第15話 闇に堕ちる
「ッアアアアアアアアアアアアアアアア!」
「醜い姿だ、実に」
人と言うより、最早獣の様相で無重力の世界を駆けるコオヤへと、レストは呟いた。撃ち放たれる砲撃達が彼を討ち取ろうと疾走し、紙一重でかわされる。戦闘開始時に比べ明らかに劣っているはずの身体状況であるにも関わらず、良くもああまで動く者だ。
小さく感心するものの、表には出さない。出すほどのものでもない。怒りでリミッターが外れたのか、コオヤの力は以前までより少しは上がっているようではあったが、それも所詮は少し、だ。レストにしてみれば、誤差とも呼べない範囲の出来事でしかない。
故に、警戒は無い。焦りなど以ての外だ。例え砲撃を抜けられたとしても、自分には『盾』がある。あれがある以上、どれだけ足掻いたところで結局の所彼に勝ち目などないのだから。
「ッア!」
コオヤが、迫る砲撃をその拳で打ち逸らす。あまりの威力に傷が増え、拳が更にぼろぼろになるが、それにも構わず突き進む。
けれど懸命な彼とは対照的に、既にレストの意識はこの戦いにはなかった。頭の中では、捕らえた少女――イリアの魂の魔法への組み込み、そしてその後の研究についてが巡っている。
寄ってくる羽虫を払うよりも尚軽い、ほとんど無意識に近い意識の一角。そこだけが、今のレストがコオヤへと向けている脳のキャパシティ。戦闘領域であった。
「こん、の……っ!」
そんな、心此処に在らずといった様子のレストに、コオヤの激情はより一層激しくなり。怒りと悔しさに歯を噛み締め、降り注ぐ光の雨の中を一心に跳びまわる。目的は一つ、憎きあの男を殴り、打ち抜き、殺す。ただそれだけを思い、彼は走り続けた。
そんな思いが実ったのか。あるいは、彼の生来の運の良さか。コオヤは無事、光雨の中を切り抜けることに成功した。最も、傷は更に増し、限界を超えて力を発揮した影響で内臓までも深刻なダメージを受けてはいたが――それも現状を考えれば、軽症と言って差し支えないだろう。
「ふむ。また抜けられるとは、私もまだまだだな。が――」
「これで……っ!?」
勢いのままに腕を振るおうとしていたコオヤは、脳裏に走る鋭い寒気に咄嗟に身を逸らした。途端、彼の胸を掠り、一筋の砲撃が通過する。それまでのものとは、明らかに角度の違う攻撃。
「まさかとは思うが、砲撃を曲げる程度のこと、この私が出来ないとでも思っていたのかい?」
レストは魔道を極めたとまで言われる程の魔法使いだ。その彼が、世界さえ創造する彼が、砲撃の一つや二つの軌道変更が出来ないはずがない。これまでただ直射砲を撃つだけだったのは、その方が特に考える必要も無く楽であったからだ。
例えそれで上手く仕留められず時間が掛かっても、そんな余興自体を楽しもうという心構えが、先程までの彼にはあった。けれどコオヤに興味を失くし、この戦いを無駄で意味の無いものだと断じた今、心にあるのはさっさとこの余計な時間を終わらせてしまおう、という思いのみ。
「それともちろん、こんなことも出来る」
言葉と共に、先程コオヤを掠って行った砲撃が軌道を変えた。ほぼ直角に二度曲がり、死を内包した魔砲が、再び彼へと迫る。今度は避ける余裕は無い。判断すると同時、コオヤはその左手で砲撃を殴りつけた。
爆発。小さな煙を上げ、彼の姿が粉塵に隠れる。けれどレストには分かっていた、彼はまだ健在であろう、と。それは、コオヤを正しく評価した結果でもある。
思惑通り、煙の中から勢い良く影が飛び出した。己へと高速で飛来するそれを、レストは眼前に展開した『盾』で以って塞き止める。
だが、盾に突き当たり火花を上げるそれは。防がれて尚、勢いを落とすことなく攻め立てるそれは。人と言うには、些かどころでなく、小さな物だった。
「これは……ナイフ?」
透き通る障壁越しに見える凶器の正体は、小さなナイフだ。柄にはこの国の紋章が刻まれている。その武器に、レストは見覚えがあった。これは、確か――。
と、思考するレストの感覚が、新たな脅威を捉える。それは己の背後から、巨大な殺意を伴って迫っていた。
「もらったあああああああああああああああ!!」
遂に、遂に辿り着いた。己の存在に気付かれたと悟ったコオヤが、渾身の雄叫びと共に、右腕を抜き放つ。
全力を超えて駆け続けていた両足は最早限界。先程魔砲を迎撃した左腕は、プレスにでもかけられたこのように砕け、感覚がない。おそらくはもう、どちらもまともに動かないだろう。
これが、最後――決意と共に、遮二無二振るった右腕。それは、背を向けるレストへと、真っ直ぐに吸い込まれて――
「……思い出したよ」
落ち着き払った声が、宇宙に響いた。
「これは確か、衛兵に支給されているナイフだ。大方私の部屋に来るまでに倒した者達から奪いとり、懐に隠していた、といったところか。突っ込むだけしか脳の無い獣の類かと思っていたが、中々どうして頭の回る」
「て、めぇ……」
目を見開く。驚愕に支配されるコオヤへと背を向けたまま、レストは言葉を続けた。
「そうして、理性を振り切った仮面の下で、冷静に機会を待ち望んでいたわけか。ナイフを囮とした二面攻撃。力を通わせ、投擲したナイフは容易にはその威力を失わない。背後から来る君を迎撃する為に防御を止めれば、途端ナイフが突き刺さる。自身の怒りをも策に加えるとは、見事なものだ。だが――」
ゆっくりと。変わらぬ余裕を滲ませて振り向いたレストは、その平坦な瞳に無情さを宿し、コオヤを見詰める。そうして、彼の愚かな思い違いを指摘した。
「――私が何時、『盾』は一つしか出せないと言った?」
止められていた。全てを賭けて放ったはずの拳打は、此方を見据えるレストとの間に展開された『二枚目』の盾によって、あえなくその速度を零に落とされていた。
二枚の盾の、同時展開――可能性はあったのだ。あれ程までに自慢していた魔法による防御が、一方向からの攻撃しか防げない、などという方がありえない。
だが同時に、期待もあったのだ。幾ら奴でも、世界を創造し盾とするなどという大魔法をそうそう容易く、連続で、重ねて行うなどというのは不可能なのではないか、と。
ひたすらに頑強さを、硬度を求めた魔法であるならば、一枚しか展開出来ないという可能性もあるのではないか、と。
否。それは単に願望であったのかもしれない。コオヤの弱い心が作った、優しい現実。何故ならもし、その願いが外れてしまうようなことが在れば、それは。
自身の絶対的な敗北。その決定に、他ならないのだから。
コオヤの周囲に展開される魔法陣。一つ、二つ、三つ……隙間無く囲うその数、十六。蓄えられた力が今か今かと牙を研ぐように隆起し、陣を発光させる。
だがその絶望的な光景を目にしても、コオヤは動かない。いや、動かないのではない、動けないのだ。残り少ない己の力の全てを賭けた特攻を防がれ、忌避していた可能性を見せ付けられ。既に彼は、限界を超えた限界を迎えていた。
「今度こそ、終わりだ」
星光よりも激しき輝きが網膜を焼く。自らを包み込む極光の繭を目にし、底なしの悔しさに歯を食いしばり。
そして、裁きは放たれた。どこまでも実直に目標へと直進する十六の光。それは狙い違わず、千分の一秒の狂いも無く全く同時に対象へと着弾し。
悲鳴さえ上げられず、コオヤは光に飲み込まれた。巻き起こる爆発。圧縮された破壊範囲により起こる光円は、一見すればたいしたことのないほんの数十メートルの爆焔でしかない。だが、そこに籠められた力の量はおぞましささえ感じる程に甚大である。
広がる力の余波により、星は砕け、銀河が消えた。原子も残さず消滅していくデブリ達。しかし破壊の至近に居たはずのレストには、傷一つ無い。あの盾が、全てを防いでいた。
「…………」
戦いの終わりを悟り、レストがそっと目蓋を閉じる。呼応するように宇宙に皹が入り、世界が音を立てて砕け散った。一呼吸置いて開けた瞳に映るのは、荒れた宮殿の一室と、まるで雪のように降り注ぐ世界の欠片達。
歩を進めれば、踏み締めた世界の残骸が小さく音を鳴らす。硝子を割ったとも、新雪を踏み抜いたともとれる嬌声を受けながら歩くレストは、静かに椅子へと腰掛けた。
置きっ放しだった本を手に取り開く。その光景は、壊れた室内を除けば、戦いが始まる前に時間が巻き戻ってしまったかのようであった。そう錯覚してしまう程、彼の顔は平坦なもので、勝利の余韻も、喜びも、欠片も浮かんでなどいない。
当たり前の行動を行い、当たり前の結果を得た。彼にして見れば先の戦闘など、それだけの話。特筆する価値も無い。
「しかし、本当に」
読む必要もない本へと視線を落としながら、レストが呟く。溜息を一つ吐きゆっくりと本から目を上げれば、その先、広間の中央には、
「しぶといね、君は」
無言で倒れ伏す、コオヤの姿があった。
奇跡だった。未だ原型を留めていることが。例え血まみれで、最早常人では生きているとすら認識出来ない程にボロボロであっても、人としての形を留めているだけで驚嘆に値した。
掛けられた声に反応してか、ピクリと身体が動く。僅かに上げられた真っ赤な塊はどうやら頭であったようで、潰れたトマトよりも鮮明な紅の中に、ギラリと光る双眸が確認出来た。最も彼の現状を鑑みれば、幾ら鋭い視線を向けられた所で恐ろしくも何とも無いが。
肺が潰れたか、喉がやられたか。声も出せずかすかに口を動かすだけのコオヤは、陸に上がった深海魚よりも弱弱しい。見下すレストと、見上げるコオヤ。始めと似て非なる、確定した強者と弱者の図が、そこには現れていた。
「……ぁ……」
「かわいそうに。中途半端に生きているのは、苦しいだろう? せめてもの情けだ。すぐに止めを刺してあげよう」
椅子に腰掛けたまま、レストはその手をそっとコオヤへ向けた。途端背後に浮かび上がる魔法陣。流し込まれた魔力により輝く陣から、止めの一撃が放たれようとした、その時。
「――」
倒れ伏すコオヤの前に、一人の少女が立ちはだかった。霞む視界に映る、青の長髪。見間違うわけが無い、この髪の持ち主は――
「……何のつもりだい?」
「お、お願いします。コーヤさんのことは、見逃して下さい」
イリアが両腕を大きく広げ、コオヤを庇い立っていた。恐怖を宿しながらも、強い意志を秘めた目でじっとレストを見詰めている。
「見逃す、ね。此処まできてそれは、些か都合が良すぎないかい? 私はすでに警告した。逃げるなら今の内だ、とね。にも関わらず彼は戦うことを選んだのだ。ならば死を与えられることは、彼自身の選んだ結末だ」
「で、でも……!」
「そもそも、何故君はそうまで彼を庇おうとする? これは彼にも聞いたことだが、君達はまだ出会ってほんの数日だろう。恋人というわけでもないようだ。それとも、彼が生きてさえいれば自身を助け出してくれるかもしれない、などと幻想を夢見ているのかい?」
「そういうわけでは、ありません。ただ……死んで欲しく、ないんです。助けてもらって、一緒に過ごして。始めは変な人だと思いました。でも、だんだんと大切な人だと、そう思えるようになっていって」
「ふむ……」
「だから、死んで欲しくないんです。生きていて欲しいんです。私はどうなっても構いません、だから……!」
「成るほど」
呟き、レストはゆっくりと椅子から腰を上げた。そうしてしばしイリア達二人を見詰めていたが、突然その手の本を投げ捨てたかと思うと、軽い足音を鳴らし二人の下へと近づいて行く。
足を止めることなく、レストが口を開く。
「そうだね。そこまで言うのなら、まぁ良いだろう」
「ほ、本当ですか!?」
「元より彼が生きていようと死んでいようと、然したる問題でもない。私としてもむやみやたらに命を奪うのは好ましくないし、此処は君の勇気に免じて見逃そう」
心の底からどうでも良いと思っている口調であった。むしろ、イリアに向ける視線の方がまだ、熱が籠もっている。勿論僅かではあったがしかし、確かにそこには賛辞の心が存在するように見えた。
レストが手を伸ばす。怯えるイリアの手をそっと掴んだ。
「さて、それでは行こうか。此処はボロボロになってしまったし、もう少し落ち着ける所へ移動しよう」
「あ、えと……」
「心配ないよ。彼は今しばらくはもつだろうし、どうやら迎えが来ているようだから、ね」
「あ……」
戸惑いながらも抗えるはずもなく、連れられていくイリア。その背を鬼神の如し目で睨む。けれど身体は動かず、霞のように消えそうな声を出すので精一杯。
「う、あ……」
声に反応し、彼女が振り向く。目に涙を溜め、これからの己の運命に恐怖し耐えるようにかすかに震えながら、イリアは、
「ごめんなさいコーヤさん。それと……ありがとうございます」
そう言って、見蕩れるほど美しく、笑った。
去って行く。手の届かない場所へと、遠ざかって行く。近いようでどこまでも非情な現実に、手を伸ばすことさえ出来ず、コオヤの意識は静かに闇に落ちて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます