第8話 恋する少女達
ばたばたと、慌しく毎日が過ぎていく。
フェリナとカルナがコオヤ達の下に来てから、早一週間が経過した。もうすっかり此処での生活に慣れた彼女等は、てきぱきと手際良く仕事を終わらせ、今では大分余裕も出てきている。
その間、変化らしい変化は特に起こらなかった。先日のように刺客に襲われることもなく、穏やかに過ぎる日々。帝国との争いも準備期間に入り、今は小さな村々を併合していっている程度である。
だがこれが嵐の前の静けさであることは、ローレンド聖王国の誰もが知っていた。近い内に大きな戦争が起きる――重要な街に、攻め込む――ことは、公にこそされていないものの、ほとんど周知の事実であったのだ。
いかんせん、大きな戦に向けた準備を完璧に秘匿して行える程、まだこの国の状態は整っていない。未だ復興途上であり人手も足りない現状、裏で動く余裕のある人間などいないのだ。
そうなれば、大規模な食糧調達や戦力補充は公的に行わざるを得ない。狭い国内でそんなことが始まればすぐに皆が知るし、この先の予想もつくというものである。
だから、何処を攻めるのか具体的には分からなくても、大きな戦争がもうすぐ始まるということだけは皆理解しているのだ。
そしてその戦いでは、恐らくこの男の出番もあると思われるのだが――
「ふわーぁ」
今日も今日とて欠伸を浮かべ、コオヤは怠惰の化身と化していた。屋敷の自室でソファーに寝そべり、窓から差し込む陽の温かさにまどろんでいる。
基本的に、彼は働かない。その必要が無いからだ。この街がエルフ達のものとなったその時、そのまま置いていかれたこの屋敷の資産が丸々彼のもとに転がり込んでいるからである。一生遊んで暮らせるだけの金品が、今の彼の懐にはあるのだ。
人の良い者ならば、その大量の資産を復興に役立ててくれ、とでも言ってエルフ達に寄付するのだろうが……コオヤにそんな気は一切なかった。金にがめついわけでは無いが、楽に暮らせる道が降って来るのならばそのまま受け入れる男である。気に入らない場合は除くが。
「ねむ……」
うとうとと目蓋を何度も上げ下げし、やがて彼の体は静かに柔らかなソファーに沈みこむ。わざわざ抗う理由も無い、と襲い来る眠気に身を任せ、意識はそっと眠りに落ちて行く。
微かに寝息をたて始めたコオヤに遅れ、ドアを優しくノックする音が部屋に響いた。
~~~~~~
「もー、あいつはほんとに……」
愚痴愚痴と不満を垂れ流しながら、クランは勝手知ったる屋敷の中を大股歩きでずんずん進む。目指すはこの屋敷の主、あの少年の部屋である。
「やること無いなら、皆の手伝いでもすれば良いのに」
彼の少年は、暇で暇で時間が余ってしょうがないという態度をとるくせに、復興に励む皆の手伝いは一向にしようとしないのだ。そりゃあなるべくエルフ達自身の手でやるべきだ、とは自分も思うが、それにしたって意味も無く怠惰な日々を過ごすくらいならば、荷物運びの一つでもしていた方がよっぽど互いの為だろうに。
内心でも不満を垂れ流しながら、三つ目の角を素早く曲がり広い邸内を早歩きで駆け行くクラン。皆のことを考えて怒っているように見えて、その実愚痴の八割は自分に構わないコオヤへの不満である。無意識に不満を垂れ流している彼女は、きっと気付いていないだろうが。
今がそうであるように、何度も何度もこの屋敷にやってきてはコオヤにちょっかいを掛けている彼女だが、逆にコオヤの方から彼女を訪ねて来たことは一度も無かった。訪ねる理由も無いのだから当然といえば当然なのだが、その当然であるという事実が気に入らない。
「ちょっと位そっちから誘ってくれたって……」
少しだけ悲しそうに、クランは呟いた。この感情を素直に伝えることが出来れば話は早いのだが、いかんせんそれが出来ないのが彼女なのである。損な気質と言うべきか、面倒な性格と言うべきか。
そうこうしている内に目的の部屋まで辿り着いていたクランは、一つ大きく深呼吸して気合を入れて、勢い良く扉を押し開けた。ノックは無い。そんなもの、あの男相手にいるものか。
「コーヤ! 遊びに来てやったわ、よ……」
そうして、硬直した。ぱちくりと目を二・三度瞬かせ、現実を脳内で必死に処理する。
彼女が見据える先にあるものは、一つのソファーだ。コオヤが良く寝転がってだらけているソファーで、実際今も彼はそこで仰向けに転がり気持ち良さそうに寝息を立てている。
問題は、寝ているのが彼一人では無い、ということだった。クランが入って来たことにも気付かず眠り続けるコオヤの上には、良く見知った少女が覆いかぶさり同じく寝息を立てていたのだ。
透き通るような青の長髪を持った、褐色のエルフ――イリアである。
「…………」
理解が追いつかず、クランは暫く無言でその場に立ち竦んだ。が、やがてはっとしたように意識を戻すと、素早くソファーに走り寄る。
「ちょ、ちょお!? 何してんのよ、イリア!」
「ん~……?」
急いで彼女を揺さぶれば、僅かに顔を顰めた後コオヤの身体にしがみ付いてしまう。その光景を見たクランの額に走る、筋。
「こ、のっ、いい加減にしろー!」
何に怒っているのか自分でも分からないまま、無理矢理イリアを引き剥がす。ソファーから転がり落とされたイリアは、小さな悲鳴を上げながら床の上に落下した。
「ふぇ? な、何?」
寝ぼけ眼で辺りを見渡す。一番に目に入って来たのは、目の前の白く綺麗な細い脚。続いて視線を上げれば、此方を睨む鋭い双眸と目が合った。
「ク、クラン、さん?」
「おはよう、イリア。随分気持ち良さそうに眠ってたわね?」
鬼が見えた。金色に輝き、般若のような面で腕を組む、鬼神が。
「え、あの、クランさん?」
「言いたいことは色々あるけど、とりあえず」
未だソファーで眠るコオヤを指差し、鬼神が言う。
「何でコーヤの上で寝ていたのか、話してもらいましょうか?」
「コーヤさんの、上で……? あっ!」
はっとした表情で、イリアは口元を抑え視線を泳がせた。明らかに隠し事をしているエルフの様相である。
「何? まさか言えない理由でも、あるの?」
「いや、えーと、そのー……」
その身から恐ろしいオーラを立ち昇らせ迫るクランを、身を捩ってかわそうとするが、床に座り込んだままでは逃れられるわけもなく。すぐにイリアは壁際にまで追い詰められることに。
「さあ、さあ!」
「えっと、実は……」
「実は!?」
鼻息が荒い。目を逸らしながら、気まずそうにイリアは語り出す。
「少し前に、コーヤさんとお話しようと、この部屋を訪ねたんですけど……その時にはコーヤさんはもう眠っていて」
「ほうほう。で、そっからどうあの体勢に繋がるのよ?」
「えっと。せっかくだから、と寝顔を覗いていたら、私まで眠くなってきてしまって……それで」
「それで、一緒に寝ていた、と。……そんな馬鹿な話があるかー!」
うがーと大声を上げ、クランは激しく頭を振った。大体の事情は理解出来たが、先ほどの話には一つ不審な点がある。
「寝顔を見ていたら眠くなってしまって、そのまま寝てしまった。それは、理解したわ。でも何でそれが、あんな見事にコーヤの上に重なって眠ることに繋がるわけ?」
「そ、それはぁ~……」
「普通、ソファーの横に寄り掛かって眠るとか、頭だけコーヤの上に乗せて眠るとか、その程度のはずよね? あんな体勢、自分の意思で行かなきゃ、なるはずないわよね?」
痛い所をつかれて、イリアの頬を汗が伝う。じろりと此方を見るクランからは、下手な言い訳で逃れることは不可能だ。
「え~と、え~と」
「……狙ったわね?」
「へ? ななななな、何をですか?」
「コーヤが昼寝している所を狙ってこの部屋に忍び込んで、狙ってあの状態に持って行ったわね?」
「そ、そんなまさか。コーヤさんが眠っている時にこの部屋に来たのは、ただの偶然ですよ」
「この部屋に来たの『は』?」
「うっ」
またも痛い所をつかれ、流れ出る汗が加速する。既に誤魔化すのも限界だ。
「じ~……」
わざわざ口で効果音を出しながらプレッシャーを掛けてくるクラン。その強大な圧力に屈しかけ――しかしイリアは、一つの抜け道を見出した。
「クランさんはっ!」
「え?」
「クランさんは、何でそんなことを気にするんですかっ?」
追い詰められた草食動物の、逆襲だった。今度は逆に、クランが言葉に詰まる番。
「そ、それは……」
「別に私がどうしていようと、そんな風に気にする必要はありませんよね? 何でそこまでして真実を追究しようとするんですか?」
「それは、そのー……」
一転攻勢である。大逆襲である。急速反転、追い詰められたクランは碌な言い訳さえ出せず呻き声を上げるばかり。
「もしかしてクランさん、コーヤさんのことを……」
実に意地悪な問いである。そうだと知っていながら、彼女が気持ちを隠していることを利用してこの場を逃れようというのだ。
だがその思惑にも、素直でないクランは乗らざるを得ない。
「そ、そんなわけないじゃない! 誰がコーヤなんかのことっ……! 「俺が何だって?」はきゃぁー!?」
ぬっ、と後ろから首を出したのは、今正に話題の中心になっている人物――コオヤであった。彼は起き抜けを表すような大きな欠伸を一つ浮かべると、目をしぱしぱと瞬かせながら己の部屋で騒ぐ不審者二人へとジト目を向ける。
勝手に俺の部屋でなにしてるんだ、と雄弁に語るその視線を受けて、イリアとクランは揃って目を背けると、先ほどまでの言い合いも遠くに懸命に言い訳を考え出した。
どうにも今の彼は、無駄な騒ぎで起こされたせいかちょっと不機嫌そうだ。対応には細心の注意を払わなければなるまい。女性相手だろうが、平気でビンタの一つもかましかねない男だ、こいつは。
「そ、その~」「いや、えっとね」
「何だ。俺の部屋で騒ぐもっともらしい理由があるのなら、聞いてやるが」
絶体絶命のピンチである。つい悲惨な未来を思い浮かべてしまうイリア達だが、しかし天はまだ彼女達を見捨ててはいなかった。
『コーヤさん』
「んあ?」
修羅場な空気を打ち破ったのは、コンコンという軽いノックの音と、ドアの向こうからの呼びかけの声。此処数日で聞きなれたその声に、女性陣二人は救いの糸とばかりに縋りつく。
「ほ、ほらコーヤ、呼ばれてるわよ!」「そうですよコーヤさん、出なくて良いんですか!?」
「……はぁ。まあ良いさ、別に。扉は開いてる、入ってきても良いぞ」
溜息と共に呆れを吐き出し、コオヤは扉に向かって許可を出した。数瞬遅れて扉が開き、そこから二人、メイドの少女が姿を現す。
「……取り込み中だったか?」
「いや、もう終わった。それで? お前らは、何の用だ?」
何故か床に正座しているイリアとクランを見て、訝しげに眉を顰めるフェリナ。が、すぐにどうでも良いことかと疑念を振り払い、カルナと共にコオヤへと向き直る。
その姿からは、やけに重苦しい――真剣さが、滲み出ている。
「コーヤさん。この後、中庭に来て欲しい」
「わざわざ中庭に? 何だ、愛の告白か何かか?」
茶化すコオヤに、しかしフェリナは何も答えない。ただじっと、鋭い双眸で彼を見詰めて無言を貫く。
「……そうかい。分かったよ、中庭だな」
「ああ。先に行っている、必ず来てくれ」
短く言い残して、フェリナは部屋を出て行った。後を追い、カルナもまた静かに部屋から出て行く。
あまりに突然で、しかし息苦しい雰囲気に、イリアもクランも訳が分からず互いに顔を見合わせた。
少女二人が首を傾げる、その中で。しかしただ一人コオヤだけは、
「しょうがねぇなあ」
何かを察したようにそう言って、頭を軽く掻くと残った眠気を払い飛ばした。
ほんの僅か、その目の奥にぎらりと光る輝きが見えた、気がした。
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