第7話 矛盾の剣

「全く貴方は、大人気ないにもほどがあるぞ」

「はは、そう言うな。大人だからこそ、ガキに負けるのは気に食わないんだ。それに何だかんだ言って、お前も楽しんでただろ?」


 うぐ、とフェリナは口を噤んだ。

 時刻は夕方。あれからすっかり時間も過ぎて、太陽が大分傾いて来た頃。コオヤとフェリナの二人は、肩を並べて屋敷への帰路を歩いていた。

 暢気に鼻歌を歌いながら歩くコオヤの手には、ぽんぽんと跳ねる水風船。結局彼は、数多の子供達の攻撃にも屈することなく、無事記録を保守することに成功していたのだ。

 途中からはあの手この手で乗せられたフェリナも参加して彼から水風船を奪おうとしたのだが、遂には一度も届かず終い。どころか、子供達の方が良い線いっていた位である。

 恐るべきは子供故の元気さと勘の鋭さか。或いは単に、コオヤにとっては自分も子供も大して変わらない、ということなのか。


「……まあ、楽しかったのは否定しない」


 照れくさそうにそっぽを向いて、呟くフェリナ。

 初めは仕方なく参加しているだけだった水風船争奪戦だが、時間が経つにつれて徐々にむきになってしまったことを、彼女は自覚していた。大人気ないのは彼だけではなく、自分自身もなのだ。

 けれど同時に、そんな子供っぽい遊びが、意地の張り合いが、確かに楽しかった。心の中に重いものを抱えているからこそ、尚更そう感じるのだろうか。


(もしかして、そのことに気付いて、わざと……?)


 だとすれば、用心しなければならない。もし自分でも気付かぬ内に妙な素振りを見せてしまっていたとすれば、余計な警戒を抱かれ、彼を殺すという目標が更に遠のく可能性もある。

 そう、コオヤへと疑念の目を向けるフェリナ。が、


「いや、それは無いか」


 無用心に水風船遊びを続ける彼の姿に、心配を霧散させた。そんな器用な真似が可能な程、とでもでは無いが出来た人間には見えない。

 きっと、何も考えていないだけだ――。そう納得して足を速め、いつの間にか三歩先を行っていた彼の隣に追いつき並ぶ。


「どうかしたか、フェリナ?」

「いや、何も。それよりも少し急がないと、夕食に間に合わないぞ」

「そうか? 特に遅くもないし、むしろ少し早い位だと思うが」

「貴方はな。私は作る側だから、早めに戻らないと行けないんだ。でないと、カルナに怒られてしまう」


 彼女の説教は、冷たく長いんだ。そう身を震わせれば、彼は軽く笑って。


「なる程、そりゃ怖そうだ。しかし随分と仲が良さそうだが、付き合いは長いのか? カルナとは」

「まあ、な。出会ってからもう、十年近くになる。私の一番の親友だ」

「一番、ねえ。そもそも他に友達居んの? お前」

「失礼な! 人間の弾圧から逃れる中で離れ離れになってしまったが、友人はたくさん居たのだぞ、私は。そういうお前こそどうなんだ?」

「ん?」

「イリアやクラン以外に、友人は居るのか? それこそ、男友達とか」

「男友達、ねぇ……」


 ポーン、と水風船が一際高く舞い上がり、彼の手に着地する。けれど視線は夕焼け空に上げられたままで、覗く横顔には、彼らしく無い何処か遠くを見詰めているような、不思議な憂いを含んだ表情があった。


「コーヤさん?」

「居るさ。今は遠く離れて、何処に居るかも分からないが……死ぬまで、いやきっと死んでも、変わらない親友って奴等が、な」


 空を見上げたまま、優しく笑う。そこには決して揺らぐことの無い、絶対の信頼が存在していた。強く、強く、それこそ肉親の繋がりよりも強い、絶対の絆が。

 思わず見蕩れる。そこにある思いの温かさに、心が引き付けられた。


「……その人達が」

「ん?」

「その親友達が今どうしているか、手掛かりは無いのか?」


 自然と、そう訊いていた。彼がそうまで信頼を寄せる相手について興味があったというのもそうだし、出来ることなら彼とその親友達にもう一度巡り合わせを、とそう思ってしまったのも真実だ。

 そう、願ってしまったのだ。これから殺さなければならない相手だと、いうのに。

 ずきり――胸に走る、嫌な痛み。


「残念だが、手掛かりになるようなものは何にも無いな。ま、大丈夫だろ。あいつらなら、何処に居たって何とかやってるだろうさ」

「信頼しているのだな。その、親友達を」

「そりゃあな。そういうもんだろ? 親友ってのは」


 会話を交わしながらも、思う。本当に彼を殺してしまって良いのだろうか? と。

 心に浮かぶのは、今日一日散策したこの街の景色。一生懸命今を生きるエルフ達、無邪気に遊び飛び跳ねる子供達。その全てが、彼を殺せば崩れて消え去ってしまうかもしれない。

 いや、間違いなく消える。今このエルフの国は、彼の存在によって成り立っているのだ。彼が居なければ、帝国に対抗できる目は無い。六戦将の一人でも出てくれば、それだけで何の抵抗も出来ず崩壊することになる。

 分かっていた、そんなことは。初めから、分かっていたんだ。けれどそれも覚悟の上で、彼を殺すと決めた、そのはずなのに――


(揺らいでいる……実際にこの目で見て、触れ合ってしまったから。自分の勝手で、この温かい世界を壊して良いのだろうか、と)


 また一つ、心が痛む。だが――


(だからと言って、止まるわけにはいかない。私が止まれば、止まってしまえば――)

「フェリナ」

「っ!? な、何だ?」


 知らず知らずの内に俯いていた顔を慌てて上げれば、目前にはコオヤの顔があって、再度慌てて飛び跳ねる。数歩の距離を取って跳ねる心臓を沈めながら彼を非難の目で見詰めれば、彼は楽しそうに小さく笑う。

 夕陽に染まるその姿がやけに似合っていて、フェリナは何だか釈然としない気持ちになった。が、そんな彼女の内心など知る由もなく、コオヤは手の内の水風船をぐにぐにと弄ぶと、


「悪いが、ちーとばかし帰るのは――」


 誰かが、降って来た。此方を見る彼の背後に、音も無く。

 彼と向き合っているフェリナだからこそ見えたその人影は、落下と同時にその手に握った鈍く光る刃を、コオヤの首へと狙い払って。


「――遅くなりそうだ。残念ながらな」


 当たり前のように放たれた裏拳に顔面をへこみ砕かれて、吹き飛ばされて行った。


(何だ。何が、起こって)


 突然の事態に混乱するフェリナを置いて、状況は更なる変化を見せる。

 周囲の家屋の上から幾多もの人影が飛び出し降り立ち、あっという間にコオヤの周りを囲い込む。長い布を頭部に巻き、顔を隠したその数、八人。その全てが強烈な殺気を中央に立つ少年へと向けている。


(あの耳……人間!? まさか、刺客か? 私以外に!?)


 狼狽するフェリナ。だが彼女とは対称的に実に平素そのものなコオヤは、己を囲む凶者達を一通り見渡すと、水風船のリフティングを再開しだす。


「随分と荒々しい妨害だ。そんなに俺の記録を邪魔したいのか?」


 そこに、敵に囲まれたことへの緊張感や焦りなどまるで見えない。ありえない程自然体に、それどころか楽しそうに、遊びを継続する少年がそこには居た。


「良いぜ。やってみろよ、ほら」


 水風船を蹴り上げながら、無邪気に手招き。挑発する彼に憤ったのか、それは定かではないが、襲撃者達は互いに一瞬だけ目配せすると次々に彼へと襲いかかっていく。

 その全てが見事な身のこなしと速さであり、彼等がただの素人ではないことは一目瞭然だった。例え一対一だったとしても、フェリナであれば苦戦は免れない程の相手。

 だがそれも、コオヤには通じない。


「……っ!」

「ほらほらどうした、そんなんじゃ水風船は取れないぜ」


 襲撃者達の挟撃をかわしながら、コオヤは笑う。身体を捻り、迫るナイフと手刀の連続攻撃を捌く傍ら、落ちてきた水風船を蹴り上げる。

 決して水風船を地に落とすことなく、しかし傷一つ負わず。まるで先ほどの子供達との戯れの焼き増しのよう。技量の問題では無い、もっと根本的な力の差の顕れだった。


「おらよっ!」


 それでも懸命に攻め続ける襲撃者の腹を、コオヤの蹴りが打ち抜いた。吹き飛ばされ気を失う男に目もくれず、更に繰り出される神速の六連撃。

 打ち上げられた水風船が三センチ落ちる間に放たれた連撃は、見事男達の身体を打ち据えて、一瞬でその数と同じだけの襲撃者を吹き飛ばす。

 気が付けば、残る襲撃者はたった一人になっていた。


「ま、どうせ帝国だろうがよ。一応聞いておこうか、お前ら誰に頼まれた? その動きと連携、個人的な恨みで集まった素人じゃない。プロだろ?」

「…………」

「答えるわけがない、か。それも良い、なんにしたってぶっ飛ばすだけ、だ」


 一歩、コオヤが前に出る。じわりと下がる襲撃者。


「……調子に乗るなよ、裏切り者がっ!」


 が、僅かにその身を強張らせた後、恐怖を払うように叫びながら前に出る。言われたコオヤの方は、ほんの少しだけ考えた後、


「ああ、エルフの味方についたことか。別に良いだろ? 俺が誰に味方しようが、俺の勝手だ」

「貴様とて人間だろうに……! 何故同族ではなく、ゴミどもなんぞの肩を持つ!? 狂っているのか!?」


 男の声には、真があった。コオヤを動揺させたり、時間を稼ごうとしているのではなく、純粋に理解出来ないと、だから問うているのだと言う真が。

 顔を隠す布越しにでも分かる、憤怒の表情。当然だ、同族に敵し、同族を打ち倒そうというその行動。フェリナとて同じカリオンの者が人間に味方していたら、正気を疑わずにはいられないだろう。


(いや……今の私に、そんなことを思う権利は無いか)


 今の己は、人間に与しそれに敵対する者――即ちコオヤを殺そうとしているのだ。コオヤ同様、或いはそれ以上の裏切り者だった。

 思わず俯くフェリナに気付いた様子も無く、コオヤは飄々と男に返す。


「俺が人間だから、同じ人間であるお前らの肩を持て、と? はっ、笑わせる。下らん理論だ、そいつは」

「何!?」

「お前らは同族じゃないだろうがよ。俺と」


 その言葉に、襲撃者は思わず眉間に皺を寄せた。フェリナもまた、意味が分からず首を傾ける。

 同族では無い? どういうことだ、まさか彼は実は人間ではないのか?

 混乱する襲撃者へとコオヤは、ヘドロでも見るような冷たい目を向けると、


「違うのは、お前らさ。知ってるか? 何て言うか。お前らみたいなのはな、人間じゃなく……」


 その全身から、背筋が凍るような怒気を現して、


「屑ってんだよ、屑共」


 そう、吐き捨てた。

 空間が、彼の威圧に支配される。遠巻きに見ているだけのフェリナでさえ、脚が震え胃が縮まった。きっと、直接その力に晒されている男は今頃、自分が生きているのかさえ定かでは無い錯覚に囚われていることだろう。


「あ、うあ!」


 防衛本能に従って、男が懐から切り札を抜き放つ。二十センチ程の、短い筒。何処か機械的な装飾を施されたそれを両手で握り締め、前に構えた途端、筒の先から白色の刃が現出した。

 物理的な刃では無い、魔法によって形作られた、魔力の刃。


「へえ。そんなもんまで用意してたのか」


 興味深げに観察するコオヤへと、男は告げた。


「お前の余裕も、もう終わりだ。こいつはかの人滅兵器、『アプシロン』! 超高温の刃と超低温の刃を同箇所に同時発生させ、それらを特殊な魔法効果により同時に存在させながら一体化させるという技術により、矛盾を生み出す無の剣。触れた者はその矛盾によって侵され、存在が矛盾し崩壊する。幾ら貴様とて、これを喰らえば……!「はいはい、分かった分かった」っ!?」


 しかし彼のご高説を一蹴し、コオヤは水風船を空高く打ち上げて。


「良いから来いよ。夕飯前の腹空かしも、もう飽きた」

「このっ……ガキがーー!」


 男が、高速で走り出す。常人には残像しか見えぬような速さと体捌きで距離を詰めた彼は、二度のフェイントを織り交ぜた後、素早くコオヤの側面に回りその手の剣――アプシロンを振るう。

 迫る矛盾の矛を、コオヤは僅かに身を揺らしてかわした。攻撃は不発に終わった形だが、男は顔を歪めて笑みを浮かべる。


(さしものこの男も、この剣は怖いらしいな。表情から余裕が消えているぞ!)


 コオヤの顔からは、先ほどまでの攻防にあった戦闘を楽しむような笑みは消えていた。自身の優位を感じ、男の剣が更に二段階は速さを増す。

 次々と振るわれる斬撃を、後退しながら避けるコオヤ。そうして幾度目かの斬撃の折り、少し大きくバックステップして距離を取ったかと思うと、徐にその頭の黒髪へと手をやった。


「ん~……これで良いかな」

(獲った!)


 何かを考えるような素振りと共に、右手で自身の髪を弄る隙だらけのコオヤへと、襲撃者は一直線に突っ込んだ。またも二度のフェイントを入れながらも、今度は敢えて真正面から剣を振るう。

 他人種に味方する狂った人間を崩壊させようと、光を増した矛盾の刃が標的へと迫り――


「そ、そんな……馬鹿な」


 黒い剣によって、止められた。

 小さく細い、漆黒の剣。コオヤの指につままれて、真っ直ぐにピンと立ち矛盾の刃を遮るそれを、人は……髪の毛、と呼ぶ。


「城一つ崩壊させる、最大出力のアプシロンが――「矛盾の答えを、教えてやろうか?」」


 男の言葉を遮って、コオヤが口を開く。


「簡単だ、全てを貫く矛も、全てを防ぐ盾も存在しない。何故なら」


 そうして驚愕する男へと、髪の毛を持つその右手を軽く振るった。


「俺は貫けないし、俺の攻撃は防げないから、だ」


 それだけでアプシロンは粉々に砕け。男はその身を切り裂かれ、地に崩れ落ちた。

 ぽすん。彼の左手に、落ちる水風船。呆気ない程簡単な、決着だった。


「あれ? しかしそうすると、俺自身が矛盾なのか……?」


 戦闘の余韻もなく、意味の分からないことに頭を悩ますコオヤを、フェリナは呆然と見詰めることしか出来ない。

 どうしようもない程の力の差だった。認識し、想像していたそれよりも、遥か先にある力。そしてきっとそれでさえ、まだ全力では無い。

 遠い。あまりに遠い、倒さなくてはならない標的。


(だが、それでも私は……)

「おい、フェリナ?」

「っ!?」


 声を掛けられ、慌てて意識を戻す。目の前に、此方を見詰めるコオヤの顔があった。きっかりと目が合い、思わず硬直する。


「早く帰ろうぜ? いい加減、腹も空いたしよ」

「あ、ああ……」


 ちらりと打ち倒された襲撃者達に視線を向ければ、いつの間にやらやって来ていたらしい街の警備隊が、彼等を厳重に拘束していた。どうやら既に、事情説明も終わっているらしい。


「さーて、今日の夕飯は何かな~」


 水風船を弾ませながら、帰路につくコオヤ。戦闘の直後だというのにそこにはやはり緊張感など一つもなくて、それが余計に自身との差を明確にさせている気がして。


「それでも、やるしかないんだ――」


 小さく呟いて。フェリナとコオヤの姿は、夕陽に暮れる雑踏の中へと消えて行った。


 尚この後、結局遅くなったフェリナはカルナにたっぷり怒られたそうな。

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