第20話 闇の世界に日は昇る
『くっそ~また負けた!』
夕暮れの縁側で、幼いコオヤはがしがしと頭を掻いた。
『どうしたの? コオヤ君。そんな怪我して……喧嘩?』
『婆さん。いや、喧嘩じゃないよ、ちょっとクオンの奴と勝負してさ……あ~糞、やっぱ何か必殺技とかないと駄目なのかな~』
正直言えばそんなもの以前の問題であったのだが、おそらくは遠すぎる力の差という現実から目を背けたかったのだろう。だからとにかく、一発逆転出来るような何かが欲しい、などと陳腐なことを思ったのだ。
ある意味子供らしい思考である。そんな普段とは違った彼の姿が微笑ましかったのか、彼女はくすりとかわいらしい笑みを浮かべて、
『なら、私が教えてあげようか? 必殺技』
『え?』
思わず聞き返していた。いつもふわふわと微笑み、緩やかな空気を纏う彼女は、暴力とは最も遠い人間だ。少なくとも、コオヤの中ではそうだった。
そんな彼女が必殺技? まるで想像出来ず、つい微妙な表情になってしまう。よもやからかわれているのではないか――そんな気持ちが顔に出ていたのであろう、彼女は苦笑して、
『大丈夫。正真正銘、ちゃんとした必殺技だよ』
『え~……それなら良いけど、役に立つのかなぁ』
『ふふ。それはコオヤ君次第、かな。それにね、これはクオン君との勝負の為だけに教えるんじゃあないの』
『じゃあ、何で?』
『きっと必要になると思うから。君がもっと成長した、その時に、ね』
あの時はただ単に、年を重ね大人になった時のことを言っているのかと思っていた。けれど今なら、婆さんが本当に言いたかったことが何となく分かる気がする。
きっとそれは身体や年齢の問題じゃなくて、もっと大切な――
『分かった。じゃあ教えてよ、婆さん!』
『よろしい。ちょっと難しいかもしれないけど、ちゃんと覚えてね』
『え~、面倒臭いのはやだな~。あっ、そうだ婆さん、その技の名前は? やっぱ必殺技には、ばーんとかっこいい名前がないと!』
『ふふ。そうねぇ、この技の名前は――』
蝉の良く鳴く、蒸し暑い夏のある日のことだった。
~~~~~~
「さて、どう来る?」
数多の砲撃の中へと消えた彼を思い、レストは期待と警戒半々の声を上げた。
今のレストは、既にコオヤを己を打倒し得る強者だと認めている。元々彼の性格上油断や慢心はなかったが、本気を出した現在では、レストは正に鉄壁の要塞だ。
いかなる手を以ってしても、攻略は圧倒的に困難――しかしそう自負しながらも、彼ならばあるいは、という思いがあるのもまた事実。
本来ならば、彼には一分の勝ち目も無かったはずだ。少なくとも、この戦いが始まるまで、そして戦いが始まって暫くの間、レストはそう考えていた。
しかし現実はどうだ。自慢の盾は打ち壊され、京を重ねても止められない。遂には、切り札を切らされるまでに追い詰められた。
そう、追い詰められているのだ。未だ一撃も貰ってなどいないし、切り札が破られたわけでもない。だがそれは、相手も同じ。
確かに彼は既に大きく消耗し、満身創痍の状態で、もし一撃でも此方の攻撃が当たればそれによって生まれた隙に無量の砲撃が炸裂し、死に至るだろう。
けれどその一撃が当たらない。開幕から此処まで、掠った魔砲は幾度とあれど、致命傷に至れたものは何一つとして存在しない。
そして、切り札。どんなものかは分からないが、まず間違いなく此方の切り札にも比肩し得る程の何かだ――彼の様子と自身の直感から、レストはそう判断した。
詰まる所、互いに崖っぷちのぎりぎりなのだ。この攻防が最後となる。この激突を制した者が、そのままこの勝負の勝者となる。
次は無い、緊迫した状況の中で――それでもレストは、楽しみで仕方がなかった。自分の想像を幾度も超えてきた彼が、今度は何を見せてくれるのか、と。
「――来た」
とめどなく降り注ぐ砲撃の光の中、迫る気配を感じレストは呟いた。強化・増量した砲撃の波に押しつぶされてなどいれば興ざめだったが、どうやらそんな心配は必要ないらしい。
高揚する心と共に、レストは気配の元へと目を向けて。そこで、やはり彼は此方の想像を超えてくる存在だと、確信する。
「まさか――砲撃の上を、滑ってくるとは。何て、無茶苦茶な!」
まるで波に乗るサーファーのように、コオヤはその両の足で砲撃に乗り、迫り来る光雨の中を滑走していた。砲撃の表面を自由自在に滑り行くことで攻撃をかわし、避けられないとなれば新たな砲撃へと飛び移る。
上下左右など関係ない。己を囲い撃ち落さんとする全ての魔砲を道となし、コオヤはレストへと迫り行く。
これが、彼の切り札――
(いや、違う)
自身で出した結論を、自身で即座に否定する。彼の、彼が切り札と言う程のものが、この程度のはずが無い。間違いなく真の切り札は、別にある。
そんなレストの思索は、突如聞こえてきた声に中断させられることとなる。
「
(これ、は――)
声の主は、コオヤであった。この空間には二人しか居ないのだから、当然と言えば当然なのだが。
しかしそれでもレストの頭の中は、本当にそうなのか、という疑問と困惑で満たされていた。
「未来へ進む小さな勇気。恐れと共に踏み出す一歩」
(詠唱? 馬鹿な、彼が、このタイミングで?)
そう。それは彼の言葉が、何かしらの詠唱であるように聞こえたからだった。確かに強力な魔法を使う際などには、多様な詠唱が必要になる、というのは良く聞く話だ。最も、圧倒的魔導の高みに居るレストには、そんなものはほとんど必要ないのだが。
ともかく、勝負を決めようという大一番ならば、詠唱を唱えること自体は別段おかしくはないのかもしれない。だがそれはあくまでも、普通の魔法使いであるならば、だ。
コオヤは魔法とは全く縁の無い人間である。今まで魔法が使えるような素振りはなかったし、特段強力な魔力を持っているわけでもない。というか彼の魔力は常人と比べても大分低い。
そのことを至高の魔法使いとして良く理解しているレストには、とてもではないが彼がこの重大な場面で魔法を発動させる為の詠唱を行うとは思えなかった。何せそんなことをした所で、まるで意味が無い。彼に扱える程度の魔法など、幾ら詠唱を重ねた所で自身に通じるはずがないのだから。
「神へと捧ぐ切なる祈り。嘆きを超える穢れ無き涙」
(魔力の流れは感じない……魔法ではない? では、何だ?)
砲撃の波の中を滑るコオヤの様子に、変化は見られない。力の増幅すらもない。ならばこの詠唱はブラフで、本命は別にある?
否。断じて否だ。他者の心情というものに疎いレストにでも、容易に感じ取れる。この詠唱には、彼にとって決して欠けてはならない『何か』が宿っている、と。
ならばこれは間違いなく本命だ。彼にとっての真なる切り札だ。だが、その効果が何なのか――それが、分からない。世界を創造することすら片手間に行える、言ってしまえば全能者のカテゴリーに属するレストの理解すら超えた、特異な詠唱儀式。
「世界を照らし輝く希望。闇を砕く果て無き光」
(いや……感じる。正体は判然としないが、何かの力が、この世界に溢れている。この、力は――)
レストの思考が、止まった。
「馬鹿な……」
見上げる視線の先。己へと向かい、時に砲撃を滑り、時に宙空を翔けるコオヤ。見えたのだ、その後ろに――ありえないものが。
何度見直しても、何度瞬きしても、『それ』は確かにそこにあった。この世界を創造した支配者たるレストだからこそ、痛いほどに良く分かる。『それ』がそこに存在するなど――ありえない、と。
(移動? 創造? 違う。この世界の全てを掌握している私だからこそ分かる、あれはそんなものではない。ならば何だ? 幻影? ……だが、この温かさは。あの、輝きは。まるで、本物の――)
「太、陽……」
白円が、暗く果て無き無辺の宇宙、その全てを照らし輝いていた。何処までも強く、何処までも暖かく、何処までも希望に溢れて。ありえないはずの光が、絶望を砕く夜明けとなる。
まさに太陽だった。コオヤの、そしてエルフ達の新たな明日へと続く、晴れ渡る空。誰よりも優しく、誰よりも温かい彼女から教わった、コオヤの切り札にして必殺技。
希望を背に、コオヤが翔ける。疲れなど無い、傷の痛みも感じない。己の全てを包み込む温かさが、背中を押してくれている。
この世界には絶望しか無い? ――否
この世界には暗闇しか無い? ――否
この世界には未来など無い? ――否
希望ならば、光ならば、明日ならば――此処に、在る!
「愛を! 勇気を! 祈りを! 希望を! 心を繋ぎ、円と成す!」
雄雄しき声を受けてか、レストがはっとした様子で意識を戻し、砲撃が一層苛烈さを増す。だが、それがどうした。そんなもので、今の俺を止められるものか――!
構えた右腕へ、光が集う。背負う太陽から注がれた白光が、帯を引きコオヤへと集束した。集束する力が増加すればする程、右腕の輝きもまた際限なく激しさを増していく。
コオヤの体躯が限界を完全破砕し超駆動する。宙を飛び跳ね道を塞ぐ邪魔な魔砲をなぎ払い、砲撃の下を逆さに滑ったかと思えば、その表面をスパイラルを描き滑走する。背後から攻撃が迫れば新たな道へと飛び移り、数多の銀河を、宇宙の中を、縦横無尽に暴れ尽くす。
遂には足だけでなく腕や肩、全身まで使って波に乗る始末。極限の戦いとは思えぬ程に自由で常識外れで規格外な行動で……だが、それで良い。
粛々と戦うなど柄じゃない。憎悪に囚われるなどらしくない。もっと真っ直ぐで自分らしく、それこそが俺の戦い方。誰に強制されたわけでもない、自身の心から湧いた、自分のやりたい戦いだ――。
無限に撃ち放たれる砲撃も、彼を止めることなど出来はしない。遥か遠く離れていたはずの距離が、瞬く間に縮まっていく。
右腕へと集まる力に、終わりは見えない。まるで底などないように太陽からは光が降り注ぎ、纏う輝きは増すばかり。残光を残し、コオヤは世界をダンスホールに舞い踊る。空間を埋め尽くす砲撃でさえ、彼を彩る舞台装置だ。
そうして遂に、コオヤはレストを己が射程圏内へと捉えた。
「思いを――「させないよ」!」
詠唱を完成させようとしたコオヤへと放たれる一条の閃光。それは何の変哲も無いただの砲撃で、今更そんなものに彼が当たるはずがない。そう、それだけであれば。
砲撃を捌こうとしたコオヤの手足に現れる、光の輪。レストによる拘束魔法だ。かろうじて三つをかわすものの、左腕だけは逃れ切れず捕らえられてしまう。
回避も迎撃も間に合わず。レストの放った砲撃は、狙い違わずコオヤへと直撃した。巻き起こる魔力爆煙。それを見たレストは、警戒を解くこと無く追撃の魔砲を放ちながら、内心独りごちた。
(詳細は分からずとも、理解出来る。あの光は危険だ。このまま、此処で仕留め――)
「思いを燃やす太陽よ」
「っ!」
だが、追撃の砲撃群が爆煙へと到達するその寸前。穏やかとは言いがたく、しかし決して負の感情では無い……言うなれば正しき熱を宿らせた、彼の声が宇宙に響く。
「輝き、昇れ!」
爆煙を突き破り、一陣の影が姿を現す。全身に傷を負い血を流しながらも希望の光に照らされたコオヤは、宙高く飛び上がり全ての砲撃をかわすと、眼下に佇むレストを見据え、その右腕を引き絞る。
全身の血液が脈動し、心臓が音を立てて気力を生み出す。己を包み込む暖かさが、白き太陽から溢れ出る温かさが、冷えた宇宙に熱を齎す。
己が培ってきたこれまでの全てを、己が出会ってきた人々との全てを、託された思いの全てを、願われた思いの全てを。一つに乗せて、彼は叫ぶ。
「――天より高く!!」
目を焼く心の輝きに圧倒されるレストへと、虚空を蹴り、コオヤは一直線に突っ込んだ。
後先考えぬ愚直な突貫は、レストから迎撃の時間を奪い去る。対応出来るのは唯一、己が極め最も信頼する、最硬の『盾』のみ――!
「っ!」
「おおぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおお!」
ぶつかり合う、互いの切り札。光威を纏ったコオヤの右腕が唸りを上げ、あらゆる障害を貫き、突き進む。
『盾』に満たされた防御の為の概念装甲も、多重次元防壁も、無尽蔵の干渉防衛機構も。無限の世界でさえも、彼を止めるに至らない。
硝子の割れたような甲高い音が響き、『盾』が砕け散る。だがレストの切り札は、彼を守るという本来の役目を正しく全うした。
拳は、レストに掠ることもなく空を切っていた。彼の盾と激突した結果、盾自体は壊せたものの、寸前で攻撃を逸らされたのだ。
あえなく、コオヤはレストの脇を突き抜け、地を滑り着地する。一つ同じ星の欠片の上に、背を向け合い立つ二人。だがまだ、まだコオヤの光は消えていない。
軸足に力を入れ、身体を回転。刹那の間さえ置くことなく、コオヤは背後のレストへと全力で踏み込んだ。対するレストもまた、盾を破壊された衝撃で流れた体勢を利用し、背後へ振り向くと同時に右腕を素早く伸ばす。
行動は同時。体勢低く飛び出すコオヤと、伸ばした手の先に展開した魔法陣から砲撃を放つレスト。二つの射出物が交錯し、しかし交わることなく突き抜ける。
「打ち、ぬけ」
(抜けられた……盾を!)
再び引き絞られた、燐光を纏う右腕。地に着いた両足と腰が連動し、全身を使ってコオヤの切り札が解き放たれる。かろうじて出せた盾は、並行世界を束ねたものでもない、ちっぽけな唯の一枚。そんな薄紙、今の彼には無意味に過ぎない。
響く、硝子の割れるような甲高い音。世界を超えて、コオヤの拳が今、魔導を討つ。
「破天昇光――!!」
渾身の一撃が、レストの腹部へと深々と突き刺さる。解放された力が彼を穿ち、背部を抜けて、世界を貫く光の柱を生み出した――。
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