第18話 誰が為に君は行く

「さて、そろそろ、か」


 レンタグルスの街、その一角。寂れた教会の中に、平淡な声が響き渡った。

 夜明け前の薄暗い室内は静かなもので、屋根を叩く雨音だけがこの空間の時間が進んでいることを教えてくれる。

 そんな蠟燭の明かりが照らす教会の大ホールの祭壇前には、二つの人影が。イリアと、レストだ。


「それって……」

「ああ。儀式の準備が出来た、ということだよ」


 告げられた言葉に、イリアの身体が強張る。幾ら覚悟を決めようと、これからされることを考えれば緊張するなという方が無理な話だ。

 覚える子羊のような彼女を一瞥し、レストが口を開く。


「そう恐れることはない。痛みなどないし、すぐに終わるさ」

「え、えっと……」


 そう言われたところで、あまり喜べるわけもなく。イリアは神妙な表情で苦笑することしか出来なかった。

 始めはかの魔導戦将が相手ということで心中恐怖で満たされていた彼女だが、流石にそれなりの時間接していたことでいい加減慣れた。無論、それは彼女が豪気というわけでは決してなく、単にレストが粗野な人間ではなかったことが大きい。

 確かに自分を浚い集落の皆やコオヤを傷つけた相手ではあるものの、それらを除けばレストという人間は此方に敵意を向けるようなことは無かった。自分が彼の敵になるほどの力を持っていないということを置いても、この世界の人間の誰もがエルフへと向けるはずの当たり前の嫌悪感すらも彼は微塵も見せなかったのである。

 或いは巧妙に隠しているだけかもしれないが、イリアはそれは無いだろうと考えていた。何せレストにそうする理由が無い。

 或いはコオヤの元居た世界であればそういった迫害の感情は非難の対象となったかもしれないが、この世界においてエルフのような他人種を嫌悪することは至極正常なことだ。むしろ、悪感情を見せない方が非難されると言って良い。

 にも関わらずイリアに侮蔑の視線の一つも寄越すことはなく、どころか所々には気遣いすら感じられる。明らかに異常な人間であった。


(まるでコーヤさんみたい)


 己を救ってくれた彼の姿が脳裏に浮かぶ。タイプは全く違うものの、エルフを嫌悪しないという点において二人は似通っているように思えた。

 更に言えば、どちらもかなり自分勝手だ。コオヤは気に入らないとか面白い、等と言う理由で暴れまわるし、レストは自分の魔法の研究の為と言って集落を襲撃しイリアを浚う。どちらも自分の心の赴くままに勝手をするという点では、同位である。

 おそらくだが二人の決定的な差異とは、他者への感情度の違いなのではないか。コオヤは少なからず他者を思い、同情したり、怒ったり、自分を抑えたり出来る。対しレストは、自分の目的・感情の為ならば他者への配慮をほとんどしない。

 皆無ではないのだ。ただ、他者へと向ける感情が薄い彼にとって、それは然して考慮に値しないというだけ。子供が草原で駆け回る時に、踏まれる雑草のことを考えないのと同じである。最もそれは大人でも同じかもしれないので、言うほどレストは異常ではないのかもしれないが。

 それは果たして、彼――レスト自身が生まれ持ってしまった感性なのか。或いは、大き過ぎる力を持つが故の――


「それでは始めようか」


 掛けられた言葉に、イリアの思考は中断された。はっとした表情で隣に立つレストへと顔を向ければ、そこには相変わらずの無表情。


「儀式の前に、最後に言っておきたいことはあるかな?」

「あ、えと……本当に約束は、守ってくれるんですよね?」

「ああ、あの件か。分かっているよ、元より私にとっては大したことでも無い。無事この儀式が終わったら、きちんと約束は果たそう」

「そう、ですか。それと、コーヤさんのこと何ですけど……」

「又かい? 何度も彼は無事だと、そう言ったはずだけれどね。随分と心配性なものだ」

「それは……でも」


 心配しないはずがない。何せ最後に見た彼の姿は、瀕死の重傷を負った状態であったのだ。幾ら無事だと言われても、そうそう安心できるものではない。

 まして彼は、自分を助ける為に戦い、傷ついたのだ。何も出来ないと分かってはいても、イリアは彼の無事を祈る行為を止めることは出来なかった。

 今もそうなのだろう。浮かない顔でぎゅっと唇を噛み締める彼女に、レストは小さく嘆息した後、


「少し前に、君達の集落で特異な魔力反応があった」

「魔力反応?」

「ああ、正確に言えば魔力だけでなく、魂の混じったものだ。おそらくは噂に聞く、エルフの秘薬というものだろう」

「それって、もしかして」

「状況を鑑みれば、彼に使ったと考えるのが妥当だろうさ」

「コーヤさんに、秘薬を。それなら確かに……」


 コオヤの無事をようやく確信し、安堵の息を吐くイリア。そんな彼女を軽く見やり、レストはいよいよ儀式に取り掛かろうとして――


「ん?」

「……? どうしたんですか?」

「いや、何」


 天を見上げる。視線の先には、薄汚れた教会の天井だけ。けれど見ているのはその更に先。


「雨が、上がったようだ」


 気付けば、雨音は鳴り止んでいた。

 同時、鳴り響く轟音。教会の扉が勢い良く吹き飛んだ音だ。突然の事態に小さく悲鳴を上げ蹲るイリアとは対照的に、レストは何一つ動じること無く、音の元へと視線を動かす。

 彼を追い、イリアも又扉を失った教会の入り口へと目を向ければ、そこには一つの影が立っていた。蠟燭の火が灯るだけの薄暗い現状ではその姿は良く見えなかったが、しかしシルエットだけだったとしても見紛うはずもない。


「コーヤ、さん?」

「……全く、手間掛けさせやがって。何処に居るのかと、街中探し回っちまったじゃねぇか」


 そう語るコオヤからは、ぽたぽたと雨粒が滴り落ちていた。どうやら雨の中を駆け回っていたらしい。

 気を失う前に聞いた、移動しよう、というレストの言葉自体は覚えていた彼だったが、それはてっきり宮殿内の別の部屋に移るという意味だと思っていたのだ。

 しかし現実には二人は宮殿とは全く関係の無い教会に居たわけで、時間に余裕を持って行動していたはずが結局ぎりぎりになってしまった。


「まぁ、良いさ。どうやら間に合ったみたいだし、な」

「そんな、コーヤさん。どうして」


 来てしまったんです、と言おうとしたイリアを遮って、レストが一歩前へ出る。


「さて、今度は随分と荒々しい登場だったが……一体何の用で来たのかな?」


 カクン、と首を傾けるレストの声には、言葉とは裏腹に疑問の色は一切含まれていなかった。特に何の興味も無く、ただただ形式的に口にしただけ。それは、変わらず平坦なままの瞳からも容易に理解出来る。

 けれど今度はその瞳にも、コオヤは反応を示さなかった。


「もしかして、私の魔法が進化する瞬間を祝福しに来てくれたのかい?」

「……いいや。イリアを、取り返しに来たんだ。今度こそ、な」

「ふむ。それがいかに困難で不可能な事柄であるのかは、君には良く分かっていると思うのだけれどね。こうして姿を現したということは、不意打ちや隙を見て浚い返そうというわけでもないようだし……」


 カクン、と逆側に首が傾く。


「まさかとは思うが、私に勝てる、などと思っているのかい? だとすればそれは、あまりにも愚かな思考だよ。君と私の間にある力の差は、とうにはっきりとしたはずだ。にも関わらず、君は、私に勝てると?」

「……」

「あの戦いが君の圧倒的にして絶対的敗北であったのは、君自身が最も理解出来ているはずだ。例えどんなに策を弄しても、準備を整えても、決して覆ることはない。まして――」


 夜が、明けた。


「そんなボロボロの身体では、ね」


 差し込む光。照らし出されたコオヤの身体には、数多の傷が刻まれたままだった。破れた服の隙間に覗く怪我からは血が滲み出しており、滴る雨水と交じり合って床を紅く染めて行く。

 見れば誰もが病院に行くことを勧める磨耗した姿の中で唯一、黒い学生服の上着だけが、まるで新品のように完璧な姿を見せていた。


 ~~~~~~


『――分かった』


 深々と腰を曲げる己へと返された答えに、ジンカーは喜びと共に頭を上げた。


『そうですか。ならばすぐに、秘薬の製造に――』

『ちょ、コーヤ!?』


 クランが慌てた声を出す。それもそのはず、重症を負っているはすのコオヤが、軽く飛び上がり立ち上がったのだ。秘薬もまだ無い今、下手に動けば危険なだけである。

 けれど彼は痛みを感じた様子もなく、軽く肩を竦めると、告げた。


『秘薬はいらないよ』

『は……? コーヤ殿、今何と?』

『いらない、って言ったのさ。秘薬なんぞ、な』

『し、しかしそれでは!』


 勝ち目など無い――そう捲くし立てようとしたジンカーはしかし、コオヤの顔を見て口を噤んだ。何故なら彼の顔には、それまでの焦りや弱気といった負の感情は一切見えず、その代わりに何処までも不敵な笑みが浮かんでいたのだから。


『それでは、何だい? おいおいまさか、俺がこの程度の怪我でどうにかなるとでも? 舐めてもらっちゃあ困る。俺はそんなに、柔じゃないさね』

『で、ですが』

『爺さん達は勝利を信じてくれてさえいりゃあ良い。後は俺が、何とかして見せるさ』


 調子を確かめるように腕を二・三回す。痛みはある。が、思ったほどではなかった。少なくとも先ほどまでとは比べ物にならないくらい、身体の調子は良いようだ。

 或いは俺の頭がおかしくなって、もうまともに痛みも感じれなくなっているのか――まぁ、どうでも良いさ。

 そう、どうでも良いのだ、そんなことは。重要なことはもっと別にあって、今頭を満たす必要があるのは憎悪や恐怖といった後ろ向きなものでも無い。心から湧き出してくる、輝く思いだけ。それだけあれば良い。


『んじゃ、ちょっくら行ってくるぜ。下らん壁をぶち壊しにな』

『コーヤ!』


 足取り軽やかに集落を出て行こうとしたコオヤは、叫ぶようなクランの声に足を止めた。無駄なお説教なら聴く気はねぇぞ――そう告げようと振り返った彼はしかし、予想外の光景に言葉を止められる。


『はい、これ』

『これは……俺の、学生服?』


 クランが差し出してきたのは、確かに先日までコオヤが着ていた、真っ黒な学生服の上着であった。覚えている限りではレストに痛めつけられボロ布になっていたはずだが、どういうわけか今は傷一つ無い。


『あんたが眠っている間に、私が縫って直しといたのよ』

『お前が? これを?』

『私にだってこれ位出来るわよ! 言っとくけど、あんたの為とかそんなんじゃなく……ただ、あんたを看てる間やることがなかったから、暇つぶしに!』


 明らかな嘘だった。幾ら暇だからといって、あんなボロ切れをわざわざ直す必要などないだろう。まして彼女等の現状では、修復の為の糸や布でさえ、貴重品のはずなのだから。


『ほら、何て言うか……あんたはいつもその上着を着てたしさ、今更無いってのも何かおかしいじゃない。落ち着かないというか……だから!』

『く、くくく』

『な、何笑ってんのよ!』

『いや、別に。……ありがとうな、クラン』


 感謝と共に向けられた優しい笑みに、クランの顔が真っ赤に染まる。


『んな、なななななな! 感謝何ていらないわよ、ほらあんたには助けられた恩もあるし、その……』

『そうかい。ま、俺としてもこいつは思い出のある大事なもんだ。気合も入る。丁度良いさね』


 ばさりと音を立てて、上着を着込んだ。身軽さという点では必要ないはずだが、やはりこの方がしっくり来る。コオヤの笑みが、更に深くなった。


『さて、んじゃあ今度こそ『コーヤ!』ん?』

『……大丈夫、よね?』


 ぎゅっとコオヤの手を握り、クランは心配の表情を浮かべた。そんな彼女にコオヤは僅かに呆気に取られたように口を開くと、すぐににやりと歪める。


『そんなに俺のことが心配かい?』

『そ、それは、その……』

『そうだな。それなら一つ、賭けでもするか?』

『賭け?』

『そう。俺が無事返って来たら、お前からご褒美を貰う、とかな』

『ご褒美、って……前にも言ったけど、私はあんたに上げられる物なんて持ってないわよ』

『ん~、そうだな。それじゃあ……キス、何てどうだ?』

『キッ……!? あああ、あんた、何言って!』


 再び顔を紅く染めわたわたと慌てるクランにコオヤは、心底楽しそうに笑い声を上げると、背を向けて歩き出す。


『んじゃ、時間も限られてることだし、行ってくるわ』

『あ、ちょっ! ……~~っ! 分かったわよ! 帰って来たらキスでも何でもしてあげるから、絶対に勝ってきなさい!』

『ああ。勝つさ、絶対に』


 叫ぶクランへと、ひらひらと手を振って。全てを覆す為、コオヤは駆けだしたのだった。


 ~~~~~~


「万全の状態でも惨敗したというのに、まさか怪我を治しきることもなく戦いに来るとはね。馬鹿だとは思っていたが、これ程とは。流石に予想外だよ。いやしかし、結果が変わらないのであればどちらでも――「本当に」ん?」


 呆れるレストを遮り、コオヤが口を開く。その顔はどこまでも落ち着いて、どこまでも真剣で、そしてどこまでも強い覚悟の宿った、男の表情。


「久しぶり、だったんだ」


 思い出す。服を手渡した時のクランを、秘薬を造ると言った時のジンカーを、泣きながら笑った、イリアの顔を。


「自分ではなく、誰かの思いで。こんなにも心が、動いたのは」


 彼等の、そこに宿る思いを見て、ようやく思い出せた。かつて学んだ優しさを。感じた温かさを。今の自分を支える、全てを。

 だからコオヤは、何よりも強く輝く想いと共に、宣言するのだ。


「ぶっ潰すぜ、レスト。イリアの為に――そして、あいつ等の為に」


 今までコオヤは、ずっと自分の為に戦ってきた。確かに誰かを助けたことはあるかもしれない。その人のことを思って動いたこともあるかもしれない。しかしあくまで行動の主軸は、自身が理由であった。

 気に入らない、おもしろそうだ――そんな自分の満足こそが中心にあり、他者のことはおまけでしかない。彼のこれまでの行為のほとんどは、そんなものであったのである。

 しかし今、コオヤは自分以上に、誰かの為に戦おうとしている。彼の人生で初めて、純粋な他者への想いが身体を動かしていた。


「……成程」


 そうしてコオヤの言葉を受けたレストはしかし、その顔色を何一つ変えることなく。


「詰まり君には、こうして此処に立つだけの理由がある、と。――愚かだな」


 そう、断じる。


「ならば今度こそ、原子の一欠けらすらも残すこと無く。完全に消し去って上げよう」


 レストが宙に浮かぶ。力が高まり、次元を揺らした。

 けれどコオヤの瞳に、恐れは無い。


「さぁ――場所を、変えようか」


 景色が変わる。レストを中心に広がり行く闇が、空間に重なり新たな世界を形作っていく。

 同時、展開されていく魔法陣。絶望的な光景を前にしかし、コオヤは躊躇うこと無く一歩を踏み出した。小さく、しかし強く、何より意味のある一歩を。

 途端、彼の体から静かに力が溢れ出る。漲るそれに当てられて、全身の雨と血が蒸発し消えて行く。高まる生命力が傷を塞ぎ、レストの圧力を押し返す。

 一歩、又一歩。己を包んでいく暗き世界にも、兆を超え増え続ける魔法陣にも焦ることは無く、踏み締めるように歩を進めたコオヤは世界が完成すると同時に一言、


「行く、ぜ」


 そう呟いて、レストへと勢い良く踏み込んだ。

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