第8話 初恋と再び
「あ、どうでしたか?」
エルフ達の集落の一角、やはりぼろぼろの木の柵で区切られたその場所から出てきたコオヤへと、イリアが問い掛ける。
彼は今まさに、集落の拡張工事の相談を終えて来た所であった。
「別に、たいしたことじゃあなかったよ。補強の目処が立ったから、また壁をぶっ壊してくれって話さ」
「そうですか。それじゃあ、また集落が大きくなるんですね。……ところで、あの」
「ん? 何だ、急にもじもじして。どうした?」
「いえ、その。おトイレに行ってきても、良いですか?」
「何だ、そんなことか。待ってる間に行ってくれば良かっただろうに。てか、そもそも待って無くても良かったんだぞ?」
「でもコーヤさん、それだと帰れないじゃないですか」
そう、コオヤは未だこの集落の構造の大半について、把握できていなかった。とはいえそれも仕方が無い。何せ、千人近いエルフが暮らせる程の広さの空間が、雑多に区切られているのだ。たった数日で覚えるなど無理がある。
ただ同時に、コオヤ自身道を覚えるのが苦手、というのもあるが。仮に迷っても、その優れた身体能力を生かして高い所に登るなり飛び上がるなりすれば、あらかた周囲を見渡せたので、特に道が分からなくても困ることは無かったのだ。
しかし此処はトンネルの中。当然そんな方法は使えないわけで、彼はちょくちょく迷子になっては子供達に馬鹿にされたりしていた。幸いだったのは、ジンカー達の生活区が集落の出口のすぐ近くにあったことだろう。でなければ、出入りの度に迷子になっていただろうから。
「はいはい、どーせ俺は馬鹿ですよ。ほら、行くならとっとと行ってこい」
「はーい」
駆けて行くイリアを見送ると、近くの壁に寄り掛かり一息つく。出合った始めの頃はそれなりに警戒心だの余所余所しさだのがあった彼女だが、今では随分と気安く接してくるようになった。まあ、共に暮らしているにも関わらず、いつまでもぎこちないようでは息が詰まってしまうので、それも構わないのだが。
「……で、……らしいぞ」
「あ?」
と、イリアを待つコオヤの耳にどこからか声が飛び込んできた。最も、この壁らしい壁のない集落の中では、他所の話し声が漏れ聞こえるなど日常茶飯事ではある。
故に最初は気にすることもなくスルーしようとしたのだが、どうにもその声に含まれた不穏さというか、暗さが頭の何処かに引っ掛かった。
「…………」
無言。静かに耳を澄ませる。そうすれば彼の発達した聴力が、はっきりと先程の声の主、そしてその会話相手の言葉を捕らえた。
「それは本当か?」
「ああ。これで秘薬は後一個、か」
(秘薬……?)
疑問を浮かべながらも、耳に意識を集中し続ける。
「仕方ないさ。この場所じゃあまともな治療も出来ない。あの怪我を直すには、それしかなかった」
「しかしなあ。せっかくの貴重な秘薬が」
「新しく作れれば良いんだが、いかんせん原材料がな」
「ああ。何せ秘薬を作るのに必要な材料は――」
(材料は……?)「コーヤさん!」
掛けられた声に、閉じていた目を開け、視線を横へと向けた。そこには、どうやらトイレを済ませて戻ってきたらしいイリアの姿。
「どうしたんですか?」
「……いや、何も。ガキ共も待ってるだろうし、戻るか。ほら、案内してくれ」
「え? あ、はい」
小首を傾げる彼女を促し、来た道を戻る。途中、一度だけ振り向いたコオヤの耳には、先程の男達の会話がやけに強く残っていた。
~~~~~~
「お? ジンカーの爺さんじゃないか」
「おお、コーヤ殿」
「どうしたんだ、こんな所で」
「いや何、ちょっと所要で。これから家に戻るところですじゃ」
「そうかい、なら一緒に行くか?」
イリアと共に、とりあえずは家(と言って良いのかはわからないが)へと戻ろうとしていたコオヤは、途中見つけたジンカーへと声を掛けた。そうして彼をも仲間に加え、三人そろって歩き始める。
「そういえばコーヤ殿」
「ん?」
「コーヤ殿には、恋人なんかは、いるのですかな?」
「はあ?」
何の脈絡もない唐突な問い掛けに、思わず呆けた声を上げる。一体この爺は何のつもりなのかと、胡乱気な目を向ける彼に、しかしジンカーは変わらずにこにこ笑顔だ。
「いや何、コーヤ殿も良いお年頃。恋人の一人や二人、居るのでは、と思いまして」
「一人や二人、ねぇ」
奇妙な聞き方に思えるかもしれないが、実はエルフの婚姻制度は少々特殊である。具体的に言うと、一夫多妻、及び一妻多夫。要するに、男一人に女多数、或いは女一人に男多数、のどちらかによる場合がほとんどなのだ。
一夫一妻の場合もあるが、全体で見れば少数派である。こうなった理由は定かではないが、一説には人間達と同じなのが気に喰わないから、と言われることもあり、人間に対するエルフの確執が窺える。
ともかくそう言った理由から、エルフ達が恋人について尋ねる際は、多数存在する場合を想定した聞き方になるのが一般的なのだ。
「昔は、居た。が、皆長く続かずに終わっちまったな」
「それでは、今は?」
「居ないよ。何で急にそんなこと聞いてきたんだ?」
意図が分からず問い掛ければ、ジンカーはやけにおもしろそうな表情を浮かべ、
「それはもう、エルフであれば恋人が居ても更に新しい恋人を進めることが出来るのですが、人間の場合はそうではないですからな。しかしそうですか、恋人が居ないというのなら……どうですかな? イリアなどは」
「お、おじいちゃん!?」
慌てて祖父を見るイリア。その顔は真っ赤に染まっている。そうして録に言葉に成っていない謎の言語で祖父へと捲くし立てる彼女を無視して、コオヤは淡々とした声音と表情で応えた。
「俺の力が欲しいのは分かるがな、爺さん。そんな理由で、孫をあてがうもんじゃないぜ」
「……分かってしまいましたかな?」
「へ? え? どういうこと?」
意味が分からず二人の間で顔を右往左往させる。そんなイリアを一瞥し、誰に視線を向けるでもなく、相変わらず正面を見たまま口を開く。
「要するに、いつ去って行くかも……極論、人間側に『戻る』かもしれない俺に、エルフの恋人を作らせることで、自分達の下に置き留めておこうって話さ」
「そ、それって」
「生贄、って行っても過言じゃないだろうな。憎き人間に嫁がされるなんざ、エルフにしてみりゃ地獄だろうよ」
「…………」
「反吐が出るような糞なやり方だ。もし本気だったなら、俺は今頃あんたをぶっ飛ばしてたぜ」
「しかしわしは、殴られてはいないようですがな?」
「言っただろ、本気だったら、って。確かに期待する気持ちはあったろうが、実際は単なる冗談……いや、俺の反応を見る鎌かけだった、ってのは、すぐに分かったよ」
そう言って肩を竦めれば、ジンカーは観念したように小さく息を吐いた。
「お察しの通りですじゃ。……コーヤ殿が来てくれてから、此処の生活は変わりました。食料や薬を取ってきてくれること、襲われているエルフを助けてくれること。そして何より、集落の雰囲気そのものが、明るくなりました」
何処か遠くを見詰めながら語るジンカーを、ただ無言で促す。
「以前までも、皆で必死で力を合わせて生き抜こうとはしていましたが……しかしそこには同時に、悲壮感とでも呼ぶべきものが常に隣り合わせで存在していました。けれど今は、もっと別の、希望に近いものが寄り添っているように思います」
「希望?」
「ええ。最も、まだそうはっきりと言えるほどのものではありませんが。そしてそれは間違いなく、コーヤ殿が齎してくれたものです」
「俺はそんな大それたことはしてないと思うがね」
謙遜でも何でもなく、本心からそう言ったのだが、しかしジンカーは静かに首を横に振る。
「まともな物が食べられる、病気が治る、襲われても助けてもらえる。絶対ではないにしろ、その『可能性』がある、というだけで、心の向きようは大きく変わるのです」
「そんなもんかねぇ」
「それは、暗く深い穴の底に居た我々にとっては、決して手放したくない光――太陽とでも呼ぶべきもの、なのですよ」
眩しいものを見る目で己を見つめてくるジンカーに、コオヤは微妙なむず痒さを感じていた。強すぎる力をもつ彼は、畏怖されたり妬まれることは多くても、今のように羨望の眼差しを向けれることはほとんど経験していないのだ。
そんな気恥ずかしさを誤魔化すように、コオヤは若干おどけた様子で返す。
「随分と大仰なもんだ。ま、どう思おうが、好きにすりゃ良いがね」
「ははは、コーヤ殿は相変わらずですなぁ。しかし不躾なことを言ってしまって、申し訳ない」
「良いよ、もう」
「イリアもすまなかったのう」
「え、ううん。おじいちゃんの気持ちは分かったし……それに」
そこでイリアは一旦言葉を区切ると、赤い顔を俯かせ、小さな声でごにょごにょと。
「その、別に嫌じゃなかったというか……それも悪くないかな~というか……」
「ん? 何だって?」
「う、ううん! 何でもないの!」
「そうかい。それとイリア」
「な、何?」
内心の同様を隠す為妙に上ずった声を出す彼女に、コオヤはにやりと笑い。
「俺の恋人になるんだったら、それなりに覚悟決めとかないと、振り回されるだけだぜ」
「っ~~~~!!?」
元より赤かった顔を林檎のように真っ赤に染めて、イリアは声にならない叫びを上げた。
「意地の悪いものですな、コーヤ殿」
「幾ら小声で濁したって、この距離だ。常人ならばいざ知らず、俺の耳が捉えられないわけないだろうが」
コオヤはその身体能力同様、聴力もまた異常に発達している。その凄さたるや、五キロ先に落ちた針の音も聞き分けられる、という程である。……あくまでも自称で、何処まで本当かは定かでないが。
「わしが言うのも何ですが、イリアは美人で、良く出来た子です。コーヤ殿、幸せ者ですな」
「抜かせ。あんなもん、助けられて一緒に暮らして、ちょっと気になってるって程度のものだろうが。恋心と呼ぶにはまだはえーよ」
「まだ、何ですな」
「さてね。そこはあいつ次第、だろうさ。ま、仮にそうなったとしても、俺にも選ぶ権利はあるわけだが」
「これはまた、手厳しい」
未だ落ち着けないイリアを余所に、二人楽しそうに笑い合う。外見だけ見れば孫と祖父、と言うべきなのに、その姿は不思議と友人と呼ぶのが一番しっくりとくる気がした。
「しかし、コーヤ殿の過去の恋愛には興味がありますな」
「おいおい、随分突っ込んでくるな、爺」
「何、わしにとっては若者の恋愛というのは数少ない娯楽なのですよ」
「趣味の悪いもんだ」
「まあまあ、良いではないですか」
ちっとも悪びれる気の見えないジンカーに、小さく溜息。
「はぁ。恋愛って言っても、さっきも言ったが、皆すぐに別れちまったからなぁ」
「それまたどうして?」
「俺の行動が無茶苦茶だから、ってのもあるだろうが……何より、『恋』してなかった、てのが一番の理由だろうよ」
「恋、ですか」
「ああ。初恋を忘れようと付き合ってみたが、やっぱり駄目だったみたいだ」
「ほお、初恋。それはどんなものだったのですかな?」
遠慮なく突っ込んで来るジンカーに、コオヤは頭を掻きながらも、仕方なく話し始めた。はぐらかそうにも、どうにもしつこく食い下がってくる気配がしたからである。
「別に、何てこたぁねぇよ。特に何かあるでもなく、勝手に俺が諦めて終わったものだし」
「ほうほう。どんな人だったのですかな、その初恋の相手とは」
「婆さん」
「はい?」
「だから、婆さん。正確に言えば、親友の祖母、だな」
ジンカーも、そして先程まで騒いでいたはずのイリアも、思わず絶句。この男のことだからとんでもない恋だろう、とは思っていたものの、まさかそうくるとは。
「え~と、それは。所謂『パパのお嫁さんになってあげる』てきなやつですかな?」
「馬鹿にすんな! ちゃんとした『恋』だよ!」
「いやいやいや、しかしですなぁ」
どうにも納得のいっていない様子だ。隣のイリアもうんうんと頷いている。
「はぁ~」
「そう溜息を吐かんでも……あれですな、コーヤ殿は年寄りが好みということですかな。だとすれば、イリアに手を出さないのも納得ですじゃ」
「お、おじいちゃん!」
「俺にそんな趣味はねぇ。というか、確かに婆さんは七十近かったが、とてもそうは見えない位若々しかったぞ」
「そうなのですか?」
「ああ。見た目は……そうだな、精々三十ってところか。並ぶ者なんていないんじゃないか、って程に美しい人だった」
「なるほど。あまりの美しさに一目惚れ、というやつですな?」
「いや、別に」
「おや?」
てっきりそうだと思ったのだが、と首を傾げるジンカーと、同じく疑問顔のイリア。そんな彼等を気にした風もなく、コオヤは何処か昔を懐かしむように虚空を見詰めたまま告げる。
「確かに容姿も美しかったが……そうじゃない。誰よりも優しく温かい。その心に、恋をした」
語る彼の顔は、今まで見たことが無いほど穏やかで。ジンカーもイリアも、コオヤにとってその人がどれ程大切な存在であるのかを、すぐさま察した。
何も言えないでいる二人。そんな彼等を横に、コオヤは続ける。
「とはいえ、さっきも言った通りすぐに諦めた恋だけどな」
「……それは、どうして?」
「分かったのさ。婆さんと、その夫――つまり親友の祖父、だな。が、一緒に居る姿を見た時に。俺の入り込む余地なんて、ありえない、って」
言って、呆れたように嘆息。
「別に俺に限った話じゃない。誰だって婆さん達を見れば、分かるだろうさ。あの二人の間には、何があろうとも砕けることのない……本当の『愛』がある、ってこと位」
「それほど、ですか」
「ああ、見てるだけでも心が温かくなる程だったよ。だからすぐに諦めたんだ。俺じゃ無理だ、って分かったから。そして何より、あの光景の邪魔なんてしたくないと思ったから」
軽く笑うコオヤの顔に、影は無い。それだけで、恋を諦めたことに、一切の後悔を抱いていないことが良く分かる。
つまりはそれ程にその二人の姿は、愛は、彼の心を打ったのだろうと。イリアもジンカーも、無言のままに理解する。
だから二人は、あえて笑顔で彼に返した。
「いやはや、それはまた。なかなかおもしろい話が聞けましたなぁ。のう、イリア?」
「うん。……私もいつか、そんな風に思われるような恋がしたいな」
「ほう、それは誰と、かの~?」
「おじいちゃん!」
さりげなくコオヤへと視線を向けるジンカーに、またも真っ赤な顔でイリアが抗議する。先程までのしんみりした空気など、吹き飛ばしてしまう程に明るく騒がしい彼等。
そんな二人の姿を見て、僅かに呆気にとられた後。
「くくっ」
心底おかしそうに、コオヤは笑った。
「ほら、いつまで馬鹿やってんだ。ガキ共も待ってるはずだし、早く行くぞ」
「ほっほ、そうですな」
「え、二人共待って~!」
肩を竦め一人先を行くコオヤに、何時の間にやら、素早くその後ろに付いたジンカーが続く。そんな彼等を慌てて追うイリア。
その光景は、出会ってから僅か数日とはとても思えない程、何処か馴染んだ雰囲気を感じさせた。
「コーヤさん!」
と、歩くその背に、声が掛かる。イリアのものでは無い。野太い男の声であった。
「んん?」
何やら切羽詰った響きを含む声に、眉を顰めながら振り向けば、案の定そこには息を切らした中年の男エルフの姿が。
ちなみに、エルフ達の多くはコオヤのことを『さん』付けで呼ぶ。これは彼を尊敬しているわけでもなんでもなく、単に距離感の問題である。人間相手にあまり近しくなりたくないのだ。例外と言えば、すっかり彼に懐いた子供達位のものだろう。
「俺に何か用か?」
男に見覚えはない。あるいは忘れているだけかもしれないが、どちらにしろたいした関わりもないエルフだということである。
そんな男が必死で何かを訴えようとして来る現状に、コオヤは嫌な予感を抱かざるを得なかった。
「は、はい。実は、コオヤさんにお願いがあって……!」
「お願い、ねぇ」
正確には、面倒ごとの予感、だ。思わず目を細める彼にも気付かず、男は頼みを口にする。
「実は、私の娘が奴隷商に連れて行かれてしまって……助けて欲しいのです!」
その言葉に。思わずまたかよ、と思ってしまうコオヤであった。
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