第10話 開戦、力の差

 憎らしい程に良く晴れた空の下、短く刈りそろえられた芝の広がる中庭に、少年少女は立っていた。

 片や、カリオンの少女二人組み。片や、エルフの少女二人と人間の少年の三人組。幾らかの距離を開けて向き合う二組の間に、残念ながら友好的な雰囲気は無い。

 いや正確には、カリオンの二人が一方的に厳しい瞳と敵意を叩きつけているだけなのだ。受けるコオヤは静かに佇み、残る二人は事情が分からず戸惑っているだけ。

 空気に耐えられなくなったイリアとクランが口を出そうとし、しかしコオヤに手で制され止められた。僅かに振り返った彼は、目だけで告げる。黙って見ていろ、と。

 いつもならそこで文句の一つも言うクランだが、今は黙って後ろに下がることしか出来なかった。理解出来たのだ、迂闊に口を挟んで良い状況では無い、と。


「一体どうしたんでしょうか、フェリナさん達」

「分かんない。けど、多分……」


 軽々しく関わってはいけない状況なのは、間違いないと思う。

 そう察して、知らず知らずの内に二人は拳を握り締めて。


「随分楽しそうなことになっているね」


 後ろから、声。振り返ればそこには、丁度屋敷から出てきたレストの姿があった。

 彼はこの重苦しい空気にも負けず、小さく笑いながら向き合うコオヤとフェリナを眺めている。


「げっ、レスト」「おはよう御座います、レストさん」


 二者二様の態度を取る少女らに、軽く手を振り返す。


「おはよう、イリア。もうお昼だがね。それとクラン君、相変わらず君は酷い態度だ」

「良いでしょ、別に。苦手なのよ、あんた」

「一体何処が?」

「全部」


 即答した彼女に肩を竦めながらも隣に立ったレストは、再びコオヤ達へと視線を戻した。イリア達もまた、釣られて視線を彼等に向ける。

 一歩、フェリナが前に出た。呼応するように、カルナが数歩後ろに下がる。

 二人だけの舞台に立ったコオヤとフェリナは、無言のままじっと互いに見詰め合い――


「コーヤさん」


 先に口を開いたのは、フェリナの方だった。鋭いその目を更に鋭くし、続ける。


「まずは本題に入る前に、貴方に謝らなければならないことがあります」

「謝る、ね。良いぜ、言ってみろよ」


 口調だけは横柄に、しかし態度は真剣に返すコオヤに、


「私は貴方を、貴方達を、ずっと騙していました」


 自分の罪を、告白した。


「私は本当は、お詫びの為に此処に来たんじゃないんだ。初めて貴方を襲った時も、勘違いなんかじゃない。私の目的はずっと、唯一つ。貴方を、殺すこと」

「…………」

「一度戦って、普通に挑んだんでは勝てないと、そう察せた。だから懐に入ることで、貴方を殺すチャンスを狙っていたんだ。もっとも、その全てを貴方は軽くあしらってしまったが」


 つらつらと語られる、彼女の真の狙い。それを聞くコオヤは、無言で佇むだけだった。後ろで聞いているイリアとクランの方が、よっぽど狼狽している位だ。

 ほんの数度だけ俯いて、フェリナは続ける。


「それでも諦めず、貴方を殺す方法を探っていたが……それももう、限界だ。タイムリミットが、来てしまった。今日の正午――それまでに貴方を仕留めなければ、全てが終わってしまう」

「……後ろに居るのは、帝国か?」


 唐突に挟まれた言葉にも動じず、フェリナは一度頷いて。


「そうだ。帝国からの命令で、私は動いている」


 もう、ばらした所で支障など無い。どの道彼が死ぬか自分が終わるか、二つに一つなのだ。後ろで誰が手を引いていたとしても、最早関係ない。


「しち面倒な手を使うもんだ、帝国も。カルナはどうなんだ?」

「彼女は、馬鹿な私に付き合ってくれているだけだ。何の罪も、帝国との繋がりも無い」

「悪いのは自分だけ、ってか。……その考えこそ馬鹿だと思うがね、俺は」


 後半は誰にも聞こえない程小さく呟いて、コオヤは頭を振った。そんな彼を訝しげに見ながらもフェリナは顔を上げ、


「コーヤさん。これが、最後の勝負だ。私の全てを賭けた、正真正銘最後の。小細工などせず、する意味も無く――正面から、貴方を殺そう」


 その身の力の全てを、解放した。

 風が吹く。中庭を荒らす突風は、正に彼女の力の大きさを表していた。常人を超えた、強者の領域。

 きっとイリアやクランならば、一秒ともたずダンプカーに轢かれた赤子のように圧し殺されるだろう。カリオンとしての優れた身体能力と、努力によって培われた強大な気。それらの複合は、拳一つで人を肉塊に変えるだけの力を彼女に与えてくれる。

 だが、それでも。


「温いな」


 この男には、届かない。

 暴風が、吹き荒れた。まるで台風の中に突っ込んでしまったかのような、荒々しく強靭な風。それはフェリナの起こしたそよ風を容易く飲み込み、その存在だけで他の全てを圧倒する。

 先ほどまでは周囲を圧していたフェリナが、今度は歯を食いしばって流れ飛ばされないよう、耐えなければならない番だった。風と共に飛来する身を砕くような圧力に、必死で抗う。


「な、何これっ……て、あれ?」

「なんとも、無い?」


 襲い来るであろうその暴威に、イリアとクランは身を屈め――しかし髪一束揺らがぬ現実に、揃ってぽかんと口を開く。

 どうなっているのかと周囲を見れば、目を凝らさなければ気付かない程薄っすらと、透明な球状障壁が周りに張られているではないか。こんなことが出来る者など、心当たりは一人しかいない。

 結論は同じだったのか、やはり二人揃ってその男、レストを見れば、彼は対峙する二人から視線を外さないままに言う。


「ちょっとした防壁だよ。私はまだしも、君達は戦いの衝撃に耐えられないだろうからね」


 あの暴風を完璧に遮る程の障壁をちょっとした、と表現する彼に、改めて格の違いというものを自覚する。コオヤに負けたとはいえこの男、やはり次元の違う実力者だ。


「始まるようだよ」


 驚く間に、恐らくは空間を歪めたのだろう、何処からか取り出した簡素な椅子に腰掛けるレストの言葉に、急いで視線を前に戻す。

 障壁越しにでも分かった。フェリナの雰囲気が、微かに変化したことが。

 それは、圧倒的な強者に捨て身で挑む、挑戦者の覚悟。


「――行きます、コオヤさん」


 言うと同時、フェリナは獣のように体勢低く、突撃の構えを取り。

 次の瞬間、その姿が掻き消えた。


「フッ!」


 短い気合の言葉と共に、コオヤの背後に現れたフェリナがその拳を振るう。脇腹を狙った、アッパー気味の右フック。

 が、確実に不意を突いたと思われたその一撃は、僅かに振り向いたコオヤがちらりと視線を向ける、その動作だけで防がれた。巨大な衝撃と共に、彼の身体に当たる直前で弾かれるフェリナの拳。


「これ、は……!? くっ!」


 不可解な現象に驚き、しかしすぐに思考を立て直したフェリナの姿が、再び掻き消える。今度は側面から現れ、幾多のジャブを放つ。

 が、それもまた、謎の衝撃に弾かれた。今度は視線を向けられてすらいない。


「ど、どうなってるの?」


 思わず疑問の声を上げたのは、クランだ。彼女だけでは無い、隣のイリアもまたわけが分からない、という顔をしている。

 その疑問に答えたのは、やはりと言うべきかレストであった。


「簡単な話だよ。見えない程、認識出来ない程の速さで拳を繰り出して、彼女の攻撃を弾いているんだ」

「嘘!? だって、全く動いていないようにしか見えないわよ?」

「だろうね。きっと君達だけでなく、彼女――フェリナ君も、そうだろう」

「フェリナさんも?」


 自分達から見れば明らかに常人離れした力を持つフェリナでさえ見えていない、というレストの言葉に、思わず疑問の声を上げる。そんなイリアに彼は一つ頷いて、


「彼女も確かに弱くは無い。きっと一般的な軍の中に居れば、エースと呼ばれるだけの実力はあるだろう。だがそれは……私や彼の立つ領域からすれば、羽虫の中に少しばかり優れたものが居る、という程度のことだ」

「そこまで、ですか?」

「これでも抑えた方だよ。実際の差は、もっと大きい。今彼は、彼女の攻撃を迎撃しているだろう?」

「た、多分。でも、それが何?」

「本来は必要ないんだよ、そんなこと。迎撃などせずただ立って受けても、彼女の攻撃では傷一つ付きはしない。それだけの差は、確実に存在している」

「じゃあ何でコーヤは、わざわざ攻撃を弾いたりなんか……」

「さてね。彼の考えていることなど私は知らないよ。だが、まあ」

「「だが?」」


 揃って首を傾げる二人にレストは、


「多分、ただ殴られるのが気に入らないんだろう」

「「あ~……」」


 納得してしまった。確かに彼ならば、必要ないとしてもそんな理由で動くだろう。いや、そういう意味では彼にとっては必要な行動なのかもしれないが。

 どちらにせよ、フェリナの攻撃は一度足りともコオヤには届かず、そして仮に届いても意味が無い、ということだ。最早勝負はついているといっても、過言では無いのである。


「でもそれなら、どうしてさっさと決着をつけないのよ? それだけの力の差があるのなら、どうにだって……」

「さあ? 彼には彼なりの考え、というものがあるんじゃないかな。そうでなければ、あんな楽しくもなさそうな戦いに無駄に時間を掛けるような真似はしないだろう」

「考え……もしかしてコーヤさんは、フェリナさんを説得しようとして……?」


 その顔を苦渋に染めながらも攻め続けるフェリナと、それを見えない拳打で迎撃し続けるコオヤの攻防を見えないながらに見ながらも、イリアは呟いた。

 彼女は、フェリナは初めからコオヤを殺すことが目的で近づいた、と言った。だが戦う前のあの態度や言葉からすれば、何らかの事情があるのは明白だ。それを上手く聞き出せれば、彼女を説得することも出来るかもしれない。

 一緒に過ごした時間は、そう多くは無い。だがそれでも、共に同じ家で暮らし、同じ時を過ごして来たのだ。もう十分に友人と呼べる間柄の彼女とはなるべく戦わず、言葉を交わして分かり合いたい――そう思うのが、当然ではないか。


「なる程、そういう考え方もある。が、恐らくは違うだろうね」

「ど、どうしてですか?」

「君の考えている通りだとするのなら、戦闘が始まってから今まで、彼が一言も発していないのは明らかにおかしい。そうだろう?」

「あ……」


 レストのその意見に、反論の言葉は出なかった。本当にコオヤに説得の意思があるというのならば、戦闘が始まったその時点から何かしらの会話を試みていなければおかしいのだ。まさかあれだけの力の差を見せ付けておいて、喋っている余裕も無い、などということは無いだろう。


「じゃあ、コーヤは一体何を狙ってるの……?」

「まあ彼の考えていることなど、所詮彼にしか分かりはしないんだ。ここはゆっくりと見学でもして、大人しく結果を待つのが一番だろう」


 言って、またも何処からか取り出したティーカップを片手に、お茶を始めるレスト。その自由さに一瞬緊張感が壊れかけるが、バシリと中庭に響く拳打の音に再び気を引き締める。

 別段、自分達が戦っているわけでは無い。だがそれでも、大切な想い人と新しく出来た友人が戦う姿を前にしては、心が引き裂けるように痛まざるを得なかった。


「コーヤさん、フェリナさん……」


 そっと、イリアの褐色の両手が組まれ、祈りの形を取る。

 ――どうか二人にとって、この戦いが良き結果とならんことを。

 止めることなど出来ないと、口を出すことなど出来ないと悟り。しかしそれでも、祈りを止めることは出来なかった。

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