第3話 カリオンの少女達
「もう、コーヤさん、勝手に動かないでくださいって言ったじゃないですか!」
ぷんすかと擬音が付きそうな様子で頬を膨らませて、エルフの少女――イリアは目の前に立つ少年へと抗議した。
褐色の肌に透き通るような青い長髪を持った少女は、怒っていて尚かわいらしく、いまいち迫力というものに欠けている。実際怒られたコオヤは、彼女の抗議などどーでもよさそうに欠伸なんぞ浮かべている始末だ。
ちなみに己の名をエルフ、いやこの世界の者達がきちんと呼べないという問題は、彼の中ではもはや問題にもならないようである。この世界に来てから一ヶ月ちょい、ただ一名を除いて誰も正しく呼んでくれないのだから、流石にそういうものだと納得もする。尚その一名との間では、わざと名前を間違うというお茶目心を修正して正しく己の名を呼ばせる為、一騒動あったことだけは此処に追記しておこう。
ともかく、元々日本に住んでいたはずのコオヤが突如謎の黒い穴に入り込み、この古臭いファンタジーのような世界に来てから早一ヶ月ちょい。その最初のごたごたで助けて以降、すっかり距離の近くなったイリアとは、今もまた共に過ごすことが多かった。
もっとも、気の向くまま自由に過ごすことの多いコオヤであるから、基本大人しいエルフの少女は何かと振り回されるばかりではあったが。しかしそれでも、彼女がコオヤを嫌うことは無い。胸に芽生えた淡い恋心は、此処一ヶ月でむしろ大きくなっている程である。
今こうして彼に注意しているのだって、彼のことを心配しているからこそなのだ。コオヤの力は良く知っているが、それでも心配というのは湧いて来てしまうものなのだ、これが。
コオヤも、それが分かっている。だからこういう時は下手に突っぱねたりはせず、一応は謝ってみせることにしていた。
「すまんすまん。でもまあしょうがないだろ? 録でもない気配を、感じたもんでね」
「そのおかげで皆さん助かったんですし、あまり文句は言いませんけど……」
「今後は一言位残してから動くさ。なるべく、な」
ちっとも反省していない彼に肩を落としながら、共に占拠したアルメシアの街を歩く。戦争の影響もあって多少荒れている場所もあったが、今は随分と落ち着いたものだった。
「これで四つ目、ですね。占拠した街は」
「幾ら同胞を早く解放したいって思いがあるとはいえ、大したもんだよ。この短期間でこれはな。ま、敵がしょぼかった、ってのもあるが」
そう、彼等の所属するローレンド聖王国が占拠した街は、最初に制圧し首都となったレンタグルスを含めれば、もう四つにもなっていた。実質建国から一ヶ月の間に、三つの街を奪取したことになる。
勿論始めから全てが整った国であるならば可能なことだろうが、発足したばかりの国家でこれは、驚異的な成果と呼べるものだろう。当然色々と無理はあったが、そのリスクを背負ってもなお、同胞を解放するという理由は彼等に侵攻を急がせるに十分なものだったのだ。
「それにしても、よ」
「はい?」
「わざわざ付いて来なくても良いんだぜ、こんな所まで」
未だ戦火の香りの残る街中を見渡しながらそう言えば、イリアは小さく苦笑して、
「そうかもしれませんけど……でも、コーヤさんのことが心配で」
「ま、本当にやばそうな時は逃げるって約束だから、別に構わないけどよ」
「それは、分かってます。足手まといには、なりたくありませんから」
イリアは、戦う力を持っていない。エルフとして魔法は使えるが、それも満足に戦闘をこなせるようなものでは無い。そんな彼女に下手に前線に居られては、それこそ足手まといになるだけである。
勿論、軍は戦闘要員だけではなく、それを後ろで支える非戦闘員が居てこそ成立するものだ。実際彼女も、炊事など後方支援という点でしっかりと貢献している。
だがやはり、危険なことには変わりない。本来ならば、自身の家のあるレンタグルスで待っているのが最善だろう。
イリア自身、そんなことは理解している。けれど胸にあるコオヤの傍に居たい、という思いを抑えるのは、中々に難しい。ついでに言えば、祖父であり聖王国の現王でもあるジンカーが彼女を煽り立てたのも、大きな要因の一つだろう。
これは何も孫娘の恋路を応援したい、というだけのものではない。それもちょびっとは含まれているが、コオヤに付いて行くことを促した最大の理由は、放っておくと何をするか分からない彼の手綱をある程度握る為であった。
無論、自由奔放で常識外れの力を持つコオヤを完全に御せるとは思っていない。むしろそんなことをしようとすれば、彼は反発して余計に無茶苦茶な行動を取るだろう。かといって口で言い聞かせただけでどうにかなる男でもない。
故に、イリアを付けたのだ。彼女が共に居れば、さしものコオヤとて易々馬鹿な行動は出来まい。友人であり、此方の世界に来てから最も長く共に過ごした人物であり、またか弱い乙女でもある彼女を放りだして好き放題出来る程、流石にコオヤは人でなしではないはずだ。
付け加えれば、勝手なことをする度にイリアが頬を膨らませて怒る、というのもある。そこいらの奴等ならばともかく、親しい彼女のそれを無視するわけにもいかず、かといってマゾでは無いコオヤにとって怒られたり説教されたりというのは面倒なだけである。結果として、少しは自重して行動するようになる、というわけだった。
もっとも今回のように、それでも出て行ってしまうことはあるのだが。
「分かってるなら良いさ。まあ、今後はこうして戦場に来る頻度も減るだろうし、そんなに心配することもないだろうがな」
「そうなんですか?」
「ああ。今までは興味本位でこうして来てたが、いい加減飽きた。まともに戦わせてもくれねぇし、唯一意味のあった奴隷魔法の破壊も、レストの奴が使いやすい解除魔法を開発・提供したせいでいらなくなったしな」
そう言って、不満げに唇を尖らせる。常人とは一線を隔する強大な力を持つ彼だが、実際にこれまでの戦争において派手に前線で暴れたことは一度も無かった。それは、エルフ達が彼の参戦を望まなかったからである。
普通ならば、大きな力を持つ彼に頼るのではないか? と思うだろう。実際、コオヤは最初そう思っていた。だが、エルフ達は皆揃って言ったのだ。なるべく、自分達の力だけでやりたい、と。
それは、人間であるコオヤを嫌悪して……では、無い。確かにまだ国内には彼に対して拒否感のある者も居るが、それでも大多数のエルフ達は彼という存在に馴染んできている。
では何故かと言えば、それは誇りの為である。確かにコオヤに任せておけば、大半の戦いは一瞬で終わるだろう。此方の犠牲も、全くと言っていい程出ない。
だが果たしてそれで勝利を得て、領土を与えられて――それで、胸を張れるのか? 自分達の国を勝ち取ったと、そう言えるのか?
答えは、人によって千差万別だろう。しかし少なくともエルフ達は、否と答えた。戦争の痛みは、犠牲の重さは良く分かっている。それでも尚、可能な限り自分達で戦うと、そう決めた。
だから、基本的にコオヤは戦いに参加しなかった。正直言えば不満もあったが、それが彼等の誇りを守ることに繋がるなら、と素直に了承したのだ。故に彼が積極的に戦いに出るとすればそれは、今回のようにどうしようもなく虐げられ危険に晒されている者が居る時か、或いは感情が限界を突破した時。そして、彼でしか対応出来ない程の強敵が現れた場合だけ。
そんな訳で戦場に来ても余り戦えない彼は、これなら家でごろごろしていた方が良いや、と判断したのである。どうせ今の自分ならば、本気を出せば街と街の間の移動など一秒あれば有り余るし、強敵が出てきたと感じたらその時動けばいい。それがコオヤの考えだ。
「どうやら残党処理も終わったらしいし、そろそろ帰るか」
立ち止まり、提案する。元々こうして戦闘が終了したにも関わらずまだこの街に残っていたのは、伏兵や援軍で強敵が現れる可能性を考慮したからである。
しかし周囲の気配を感じる限りではそういったものは無いようだし、もう街の中にも人間は一人も残っていないようだ。ならばこれ以上此処に残っている意味は無いだろう。
「そうですね。きっと、クランさんが待っていますよ」
「どうだか。またぐちぐち突っかかられそうな気もするがね、俺は」
此処に居ない金の少女を思い浮かべ、軽く溜息を吐くコオヤ。
以前、まだエルフ達の国が発足する前になんやかんやあって奴隷にされているところを助けた件の少女――クランとは、当然と言うべきか、今も親交が続いていた。というより、だらだらと過ごしている彼に、クランが一方的に絡んでくるのである。
やれいつまでも寝ているんじゃない、やれ買い物に付き合って、と何かにつけて此方に構ってくるのだ。その様はどう見ても気になる子にちょっかいを掛ける中学生のような有様なのだが、指摘した所で本人は絶対に認めないだろう。
この戦場に出向く前にも、色々と小言を言われたものだ。まあその大半が心配の裏返しだということは容易に察することが出来たので、仕方がねぇなあ、と呆れるだけに留めておいたが。
そんな彼女なので、きっと帰ればまた色々と言われることになるだろう。彼女のことは嫌いでは無いし、薄々どころでは無く感じるその思いも否定するつもりは無いが、正直言うとちょっと面倒なのは確かである。
「全く、あいつももうちょっと素直になれないのかねぇ。ちょっと捻くれ過ぎだぜ、あれじゃあ」
「あ、あはは。あまりそう、言わないであげて下さい」
擁護するイリアだが、実は心の中ではコオヤの意見にひっそり同意していたりする。同時に、私ももうちょっと素直にアタックした方が良いのかな、何て思っていたりもするのだがそれはまた別の話。
「まあいい、さっさと行くか」
ともかく、いつまでもこうして話していてもしょうがない、と早速イリアを抱えて――これが一番早い為である。最初はイリアも恥ずかしがったが、お姫様抱っこで運んであげるとすぐに大人しくなった――レンタグルスへと帰ろうとしたコオヤだが、ふと九十度向きを変えるとそのまま動きを止める。
「どうしたんですか?」
腕の中に抱えられたイリアが、すぐ上にある彼の顔を見上げながら問い掛けた。彼の視線の先には小さな家屋があるだけで、特におかしなものは見えない。また、レンタグルスの街があるのもこちらの方角ではないはずなので、移動先を見定めているわけでもなさそうだ。
一方コオヤは、彼女の問いかけに答えることも無く、
「どうした、来いよ。早くしないと、居なくなっちまうぜ?」
そう、目の前の家屋に向かって不敵に告げた。すると、更に訳が分からずぼかんとするイリアが目を向けるその先で、突如家屋の前面が弾け飛び、その破片が二人に向かって凶器と化して飛来する。
「きゃっ!?」
思わず、目を瞑って己を抱える体にしがみ付いた。が、その彼は一歩もその場から動くことなく、それどころか身じろぎの一つすら起こすことなく、ただそっと迫り来る飛来物へと息を吐く。蠟燭の火を消すよりも軽く、極々自然に。
一息――ただ、それだけ。それだけで、彼等に直撃するはずだった数多の破片が軌道を変えた。見えない風に、彼等の纏う気流に流されるように、滑らかに。
背後の建物に流れた破片が直撃し、激しい音を立てる。その音にようやく自身の無事を確認し、イリアは目を開け再度彼を見上げた。その視線は変わらず壊れた家屋の元に向いていて、イリアもやはりその視線に従って再び家屋に視線を向けて。
ガゴン、と地を砕くような音と共に、激しい土煙を上げ、家屋から何かが飛び出した。
早い。少なくともイリアの動体視力では、影を捉えるのでやっとだ。それも、見えるだけで反応できるわけでは無い。
影は瞬きの間に此方に近づくと、突っ立ったままのコオヤの顔面に向かってハイキックを繰り出した。間違いなく凶悪な威力を秘めた蹴りが、コオヤの頭部側面、こめかみへと的確に突き刺ささり――
「ッ!?」
止まった。衝撃だけで周囲の空気を震わせる程の力を秘めた一撃が、ただ立っていただけの人間に。防御も迎撃もしていない、無防備な人間に。呆気なく、止められていた。
まるで動かない、揺るがない。蹴撃を受けたはずのコオヤは、一切動じることもなく、ただじっと襲撃者を見詰めている。特に力を入れている様子も無いのにその身体は鋼鉄よりも遥かに固く、足は地面に吸い付いているかの如く不動のままだ。体勢にも、一切の乱れが無い。
化け物だ――本能で悟った。咄嗟に飛び退き、無駄だと分かっていても構えを取る。そんな襲撃者の姿を見て、コオヤは呟いた。
「その耳、狐か。居るとは聞いてたが、見るのは初めてだな」
以前エルフ達が身に着けていたようなボロ布の服を纏った襲撃者の正体は、頭にとんがった獣の耳を備え付けた若い少女であった。ばさりと広がる黄色掛かった栗色の長髪は傍目にも分かる程に量が多い。少々つり上がったきつめの瞳も合わせれば、なる程確かに狐という印象を受けるだろう。
また少女の身体は服の上からでも良く分かる程に起伏に富んでいたが、残念ながらそこに注目している余裕は(常人には)無さそうである。何せ四肢を地に着け低い体勢で構える彼女は正に殺気全開の状態であり、その顔は獣がそうするような威嚇の表情を如実に表しているのだから。
美人の彼女がするそれは、人一倍迫力がある。きっとそこいらの気の弱い男なら、即座に尻餅着いて逃げ出すだろう。が、今回は相手が悪かった。何せ今少女が対峙しているのは、某金の少女曰く『傍若無人で自信家で常識壊しでありえない位ぶっ飛んだ力を持った唐変木』な少年なのだから。
事実彼は、そっとその腕のイリアを地に降ろすと、突然の襲撃にもちっとも心を乱すことなく面白そうに少女のことを観察している。どうやら初めて見た獣人に興味があるらしい。
しかしこのまま見ていても仕方が無いと思ったのか、未だ状況が良く呑みこめていないらしくおろおろしているイリアへと軽く問う。
「あそこで唸ってるのは、カリオンの狐族ってことで良いのか?」
「え、あ、はい。多分、ですけど。獣の特徴を持った人達の種族――カリオンは個人個人によってどの程度獣の要素を持っているかが違うんですけど、彼女はかなり人としての部分が大きいみたいですね。ってそうじゃなくて、コーヤさん!」
「ここら辺は他人種はエルフしか居ない、って以前聞いたんだが」
「え? いえ、確かにほとんどはそうですけど……だからって、他の他人種が皆無、というわけではありませんよ? っというかそうじゃなくて、あの人いきなり襲ってきましたよ、コーヤさん!」
「そうかい。要するにジンカーの爺が適当な説明しやがった、ってことだな」
慌てるイリアを余所に、ほっほっほと高笑いの一つもしていそうな老人の姿を思い浮かべ、悪態をつく。国王にまで成ったってのに、こんなこともきちんと説明出来ないのか、と脳内で文句を垂れるコオヤだが、正直彼とて人のことを言えないほど適当な人間である。例え指摘した所で、それがどうしたと開き直られるだけであろうが。
「まあいい、こんな所で文句言ったってしょうがねえ。それよりも今は、あいつをどうするか、だ」
改めて襲撃者の少女へと視線を向ける。彼女は先程のやりとりの間も一歩も動くことなく此方を警戒しているだけであったが、それは決して彼女の戦意が衰えた、ということを意味しない。
むしろ、警戒は時間に比するように高まるばかり。だが、獣を含むが故に人よりも優れた少女の本能が、このまま目の前の敵に襲い掛かった所で返り討ちに会うだけだ、と明確に彼女に告げていた。
だからこそ、動けない。必死で打開策を探るものの、思い浮かぶその全てが、どうしても目の前の男に通じると思えない。
汗が滲み、動いていないはずの身体から体力が抜け落ちていく。ただ対峙しているだけなのに、この消耗。これが、圧倒的強者――。
極限の緊張下にある少女は、しかしそれでも退こうとしない。ごくりと音を鳴らして唾を飲み、理性で本能を従えて、これから先のプランを描く。
脳内に描かれた拙い、実に拙い作戦にぎりぎりで縋りつき、実行に移そうと少女はピクリと右手を動かして――
「ああ、そうそう」
唐突に放たれた標的の言葉に、
「とっくにばれてんぜ。そっちの隠れてる方も、な」
石膏にでもなったかのように、動きを停止した。比例するように思考もまた硬直し、頭の中が漂白される。
そんな彼女を置いて、コオヤはノックでもするような気軽さで、目の前の空間を軽く叩く。すると、当たり前のように空間を伝わった衝撃が、少女の出てきた家屋の隣に建つ、これまたオンボロな家屋を粉々に打ち砕いた。ただしそれは吹き飛ばすような激しいものではなく、まるで自然分解したかのような呆気ない破壊であったが。
ぱらぱらと土くれや木屑が舞うその中で、目を見開いて呆然と立つのは、これまた獣の特徴を持った――カリオンの――少女であった。一人目と違い、犬のような耳を頭部につけた黒髪の少女は、その手にお手製であろうボロボロの弓と矢を携えている。あれでコオヤを狙い撃つつもりであったらしい。
どうやら、彼女の援護を受けながら一か八かの接近戦を仕掛ける、というのが狐の少女の作戦であったようだ。が、既に射手の存在が丸裸になった今、もうあの化け物のような男に狙撃など利きはしないだろう。いやそもそもその程度のこと、もっと早くに考慮するべきだったのだ。初めに自身が襲撃を掛けるその前から、此方の存在に彼が気付いていた時点で。相方の存在もまた、気づかれているのではないか、と。
だが、今更現実は変えられない。プランが白紙に戻った衝撃で、完璧に動きを止めてしまった狐の少女(と、犬の少女)。そんな彼女達へと、コオヤは余裕綽々の様相で、しかし一切逃す気など無く、無情に告げる。
「んじゃまあ、話を聞かせてもらおうか。強制的に、な」
少女達が拘束されるまで、後三秒――。
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