第二章 正 面 突 破
第1話 蠢く策謀
――クレセント帝国。人間達によって構成される、人間達の為の国。かつての戦争において、エルフを始めとした他人種達を圧倒・制圧し、今はそれらを虐げ奴隷としている……この世界の覇権を握る国家である。
そんな帝国の首都『帝都リグオン』では今、この国の要と言っても過言では無い五人の人物が一同に会し顔を突き合わせていた。
首都を中心とした皇帝直轄地以外の各地を分割して統括する者達――即ち六戦将の内の、五人である。
その力足るや単独で一国を滅ぼして余りあると言われる程であり、また我の強い性格も相まって、彼等が一ヶ所に集結することなど滅多に無い。あるとすればそれは、国を揺るがす程の一大事のみ。
そしてそんな、滅多にあるはずの無い一大事が今、帝国に巻き起こっていた。
「で、結局どうするの?」
広く豪奢な会議室に響く、女の声。聞くだけでも弛緩してしまいそうな程に色気を漂わせたその声音には、大事が起こったとはとても思えない程、決定的に危機感というものが欠けていた。
向かいの椅子に座った翁が、返す。
「別に、どうもせんで良いのではないか。気にする程でもなかろう」
しわがれた、老人の声だった。彼の声にもまた、女性と同じく微塵も危機感は宿っていない。言葉からも、それが容易に分かるだろう。
彼に返したのは、若い少女の声だった。
「じゃー、もう会議は終わりで良いー? 解散解散っ」
元気に暢気に、会合を終わらせようとする少女。この会議など、その議題など、面倒としか思っていない態度である。
返すのは若い、どころか幼い少年の声。
「流石にそれはまずいですよ。せめて誰が対応するのか、だけでも決めないと」
彼だけは、他の人間に比べて真面目に考えているらしかった。その声には少女を始めとして皆を嗜めるような色があり、彼が決して此処に居る他の者達に劣っていないということが読み取れる。
実際注意された少女は、少々ばつが悪そうにそっぽを向いた。そんな彼女を嘲笑いながらも、女が続く。
「じゃあどうするの? 私は嫌よ、エルフなんて嫌いだし、関わりたくないもの。何より戦いなんてしてる暇があるなら、趣味に時間を使うわ」
「そうじゃのう。たかが街一つ占拠しただけのエルフの国など、わざわざワシ等が出るまでもないじゃろう」
「ですが、僕らと同じ六戦将のレストさんが倒されたんですよ?」
「でもさー、所詮はレストでしょー? 別に警戒するほどじゃなくない?」
彼等が此処に集まった理由は、そこにあった。即ち此処に居ない六戦将の残り一人、『魔導戦将レスト』が何者かに打ち倒されたこと。そして彼の統治していた街が占拠され、そこを拠点にエルフ達の一部が国を打ち建てたこと。
十分過ぎる程、一大事と呼べる状況のはずだが……やはり彼等の大半は、この現状を危機とも感じていないようである。
そうして、何の結論も出ないまま益体の無い時間が過ぎていき――
「ならば、私が行きましょう」
細い男の声が、議論を遮った。
何処か卑屈さを感じるような、中年の男の声だった。しかし同時に、黒く卑しい響きが人の感情を逆立てる、そんな声。
「ガレオス? あんたが?」
女性が、先程名乗り出た男――ガレオスへと、訝しげな目を向ける。
男は、まるで枯れ枝のようにやせ細っていた。目は鋭く細められ、まばらな黒色の頭髪、嫌らしく吊り上げられた唇からは、見ているだけで人を不快にさせる魅力が溢れ出ている。
服だけは何処の貴族か王族か、と思うほど着飾っている辺りが、更にその感想を助長させていた。
「ええ。別に構わないでしょう? 皆さん、あまり乗り気ではないようですし」
女の疑問にそう答えれば、皆揃って頷き返す。大半は別に誰が対応しようとも、というかそもそもこの会議自体をどうでも良いと思っていたし、唯一まともに議論しようとしていた少年にしても、自らやると言ってくれる人物が居るのならそこに任せるのが一番だと判断したらしかった。
皆の同意を得て、満足そうに笑みを浮かべるガレオス。それがまた嫌らしく、見れば多くの人間は顔を顰めるに違いない。ここに居る者達にとっては、既に見慣れた顔でもあったが。
「それでは、作戦を考えなければなりませんので、私はこれで」
嫌らしい笑みのまま、そそくさと退室していくガレオス。そんな彼に続いて、今度こそ会議は終わりと判断した皆が続々と退室する、その中で。最後まで残っていた少年は、呆れたように溜息を一つ吐くと、静かに席を立ち部屋から出た。
「「お疲れ様でした、シュナエル様」」
部屋を出た彼を、二人のメイドが出迎えた。共に静かな表情を携えた、感情の薄そうな女性達だ。まるで人形のように整ったその顔は、無感情さと相まって見る人によっては不気味と感じとれるかもしれない。
見た目、少年よりも明らかに年上な二人だが、恭しく頭を下げる姿からは子供相手という気安さや侮りは一切感じない。表面上だけのものでは無く、心の底からの敬意を、少年に対して抱いているようだ。
すっ、とシュナエルと呼ばれた少年がメイド達の間を抜け、歩を進める。彼が己の横を通ったのを確認してから頭を上げたメイド達は、そのまま反転、少年の後ろをそっと追随する。
「いかがでしたか? 今回の会議は」
そうして、己が主へと問い掛けた。正直言えば一メイドには関係の無い、出過ぎたともとれる行為だったが、それが許される程度には少年と彼女等の距離は近いものだった。また僅かに見た主の様子から、彼が今回の会議について何やら思うところを持っていると感じ取ったが故の、従者としてのちょっとした気遣いの結果でもある。こういう時は、誰かに話すとすっきりするものだ。
問われた少年、シュナエルは足を止めないまま、ほんの少しだけ目を細める。
「ガレオスが対処することになったよ」
「ガレオス様が? お一人で、ですか?」
「うん。他の皆は、今回の件には興味が無いみたいだ。今はまだ」
長い廊下に響く、会話と靴の音。白く美しい特殊な鉱石で出来た空間は、入り込んできた陽光を僅かに反射し、幻想的に輝きを放つ。彼等三人以外に人の姿は見えず、また道の終わりも見えない。まるで果ての無い天への道を歩いているかのようだった。
「同じ六戦将の仲間が倒されたというのに、随分と淡白な反応なのですね」
「仕方ないよ。僕達六戦将の間に、まともな仲間意識なんて無い。強大な力による驕りと、それに比肩し得る者への一定の認知。あるのはそれだけ」
「しかし、それにしてももう少し反応があってもよろしいのでは?」
「倒されたのがレストでなければ、そうだったかもね。けれど彼は、六戦将や一部の帝国幹部の間では見下されているから。知っているかい? 僕達は皆かつての戦争の折、その活躍を認められて今の立場に選ばれたけれど、彼だけは違うんだ」
「聞いたことがあります。レスト様だけは戦争の後、その実力を認められて特別に六戦将に任命された、と」
脳の何処かに引っ掛かっていた記憶を何とか引っ張り出して回答した彼女に、シュナエルは満足げに一つ頷くと、
「そう。だから彼にだけは、こうだと主張できるような功績が無い。目立った争いの無くなった今では、その実力を示す機会も無い。それが原因で彼は、他の六戦将達に舐められているんだ」
「故にレスト様が倒されても、誰も焦らない、と?」
「うん。自分達よりも弱い人間が倒されたところで、何を焦ることがあろうか。と、彼等は考えている。――実に、愚かに」
声に、影が宿る。
「彼の実力は、皆と比べても決して劣るものじゃ無い。六戦将として、彼はあるべくしてその地位にあったんだ。そんな彼を倒した者が、居る。それも恐らくは、エルフ達の下に」
「由々しき事態、ですね」
「一人では倒せない、とは言わないよ。けど万全を期すのなら、二人以上で対処するべきだ。後の厄介を生まない為に、今の内に。まあ、そう言ったところで聞くような連中じゃないんだけど」
「シュナエル様のお言葉を無視するとは……許せません……!」
それまで黙っていたもう一人のメイドが、その身に微かに怒気を纏わせる。それを見たシュナエルはピタリと足を止めると振り返り、怒りを露にする彼女を手招きして呼び寄せた。
戸惑いながらも彼女はすぐに歩み寄り、主の導きに沿ってしゃがみ込んで視線を合わせ――
「ん」「!?」
唇と唇が、触れ合った。そのまま、微かな水音と共に続く二人の交わり。
始めは驚愕の色が濃かったメイドの表情は、徐々に行為への陶酔へと変化し、最終的に天国にでも到達したかのような蕩けた顔になったところで、ようやくシュナエルが彼女から離れる。メイドが、力尽きたようにその場にすとんと腰を下ろし座り込んだ。
まともに意識があるのかも判然としない、焦点の合わない彼女の瞳をそっと覗き込み、主は問う。
「落ち着いた?」
「……ふぁい」
呆けたまま放たれた返事に無邪気に笑みを浮かべ、シュナエルは生徒にものを教える教師のように、語り出す。
「別にね、構わないんだ。僕の話が聞かれなくたって。むしろ、その方が好都合だし」
「好都合、ですか」
二人の情事を羨ましそうな顔で見ていたメイドが、訊く。シュナエルは彼女に振り向くことなく、未だ座りこんだままのメイドの髪をそっと撫でながら、答えた。
「うん。感じた限りでは、相手の実力はレストとほとんど変わらないみたい。なら、舐めて掛かって一人一人出て行ってくれれば――此方の戦力が大幅に削がれる。その、可能性がある」
此処にきてようやく、彼女達も主の言いたいことを理解した。つまりは、
「そうなれば、シュナエル様の目的に大きく近づく、ということですね」
「うん。まあ、まだ分からないけどね。レストに勝ったのも、所詮は運だったのかもしれないから。だからガレオスとの戦いでは、存外呆気なく討たれて終わり、なんてこともあるかもしれない。どうせ負けるならせめて、相打ち位には成って欲しいところだけど」
「理想を言えば、勝利し、残りの三名も……でしょうか」
「そうだね。そうなってくれれば良いけれど……流石に皆も、そこまで甘くは無いと思うなぁ」
期待と現実の厳しさと、半分半分の思いを籠めて呟いた。世の中何事も、そう思い通りには進んでくれないものだ。
無情な現実を噛み締めながら、天を仰ぐ。真っ白な天井の向こうに、黒い雲に覆われた空が見えた気がした。
「まあ、まずはガレオスと対峙してどうなるか、かな。策略を第一とする彼に、レストを倒したというその相手はどう対処するのか。じっくり見させて貰おうか」
願わくば、『敵』の実力が本物であらんことを。祈りと共に、少年は再び白き道を歩み始めた――。
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