やはり私には、ただ見ていることは出来そうに無い」

「っ、まさか……! 駄目だ、カルナ! やめてくれ!」


 長く付き合ってきた親友のこと。フェリナには彼女が何を考えているのか、すぐに察しが付いた。

 彼女は、敗北した自分に代わりコオヤに挑もうとしているのだ。


「カル……ぐぅっ」


 急いで彼女の無謀な挑戦を止めようとするも、身体は満足に動いてくれない。震える手を伸ばす、それだけでやっとだ。

 止めなければ、ならないのに。彼女は今回の件には一切関係ない、ただ弱い自分が巻き込んでしまっただけの存在だ。ここでもし戦わせてしまえば、もうどんな言い訳も通用しない。彼女も自分と同じように、罪を背負うことになってしまう。


(それだけは、阻止しなければ……!)


 思いとは裏腹に動かぬ身体に四苦八苦するフェリナを置いて、カルナは魔法を使って隠しておいた弓一式を手元に引き寄せると、静かに至近の目標に向かって構えを取る。

 目には覚悟。敵わぬと知っていて尚、高みに挑む愚者の瞳。


「何だ、お前も俺と戦いたいのか?」

「ええ。そしてその命を、貰います」

「命を、ねぇ。随分と舐められたもんだ、俺も。お前の実力は精々フェリナとどっこいどっこい、いや今はそれよりも下か。そんなお前がこの俺を殺せると? 無理だな、無理無理。奇跡が起きたって不可能だよ」

「…………」

「もしさっきの戦いで消耗しているはず、なんて思っているのなら、それは大きな間違いだぜ。残念ながら今の俺は完璧万全。付け入る隙なんぞ、一ミリもねぇよ」


 ハッタリ、ではない。彼の言葉が事実だということは、カルナにもすぐに分かった。

 親友が全てを賭けて編み上げた絶技でさえ、あの男を欠片も揺るがすことは叶わなかったのだ。冷静に考えれば、そんな相手に自分が敵うはずがない。


(だが、それでも――)


 此処で何もしなければ、自分はフェリナの親友では居られない。

 彼女が許す許さないでは無いのだ。カルナ自身が、何もしなかった自分を許せない。

 だから戦う。例え、勝ち目など一片も無くても。


「しゃーねぇなあ。二人揃って、よっぽど俺にぶっ飛ばされたいらしい」


 気だるげに頭を掻きながらもイリアとクランを傍から離し、戦闘体勢へと入るコオヤを鋭い双眸で睨みつけ、カルナは矢を番えた弓を引き絞り――


『時間でーす』


 突如虚空から降り注ぐ声に、動きが止まった。

 彼女だけでは無い。コオヤは不機嫌そうに眉を顰め、レストは愉快そうに小さく笑い、イリアとクランは訳がわからず戸惑って。

 そしてただ一人、フェリナだけは――何処までも暗く、絶望的な顔を。

 一触即発の空気が僅かに弛緩し余裕が出来たその空間に、キィィンと甲高く不快で奇怪な音を立て、人間の数倍程もある巨大な何かが姿を現した。


「何、あれ?」

「まさか、これは……っ!」


 戸惑う彼女等の視線の先に浮かぶのは、巨大な四角形。まるで映画館のスクリーンのようなそれに、電源が入ったかの如くノイズが走り、何処かの様子が映される。

 現れたのは一人の少女。薄暗い部屋に佇んで、何が楽しいのかにやにやと生理的嫌悪感を感じさせる笑みで此方を見ている。

 無邪気な少女のような可憐な容姿とその笑みのギャップは、イリア達の心に無意識に忌避感を刻み込む程であった。


『こんにちはー。見えてます? 聞こえてます? うん、きっと大丈夫ですよねー。それじゃあ改めまして、私の名前はルーネシア! 六戦将の一人、ガレオス様の腹心です! 以後お見知りおきをー!』


 元気良くはきはきと話す少女に、イリア達は目を白黒。思わずコオヤを見れば、彼は変わらず不機嫌そうにスクリーンを眺めるだけ。

 仕方が無く今度はカルナに目を向ければ、彼女もまた自分達と同じように何処かを見ていて、その視線を辿れば――そこには、震える瞳と身体で件の少女を見上げる、フェリナの姿が。

 それだけで、混乱の最中にあるイリア達にも理解出来た。この少女がフェリナ達の事情に絡んでいるのだ、と。


『あれ? どうしたんですか皆さん、だんまりしちゃってー。何の反応も無いと悲しいですよー。ルーネシア泣いちゃう、え~ん!』


 わざとらしく泣き真似なんぞしてみせる、ルーネシアと名乗った少女。一見すればか弱く、愛らしいようでいて、やはり異常な忌避感を感じさせるその仕草。

 獣の本能などなくとも、理解できる。この少女は危険だ。


「人様がごたごたしてる所に無粋に突っ込んで来といて、ぎゃーぎゃー騒ぐんじゃねぇ。喧しいんだよ」

『そんな酷いこと言わないで下さーい。私だって貴方達のような蛆虫に時間を割きたくはないんですけど、仕方ないじゃーん。だって、ガレオス様の命令だもーん』

「そうかい。なら、さっさと用件だけ済ませて消えな」

『そうですね、そうさせて貰いまーす。と、いうわけで! フェリナちゃーん!』

「っ!」


 コオヤとの会話を切り上げ、スクリーン越しに己を見るルーネシアの硝子玉のような瞳に、フェリナの背筋が咄嗟に強張る。


『残念ですけど、そこの彼を殺せなかったようでー。ターイムリミット、失敗失格大失敗でーす!』

「そ、それは……だがっ!」

『だが、なんですかー。今日の正午までに彼を殺す、という指令を達成できなかった時点で、どんな言い訳も無意味ですよー。それともまさか、頑張ったから見逃してくれ、なんて甘いことを言うつもりじゃあ……ないよね?』

「それ、は……それは……」


 何も、言えなかった。失敗したのは事実であるし、仮にどんな言い訳をした所で彼女が見逃してくれるような相手では無いと知っているから。


『分かったのなら良いでーす。それじゃあ早速本題、行ってみよー!』


 ぱっ、とスクリーンの向こうの部屋が明るくなる。広く殺風景な寂寥とした部屋。

 だがその部屋に存在するあるものに、カリオンの二人も、エルフの二人も揃って息を呑む。


『それではこれよりー。フェリナちゃんの家族の、処刑を始めまーす!』

「父さん! 母さん! クスナ!」


 そこにあったのは、禍々しい処刑台。木枠に繋がれた三人のカリオン、その上で振り下ろされる時を待つ巨大なギロチンの刃。正に、人を殺す為にある光景。


『そう、貴女の両親と妹さんですよー、フェリナちゃん。約束でしたよね? 貴女が此方の指令を達成出来なかった場合、この三人を殺すーって。こっちで適当に処分しても良かったんですけどー、それじゃあ流石にかわいそうでしょ? だからルーネシアがガレオス様に頼んで、特別に最後の瞬間をフェリナちゃんに見せてあげようということになったんです! 私ってばやっさしー!』

「ふざけたことをっ……!」


 握り締めた拳に血を滲ませて、カルナは呻く。あの少女の狙いがそんな生易しいものでないことは明白だった。暗く、不気味で、嗜虐的な彼女の笑みを見れば、赤子だって間違えようが無い。

 彼女は、此方を可能な限り深い絶望の沼に落とす気だ。そう分かっていても、フェリナは視線を逸らせない。これが家族の姿を見ることの出来る最後の機会だと、分かってしまっているから。

 何処までも思惑通りに動いてくれる非力で卑小な子狐に心を躍らせながら、ルーネシアは皆に告げる。


『さて、それじゃあ早速始めましょうかー。本当はもっと焦らし、いえ家族との時間を取って上げたかったんですけどー。残念ながら私はそこそこ忙しいので、あんまり貴女達に構ってもいられないんですう』

「そんな……! 待ってくれ、私、私は!」

『なんですかー。散々猶予は与えて上げたんですから、今更チャンスを、何ていっても無駄ですよ。まあでも、せっかくそこまで愉快な顔を見せてくれたんですからー、最後にちょっと位話させて上げても、良いかな?』


 すっと、端に寄るルーネシア。思わずスクリーンに縋りつき、フェリナは家族に声を掛ける。


「父さん!」

『……フェリナ』


 俯いていた顔を上げた壮年の男性は、疲弊し枯れた声を搾り出し応えた。かつては力強く、自身の拳の師でもあった父の痩せ衰えた姿に、フェリナの顔が苦渋に歪む。


「父さん……私は……」

『謝るな。その必要は無い。……全てはお前達家族を守れなかった、私の責任だ。謝るべきは、私だ」

「そんな! 父さんは、何も!」

『そうですよ、あなた。あなたは何も、悪くなどありません」

「母さん……」


 最後に聞いた時と変わらぬ母の優しき声に、思わず目尻に涙が浮かぶ。


『フェリナ。貴女には、重い……重過ぎる荷物を、背負わせてしまいましたね』

「そんなこと無い! 何も、重くなんか……苦しくなんかっ!」

『誤魔化さなくても良いんですよ。貴女を、支えて上げられなかった。辛い時に、傍に居て上げられなかった。私は、母失格ですね』

「そんなこと無い! そんな……そんな……!」


 フェリナはただ、壊れたように繰り返し首を振ることしか出来なかった。頭の中はもうとっくにパンクしていて、気の利いた言葉などで出て来よう筈も無い。


『お姉ちゃん』

「クスナ。私、私はお前を……助けられ『お姉ちゃん』っ!」


 己の懺悔を遮られ、涙混じりの眼を上げる。此方を見る妹は、とてもこれから処刑される者とは思えない程穏やかに、明るい声で、


『良いんだよ、お姉ちゃん。お姉ちゃんは、一杯一杯、頑張ったんでしょ? とっても辛くても、苦しくても、それでも。なら――私はそれだけで、幸せだよ』

「クス、ナ……!」


 笑っていた。未だ十にも満たぬ少女が、頬を引きつらせながらも、精一杯の微笑みで。

 もう、涙を我慢することは出来なかった。フェリナの双眸から、際限なく滝のように雫が落ちる。

 その様子を、実に満足そうに――嗜虐的な笑みで、ルーネシアは眺めていた。


『はーい! それじゃあ別れのご挨拶も終わった所で、早速処刑、行ってみましょー!』


 そうして再び遮るようにスクリーンの中央に出てくると、近くにあった古めかしいレバーに手を掛ける。

 笑いながら家族の命に手を掛ける彼女に、フェリナの顔が憎悪に歪んだ。


「ルー、ネシア……ルーネシア……! 絶対に許さない。お前だけは……死んでも、殺してやるっ!」

『出来もしないことを言っても、滑稽なだけですよ~? 貴女がどんなに手を伸ばした所で、私にも、家族にも、届きはしないんですからー」

「ルーネシア……! ルーネシアっ!」

『五月蝿いですねー。それじゃあ黙らせる為にも、レッツ・ジェノサイド☆』


 ルーネシアが、レバーに掛けたその手を下ろす。ガゴンと大きな音を立てて落ちたレバーに呼応して、ギロチンの刃が重力の中に解き放たれた。


「あ、あぁぁぁあああああああああああああ!!」


 行使された処刑。

 落ちる刃。

 家族の最後に、絶叫を上げるフェリナ。

 悔しさに、拳を握り締めるカルナ。

 思わず目を覆う、イリアとクラン。

 騒動など何処吹く風と、紅茶を飲んでいるレスト。

 恍惚の笑みで、嘲笑するルーネシア。


 それら全てを見詰め――コオヤは一言、不機嫌そうに呟いた。


「舐めるな」

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