第12話 絶技、成る
右腕をそっと胸の前に掲げ、拳を握りこむ。
全身に満ちる高められた気を、両腕へと集束させる。
そうしてゆっくりと、掲げられた右腕、その肘へと広げた左手を添え置いた。
(長々と戦っていても、勝機は来ない。時間を掛けさえすれば、いずれチャンスはやって来ると……そんな考えは、間違いだ)
両腕に集められた力は、既に限界。もう、これ以上の集束は不可能。
だが――その限界を超えてこそ、それはただの技術を超え、『業』へと至る。
(真に各上である強者との戦いにおいてそれは、ただチャンスを時間で薄めているだけに過ぎない。必要なのは時を凝縮し、チャンスの密度を高めること)
添えた左手から、集めた力を強制的に右腕へと力を注ぎ込む。
当然、力は溢れかけ――しかしそれを己が技と気力、理性と本能で抑え込む。
腕は悲鳴を上げるが……今更その程度、なんだと言うのか。
(それでこそやっと、奇跡は掴み取れるだけの厚みを持つ。見せ掛けの希望では無い、本当の勝機)
ゆっくりと、左手を右腕に沿わせ、上へとスライドさせて行く。
注ぎこむ力は止まらない。次々と力は流入し――左手が通り過ぎた場所には、絡み合う蔦のような美しい紋様が浮かび上がった。
努力の末、生み出した気の制御技術。無茶を成す為の、紋章陣。凝縮されすぎた力のせいだろう、芯から輝くような淡い光を放つそれは、手の動きに合わせその範囲を広げていく。
やがて、肘から拳の先まで。左手が道を通り終えたその時には紋様もまた、肘から拳の先まで広がり、一つの美しい芸術をこの世に誕生させていた。
「――出来た」
初めて、成せた。構想し努力しながらも、心の何処かで出来ないのではないか、そう思ってしまっていた技を。
理屈では埋められなかったピースを、本能から来る直感で埋めて。絶技は遂に、此処に形を成す。
「ようやく、至った。成せぬを成し、勝てぬを勝つ。その為の、技。名付けて――『弧王流檄・二埜神(ふたのかみ)』」
力を、感じる。自らの全てを凝縮した力。
それでも尚、目の前の男よりも遥かに卑小で――しかし届き得る。例えそれが砂海に落ちる砂粒の一つのような遠く小さな可能性であっても、確かに届く領域にまで、遂にフェリナは辿り着く。
後はただ、全力を以ってその奇跡を掴むのみ。左手を前に、右手を腰に、体を落として構えを取る。見据えるは目の前の強者。当てるは一撃。
彼相手に挑むには、あまりに心許ない武器で――けれどそれ以上は、必要無い。
「――行きます!」
強い意志を感じさせる瞳と共に、フェリナは走り出す。力を右腕に集束させている分、身体能力は獣化時は愚か始めよりも劣っているはずだが、その動きは軽く速い。
無駄な硬さが消え、的確な緊張感の中にある彼女が、十全の技量を発揮した結果だ。彼女本来の重苦しさの無い俊敏さは、走りだしてから僅か二歩でその身体をトップスピードへ乗せながら、三百六十度あらゆる方向への自由な走駆を実現させる。
「ほう、見事なものだ」
外野で見ていたレストが思わず声を上げる程に、その動きは素晴らしかった。
これまでのような速さだけでは無く、純粋な体術から来る滑らかさにより、見る者の視界から逃れていく。ただ激しいだけの動きとは違い、目の良さだけでは残像さえ捉えることは困難だ。
ヒュン、と軽い音を鳴らして地を蹴り空を裂いて、コオヤとの距離を一気に詰める。しっかりと反応した彼がその右腕を振るうも、当たる直前で掻き消える彼女の姿。
「見えてるぜ」
背後を蹴りぬく。が――そこにもやはり、フェリナの姿は無い。
視線を下へ。地に這うように体勢を低くし、脚の下を潜る彼女の姿が目に入る。
「残念、そこも射程内だ」
脚を、踵落としの要領で鋭く落とした。彼女は既に脚の内側に入っていたが、空を歪める程の速度と威力で以って振るわれた左脚は、まるで鞭のように彼女を打ちすえ叩き伏せるだろう。
だが――彼女は三度、姿を消す。
流れる風よりも速く、自然に。側面へと回り込んだフェリナは、隙を晒すコオヤへと、その右腕を解き放つ。
「はぁああっ!」
裂帛の気合と共に放たれる中段突き。狙うは、もっとも無防備な腹部。
「通んねぇよ」
瞬間、コオヤは振り下ろし終えた左脚を軸にして、回し蹴りを繰り出した。短く折り畳まれた右脚が、狙い違わず迫る右腕を迎え撃つ。
ぶつかり合う、膝と拳。二つの力が互いに圧し合い、そしてすぐに離れた。フェリナの拳が、押し負け弾き飛ばされたのだ。
「フェリナ!」
親友の敗北を想起し、カルナが叫ぶ。
彼女とは反対に、コオヤは勝利の笑みを浮かべ――無い。むしろその顔は真剣さを崩さず、疑念さえ抱いている。
(おかしい。あいつの力は、俺から見ても中々大したもんだったはずだ。それが適当に出した膝蹴りにこうも簡単に押し負ける? んな馬鹿な)
自身の方が強い、それは確かだ。先程の衝突とて、彼我の力の差を鑑みれば自身の勝利は確定していたと言って良い。
しかしそれにしても、呆気なさ過ぎる。細かいことは苦手な彼だが、流石に幾段も格下な相手の力量を読み違える程愚かでは無い。
(敢えて、力をぶつけず抑えたってことか? 下手に相殺されて威力を減衰させられる位なら、次に賭けると。なる程、合理的な判断だが……そいつは間違いだ。弾かれた右腕は、すぐには振るえない。それは時間にすればほんの一瞬だろうが、その一瞬の間に俺の拳が突き刺さる)
弾かれたというのもそうだが、何より元から持っている身体能力が違う。未だ右腕を引き戻すには遠いフェリナと違い、既にコオヤの右脚は地に着いている。
後は握っておいた拳を、彼女に向かって放つだけ。幾ら身軽でも、この距離では避けられない。
「こいつで――」
終いだ、と続けようとしたコオヤは気付いた。フェリナの左脚が、一歩踏み込んでいる。そして腰には、放たれる時を今か今かと待つように、構えられた拳。
「言ったはずだ、コーヤさん」
スローになる視界と時の流れの中で、フェリナが呟く。
彼女の振るおうとしている左腕は、無意味なものの筈だ。大半の力を右腕に持っていかれた今の状態では、当てた所でコオヤに何の影響も与えることはない。……そう、普通なら。
だが――この技、そしてそれを扱う彼女は、普通では無い。
「この技の名は、二埜神(ふたのかみ)。神威の拳は――」
構えられた左腕に、光が宿る。それはまごうこと無く気を制御する為の紋様で、気が付けば弾かれた右腕からは紋様が消えていた。
(移したのか、あの一瞬で。その力ごと)
ありえないことだった。ほんの僅かに制御を誤るだけで暴発してしまうような膨大な力を、恐ろしくスムーズに逆の腕へと移し変える。
それは卓越した技量を持つフェリナだからこそ出来る、真なる絶技。
「一つでは、無い!」
『弧王流檄・二埜神』、此処に成る。
突き刺さる左の拳。重苦しい音と共に、コオヤの身体を衝撃が撃ち抜く。余す事無く伝えられた力が、彼の総身を駆け巡った。
「「コーヤ(さん)!」」
思わず叫ぶ二人。けれど隣で焦燥の表情を浮かべる彼女達にも構わず、レストは一言、
「終わった、か」
そう呟いて、静かに目を閉じる。
刹那。ギチリと、拳を握り締める音。
「なっ……!」
驚愕の声を上げたのは、誰であろうフェリナであった。視界に映るのは、己が一撃を受けたにも関わらず、揺るがず構えられた右の拳。
「返すぜ……利息込みでな!」
放たれた拳はフェリナの腹部へと深々と突き刺さり、彼女をゴムボールでも叩いたかのように軽々と吹き飛ばす。響く轟音、轟く衝撃。
全てが終わったその時……戦場に立っていたのは、コオヤ唯一人であった。
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