第19話 ぶち抜け、誰よりも強く
「コーヤ殿は本当に大丈夫じゃろうか……」
エルフ達の集落、その一角でジンカーは不安そうに呟いた。コオヤの勢いに押されて何だかんだで送り出してしまったが、果たして本当にあの傷で彼の魔導戦将に勝つことなど出来るのか。信じたいが、しかしただ信じるには相手が大きすぎる。
「大丈夫よ」
「む?」
と、ジンカーの独り言に返って来る声があった。ぎゅっと思いを押し込めたそれには、不安と、心配と、そして信頼が溢れている。
強い瞳でコオヤが出て行った先を見詰め、クランは続ける。
「あいつは、絶対に勝つって言った。なら勝つわ、絶対に」
「……そうじゃな。今は祈り、信じよう。あの小さく、しかし確かに輝く――我らの希望を」
~~~~~~~
「コーヤさん……」
寂れた教会の一角で、イリアは不安そうに呟いた。コオヤとレストが『世界』の中へと消えた今、彼女に出来ることなど何も無い。声は届かず、姿を見ることすらも出来はしない。干渉など以ての外だ。
唯一つ、祈ることを除いては。
「お願いします、神様」
イリアは願う。意味など無いのかもしれない。しかしそれでも、祈りを止めることなど出来はしなかった。
最早レストに、彼を見逃すつもりはないだろう。またコオヤ自身、引く気はない。だからイリアは、勝利を願った。自身の保身など何一つ考えること無く、どこまでも彼の無事を思って。
ステンドグラスから差し込む光に照らされて、まるで聖女のような彼女の唇が、そっと願いの形を紡ぐ。
「どうかコーヤさんに、勝利を――」
~~~~~~
「良く動くものだ」
暗闇広がる宇宙の中心で、レストは淡々と呟いた。視線の先では、己が敵対者――コオヤが、闇の中を懸命に駆け回っている。
背後の魔法陣より幾多の砲撃が打ち放たれ、彼を追う。しかしコオヤはその全てをかろうじてかわし、尚も此方へと向かって距離を詰めて来る。
だがその歩みは、所詮遅々としたもの。散々な重体であるはずなのにあそこまで動けるのは関心するが、結局は前回と結果を違えるものではない。
今もまた、身体を掠った砲撃にバランスを崩し、続く攻撃を咄嗟に横に跳ぶことで何とか凌いでいる有様であった。前回の戦いではこの隙に入れられた追撃を、殴りつけることで逸らしていたが――。
「今度はそうはいかないよ」
レストの背に浮かぶ魔法陣、その一つの輝きが増す。注がれる魔力により光が隆起し、陣は一回り大きくなり、砲撃の威力は増加していく。
今までの倍だ――逸らすことすら、出来はしないよ。内心そう呟き、レストは死に体のコオヤへと向けて、止めの一撃を撃ち放つ。
「終わりだ」
死を内方した砲撃は、寸分違わずコオヤへと迫り。
「――」
身体の捻りを加え、打ち出されたコオヤの拳。前回と同じその拳が、真正面から砲撃を迎え撃った。
しかし今度は結果が違う。増加した威力に耐え切れず、コオヤが押し切られた? 否。彼はもう、逸らそうとすらしていない。意思は決まっている、彼の狙いは、
「へぇ……逸らすのではなく、弾くのでもなく。まさか、相殺するとは」
消し飛ばされた己の砲撃を見て、レストは僅かに感嘆の籠もった声を上げた。
「成程、再び挑みかかってくるだけはあるらしい。少しはましになったということかな? だが」
砲撃の手は緩めない。しかしコオヤはそのどれもを時にかわし、時に相殺し、急激に距離を詰めてくる。どうやら速度も少しはましになったようだ。が、
「それも、所詮は無駄なこと、だ」
魔砲の降雨を抜けたコオヤが、レストへと右拳を繰り出す。けれどレストは微塵の焦りも浮かべることなく、淡々と魔法を行使するのみ。
眼前に展開された正六角形の『盾』が、彼等の間を隔てる壁となり、世界を断絶した。青く透明な盾は、その見た目からは想像も出来ないほどの頑強さでコオヤを阻む。
「君がどれだけ頑張ったところで、私には盾がある。これが存在する限り、君に一切の勝ち目は無い。それとも、また下らない小細工でもしてみるかい?」
「……下らない小細工、か」
以前のナイフを使ったトリックを思い出し、レストは呆れた声を出した。あのような小手先の技、二度は通じない。いやそれ以前に、多少なりとも気を張っておけば、初見だろうと引っ掛かるものではない。
余裕綽々、と言わんばかりのレストに対しコオヤは、盾へと叩きつけられた拳に更に力を入れ、凌ぎを削りながらも自嘲した様子で吐き捨てる。
「全くもってその通りだ。あんなもんに頼るなんて、俺らしくもねぇ」
彼の言葉を聞きながらも、同時に聞こえてきた別の音色に、レストは僅かに眉を顰めた。拳と盾の間で散る火花の音? 否。謎の音は盾自体から鳴っている。
「だから、今度は」
ピシピシとまるで硝子が罅割れていくような音に、レストは原因を知覚し数瞬の驚きを抱いた。目の前に展開した盾、絶対的な信頼と硬度を誇るはずのそれの一角に、皹が入っていたのだ。
皹はコオヤの拳を中心に、徐々に、徐々に盾全体へと広がって行く。彼の全身に力が迸る。心臓からは血液が激しく送り出され、腕の血管がびきりと浮き出た。
まさに、渾身。そうして遂に、
「真正面から――ぶち抜けぇぇぇぇえええええええええええ!!」
甲高い音を立てて、盾が砕け散る。
拳が、迫る。レストは咄嗟に、二枚目の盾を展開することで己への攻撃を阻んだ。ぶつかりあった二つの力が鬩ぎ合い、再び火花を散らす。
しかしすぐに撃ち放たれた砲撃によって、交錯は終わりを告げた。素早く跳び退るコオヤに続き、レストもまた飛翔し距離を取る。
周囲に溢れる魔法陣より、続々と魔砲が放たれた。けれど空間を埋め尽くす閃光にも恐れ無く、コオヤは再度距離を詰めようと走り出す。
(偶然? いや、そんなもので破れるほど、私の盾は甘くは無い。……試してみるか)
光雨の中、近づくコオヤをじっと見詰め、レストは背後に新たな魔法陣を展開する。他のものよりも一回り大きなそれに籠められた力は、周囲の空間が軋みを上げる程に膨大だ。
「砲撃の威力を引き上げる。私の盾を――世界を、破壊出来る領域まで」
宣言通りの力を与えられ、解き放たれた砲撃は標的を正確に捉えた。速度を増した一撃に避けることは出来ないと判断したのか、繰り出されたコオヤの拳と、真正面からぶつかり合う。
だが持ったのは少しの間だけで、砲撃は呆気なく打ち負け、消え去ってしまった。
「やはり、偶然ではない、か」
呟き、展開されている全ての魔法陣を先の一撃と同等の威力にまで引き上げるも、コオヤは止まらない。的確にかわし、消し飛ばし、急速に距離を詰めてくる。
世界を百万回滅ぼしてもあまりある力の奔流を前にして愚直な前進を行うなど、頭の螺子がぶっ飛んでいるとしか思えない行動だ。けれどそれが今の、そして本来の、コオヤという男。そんな彼の本質を、朧気ながらもレストは感じ取った。
「このままでは君を止められない。ならば、これでどうかな?」
相も変わらず平淡なレストの前に現れる、新たな盾。その数、実に七つ。感じる圧力は、それらが決して大量生産の劣化品などではなく、一部の間隙もない完成品であることを示していた。
そして、それだけでは終わらない。
「まだ、だよ」
言葉と同時、盾が重なった。一つとなった七の盾からは、何の力も持たない一般人でも明らかに分かる程、異常な力が溢れ出している。
「単なる七倍ではない。特殊な共鳴効果を付与することで、強度の上昇は加算から乗算へと飛躍する。詰まりは、七乗ということだ。これで……「七乗、ね」!」
レストの講釈を一笑に伏し、コオヤが跳ぶ。降り注ぐ群砲を突き抜けた彼は、思い切り右腕を引き絞ると、レストへと一直線に突っ込んだ。際限なく加速する彼の身体は、新たな魔砲の発射など許さない。
「下らねぇ小細工だ」
「まさか……」
レストは、思わず声を漏らしていた。彼とて感じているはずだ、今此方を守る盾がどれ程の力を誇っているかなど。それはこれまで展開してきた盾よりも遥かに強力で、にも関わらず彼は、真正面から来るというのか。
「しゃらくせえええええええええええええ!」
甲高い音が連続して鳴り響き、七の盾、その全てが砕け散る。驚愕に、レストは遂に目を見開いた。素早く展開された新たな盾が、寸での所で拳を受け止める。
だが十の盾を重ねて造ったはずの防壁さえ、軋みを上げていた。持たない――確信と同時、後ろへと下がりながら砲撃を放つ。
けれどコオヤは今度は下がること無く蹴りを繰り出すと、迫る魔砲を一蹴する。稼げた距離はほんの僅か。己の間合いへ持ち込もうと更に退避を続けるレストの姿を認識し、コオヤは全力で両足を虚空へと叩き付けた。
「させるかあ!」
コオヤの身体が加速する。とうに光速など突破し、時間を超越した領域にまで達した彼は、一瞬でレストとの距離をゼロにする。空間は捩れ、概念が蒸発し、常識が崩壊する。
己へと振るわれた拳へと、素早くレストは盾を展開した。今度は十五。けれどそれもまた、呆気なく砕かれて終わりを迎えるのみ。
盾が砕かれるまでの寸瞬の間を利用し拳をかわしたレストだが、コオヤの攻撃は止まらない。拳撃が、蹴撃が、矢継ぎ早に繰り出され、レストはその度に新たな盾を生み出すことで対処する。
後ろへ下がり続けるレストと、前へと進み続けるコオヤ。離れることなく、二人は至近距離での攻防を繰り返す。砕かれた数多の盾の残骸が、彼等の軌跡を彩るように美しい道を作りだした。
重なる盾の枚数は万を超え、しかしコオヤの勢いに収束の気配は無い。
(増加し続ける盾にも対応出来る程急速に、進化している? ……いや、違うな)
自分の中で出た結論を、即座に否定する。此処に来て初めて、レストの内心は平淡から大きく変化し始めていた。
(そんなちゃちなものではない。これは成長だ。ただ、恐ろしく高い次元での――)
驚愕か、焦燥か、感嘆か、或いは歓喜かもしれない。だが少なくとも、今までコオヤへと向けていた無感情からはかけ離れたものであるのは、確かであった。
京を超えた盾をそれでも一拳の下に破砕しながら、コオヤは思う。
(驕るな、慢心するな、勘違いするな。俺は決して、絶対的な強者でも、確定的な勝利者でもない)
邪魔をするように放たれる砲撃達を蹴散らして、コオヤは走り続ける。距離が空けば己が不利だと、良く理解出来ているから。余裕を見せれば即座に死ぬ。それだけの相手なのだと、今の己を超える存在なのだと――今度は歯噛みすることもなく、真正面から受け止めて、彼は広大無辺な宇宙に身を躍らせる。
「俺は、何処までも馬鹿で、何処までも愚かな――唯の、挑戦者だ!」
走る、走る、走る。虚空を踏みつけ、砕けた星の残骸を蹴って加速し、降り注ぐ砲撃を刹那でかわして、コオヤの拳が唸りを上げた。
彼の手が、足が、振るわれる度に行く手を塞ぐ全てがなぎ払われていく。しかし未だレストへは届かない。際限なく増し続ける盾がコオヤの拳を停滞させ、傷一つ付けさせない。
いつまでもいつまでも、無限に続いてしまいそうな先の見えない戦いの円舞。だがコオヤの心に最早諦めなど宿らない。余計な策を講じもしない。ひたすらに真っ直ぐに、何処までも愚直に、限界を超えて彼は挑み続けていた。
超越的な成長力。遥か高く、見えない真なる限界点。己へと追いつきつつある挑戦者を的確に捌きながら、レストは呟く。
「そうか……君は、私と同じ――」
気付くと同時、理解する。このままこんな作業を幾ら繰り返した所で、彼を止めることは出来ない、と。彼を打ち倒したいのならば、己もまた本気を出さねばならない、と。
「っあ!」
故に、振るわれた腕にレストは。一つの盾を出すことで対処した。
「! こいつは……!」
コオヤの拳が停止する。今まで当たり前のように砕き続けていたはずの盾が、今度は皹一つ入らない。
いや、コオヤは気付いていた。この盾は、今まで奴が展開していたものとは格が違う、と。感じられる力の量が、際限ない程に圧倒的だ。
「っち!」
攻撃を止められたことで生まれた隙に、幾多の砲撃が放たれる。多方から降り注ぐ光撃の全てを捌くのは不可能だと判断し、コオヤは思い切り背後へ跳ぶことを選んだ。
距離が開くことは口惜しかったが、仕方が無い。攻撃をまともに喰らうわけにはいかなかったし、何よりの問題はあの盾。
「大したものだろう?」
そっと星の欠片へと着地したレストが、愛おしささえ宿らせて、眼前の盾を撫でた。今までよりも一段深い青を映したその盾は、不思議と誰もを魅了するような神秘的な雰囲気を醸し出している。
さながら、神を前にしたような光悦感。
「これこそ、今の私が出せる限界点。たった一枚だけの、最硬の防御壁だ」
語るレストを見ながらも、コオヤは考えていた。あの盾を破るにはどうすれば良いのか? 少なくとも、真っ当な方法では傷一つ付けられまい。ならば今の己には、あれを破砕することは不可能なのか?
「並行世界、というものは知っているかな? 無限に連なる、似て非なる世界のことだ。これはそれを応用したものでね、無限の世界を束ね、一つとし、絶対の盾となす。先に説明した共鳴効果と相まって、その強度はこれまでの盾の比ではない。あらゆる干渉を拒絶する、私の至高の魔法にして、切り札だ」
否。手ならある、一つだけ。本来ならば使いたくはないのだが、仕方あるまい。出し惜しみなどして勝てる相手でないことは、重々承知している。
ぎゅっと拳を握り締め、コオヤは決意と共に言葉を発した。
「成程ね。確かに大したもんだよ、まさかそんな手をまだ隠していたとはな」
「ならば、君はどうする?」
「はっ。しょうがねぇなぁ」
がしがしと頭を掻いて、コオヤは心底楽しそうに笑みを浮かべて言う。
「本当はクオンの奴をぶっ倒す為に取っておくつもりだったんだが……特別サービスだ。見せてやるぜ、俺の――切り札を!」
はったりか? いや、そんなことはありえない。以前の彼ならばともかく、今の彼がそんな姑息な手段を使うわけが無い。
確信と共に、レストは小さく笑みを浮かべた。己の予想が当たっていればそれは、相手に自身を倒せるかもしれない手段が存在するということであり、本来ならば笑える状況のはずが無い。
だがそれでもレストは、こみ上げる笑みを堪えることは出来なかった。今までに感じたことの無い感覚が、彼の心に満ち溢れていく。
それは果たして戦うことへの悦楽か、自分に匹敵し得る強者を見つけたことへの歓喜か。今はまだ、詳細までは判別出来ない。けれど間違いなく、悪いものではないということだけは、感情絡み合う心の中でも理解出来ていた。
「そうか。ならば挑んでくるが良い、限界無き挑戦者よ。私もまた、全力で以って君を打倒しよう」
展開される魔法陣。空間を埋め尽くすそれらは、最早無限に限りなく近しく、宇宙を照らし満たしていく。決して数だけではない、一つ一つが世界を消滅させて余りある力を備えた、必殺の陣。
消滅必中干渉貫通停止阻害加速強化――その他ありとあらゆる効果が付与された砲撃は、一撃当たるだけでも致命傷。いやそもそも大半の者達は抵抗も出来ず消え去るだけであり、抗し得るコオヤの方が異常なのだろう。
しかしそれも仕方が無い。何故なら彼は、普通ではないのだから。
コオヤの脳裏に、一人の女性の姿が思い浮かぶ。かつて己に優しさを与えてくれた、初恋の人。命を削る戦いの中にあって尚、彼女は優しく微笑んで。
(使わせてもらうぜ。あんたに教わった、あの技を)
全身に力が巡り、心に想いが巡る。その全てを動力として、コオヤの身体が駆動する。腰を落とし、身を低くし、取るのは馬鹿正直な突撃の構え。
狙いはただ一つ、レストのみ。妥協は無しだ、こいつで決着を付ける!
「さぁ――行くぜ、婆さん!」
己を包み込むような、温かな彼女の残影を身に纏い。降り注ぐ砲撃へと、コオヤは渾身の力で飛び込んだ。
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