第17話 他者を思う
しとしとと雨が降り注いでいた。広くしかし雑多で狭苦しい石造りの洞窟の中に、生活音に混じって僅かに反響する雨音。
その音色を受け、意識が覚醒する。深い闇の彼方から目覚めたコオヤの目に初めに映ったのは、冷たく無機質な石の天井だった。
「此処、は……集落?」
良く見知った光景に、そう判断する。ここ数日の間、眠りから目覚める度に目にしていたのだ。今更間違えるはずも無い。
一体何がどうなっているのか。状況を把握するため身体を動かそうとした途端、コオヤの全身に激痛が走る。呻き声を漏らし、起こそうとしていた上半身を再び横たえた。
背中に感じる柔らかな感触から察するに、どうやら自分は今ベッドに寝かされているらしい。最もそこはこの貧相な集落、ベッドと呼ぶには些かどころでなく心もとない、ぼろきれを重ねただけの寝具ではあったが。
一先ず身体を起こすことを諦め、首だけを動かし状況を探る。どうやら今自分は、いつもの場所――ジンカーやイリアと生活していたスペース――に寝かされているようだ。最も、物のほとんどないこの場所では空間に個性などあってないようなものなので、もしかしたら良く似た別の場所なのかもしれないが。
続いて身体の状況を確かめようと視線を下に向ければ、そこには見慣れた学生服が映った。
幸いと言うべきか、黒いズボンも白いシャツも、ある程度汚れたり破れたりはしているものの服としての機能は十分に保っているようである。幾らレストの魔法が無機物質的な破壊に関して加減する効果が付与されていたとはいえ、こうまで無事であったのはコオヤ自身から溢れ出す『力』の恩恵の為だろう。
防御の為に身にまとっていた力が、そのまま服をも防護したのだ。結果として純粋に砲撃の威力を受けた肉体と違って、魔法の付与効果で破壊を軽減された服の方が、比較的ましな状態になった、というわけである。
唯一つ、それでも服とは呼べない程に損傷してしまったはずの上着がないことに疑問を抱きはしたが、あれだけぼろぼろだったのであればどこかにいってもしょうがないか、とコオヤは疑問を片付けた。
「コーヤ!」
と、断続的に走る痛みに呻いていた彼の耳に飛び込んで来る声。軽やかで活発的な少女の音色に、首だけを動かし横を向けば、そこには心配の表情で此方を見る金色の少女の姿があった。
「クラ、ン?」
「良かった、もう目覚めないんじゃないかと思ったのよ」
「だから言ったじゃろう、彼ならば大丈夫だ、と」
安堵の溜息を吐くクラン。続けてやって来たジンカーが、さも当然とばかりに鷹揚に頷いた。実は内心クラン同様コオヤが目覚めたことに安堵しているのだが、年長者の意地か一片たりともそんな素振りは表に出さない。貫禄を維持する為の無駄な知恵である。
正直普段から特別威厳があるわけでもないので、無駄な足掻きでしかないわけなのだが、それはともかく。二人の様子を見たコオヤは、早速現状を把握する為に質問をぶつけた。
「どうなってやがんだ、一体」
「覚えてない、のは当然か。気を失ってたわけだし。実はね、あんたの後を追って何人かのエルフが、宮殿に行ってたの」
「俺を、追って?」
「ええ。あんたに助けられたエルフ達が、あんたを心配してね。幸い警備の兵士達のほとんどが気絶していたらしくて、楽に入り込めたらしいわ」
どうなってるんだか、と首を傾げるクランだが、実はこれはコオヤの仕業であった。レストの前にこそ慎重に姿を現した彼だが、それまでの道中に関しては正面からのごり押しで突き進んでいたのである。
当然警備の兵とも鉢合わせるし、増援も湧いて来る。だがその全てを蹴散らして、ついでにナイフを奪い、彼はレストの下へと赴いたのだ。
明らかに無駄な力を使っているとしか思えない行為だが、それには理由があった。雑兵達をなぎ倒すことで、自身が強者だと、心の補強をしたかったのである。彼自身の焦りと不安が齎した無為な行動だ。
最も彼のこと、いつも通りであったとしても結局正面から乗り込みはしただろうが。
「そうして辿り着いた先で、倒れているあんたを見つけて、急いで連れ帰って来たの。 初めてあんたの姿を見た時は心臓が止まるかと思ったわよ、あんな……」
「生きているかも定かでない状態じゃったから、の」
そこまで聞いて、思い出す。そうだ、俺は――。
コオヤの脳裏に、無様に倒れ伏す己を見下すレストの姿が浮かび上がった。途端、脳の芯の奥がかっと熱くなり、理性を振り切り沸騰する。
湧き上がる衝動に任せ、コオヤは勢い良く身体を起こした。
「そうだ、あの野郎……っ!」
「ちょ、ちょっとあんた、何やってるのよ!?」
慌ててクランが押さえに掛かる。今の彼は瀕死の重体だ、少しでも安静にしていなければ又傷が開いてしまいかねない。
だがそんな彼女の制止も無視して、コオヤは焦燥した顔で捲くし立てた。
「何をだと!? 決まってる、あの糞野郎をぶち殺しに行くんだ!」
「糞野郎、って……まさか、魔導戦将のこと!? 無茶よ、そんな身体で!」
「うるせえ! 無茶だろうがなんだろうが、知ったことか! あの野郎、俺を見下した目で、いやそれ以上にふざけた目で見やがって……絶対に許さねぇ!」
「ちょっと、コーヤ!」
痛む体を無理矢理に動かし、立ち上がろうとするコオヤ。だがその身体は意思と反し、まともに動いてはくれない。それは本来なら勝負にもならないクランが彼を抑えられている時点で、明らかなことであった。
少女一人の制止すら振り切れない程に、今の彼は消耗しているのだ。まさに死の淵の一歩手前、いや常人ならばとうの昔に彼岸の彼方へと旅立っていてもおかしくない。
だがそれでも、コオヤに止まる気はなかった。心を焦がす激情が、死への恐怖を上回る。己の身など省みぬ、一匹の化けものがそこには存在していた。
「殺してやる……殺して殺して殺しつくして、欠片も残さずこの世から消し飛ばしてやる。俺自身の拳で、あのすかした面を真っ赤に染めてやる!」
真っ黒な憎悪に心が支配されていく。滲み出た血液は彼の怒りの炎を表すかのように鮮明な赤。普段とはまるで違う、豹変した彼の姿に思わずクランが息を呑んだ、その時。
「コーヤ殿」
落ち着いた老人の声が、静かに響いた。じっとコオヤを見詰めるその瞳には狼狽など一切無く、何かを決意したような強い輝きだけが宿っている。
そんな瞳を受けコオヤも僅かばかり冷静さを取り戻したのか、消えぬ苛立ちを滲ませながらも、ジンカーへと問い掛ける。
「……何だ、爺さん? 言っておくが、止めようったって無駄だぜ。俺はあいつをぶっ飛ばす。これは決定事項だ」
「ええ、分かっております。しかしその身体では、勝てるものも勝てますまい?」
図星を疲れ、コオヤは押し黙った。万全の状態でさえ歯が立たず惨敗を喫したのだ、今の彼が勝てる可能性など万に一つもない。
「……だから、どうしたってんだ。勝てる勝てないは関係ねぇ。俺は、行くぜ」
「で、しょうな。ですからせめて、治療だけでも、と」
「治療? はっ、今更どんな治療を施すってんだ。言っとくが、魔法を使った所で無駄だぜ。お前らの使える治癒魔法程度じゃあ、俺の消耗した生命力を補うにはとてもじゃないが足りやしない。そもそもの容量が違うんだ」
コオヤは、エルフ達と比べ遥かに大きい力を持っている。そんな彼の力を完全回復させようとすれば、一体どれだけの人数が必要になることか。少なくとも、この集落のエルフ全員で魔法を掛けたとしても、不十分なのは間違いない。
「それが、あるのですよ。あなたを完全に治療する方法が」
「何?」
耳を疑った。とてもではないがこの貧相な集落と追い詰められたエルフ達に、そんな力があるとは思えない。訝しげな顔を向けるコオヤに、ジンカーはやはりどこまでも真剣な様子で告げた。
「エルフの秘薬、ですじゃ」
「秘薬……? そいつは、確か」
「ちょ、ちょっとジンカーさん! 秘薬って、それはもうこいつに使ったので最後じゃなかったの?」
「俺に、使った?」
慌てたクランの言葉に、眉を顰める。元々コオヤ自身疑問だったのだ、どうして今自分が生きているのか、と。あれ程の傷、例え気を失ってからすぐに治療魔法を掛けてくれていたのだとしても、とても間に合うものではない。にも関わらず今まだ自分が生きているということは、それを超える裏技を使った、ということなのだろう。
そしてその正体は、今の彼女の言葉で判明した。
「……あなたが此処に運ばれて来た時の傷は、それはもう酷いものでした。もう手の施しようがない位に。そこで我々は皆で話し合って、秘薬の使用を決定したのです」
「幸い、反対する人は居なかったわ。あんたのこれまでしてきたことと、仲間を――イリアを助けようとしてそうなった、ってのが合わさったおかげね」
「エルフの秘薬ってのは、そんなに凄い物なのか?」
「ええ、それはもう。死の淵に居る者すら一瞬で全快させ、あらゆる怪我・病気を完治させる、正に至高の治療薬ですじゃ。その代わり製造には特殊な材料が必要となり、製法を知る者も少ないことから、此処最近は全く作られていないものでもありますが」
「だからあんたに使ったのが、保管してあった最後の一個、てわけ」
「成程ねぇ。そのわりには、俺の怪我は治りきってないみたいだが、な」
自らの身体を見下ろしながら、コオヤは皮肉げに呟いた。今も断続的な激痛の走るこの身体の何処が完治しているというのか。
「それは先ほどコーヤ殿自身が言った通り、生命力の容量が大きすぎたからでしょう。失われたそれを最低限補い、命を繋ぐのがやっとで、傷の治療までは十分に出来なかったのでしょうな。流石の秘薬といえど、死を三回は超えたような怪我を前にしては、致し方ないでしょうが」
「そんなもんをもう一個使ったところで、どうにかなるってのか?」
「ええ、今のコーヤ殿の状態からであれば、何とか完治までは持っていけるでしょう」
「そうかい。で、肝心な所だが」
すっ、とコオヤの目が細まる。
「もう無いはずの秘薬を、どこから持ってくるってんだ?」
「いえいえ、持ってくるのではなく。造るのですよ、今から」
コオヤの顔が更に険しくなった。クランに至っては、信じられないものを見るような目でジンカーを見ている。
対するジンカーは、変わらず真剣な様子で続ける。
「幸い私は、秘薬の製造方法を知っています。過去に実際に造ったこともあります。材料に関しても目処はついていますし、何とかしましょう」
「ちょっとジンカーさん、それは……!」
何かを言いかけたクランを手で遮り、コオヤは問い掛けた。
「何でそこまでする?」
「はて? 何で、とは?」
「とぼけるなよ。俺がレストの奴に敗北したことは、あんたらだって良く分かっているはずだ。傷からして、余程手ひどくやられたってことも、な。にも関わらず、まだ俺に賭けようってのか?」
「……」
「散々レストとの戦いを止めようとしていたわりにはよ、おかしな話じゃねぇか。ましてとんでもなく希少だっていう秘薬まで使ってとは。一体何を考えてやがる?」
「……別に、特別なことではありません。ただ、どうせ止まらないというのなら少しでも勝率を、イリアが戻って来る確立を上げたほうが、得だと。そう判断したまでですじゃ」
「勝率を上げる? はっ、笑わせるな。そんなもんどうしようが零なこと位、あんたらだって良く分かってるだろうに」
無意識の内に零れた、コオヤの明確な弱音であった。驚くクラン。けれどジンカーはそれにも動じることはなく、覚悟を持って相対する。
「それでも、ですよ。まぁ最も、既にあの子の魂は抜かれた後かもしれませんが」
「……聞いた通りなら、次の夜明けを迎える頃には準備が整うって話だ」
「そうですか、それなら良かった。今はまだコーヤ殿が倒れてから半日と暫く。丁度日付が変わった辺りです。秘薬の製造自体はすぐに終わりますし、何とか間に合うでしょう」
「本気、なのか?」
「もちろんですとも。それでは時間もあまり無いようですし、私は秘薬を作ってきますじゃ。クラン、コーヤ殿を見ておいてくれ」
「え、えと……」
戸惑うクランを置いて、腰を上げたジンカーは何処かへと歩き出す。じっとその背を見詰めるコオヤ。だが静かに目を細めると、遠ざかる老人へと問い掛けた。
「本当に本気か、爺さん」
「コーヤ殿にしては随分な念の入れようですな。勿論、本気ですとも」
「――自分の命が、消えるとしても?」
ピタリと。ジンカーの動きが、止まった。
「……何のことですかな」
「誤魔化そうったって無駄だよ。知っているんだ。エルフの秘薬の材料について」
「……」
「エルフの命、だろ?」
確信を持って問い掛ける。そんなコオヤを誤魔化すのは不可能と判断したのか、軽く嘆息し、ジンカーは振り返った。
「イリアにでも聞いたのですかな」
「いいや」
「では、クラン?」
「それも違う。ただちょっと以前に、立ち聞きしただけさ。……あんたのことだ。大方自分の命を使って秘薬を作るつもりなんだろう?」
「いやはや、そこまで見抜かれてしまいましたか」
観念したように笑うジンカー。けれどコオヤの表情に笑みは無く、むしろ厳しさを増すばかり。
「正気じゃないな。負けると分かっている賭けに、自分の命を賭けるのか? いや、そもそもこんなもん、賭けとすら言えない。唯命を無為に捨てるだけだ」
それは詰まる所、敗北宣言であった。少なからず冷静になったせいか、コオヤの思考回路はどんどんと惰弱な方向へと流れていく。このまま行けば、憎悪の炎すら宿らない程、彼の心は落ちぶれるだろう。
「意味なんて無い。全て忘れて、諦めて、生き延びる道を選んだほうがよっぽど良い。こんなことの為に命を使ったって、しょうがねぇだろうが」
あるいはそれは、自分とジンカーを重ねて見ているのかもしれなかった。無謀な戦いを仕掛けようとする自分。本当は心の底で、止めて欲しいと、逃げたいと思っているのかも知れない――。
どこまでも落ちて行く思考の螺旋。極寒の海に放り出されたように心は冷え、動きを止めていく。そんな無限の悪循環を止めたのは、
「コーヤ殿」
強い意志の籠もった、一言だった。
俯いていた顔を上げる。コオヤの目に飛び込んできたのは、じっと己を見詰めるジンカーの瞳。そこに浮かぶのは、決して悲嘆でも自暴自棄でもない。自分ではない、誰かを思う、眩しい輝き。
『コオヤ』
――温かな声が、聞こえた気がした。
「……わしはもう、二度もイリアを見捨てました」
目を見開くコオヤへと、ジンカーが語りだす。
「奴隷として捕まった時と、魔導戦将に連れて行かれた時。もう二度も、諦めたのです。あの子の唯一の家族であるわしが、あの子を守らなければならないはずのわしが。誰よりもあの子を思ってやらなければならないはずのわしが、二度も。……あるいは皆は、それを仕方ないことだと言うかもしれません。しかし、わしはもう……あの子の祖父として、一人のエルフとして。諦めたく、ないのです!」
「爺さん……」
「きっと、三度もこのような機会が巡ってきたのは、奇跡なのだと思います。ならばわしは、喜んで賭けましょう。それがどんなに少ない確立でも、ほんの僅かにでもあの子を助けられる可能性があるのなら。この老いぼれの命――躊躇い無く、捧げましょう!」
決して、自分を捨てているわけではない。自身の命を大切だと思い、しかしそれ以上に誰かを思う。そうだ、これは。この、強い光は――
「コーヤ殿」
掛けられた言葉に、意識を戻す。変わらず此方を見るジンカーの瞳に、陰りは無い。それを見た途端、脳裏に浮かんでくる光景。
『ごめんなさいコーヤさん。それと……ありがとうございます』
――自分ではない、誰かを思う。優しい声が、聞こえた気がした。
「勝手な願いだとは、理解しております。しかし今、ほんの少しでもあの子を助けられる可能性があるとすればそれは、貴方しか居ないのです。ついでだろうと構いません。この老いぼれの命に免じ、どうかあの子を、助けてはもらえないでしょうか」
深々と、頭を下げるジンカー。その顔はコオヤからでは見えなかったが、きっと悔しさが滲んでいるのだろうな、と漠然と思った。
本当ならばジンカーとて、自分でイリアを助けに行きたいのだ。けれどそれでは無理だと、不可能だと分かっているからこそ、迷惑を承知で、無様を承知で、他者に頼んでいる。
自分より遥かに強く、少しでも可能性の有る者――即ちコオヤに。
「……」
「どう、するの? コーヤ」
クランが恐る恐るといった様子で尋ねてくる。けれどそれに答えることなく、コオヤは静かに目を閉じた。そうして暫く考え込んだ後、真剣な表情でゆっくりと目蓋を上げて、
「――分かった」
頭を下げ続けるジンカーへと、覚悟と共にそう答えた。
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