第2話 絶望に、救いの手を
幾つもの破裂音が世界に響き渡り、間断なく上がり続けるは怒声の束。矢が太陽に照らされ空を舞い、それを迎撃した魔法で作られた炎の球がそのまま勢い良く射手を焼き尽くす。地では数多の武装した兵達がぶつかり会い、しかし明らかに形勢は一方に傾いていた。
此処は帝国所属の街の一つ、『アルメシア』。帝国に、そして人間に対し反旗を翻したエルフ達が一月前に建国したばかりの国――『ローレンド聖王国』から程近い場所に位置する、それなりの大きさを誇る都市である。
その街を巡ってぶつかり合うは、当然ながら人間とエルフ。とはいえ、耳が長く尖っていること位しか外見上の差異の無い両者の戦争は、ぱっと見ただけならば人間同士の戦争にも見えるかもしれない。特に、戦争らしく多くの者達が頑強な鎧と兜を身に着けている今の状態では、尚更両者の差は判別つき難かった。
だがしかし、それを遠目からでも簡単に見分ける方法がある。単純明快――魔法を多く使っている方が、エルフだ。
この世界の人間、そして他人種であれば誰だって魔力を持っているし、魔法を使えるのが当たり前である。ただしその量や腕前には、それこそ天と地ほどの差が存在していた。
一般的な訓練も何もしていない人間であれば、使えるのは精々地域間や種族間での意思疎通を図る為の、翻訳魔法位のものである。また例え訓練を積んだとしても、基本的にそこそこの魔力量や魔法の才能しか持っていない人間達では、あまり実践的な魔法は扱えない。それこそ一部の、魔法使いとまで呼ばれるようになった才と努力ある者しか、戦いの場で魔法を使用するような真似は出来ないのだ。
対しエルフは、総じて高い魔力量と魔法の才能を持っている。これは個人の問題ではなく、種族としての特性だ。故に魔法技術に関しても他の種族よりも大きく先を行っており、こと魔法に関しては他の追随を許さない。流石に誰もが、とは言わないが、多くの者達が戦闘に耐え得る程の魔法を扱える存在であるのは確かであった。
そんな二つの種族の戦争である。当然ながらエルフ達は魔法を主体にして戦うし、魔法をあまり使えない人間達は弓などの物理的な武装を持って戦闘を行う。故に、傍から見ればどちらがどちらかは明白であった。
そして、現在圧倒的な優勢を得ているのは――エルフ達の、軍勢だ。
元より、分かりきった勝負ではあったのだ。まず一つ、数が違う。二つに、準備が違う。三つに、士気が違う。そして止めに、内部にも敵が居る。
今回の戦い、攻めてきたのはローレンド聖王国の方だ。街を奪取しにきたのだから、当たり前ではあるが。とにかく、自ら攻めてくる以上、攻略に十分なだけの戦力は揃え、それ相応の準備も整えてきている。おまけに今も虐げられている同胞達を救う為の戦いとなれば、士気が高まらないわけが無い。
一方アルメシア所属の人間達はといえば、長く続いた平和にぼけていた。近隣にエルフの国が出来たというのに、警戒はそこそこ。準備は不十分だし、訓練もまともに行われていない。何が何でも勝つ、などという意気込みもあるはずがなく、すぐにでも逃げ出しそうな程に――実際、逃げ出した者も多く居た――士気は低い。その上ローレンド聖王国の進行に呼応して、街の内部に潜み住んでいたエルフ達が一斉に蜂起したのだから、街は大混乱。あっという間に劣勢の出来上がりであった。
エルフ達が次々と魔法を放ち、攻め寄せていく。抵抗する街の警備兵――長い平和が続いたせいで、軍、というものすら駐屯していなかった――を次々と飲み込み、戦争は遂に終局へと差し掛かる。
「く、くそうっ! このわしの街が、エルフなんぞに……!」
そんな、落ちかかった都市の中心部に建っている豪邸の一室で、醜く顔を歪めて激昂する人間が一人。この街の支配者、都市代表の地位にある、肥え太った熊のような初老の男性だ。
怒りと共に投げ捨てられた透明なグラスが、音を立てて砕け散る。それを更に踏みにじって粉々にしながらも、男はぎらりと窓の外から見える煙火を睨む。もはや一刻の猶予も無い、このまま行けばすぐにでもエルフ達が此処に押し寄せてくるだろう。そうなれば、自分がどんな扱いを受けることになるのかは想像に容易い。少なくとも、命は無いはずである。
「今すぐ逃げなければ……何、やり直しはきく。これまでに培ってきた人脈があれば、また返り咲ける。今は、命さえあれば良い」
決めさえすれば後は早い、素早く必要な物を頭の中で選定し、近場にあった悪趣味なバッグを引っ手繰る。部屋の中にある持ち運びやすい小型の金品を詰め込んで、後は少々の生活用品をぶち込めば、脱出セットの出来上がり。
さあ逃げるか、と足を踏み出そうとして――
(いや、待てよ。あれも持って行っておくか。盾位にはなるかもしれんしな)
僅かな逡巡の後、出口とは反対方向の扉を押し開けた。
「おい、起きろっ!」
扉の向こうには、小さな部屋があった。この豪邸に似つかわしくない、無機質で、薄汚れた部屋。部屋に合わせたような小さな窓には鉄格子が掛けられ、僅かに差し込む光だけが照明一つ無いこの部屋をうっすらと照らしてくれている。
そんな、物置のような部屋に――『彼女達』は転がされていた。
見目の整った、妙齢のエルフの女性。それが十人ばかり、一糸纏わぬ姿のまま、冷たい床の上に横たわっていた。誰もがぼろぼろに傷つき、互いを支えあうように一塊に固まって寒気に実を震わせている。
唯一身に着けているものは、その首に嵌められた頑強な首輪のみ。彼女達が奴隷であることを示す、憎むべき装具であった。
彼女達は薄汚れた格好のまま、主人の呼びかけに身を起こす。目は悲しげに伏せられ、覗く瞳に希望は見えない。けれどそれでも従わなければ、掛けられた契約の魔法によって苦痛を与えられ――最悪は、死に至る。
のろのろと、力なく己を見る奴隷達に、男は一層頭を沸騰させて怒鳴りつけた。
「この街から出るっ! 付いて来い、早くしろっ!」
男の言葉に従い、震え、力の入らぬ手足で懸命に立とうとする彼女達のその緩慢な動きを受け、男は顔を怒りに染めると懐から一振りの鞭を取り出した。そうして勢い良く、彼女達へと振り抜き叩きつける。
「――!!」
「早く動け、このノロマ共が! 時間が無いと言っているだろう! 今すぐ立てないようならば、この場で殺すっ!」
「…ぅ…ぁ」
痛みに身体を痙攣させ、その身に赤く痛々しい痕を残すエルフの女性達は、それでも懸命に立ち上がろうとし――最早その力すらも無く、がくりとその場に座り込んだ。
男の目が、一気につり上がる。
「この愚図共が……! もういい、貴様ら全員、此処で死ね!」
遂に怒りの頂点を迎えた男が、腰に下げていた短剣を引き抜いた。誰が見ても分かる程明らかな殺気を受けて、エルフの女性達は皆、揃って思う。
――ああ、終わりか、と。
足掻こうという気は、起きなかった。そんなことをした所で意味など無いし、そうするだけの気力ももう、残っていない。
あるのは男への憎悪と、理不尽な現実への諦観と、何故かどうしようもなく溢れてくる悲しみだけ。言葉も無く、その両目から涙を流すエルフ達へと、男は怒りのままに歩み寄ろうとして――
「死ね――っ!? 何だあ!?」
それよりも早く、屋敷の天井が吹き飛んだ。
いっそ、見事と言うべきだろう。綺麗に屋根は姿を消し、代わりに空と雲と太陽が天に映し出されている。薄暗かった小部屋が、陽光を一杯に受けて輝いた。
エルフも、男も。呆然と空を見上げる、その中に。
一人の少年が、静かに降り立つ。
「よお」
黒味がかった、茶色の頭髪。日本人らしい、黒い瞳。この世界に似つかわしくない、真っ黒な学生服。
「ぶっ飛ばしに来てやったぜ」
獰猛に笑い、しかし目だけは鋭く男を睨みつけて。この世界に在り得ざるはずの少年――コオヤが、そこに立っていた。
「な、なんだ、貴様は」
未だ完全には再起動していないぼやけた思考のまま、男が問い掛ける。尋常な状況でないことだけは分かっているが、尋常でないが故にまともに動けない。
プルプルと腕を振るえさせながら己を指差す男の姿を鼻息一つ、嘲笑い、コオヤは振り向きざまに腕を振るった。
「そんなもんは、自分で考えな」
軽い一振り。それだけで背後に居たエルフの女性達、その首に嵌められていた拘束具は呆気なく砕け散る。頑強な鋼鉄の輪が触れられもせず壊れるその様に、エルフ達も、男も、揃って目を見開き。
「これでお前らは自由だ。後は好きにしな」
「ぇ、ぁ……契約魔法が、消えて、る?」
魔法や魔力に敏感なエルフ達は、すぐに気が付いた。自分達を縛っていた奴隷契約の魔法が、跡形も無く消え去っていることを。魔法を得意とする自分達にとて解除することの出来ないそれを一瞬で壊した目の前の少年に、一際驚きが大きくなる。
そしてそれは、男も同じであった。
「ば、馬鹿な、契約の魔法が!? ありえない、貴様一体!?」
「自分で考えろ、って言ったはずだがな」
男へと振り向いたコオヤが、一歩踏み出す。それだけで男は、情けない程惨めな悲鳴を上げて、一歩後ずさる。
そのままゆっくりと己に迫る少年へと、男は必死で捲くし立てた。
「な、何だ、何故こっちに来る! その奴隷達が欲しいというのならくれてやる、だから早く此処から消えろ!」
「それは出来ねぇなあ。言ったろ? ぶっ飛ばしに来た、ってよ」
「ぶ、ぶっ飛ば……まさか、私を!? な、何故だ、何故人間であるはずのお前が私を害しようとする!? それどころか、エルフを解放するような真似まで……いや待て、人間でありながら、エルフの味方? ま、まさか、まさかお前はっ、六戦将の一人を倒したという、あのっ!?」
ようやく答えに辿り着いたらしい男がより一層の驚愕を示すが、そんなものはコオヤには関係ない。男が必死で唇を動かすその間に、足を動かし続けていた彼は、すぐに標的の目前まで辿り着く。
身長は己の方が上のはずなのに、滲み出る力の違いを本能で感じ取って――男の脚から力が抜け、短い悲鳴と共に尻餅を着く。最早その様は熊ではなく、肉食獣に怯える狸のようだ。
脳内の全てを恐怖に支配され……しかしそれでも生き残ろうと、男の口が勝手に言葉を紡ぎ出す。
「た、頼む、助けてくれっ! 金なら幾らでも出そう、上層部の人間に口利きして、地位だって与えてやる! だから、だからわしを……っ」
「お前らみたいな人間はいつもそうだな。金、権力、地位。後は女。そんなのばっかりだ。それも悪かないがよぉ、二つ、大事なものが抜けてるぜ」
「だ、大事なもの? 何だそれは、それを差し出せば見逃してもらえるのか!?」
「ああ」
「本当か!? 教えてくれ、すぐにでも用意しよう!」
助かる希望を見つけ縋るように言う男へと、コオヤは冷ややかな目を向けて、
「決まってる。意地と、プライドだ」
「い、意地? プライド?」
「もっとも、手前のそれに、差し出すほどの価値は残っちゃいねぇがな」
一歩、踏み込んだ。男が尻餅を着いたまま、後ずさる。
「そんじゃあ、お別れだ」
「ひっ、ま、待っ……あぎぃあああああああああああああああ!!」
無造作に繰り出された前蹴りが、男の顔面に突き刺さった。たちまち吹き飛んだ男は、一直線、どころかあまりの勢いにホップして空の彼方に消えて行く。すっかり見えなくなった彼がその後どうなったのかは定かでないが、何の力も持たないような男では、どう考えても無事ではいられないことだけは確かであろう。
処分を終えたコオヤは軽く背伸びをした後、跳躍。一瞬でその場から姿を消した。
遠方から聞こえてくる、勝ち鬨の声。この屋敷が雪崩れ込んできたエルフ達によって制圧されたのは、それから間も無くのことであった。
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