第9話 死刑宣告
広い屋敷の廊下を、二人のメイドが歩いていた。一人は狐族の少女――フェリナ。もう一人は犬族の少女、カルナ。
十年来になる親友の二人は、今その長い付き合いの中でも最大の壁にぶち当たっている。越えることも、壊すことも、迂回することも出来ない、大きく頑丈すぎる巨壁に。
壁の名は、コオヤ。根本的な存在の格が違うと、そう本能で理解出来てしまう程に圧倒的な――強者だ。
「……本当に、一人でやる気?」
確認を取るように、カルナは訊いた。
「ああ。カルナまで、私の愚かな賭けに付き合う必要は無い。それに……こう言うのも何だが、二人で挑んだところでほとんど差はないさ。少なくとも、コーヤさんにとっては」
だから、一人で良い。そう言外に言って、フェリナは足をほんの少しだけ早めた。隣に並んでいたカルナと、ほんの少しだけ距離が空く。
その差をあえて詰めず距離を保って、カルナは再び問い掛ける。
「後悔は、しない?」
「……分からない。負けてはいけない戦いなんだ、大切なものを賭けた戦いなんだ。だけど、心の何処かで私は――勝利することを、コーヤさんを殺すことを、躊躇っている……のかも、しれない」
この場所は、彼女にとって温か過ぎた。今までずっと、人間達に虐げられるのが当たり前だった世界の中に、突如振って湧いた救世地。他人種達が当然の如く市中を闊歩し、当然のように笑顔を浮かべる。
何て、美しく理想的な世界。計り知れないほどの価値を持つそれを壊すなど、あまりにも、あまりにも重過ぎる。
だから、こんな馬鹿な賭けに出ようとしているのかもしれない。自分だけでは決めきれないから――運命を、天に任せようとしている。
或いはそれは、逃げなのかもしれないが……真正面から全てに向き合える程、フェリナは強くもイカレてもいなかったのだ。そう、それこそコオヤのようには。
「どちらにしろ、時間は無いんだ。やるしかない、どんな結果になるのだとしても」
「……フェリナの勝利を、願ってる」
「ありがとう、カルナ」
儚く笑って、狐の少女は足を進める。
その脳裏には、昨日届いた一通の手紙が思い浮かんでいた。
~~~~~~
『それ』が届いたのは、実に唐突で突然のことだった。
毒物を料理に仕込んだり、夜中寝ている所に忍び込んだり、とコオヤを暗殺する手段を多数試していたフェリナであったが、その成果はいずれも芳しくなかった。
料理はまるで毒など存在しないかのように無視して美味しそうに完食されたし、寝込みを襲おうとすれば例外なく部屋に入る前から気取られ起きられた。他にも事故を装って殺そうともしたが、簡単にあしらわれて防がれる始末。
その場その場は何とか誤魔化したが、流石にもう限界だろう。いい加減、決定的な手段を考案し、確実に決めなければ――そう考えながら庭園の掃除をしていたフェリナの耳が、カタン、という小さな音を捉えたのだ。
獣の特性を持つ彼女だからこそ気付けた、微かな物音。小動物でも居るのかと振り返って見れば、庭園の端にある小さな休憩所のテーブルの上に、白い紙が置いてあることに気が付いた。
早速近づき確認してみれば、それは小型の封筒のようだった。宛名も差出人も書いていない、真っ白な封筒。唯一つ、特徴として……封筒の口が、厳かな文様の入った封蝋で止められている。
「これは……帝国の、紋章!?」
フェリナはその文様を、何度か見たことがあった。帝国の象徴ともいえる紋章である。
それが使われているということは即ちこの封筒が帝国の、それも相当に重要な伝達であるということに他ならない。
「…………」
封筒を手に幾らか逡巡したフェリナであったが、やがて周囲に人影が無いことを確認すると、封筒の口を開け恐る恐る中身を取り出す。そうして出てきたのは、一枚のシンプルで小さな便箋だ。
エルフの国、その中心部であるこの場所にどうやって帝国からの手紙が届けられたのか、それは分からない。ただ、わざわざ自分の居る場所を狙って届けてきたということは、つまりはそういうことなのだろう。
逸る心を押さえ込み、慎重に、慎重にその内容に目を通す。綺麗に折りたたまれた便箋を開けば、書かれていたのはただ一文。
『明日正午までに、殺れ』
実に簡潔で、分かりやすい――死刑宣告だった。
数秒掛け、その内容を頭の中で咀嚼して。フェリナは呆然と、その場に立ち尽くした。最早周囲に気を配る余裕さえ無い。
いつかは、来ると思っていたのだ。使えない駒をいつまでも自由にさせておくほど、『あの人』は甘く無い。何の役にも立たないゴミだと分かれば、早々に切り捨てる。そういう人物だ、奴は。
だがそれにしても、あまりに突然の宣告である。一度の警告も無い、最初の通達が最後通告。少しは余裕があるだろう、そう思っていたフェリナは、途端に絶望の中に突き落とされた。
あまりの衝撃に、暫く動くことすら出来ず立ち竦み――素早く手紙を握り潰す。こうしてただ立っている時間すら惜しかった。急いで、彼を……コーヤを殺す、その為の手段を考えなければならない。
「どうすれば良い……どうすれば」
既にあらかたの手段は使い尽くした。自分だけでは考えられない、親友の知恵も借りなければ。
コオヤ達に怪しまれないよう仕事をこなしながらも、一睡もすることなく夜通し交わされた議論の答えが出たのは、陽が新たに地平線から顔を出した頃であった。
~~~~~~
屋敷の現主の意向で、余計な装飾の外された最低限飾り付けられているだけの廊下を歩きながら、フェリナは思う。
(そうだ、これで良い。どれだけ策を講じ、知恵を回しても、彼に勝つ明確な方法は見つからなかった。むしろ考えれば考えるほど、勝ち目など皆無に等しいとはっきりした位だ)
元より、無謀な挑戦だったのだ。六戦将の一人を倒した相手を殺す、などというのは。自分程度にそんなことが出来るのならば、とっくの昔に六戦将は壊滅しているだろう。
(だからこそ私は、正面から戦おう。余計な策謀など無い、自分の力を全力でぶつけるだけの、愚かな決闘。だが、だからこそ)
勝つ、その目がある。
(万に一つでは無い、億に一つでも無い。無限を超えたその先の、そのまた先にあるような可能性……即ち奇跡。絶対に不可能なように思えて、しかし零では無いその可能性に、私は全てを委ねよう)
それが、フェリナの選んだ道だった。どんな手段を選んだ所で勝利の可能性など皆無に等しく、また果たして彼を殺すことが正しいのかも分からない。
ならば、何も考えずただ全力で戦って――そうして出た結果を、受け入れよう。
後悔は、すると思う。結果がどちらに転んでも、私は罪を背負うことになるだろう。でもきっとこれが、一番ましな道だと思うから。
「だから、私は――」
呟きと共に、扉を開けて。フェリナは、中庭へと一歩を踏み出した。
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