第21話 光へ、共に

 ピシリピシリと、音が鳴る。次第に広がり、重なり、大きくなるその音色は世界に皹が入る音だ。

 真っ暗な宇宙が悲鳴を上げ、限界を迎えて砕け散った。この世界がこれまでの戦闘に耐えられたのは、レストが補強し維持していたからだ。しかし今その干渉は途絶え、コオヤの光輝の一撃によって発生した余波は世界全てに広がった。

 例え余波に過ぎずとも、元の威力が桁違いだ。単なる一世界に耐えられるはずもなく、障子を裂くより簡単に世界は終わりを迎え、消えて行く。

 暗闇が消えればそこは、当たり前のように古ぼけた教会へと戻っていた。はらはらと砕けた世界の欠片がまるで雪のように降り注ぎ、差し込む朝日を反射して美しく輝いている。

 神話の一ページを抜き出したと言っても過言ではない程に幻想的で、神々しい光景だった。そんな絵画のような世界の中、佇む影が二つ。

 じっと、動かない。交錯し激突した姿勢そのまま、停止するコオヤとレスト。降り注ぐ光の粒が無ければ、時が止まったと見間違う所だ。


「……一つ、教えてくれないか」


 落ち着いた静かな声が、寂れた教会の中に響いた。


「あの光。あの輝きは……一体、何なんだい?」


 疑問を呈していながらも、どこか既に答えに確信を持った声だった。きっと予想はついていて、けれど聞きたいのだ。あの光を生み出した本人から、直接に。


「……決まってんだろ」


 そっと、答えを返す。当たり前の答えを、当たり前に。


「俺達の、心だ」


 一人のものでは、ない。確かに世界は違ったし、レストによる干渉防壁も張られていた。実際、イリアやクラン達の祈りや思いが届いたわけではない。クオンやシオンなど以ての外だ。

 けれど今の自分を、自分の心を形成している一部が彼女達ならば。ならばあの光は、間違いなく一人のものではないのだ。もし一人であったのならば、あんな輝きは生まれない。あんな温かさは感じられない。


「……そう、か」


 答えを受けて、レストは満足したように呟いた。そこに陰りはない。どころか、小さく笑みさえ浮かべて、


「それが、君にあって……私に足りなかったもの、か」


 ふらりと、身体が動き出す。傷一つ見えないままに、教会の冷たい床へと仰向けに倒れるレスト。対してコオヤは、ぼろぼろの身体でありながらも、確かに二本の足でしっかりと立っている。

 二人の姿とは全く真逆の、決着の形であった。


「どうした、止めを刺さないのか?」

「……ああ。今、刺すさ」


 重い身体を動かして、コオヤが足を進める。確かに勝敗は決した。だが、それで終わり、というわけにはいかない。

 此処でレストを見逃せば、彼はまたイリアを狙ってくるだろう。奴の目的にとって、彼女は必須だ。

 今のコオヤならば、戦えば勝てるかもしれない。けれどそれは絶対ではないし、何より自身の手が必ずしも届くとは限らない。今回自分の居ない間にイリアが浚われたように、隙を突かれる可能性は大いにあるのだ。

 特にレストは魔導に精通した人間である。単純な戦闘以外での技に関しては、圧倒的にコオヤを上回るだろう。そんな人物から個人を完全に守る、というのは幾らコオヤでも至難の業と言わざるを得ない。

 後の災禍を引き起こさぬ為には、此処で確実に止めを刺すしかない――。拳が、高く掲げられた。


「……じゃあな」

「…………」


 無言のレストへと、必殺の一撃は振り下ろされて――


「待って下さい、コーヤさん!」

「……何のつもりだ、イリア」


 レストを庇うように間に入った一人の少女によって、止められた。


「こいつをこのまま生かしておけば、どんだけ危険か……分からない訳じゃあねぇだろう?」

「それは……その」

「一番危険に晒されるのは、お前だぞ。だってのに、何をわざわざ庇う?」

「確かに、そうかもしれません。でも、約束があるんです!」

「約束?」


 眉を顰めるコオヤへとイリアが口を開こうとするが、背後からの声がそれを遮った。


「それに関しては、私から説明しよう」


 気付けば、レストが当たり前のように立ち上がっていた。先ほどまでの戦闘など何でもないように、軽く服についた埃を払っている。

 僅かに警戒の色を見せるコオヤだが、レストに一分の敵意も無いことを見抜いてか、鼻息一つポケットに手を突っ込むと先を促した。


「実は君がまた来るまでの間に彼女と話をしてね。そこで一つ、約束というか……契約をしたんだ」

「契約だと?」

「ああ。内容は、『彼女の魂を貰う代わりに、この街におけるエルフの自由と権利を認める』こと」

「……本当か?」


 コオヤの問い掛けに、イリアはこくこくと首を上下させた。どうやら真実であるらしい。おそらくは彼女なりに、エルフ達のことを考えてのものなのだろう。

 しかしだとすると、おかしな点が一つある。


「解せねぇなぁ」

「ん?」

「約束ってのは分かった。だがよ、その契約はエルフにしか利点がねぇ。お前の得は何一つとして無い、どころか無駄に苦労するだけじゃねぇか」


 既にイリアを浚った状態で、わざわざ魂を貰う契約を結ぶ意味は無い。無理矢理抜き出して魔法に組み込めばいいだけの話だ。レスト程の力を持つ者が、まさか同意が無ければ出来ないということもないだろう。


「そうでもないさ。この街において、私は絶対だ。その程度のことは造作も無い。別段エルフに嫌悪感を抱いているわけでもなければ、市井の人間に好意や配慮があるわけでもないしね」


 基本的に悠々自適な引きこもりライフを過ごし、他者に対する興味というものが極端に少ない彼にとっては、人間とエルフの確執など何処吹く風だ。エルフが自由にしようが何だろうが、特に感慨は抱かない。

 加えて言えば元々街の政治や仕組みに関しては一切関わっていないレストだが、しかしその権力は絶大。内心の反発はあるだろうが、誰もそれを表に出すことも出来ず従うしかない。それ程までに六戦将というのは圧倒的な存在なのである。

 詰まる所、街の運営を行っている『偉い人』に適当に一言指示を出すだけで全て終わることであり、彼の労力はほとんど無に等しいのだ。


「じゃあ、得は?」

「彼女が余計な反発をしないで居てくれれば、魂の組み込みがスムーズに終わる。本人に抵抗されると、どうしても小さなノイズが発生してしまうのでね。どうにでもなる程度のものではあるが、大事な儀式だ。用心というやつだよ」

「ふ~ん……」


 彼の魔法に掛ける思いも鑑みれば、妥当な話ではある。かといって、その約束を果たさせるわけにはいかないが。


「話は分かった。が、結論は変わらねぇ。てめぇには、此処で止めを刺す」

「コ、コーヤさん!」

「エルフの自由だ何だってのは、お前が居なくなってからどうにかすりゃ良い話だ。どうせお前以外にこの街に俺と戦えるような奴は居ないし、帝国がどうだこうだってんならそれも纏めてぶちのめせば良い。イリアを犠牲にする理由は無いし、あっても許すつもりはねぇ」

「犠牲って、そんな……」

「事実だろうがよ。皆が大切なのは分かるがな、自分が死んでなんとかしよう、何てのは馬鹿な考えだぜ」


 その言葉に、イリアはぽかんとした顔をした。


「え? コーヤさん、何を言って……」

「はぁ? 何って――「死なないよ」は?」

「何を勘違いしているのか知らないけれど……彼女は、死なないよ」


 時が、止まった。至極当たり前に告げられたレストの言葉に、コオヤの脳が停止する。

 それからたっぷり五秒は間を置いた後、ようやく再起動したコオヤはまるで出来の悪いロボットのように首をぎこちなく動かしレストを見て、


「……いや、だって魂を抜く、って」

「確かに魂は抜くが、何も全部抜くわけでもない。ほんの一部だけだよ」

「……具体的には、どれ位?」

「ふむ。何分の一、と言っても分かりづらいだろうから時間で表すと――五秒分位、だね」

「五秒~~~~~~~~~!?」


 再び停止した。あんぐりと大きく口を開け、固まってしまっている。しかしそれでも流石はコオヤ、異常で普通でない男。すぐに再起動すると、レストへと詰め寄った。


「ちょっと待て、五秒って何だ五秒って!」

「何だも何も、そのままの意味だよ。寿命が五秒、縮むってことさ」

「それ以外の影響や、何らかの後遺症は!?」

「無い。私がそんな杜撰な魔法行使をするとでも?」


 どこか自慢げなレストだが、最早コオヤにはそんなもの見えてはいなかった。衝撃的過ぎる事実が頭の中を巡り、周囲を気にする余裕など無い。


「じゃあ何か!? 俺はそのたった五秒の為に、命懸けであんな死闘を繰り広げてたってのか!?」

「まあ、そうなるね」

「そんな、馬鹿な……嘘だろおおおおおおおおおおおおお!!」

「あ、あははは……」


 頭を抱え叫ぶコオヤを前に、イリアは乾いた笑みを浮かべることしか出来なかった。事前に伝えることが出来れば良かったのだが、一回目の戦いの時にはまだイリアもその事実を知らなかったし、二度目の戦いの際には録に口を出す暇もないままに二人は世界に入り込み消えてしまった。

 どうにも切迫した雰囲気に尻込みせず、無理矢理にでも割ってはいるべきだったかな~。そう思うも最早後の祭り、コオヤのショックが消えることはない。


「あんなに啖呵切って決死の覚悟で挑んだっていうのに、全部無駄でしたってかぁ!? 冗談じゃないぜ!」

「うん。冗談じゃなく、真実だね」

「じゃかしい! そうだ、でも結局五秒とはいえ縮むのは縮むんだろう!? それはイリアだって、嫌だよなぁ!?」

「え、ええと、まぁ」


 正直五秒寿命が縮むと言われたところでへ~、そうなんだ、としか感じれなかったイリアだが、勢いに押されてとりあえず頷いておくことにした。

 すると彼は、我が意を得たり、とばかりにレストに向き直り、


「つまりだ、このままこいつを放っておけば、またしつこく狙って来た上に寿命が五秒縮まされるかもしれないってことだ。おお、何たる由々しき事態!」


 若干、かどうか定かではない位にキャラがおかしくなって来ているコオヤだが、それに突っ込む者は誰も居ない。レストはおかしそうに小さく笑っているだけだし、イリアも自分に原因の一端があるので強くは出られないからだ。


「となりゃあ、此処で今すぐこいつはぶっ殺すしかねぇな! な!」

「え、えーとコーヤさん、流石にそれは……」

「その心配は必要ないよ」

「はぁん!?」

「私はもう彼女を狙うことは無い。当然、魂を取ったりもしないさ」

「……どういうことだ、そりゃ」


 ああまで求めていたはずなのに、此処にきて急に主張を変えたレストへと訝しげな目を向けるものの、彼はすがすがしい表情で、


「いやなに、君との戦いを経て、私も気付いたことがあってね」

「気付いたこと?」

「ああ。私なりのこだわり、というものかな?」

「何だ、そりゃ?」

「何、大したことではないよ。……私は、あの魔法を己の力だけで創り上げてきた。己の力で発展させ、己の力であそこまで至らせたのだ。そこに彼女の魂を組み込んで性能が上がったとして、果たしてそれは本当に自分の魔法と言えるのか?」

「そいつは……」


 いまいちコオヤには答えづらい問題だった。彼の力は結局の所才能の発露であり、特別意識して努力を重ねてきた訳ではないし、つい先程自分一人でなく皆の心で勝った、と宣言したばかりだ。

 しかし返答は、レスト自身から出た。


「答えは、否だ。別段、他者の力というものを否定するわけではない。自身に足りないものを他者によって補う、というのは重要なことだ。しかしね、それはあくまでもそこから学び取り、自分の力とするからこそ意味がある。身にもならない彼女の魂をただ組み込んだところで、それを胸を張って自身の成果だと言うことは出来ないだろう」


 勿論、そう主張出来る人間も居る。だが少なくともレストは、そうではなかった。


「下らないと言われても構わない、これは私のこだわりなのだ。そんな当たり前のことにさえ、行き詰った私は気付くことが出来なかった。……君のおかげだよ」

「んあ?」

「思い切り戦えたから。そして思い切り負けられたから。だから心は軽くなり、大切なものを思い出すことが出来たのだろう」

「……要するに俺は、体のいいガス抜きだった、ってわけかい。というかだなぁ、てめぇの事情何て知ったこっちゃねぇんだよ! 結局の所、俺の逃げ道が消えただけじゃねぇか!」

「はははは。どんまい」

「うるせぇ、ムカつく顔しやがって! 一発殴らせろ!」


 飛び掛るコオヤをさっとかわし、レストは教会内を逃げ回る。流石に互いに全力、というわけではないようだが、超越的な実力を持った二人の鬼ごっこはイリアの目では捉えられない程に速く激しい。


「そう怒ることでもないだろう、少し落ち着いたらどうだい? え~と……コーヤ君?」

「コ・オ・ヤだ!」

「ははは、そうか悪かった。コーヤ君」

「絶対わざとだろてめぇ!」

「いやいや、そんなことは無い。私も彼女達同様、どうにも君の名前は言いづらくてね」

「見え透いた嘘吐いてんじゃねぇ! 世界を創れるような奴が、人一人の名前も満足に発音出来ないわけがないだろうが!」


 待て待て~、あはは、とじゃれあう? 二人を見て、イリアはくすりと笑みを浮かべ、力なく床に座り込んだ。二人のやり取りもそうだが何より、そこには微塵も緊迫した戦いの気配などなくて、ようやく全てが終わったのだと安堵することが出来たから。

 と、いい加減二人を止めようかと考え口を開こうとしたイリアの耳に、外からの足音が聞こえてくる。誰か来たのか、と開けっ放しの教会の入り口へと目を向ければ、そこから一つの影が飛び込んできた。


「あ、ようやく見つけました、コーヤさん!」

「コオヤだっつってんだろ、このボケ!」

「ええ!?」


 飛び込んできた影は、エルフの青年であった。いきなり怒鳴られ、心底驚いた様子で固まってしまっている。

 そんな彼を認識して、コオヤは疑問の目と共に問い掛けた。


「誰だ? お前」

「忘れたんですか!? 僕ですよ、ほら集落で門の警備をしていた……」

「あ~、そういや出入りの時に何度か会ったな。クランを助けて帰って来た時にも居たっけ。で、こんな所までわざわざ何の用だ?」

「あ、そうでした。実はコーヤさんに頼みがあって来たんです!」

「頼み?」


 疑問符を浮かべるコオヤへと、エルフの青年は一つ頷いて語りだす。


「はい。……実はコーヤさんが出て行った後、エルフ皆で話し合いをしたんです」

「話し合い?」

「ええ。人間であるコーヤさんが仲間の為に頑張っているのに、同族の俺達がこのままで良いのか、って」

「ふんふん。それで?」

「その結果、僕達も戦おう、ということになったんです」


 コオヤの目がぱちくりと瞬いた。


「戦う~? レストと、お前らが?」

「無謀だね、それはまた」

「それは……って、うわぁ! 魔導戦将!?」


 今更気付いて絶叫し腰を抜かす青年に、コオヤは肩を竦めひらひらと手を振った。


「ああ、心配いらない。もう勝負は終わったから。俺が勝ったから」

「そう、なんですか?」

「ああ。だからさっさと話、続けて」


 恐る恐るレストを見る青年だが、コオヤを信じることにしたのか、一つ気合を入れて立ち上がると話し出す。


「ええと、続きですが……戦うというのは何も魔導戦将のことだけではなくて、この街全体と、です」

「そいつはまた、大きくでたな」

「かもしれません。けれど僕達ももう、虐げられるだけの生活は嫌だったんです。それで、各所の隠れ家と連絡を取り合って、この街から人間を追い出そうと一斉蜂起したんです」

「頼みってのは、そいつを手伝ってくれ、ってことか?」

「あ、いえ、戦いはもう終わりました。僕達の勝利で」

「あれ?」


 てっきりそうだと思ったんだが、と首を傾げるコオヤに、青年も首を傾けながら、


「実はどういうわけか、街の兵士のほとんどが既に打ち倒されていたんです。おかげで拍子抜けする位簡単に、この街を占拠することが出来ました」

「あ、それ俺のせいだわ」

「コーヤさんの!?」


 そう、宮殿へのかち込みに加え、コオヤがレストの居場所を聞き出す為に街中の詰め所に殴りこみを掛けた結果、レンタグルスに居る兵達はほぼ全滅状態。元より魔法を主体に戦うエルフにとっては衰えた体力も然したるハンデにはならず、まさか反抗などしないだろうという人間達の油断も相まって、最早戦いと呼べるものにすらならなかったのだ。

 呆気なく、しかしエルフ達にしてみれば劇的な大勝利。だがそれを聞いたコオヤは、難しい顔をして押し黙ってしまう。


「コーヤさん? どうかしたんですか?」

「いや……」

「もしかして……虐殺を、心配しているんですか?」


 正にその通りだった。コオヤの顔が、更に険しくなる。

 普通に考えて、穏便にすむはずがないのだ。これまでエルフは散々人間に虐げられてきた。その恨みは、あまりにも深い。

 もしそんな彼等の前に、録に抵抗も出来ない人間が現れたら。その瞳に、逃げ出すことしか出来ない、弱者たる人々の姿が映ったなら。どういった行動を取るのかは想像するに容易い。


「それなら大丈夫ですよ」

「本当かぁ?」

「はい。……僕も含めて皆、最初は憎しみのままに動こうとしていました。でも、ジンカーさんが止めてくれたんです」

「ジンカーの爺さんが?」

「はい。人間達へと無差別に襲いかかろうとした皆の前に立ちはだかって……」


 ~~~~~~


『やめるのじゃ、お前達!』

『ジンカーさん!? 何故止めるんだ! こいつ等が俺達にしてきたことを、忘れたわけじゃあるまいに!』

『ああ、良く知っているとも。この場の誰よりも長く、わしは見てきたのだから』

『じゃあ何故だ! 散っていった同胞たちの為にも、こいつ等を許す訳には……!』

『許せと、言っている訳では無い。憎いのはわしとて同じじゃ。だがな……わしらは今まで、一体どうやって生きてきた?』

『どうやって、って……』

『人間達の暴虐を、憎んできたのではないのか? 彼等の行いを、否定してきたのではないのか? その我らが、人間達と同じことをしてどうする』

『それは……でも!』

『そして何より、我らがどれだけ虐げられてもエルフとしてあれたのは、正しき心があったからじゃろう』

『心……』

『そうじゃ。泥水を啜っても、腐った食事しか取れなくても、一方的な暴力を受けても。それでも家畜に落ちず、エルフとしての自分を保っていられたのは……弱くとも、小さくとも、正しさだけは忘れぬ心を持っていたからこそだろう』

『…………』

『失ってはならぬのじゃ、その大切な心を。でなければ、例えどれだけ力で勝ろうとも、我らは人間に敗北したも同じなのじゃ。力だけでなく、心でも勝ってこそ初めて、我らは彼等に屈することなく……真に勝利したと言えるのだと、わしは思う』

『『『…………』』』

『……ジンカーさんの言う通りだ』

『かつての俺達ならば、戦う力もない者を虐殺するような真似は、決してしなかっただろう』

『ならば今、此処でそれをするということは、長い嗜虐によって我らの心が落ちぶれたと……奴等に負けたということに、他ならない』

『そして何より、そんな真似は――誇り高きエルフの心が、許さない』

『……聞いたか、人間達よ』

『ひっ!』

『とっとと行けい。じゃがな、忘れるでないぞ。わしらはお主達のしてきたことを許した訳ではない。もしまた蛮行を働くようならば、その時は……』

『ひっ、ひいいいいいいいいい』

『……行った、か』

『これで良かったんですよね、ジンカーさん』

『うむ。これでこそ、じゃ。……それに実は、もう一つ理由があってのう』

『もう一つ?』

『うむ。此処で馬鹿な真似をしようものなら』

『しようものなら?』

『コーヤ殿に、ぶっ飛ばされてしまうわい』

『……っぷ、あはは。確かに、違いない』

『全くだ、そいつはご遠慮願いたいよ』

『『『あははははははは――』』』


 ~~~~~~


「成程ねぇ。好き放題言ってくれやがって、全く。ま、その通りだが、よ」


 話を聞き終え、コオヤは僅かな安堵と共に肩を竦めて笑った。どうやら自分の思っていたよりもずっと、エルフ達は強かったらしい。

 しかしそうなると、疑問が一つ。


「じゃあ結局、頼みってのはなんなんだ?」


 そう、戦いも終わりエルフ達が暴走している訳でもないとなると、一体何が問題なのかが分からない。わざわざこうして自分に頼む程なのだから、結構な大事だと思うのだが。

 脱線した話が此処に来てようやく舞い戻り、エルフの青年は慌てて答えを返す。


「そう、それなんですが! 実はコオヤさんには、奴隷契約の解除をお願いしたいんです」

「契約? って、あれか。クランが掛けられてた」

「はい。人間達をこの街から追い出したのは良いのですが、取り返した奴隷達の契約はそのままで……どうにかして解除しないと、録に動くことすら出来ないんです」


 当然ながら、奴隷とされたエルフ達にはその全てに契約の魔法が掛けられている。流石にクランのような特別な魔法を掛けられた者はいないが、通常の契約魔法であっても下手をすれば死に至る程に凶悪だ。

 しかもその普通の魔法でさえも非情に強固で、一般のエルフでは解除することが出来ない。助け出したのは良いが、はっきり言ってお手上げ状態である。

 今はまだ何とか無事だが、このままでは何時誰が苦しみだし、死んでもおかしくない状況なのだ。


「それで俺、って訳ね」

「はい。クランさんに掛けられていた特殊な契約魔法でさえ破壊したコーヤさんならば、皆の魔法も壊せると思いまして……どうでしょうか?」


 恐る恐る尋ねてくる青年へと溜息一つ、軽く首を左右に曲げ、身体を伸ばして調子を確かめたコオヤは、まだ残る痛みと疲れに内心でも溜息を吐く。

 正直調子はあまりよろしくない。当然だ、あれだけの死闘の直後なのだから。そもそも戦いの以前から彼は絶対安静クラスの重症であったのだ、今は急速に成長した力のおかげもあって何とかなっているが、はっきりいって今すぐ横になって休みたいのが本音であった。

 とはいえ、そういうわけにもいかないだろう。その位の分別は、彼にもある。


「しょうがねぇなぁ。分かったよ、何とかすりゃ良いんだろ?」

「は、はい! ありがとうございます!」

「で、その元奴隷達は何処に居るんだ?」

「此処から程近い、大広場です」


 彼の言う場所には、心当たりがあった。というかコオヤはここ数日の行動に加えて、レストを探すのに街中を駆け回ったこともあってこの街の地理にはもう知らない所は無いんじゃないかという位詳しい。

 その中でこの近くにあって大勢の奴隷が集まれる程の広さを持つ広場といえば、一ヶ所しかなかったのだ。


「場所は分かった。すぐ行くから、先行っててくれ」

「え? でも……」

「こっちも色々ぼろぼろなんだよ。急いでるのは分かるが、少しは落ち着かせてくれ」

「わ、分かりました。それじゃあ、先行ってます!」


 本当は少しでも急いで欲しい所だったが、現状唯一魔法を打ち壊せる存在であるコオヤの機嫌を損ねることはまずいと思ったのか、素直に走り去って行く。

 教会から出て行くまでその背を見送ったコオヤは、もう一度疲れを表すように深々と溜息を吐いた。


「君も中々苦労人だね」

「うるせぇ」


 レストの突っ込みに悪態で返したコオヤは、そこで良いことに気付いた、と言わんばかりに両手をポンと叩く。


「そうだ、レストお前も来い」

「私がかい?」

「お前なら契約魔法位簡単に解けんだろ。手伝え」

「随分横暴だねぇ、君は」

「じゃかしい。俺が勝者で、お前が敗者だ。大人しく従っとけ」


 自分も一度負けて這い戻ってきた身でありながら、随分な言いようである。とはいえそれにもレストは突っ込むことは無く、呆れと諦めとそして何故か楽しそうな笑みを混ぜ込んだ表情でゆっくりと歩き始める。


「分かった分かった。私としてもあの魔法は好きではないしね、手伝うとしよう」

「おう。なんなら全部やってくれても良いんだぞ。というかやれ。何百何千って居るのを一々細かく配慮して対応すんのは面倒なんだよ。お前ならバーンとやってドーンとなって終わりだろ」

「ま、否定はしないよ」


 軽口を叩きあいながら、出口へ向かって行く二人。けれど途中でコオヤがふと立ち止まり、振り返る。視線の先には、未だに床に座り込んだままのイリアの姿。


「おーいイリア、何やってんだ」

「あ、えと」


 話に置いてきぼりにされ蚊帳の外に居たイリアは、声を掛けられわたわたと慌てだした。私はどうしよう、と混乱する頭で考え目を右往左往させる彼女に、コオヤは呆れたように苦笑した後、その表情を優しい笑みに変えて、


「ほら。帰ろうぜ、皆のところに、よ」

「あ……はい!」


 満面の笑みで返し、立ち上がったイリアは、コオヤの後を追って勢い良く走り出したのだった――。


 此処に、一つの戦いが終わりを告げた。それは一つの世界の一つの街で起こった小さな戦いで、しかし世界という規模を超える大きな戦いでもある。

 これから先彼等に何が待っているのか、それはまだ分からない。エルフのこと、帝国のこと、他の種族のこと。他にも問題事は山積みで、どうやったって平坦な道には成り得ないだろう。

 きっと多くの苦難があり、幾度と無く傷付いて。けれどそれでも、輝く心がある限り。彼が折れることはないと、それだけは断言出来る。

 何故なら。その心を表すように強く輝く陽光の下へと歩みを進める彼等の背中が、何よりもそれを雄弁に示してくれているのだから――。

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