第6話 お買い物
朝が、来る。
小鳥の鳴き声が散発的に聞こえてくる、良く晴れた気持ちの良い朝。此処、レンタグルスの街に建つコオヤ邸(仮)に昨日より住み込むことになった狐族の少女フェリナは、朝の日課をしようと豪邸の広い庭へと歩み出た。
若干の肌寒さは感じるものの、獣の特性を持ったカリオンとして寒さにはある程度強い彼女は、特に気にすることもなく薄着である。半そでのシャツにショートパンツという活発的な格好は、実に活動的な色気を醸し出す。
穴を開けたパンツから出る尻尾が、ゆらりと揺れた。爽やかな朝の空気を吸い込み背伸びを一つ、大きな胸もまた揺れる。
「さて、始めるか」
呟き、イメージするは仮想の敵。先日戦ったばかりの雇用主の姿を思い浮かべ、拳を握り半身になって構えを取る。
「ふっ!」
そうして、仮想の敵へ突っ込んだ。振るわれる脚が、腕が、冷たい空気を引き裂き標的へと襲い掛かる。
だが、利かない。単なるイメージであるはずなのだが……それでも、大き過ぎる力の差、焼きついてしまったそのイメージが邪魔をする。どれだけ振るっても、まるで通じる気がしない。
(こんなものでは駄目だ。もっと、もっと――)
強すぎる相手に、絶望することすら許されない。コーヤさんを殺す――その目的を、なんとしても成さねばならない。
例え僅かでも可能性があるのならば、そこに賭ける。決意と共に、少しでもその可能性を高める為、フェリナは鍛練に励み続けたのであった。
~~~~~~
この屋敷においてしなければならない仕事とは、数えるだけならば実はそう多くは無い。
掃除、炊事、洗濯。後は生活用品の買出しだとか、細々とした仕事はあるが、結局はそんなものだ。まして住人は極少なく、コオヤ、イリア、レスト、そして使用人である自分達二人のみ。当然、作るべき食事も、洗うべき衣服も、購入すべき物品も、限られたもの。二人で行えば特に苦労することはなかった。それらが現代日本のように便利な道具の無い、ほとんど手作業の形であったとしても、だ。
問題は、残る一つ――即ち掃除である。何せこの邸宅、小さな学校に匹敵する程の大きさを誇るのだ。それをたった二人で掃除するとなれば、これはもう果てしない重労働である。
一応主人であるコオヤからは、毎日全ての場所を掃除する必要は無い、と言われてはいる。実際使用している場所だけを掃除して、後は適当に時間がある時にすれば良い、と。
そんなわけで幾つかの部屋を掃除し、長い廊下を綺麗にして、幾ら体力のあるカリオンといえど少々疲れたと溜息を一つ吐いた頃。今日の分の食材が足りない、と気付いたフェリナは、一つ大きな問題にも気が付いた。
「お金はどうすれば良いんだ?」
そう、食材や様々な生活用品を購入する為の資金、それはどこから持って来れば良いのか。当然ながら自腹のわけがないし、そんな手持ちは無い。
というわけで早速、イリアの部屋に来たのだが――。
「いない? むぅ、何処へ行ったのだ」
そこに、彼女の姿はなかった。どうしようか、と頭を悩ませる。
別の者に聞こうかとも思ったが、何せ残っているのがあの二人である。この屋敷の主であるはずのコーヤはいかにも適当でずぼらな性格のようなので、聞いた所で分かるとは限らない。もう一人のレストに至っては、そもそもそういったものに関心の無い性格をしている。ついでに言えば、魔導戦将である彼の人物に、こんなことは尋ね辛い。
「んむぅ。しかし、こう悩んでいてもしかたない、か」
無駄に時間を浪費した所で意味は無い。此処はひとまず、主であるコーヤに訊いて見るか。
そう方針を定め、早速彼の部屋へと向かう。或いは彼自身は分からなくても、イリアの場所が聞ければ良い。
部屋には、すぐに到着した。隣同士でこそなかったものの、イリアとコオヤの部屋は実に近い場所にあるのである。
「フェリナだが、ちょっと良いだろうか?」
軽く扉をノックして、問い掛ける。これで彼まで居なかったら、流石にお手上げだったが――
『空いてるから、勝手にどうぞ』
どうやらそうではないらしい。少しだけほっとして、扉に手を掛け開け放つ。
「失礼するぞ」
そうして部屋の中に入れば、確かに彼は居た。大きなソファーにだらしなく寝そべっている。
「よお。どうした、何か用か?」
「ああ、実は少し訊きたいことがあってな。だが、その前に……」
「ん?」
「それは、何をしているんだ?」
困惑と共に、問い掛けた。疑問の先は、さっきからずっと彼の手の上を行ったり来たりしている物。
「これか? これは水風船だよ」
「水風船?」
「ああ。たまたまこの屋敷の倉庫にあったのを見つけたんでね、持って来たんだ。んで、今は落とさずに何回リフティング出来るか、挑戦中」
今度は手だけではなく脚も使って、水風船を打ち上げるコオヤ。あまり真面目に取り組んでいるようにも見えない辺り、よっぽど暇で他にやることが無いらしい。
そんな彼に少々呆れながらも、フェリナは本題に入った。
「そうか。まあそれは良いとして、訊きたいことがあるのだが」
「訊きたいこと?」
「ああ。実は……」
一通り事情を説明すれば、コオヤは相変わらず水風船で遊びながら、
「イリアなら、爺さんの手伝いに行ってるはずだぞ」
「爺さん、というと……国王、ジンカー殿のことか?」
「ああ。だからまあ、夕方までは帰って来ないだろうな」
「そうか。それは、どうしたものか……」
「別にそんなに悩まなくても、俺だって金のあり所位しってるよ。ほら」
「え? うわっ!?」
ぽい、と彼が何かを投げてくる。慌ててキャッチしたそれは、ずっしりと重い。
「これ……財布か?」
「ああ。そんだけありゃあ、暫くは余裕だろ?」
開けて中身を確かめてみれば、そこには大量の貨幣が詰まっていた。これだけで普通の家庭なら、数ヶ月は暮らせる量である。
「そうだな、十分過ぎる程だ。ところでこれ、どこから出したのだ?」
「空間に穴を開けて、金庫から直接」
「……昨日この家に来た時もそうだったが、そうぽんぽんと穴を開けるものではないと思うのだが」
「良いじゃねえか。直接行くより、楽で早いんだから」
普通の人にとっては、そうではない――そんな突っ込みは、胸の中に押し留めておいた。他人にとってどうであろうと、常識的にはどうであろうと、これがこの男の『普通』なのだ。
己の想定の遥か上に居る少年に、内心苦渋を呈しながらも、礼を一つ。早速、買い物に出ようとする。
「手間を掛けさせて済まなかったな。それでは、私はこれから買い物に行ってくる」
「買い物、か……。ちょっと待ちな、フェリナ」
部屋から出ようと扉に手を掛けた瞬間、呼び止められた。何だ、と振り返れば彼は、ソファーから身を起こしてにやりと笑う。
「せっかくだ。俺も、一緒に行く」
一際高く、水風船が打ち上げられた。
~~~~~~
からん、と扉に付いたベルの音を鳴らし、コオヤとフェリナは雑貨屋から踏み出した。
昼も近く、賑わう市中を二人並んで歩いて行く。人間とカリオン(しかもメイド服)というこの辺りでは見ない組み合わせに、多くのエルフ達が振り向いて、しかしすぐにああ彼かと納得して平常に戻る、その繰り返し。
どうやら此処でのコオヤは割と何でもありというか、大概のことは彼だから、で済ませられる位にはぶっ飛んだ存在として認識されているらしい。
無理も無い、と思う。常人には不可能な事柄を、誰憚ること無く当たり前のようにやる男だ。大概の場合大きな力を持つ者は少なからず他者に配慮して合わせるものだが、この男にはそんな遠慮など微塵も見えない。
今だってそうだ。せっかく買い物に出たのだからと食材は勿論、足りなくなってきた日用品もついでに買いまわったのだが、その買った物全てをその場で虚空をこじ開けて屋敷に送ってしまったのだ。
やおら何も無い空間に手を掛けて、自宅の窓を開けるような気軽さで空間を空けた時には、思わず目を瞠ってしまった。店主が慣れたように苦笑していた辺り、これもまたいつものこと、なのだろう。
そんなこんなで二人、ほぼ完全に手ぶらで歩いているわけなのだが。
「これで必要な物は全て購入した、だろうか」
「ん? 多分な」
相変わらず水風船を弄びながら返答するコオヤ。人々の中を歩きながらでもその動きは全く衰えず、手で、足で、そして頭までも使って、自在に水風船を操っている。
まるで曲芸のようなその動きに、素直に感心する。単に力だけでは無い、高い技量がなければ成しえないことだ。
「そうか。それでは、屋敷に帰ろうか」
「んん? 何言ってんだ、お前は」
用件も終わったし、と帰宅を提案するも、待ったを掛けられた。まだ何かあったか? と考えてみるも、特にそれらしいものは思い浮かばない。
「買い残しでもあっただろうか?」
「そうじゃねぇよ。せっかくこうして街に出て、重い荷物も無い。なら、もう少し散策しても良いだろう?」
ポーン、と水風船が高く飛び上がる。
「散策? ただその遊びを続けたいだけではないのか?」
「あ、ばれた?」
見事に手の上に着地した水風船が、跳ねることも無く吸い付くように動きを止めた。
そう、この男がわざわざ買い物に付いて来た理由は、この水風船遊びの難易度を上げる為だった。ただ自分の部屋や屋敷の中で行っていても、簡単過ぎてつまらない。ならば人も多く様々な障害物や起伏のある街中ならば、もっと難しく、楽しめるだろう。
そんな彼の考えを聞いた時には、思わず手で顔を覆ってしまった。フェリナからしてみれば、それはあまりに難しく、そして他者に迷惑を掛ける行為でしかない。
だが、彼にとっては違うらしい。絶対に落とさないという自信があり、かつ他者に当てたり邪魔になったりしないという確信がある。だから、躊躇無く行える。
「全く、随分な自信家だ」
「別に、過剰に自信を持ってるわけじゃない。実際出来るんだから、その分の自信を持つのは当たり前、だろ?」
リフティングを再開しながら、コオヤが笑う。言ってることは間違っていないのかもしれないが、その程度が高すぎていまいち納得し辛い。
思わず、溜息。
「はあ。私は別に構わないが、行く当てはあるのか?」
「いんや。でもまあ、とりあえずこの先の広場まで行ってみようぜ。何かあるかもしれないし、な」
適当すぎる彼に、もう一度溜息。若干呆れながらも、結局フェリナは彼の提案を受け入れて、その後を付いて行った。
ずっと人間に虐げられてきた身としては、やはりこうして自由に街を散策出来るのは楽しいものなのだ、これが。
「さーて、もうすぐ広場……「あ、コーヤだ!」げっ」
歩くこと暫し。広場まで目前に迫ったその時、背後から掛けられる元気な声。
微妙な顔をしながらもコオヤが振り向けば、そこには見慣れた小さなエルフ達が。
「……何やってんだ、お前ら」
「皆でこの先の広場に遊びに来たんだ! コーヤは? 何してんの?」「あ、見慣れないねーちゃんだ!」「尻尾生えてるぜー!」「お姉ちゃん誰ー?」
十人程の子供エルフの集団が、そこに居た。皆わいのわいのと騒ぎながらコオヤ達二人に近づくと、べたべたと触り出す。
「何それ!? ボール!?」
「……水風船だ」
「水風船? よく分かんないけど、それ楽しいの?」
案の定、食いついてきた。内心、顔を顰める。
(面倒臭いことになったなー。こいつらに下手に絡まれて記録ストップ、何てのは勘弁だぜ)
普段であれば、子供達にもそれなりに良く対応するコオヤだが、今は少々赴きが違う。あらゆる物事に無駄に興味関心の高い子供達のこと、当然この水風船にも興味を示す。そして遠慮の無いこいつ等であれば、コオヤが手放そうとしない場合無理矢理でも奪い取ろうとしてくるだろう。
もしこれが本当に大事なものならば、そう言えば彼等とて理解し、引く。その位には出来た子達だ。だがこの水風船は、決してそこまで大事な物では無い。
どれだけリフティングを続けられるか、何てのは所詮ただの遊びだ。それを隠して遠ざけようにも、幼いが故にそういった隠し事には敏感なこいつらには、すぐに嘘だとばれるだろう。
となれば、どう足掻いても邪魔をされるのは必定。
(いっそのこと、素直にリフティングなんて止めてこいつらに渡しちまうってのも手だが……)
――それは、何だか気にいらねえ。
コオヤの無駄なプライド、意地が発揮された瞬間だった。
(決めた、絶対に渡さねぇ。何が何でも続けてやる)
実に大人気ない決意である。こういう子供っぽいところが或いは、子供達の波長と合い、人気を得るのかもしれない。
ともかくこの小さな球体を悪鬼達の手から守ると決めたコオヤは、軽く何度か手足で水風船を弾ませると、
「こうしてこいつを弾ませて、どれだけ落とさず保っていられるか、って挑戦をしてんのさ」
「挑戦!? 良いなー、なあコーヤ、俺にもやらせてよ」
俺も、私も、と更に子供達が群がってくる。だがそれにも負けず、コオヤは不敵な顔で宣言した。
「いやだね。欲しいのなら、その手で奪ってみせな!」
「言ったなー! 皆、突撃だー!」
するりと輪から抜け出したコオヤを追いかけ、子供達が走り出す。しかしその突撃の全てを水風船を弾ませながら見事に回避したコオヤは、一直線に広場に向かって駆けだした。
「ここじゃ狭い。広場で勝負だ、ガキ共!」
「良い度胸だー! 行くぞ皆ー!」
追いかける子供達。その光景を見るフェリナは、怒涛の展開に付いて行けず置いてきぼりである。
とりあえず追いかけるか、と彼女が足を動かそうとした、その時。
「ま、待ってー」
子供が一人、取り残されていることに気が付いた。他の子よりも一段小さい、おっとりしてそうな女の子だ。
どうやら彼女は、あまり動くのが得意では無いらしい。単に身体の大きさだけでは無い、明らかな足の遅さだ。
だが、追いかけっこに夢中の子供達は、そんな彼女に気付いていない。どうしたものか、とフェリナは足を止めてその場で迷って――。
「よっと」
突如、視界の先のコオヤが跳んだ。水風船を大きく蹴り上げ、宙返りするように空を舞う。そうして衝撃もほとんどなく、残されていた少女の目の前にしゃがみ込んで着地した。
「ほら、乗りな!」
「あ……うん!」
背中越しに促せば、少女は満面の笑みと共に彼の背中に飛びついた。己の背中に張り付く少女を片手を背後に回して支え、両足に力を入れる。
「んじゃ、行くぞっ!」
跳んだ。勢いよく、しかしふわりと跳んだ彼は、空中で先程打ち上げた水風船を受け止めるとそのまま子供達の前に躍り出る。そうして今度こそ、皆を引き連れて広場に向かって駆けて行った。
「あ、わ、私を忘れるな!」
その去って行く背中を数秒、呆然と見送って――慌ててフェリナもまた、その背を追って急ぎ走り出したのであった。
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