第7話 そんな日々
「ほらよ」
軽く声を掛け、コオヤは手に持っていた物を地に下ろした。その大きさに、思わずエルフ達が驚愕の声を上げる。
「これ……猪? それもこんなに巨大な!?」
既に息絶えたそれは確かに猪だったが、しかしその大きさが規格外だ。通常の猪の優に三倍はあろうかという巨体を誇る死骸は、死して尚エルフ達を圧倒する力強さがある。
「調理はあんたらでやってくれ。俺は料理なんて出来ないからな」
「あ、ああ。それはもちろん」
「あ、俺の分はしっかり焼いてくれよ! ミディアムとかレアとか、ちゃんと焼いてないのは好きじゃないんだ」
別段ちゃんと焼いてないわけではないのだが。そんな、料理人に文句の一つも言われそうなことをあっけらかんと言い放つコオヤ。
そうして集落の奥へと歩いて行く彼の背中を、エルフ達は何とも言えない表情で見詰める。
「相変わらずとんでも無い人間だ」
「ああ。だがそれで助かっているのもまた事実、か」
「しかし、所詮は人間だぞ」
「でも、この間のジンカーさんや奴隷の件といい、ここ数日のことといい、案外良い奴なのかも……」
「まさか信じる気なのか!? 人間を!?」
「いや、それは……」
「お前ら落ち着け。何にしろ、今はこいつを早く捌いてしまおう」
揃って横たわる猪へと視線を向けた。押し迫る質量に、ごくりと喉が鳴る。結局湧き上がる食欲には勝てず、議論を後回しにした彼等は、早速猪の調理に取り掛かったのであった。
――あの奴隷騒動から、数日が経過した。
無事奴隷達を連れ帰還したコオヤは、そのままエルフ達の集落へと転がり込んだ。ジンカーやイリアの暮らす生活スペースに居ついた彼を当然非難する者も居たが、同時に奴隷を助けたことで感謝する者達も多く居り、結果として彼は一応この集落での生活を許可されることになる。
住み着いた当初こそ何をするでもなくごろごろと過ごしていたコオヤだがしかし、流石に此処での生活の酷さに嫌気を感じたのか、色々と行動を起こし始めた。
それは例えば近隣の森で食料となる獲物を狩ってくることであったり、人間に襲われているエルフを助けるついでに、襲っていた者達から金を巻き上げ、何かを買ってきたり。
ともかくその大半は自身の生活向上の為ではあったが、同時に獲ってきた物を皆に分け、余った金で薬などの必需品を買ってくるなど、エルフ達の為にもなる行動を多くしていたことで、彼の評価はぐんぐんと上昇して行くことになる。
彼自身の物怖じしない大胆な――自分勝手、とも言う――性格と相まって、いまや居るのが当たり前、と言えるほどにコオヤはエルフ達の中に馴染んでいた。
とはいえ、それでも未だに人間である彼のことを良く思わないエルフが居るのもまた事実、なのだが。
「コーヤさん」
と、早くも調理され届けられた猪の肉に齧り付いていたコオヤは、掛けられた声に顔を上げる。そこに居たのは、
「ああ、イリアか。どうした?」
先日己が手で助け、今は同じ生活スペースで暮らしている少女。イリアであった。
一応言っておくが、同じ場所で暮らしているとは言っても、特に何か『問題』が起こったりはしていない。ジンカーも共に暮らしているし、何よりボロボロの衝立で区切られただけのこの集落の構造上、問題など起こそうものなら一発で分かってしまうのだ。まあそもそも、コオヤにそんな気はないのだが。
ともかくそんな彼女は今、以前のようなぼろぼろの単なる布の塊ではなく、一応は服と呼べる物に身を包んでいた。これは、コオヤが彼女にプレゼントしたものである。
つい昨日ぶちのめした街の人間が、かなり裕福な者であったらしく、思ったよりも多くの金品を手に入れることが出来たのだ。
そこでコオヤは、以前から気になっていたイリアの格好について多少なりとも改善しようと、適当な服を見繕って彼女に手渡した。
勿論同じようにぼろぼろの服装をした者は此処には幾らでも居るのだが、その中でも共に過ごし、最も目にすることの多い彼女については、流石にコオヤも少しは何とかしたかったのである。
実際彼はイリアだけでなく、ジンカーに対しても簡素な物ではあったが、服をプレゼントしていた。
「もしかしてお前も、肉が喰いたいのか?」
ジンカー同様自身の名をきちんと呼べない彼女に怒ることもなく、コオヤは問い掛けた。どうやらジンカーに限らず、エルフ達には自身の名を正しく発音するのは難しいらしい。ずっと『コーヤ』と呼ばれ続けた彼は、もう訂正する気も怒る気もすっかり失くしてしまっていた。
ともかく、肉を運ぶ手を止めることもなく掛けられたその問いに、イリアは首を横に振って答える。
「いえ。実は、集落の拡張工事について相談したくて……」
「ああ、あれか」
拡張工事とは、このどうにも狭くてしょうがない集落を何とか広げられないか、とコオヤがここ数日で行動し始めたことの一つである。
幸い入り口側以外の三方に関しては、まだまだ拡張の余地はある。ただそれらはあくまで、周囲を囲む硬い岩盤を掘削することが出来るのであれば、だが。
普通ならば不可能な工事であり当然エルフ達も諦めていたのだが、しかしコオヤにとってはその程度、たいした問題でもなく。
『んなもん、こうすりゃ良いだろ』
と、軽い調子で言った後、おもむろに腕を振りかぶり。岩盤に向かって拳を繰り出したのだ。
するとどうだろう、堅く頑強なはずの岩盤は簡単に砕け散り、そこにはぽっかりと大きな穴が空いていた。自分達の常識をあっさりと覆す現実を見たエルフ達の驚愕の表情は、まだ記憶に新しい。
こうしてコオヤの力に頼る形ではあったが、集落の拡張が出来るようになったエルフ達は、少しずつその生活スペースを広げていた。あまり無茶をすればこの空間そのものが丸ごと崩落する可能性もあるので、支えの柱などを作りながらの、遅々とした作業ではあったが。
「で? 何が問題なんだ?」
「それに関しては、担当の皆で直接相談したいそうなので……すみませんがついて来て貰えませんか?」
「ああ、わかった。全く、魔法でやれりゃあもっと簡単だろうにな」
「それは……すみません」
「ああ、別に文句が言いたいんじゃないんだ。此処じゃ魔法を使えない、ってのは分かってるしな」
エルフ達は魔法を得意としている。それは単に戦闘だけでなく、日常的な生活や、工事においても非常に有用なものだ。
だが同時に下手に魔法を使いなどすれば、その時の魔力反応を探知されて集落の場所を特定されることになる。
そうなれば、それこそ『エルフ狩り』が行われ、逃げ場のないこの集落は全滅に追い込まれることになるだろう。
「それじゃあ行くか」
頷き一つ。残った肉を一気に口に突っ込み一口で飲み込んだコオヤは、腰を上げるとイリアと共に集落の中を歩き出したのだった。
「そういえば、コーヤさん」
「ん?」
「コーヤさんがこの集落で暮らしてもうそれなりに経ちますが、どうですか? 此処での生活は」
「ん~。此処での生活、ねぇ」
「勿論、人間であるコーヤさんにとってここが良い環境ではないのは分かっています。でも……」
「ま、悪くないんじゃねぇの。それなりに、さ」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ。まぁ……確かに環境は良かねぇだろうさ。汚くぼろぼろの住居に、録でもない食事。下水と繋がっているせいで、臭いも酷い」
馴染んだおかげで遠慮もなくなったのか、正直な感想を垂れ流すコオヤに、イリアは目を伏せた。自分達の生活環境が酷いものであるのは分かりきっていることではあるが、それでもこうも言われれば流石に落ち込みもする。
が。そんな彼女の様子を気にした風もなく、彼は続けた。
「でもよ」
「?」
「楽しくはあるのさ。こんな酷い状況で、それでも懸命に生きていくっていうのは」
「楽しい、ですか」
「ああ。勿論、楽に生きられるっていうのならそれは良いことさ。でも俺はな、それだけでなく、何かと刺激も欲しいんだよ。これがな」
「それが、懸命に生きること、ですか?」
「正確には普通じゃない何か、かな。……俺は元々こんな切羽詰った生活をしていたわけじゃない。のんびりしていても当たり前に生きられる環境にいたんだ。さっきも言った通りそれが悪いわけじゃないが、どうにも刺激には欠けていてね。だから今のこの、俺にとっては普通じゃない状況は、新鮮で、楽しいものではあるんだよ」
それは、イリアにはいまいち分からない感情であった。常にこの劣悪な環境に身を置いてきた彼女にしてみれば、刺激など全く必要ない。ただ平和に、少しでも豊かに暮らせることこそ、大切なことなのだから。
とはいえ、コオヤの意見を特に否定する気も彼女にはなかった。彼が言っていたように元々の生まれ育った環境が違うのだから、当然感覚も異なるであろうし、何より彼は色んな意味で普通ではない。
そんな彼の心を完全に理解するなど、凡人でしかない自分に出来ることではない、と此処数日だけでも十分に理解出来ていたからだ。
「何にせよ。総じて見れば、此処での生活は悪くはない、ってことさ」
「そう、ですか。それなら良かったです」
「何だ、そんなに気にしていたのか?」
幾ら何でも気にし過ぎだろう、と思ったコオヤだが、同時に心の何処かで納得もしていた。ここ数日で分かったことだが、イリアという少女は必要以上に他人に気を使う傾向がある。
今だってそう、幾ら助けられたとはいえ勝手に居ついているだけの男など、どう思われようが無視してしまえば良いだろうに。それが出来ないところが彼女の弱点であり、同時に美徳でもあるのだろう。
「それはそうですよ。恩人であるコーヤさんに、悪い思いをさせていたんじゃないかって心配で……」
「悪い思いはしてるけどな。楽しさで相殺しているだけで」
「そ、それは……すみません」
「良いよ。ここの酷さは仕方の無いものだって理解してるし、俺に録でもない視線を向けてくる奴等がいるのも、まぁ理解できるし、な」
微妙に重くなりかけていた空気を払うように、コオヤは大仰に首を振って肩を竦めた。そんな彼に、イリアの心も少しだけ軽くなる。
「コーヤ!」
と、歩き続けていた二人へと突如かけられる元気な声。直後、コオヤの背中に衝撃と共に何かが張り付いた。
「何だ、お前らか」
「遊ぼうぜ、コーヤ!」「行こう行こう!」「コーヤ、私も背負って~」「ずるいぞ! 僕も~」
「だー、一々うるせぇ! 後手前はとっとと背中から離れろ!」
飛び掛ってきた者の正体は、エルフの子供達であった。まだ幼い彼等彼女等は、集団となってコオヤへと群がっている。
慌てて背中に張り付いた子供を剥がすコオヤだが、しかしすぐに別の子供が飛びついてきた。他にも腕に体にと、子供達はわらわらと引っ付いてくる。皆一様に笑顔を浮かべていた。
「第一、コオヤじゃなくてコオヤさん、だろうが。目上の者にはちゃんと敬語を使え!」
「え~。でも、コーヤは敬語使わないじゃん」
「俺は良いんだよ。俺だからな」
「何それー、不公平だー」『不公平だー』
声を揃えて口を尖らせる子供達。その光景を、イリアが集団の外から微笑ましげに見守っている。
これまでのほんの数日間で、コオヤはすっかり子供達の人気者となっていた。元々大人と比べて人間への敵愾心が低かったのに加え、良い物を多数持ってきてくれ、かつ豪快な――子供っぽいとも言う――彼の性格に、子供達はすぐに親しみを覚え、懐いた。
コオヤ自身、暇な時に良く子供達と一緒に遊んでいたこともあって、今ではこうして皆に囲まれ、飛びつかれるほど人気になっていたのだ。
「悪いが、俺はこれから色々とやらなきゃならないことがあるの。お前らに構うのはその後な」
「え~」「少し位良いじゃん~」「コーヤのけち~」「エロ助大魔神~」
「おい! 最後の誰だ!」
聞き捨てなら無い言葉に、思わず声を荒げる。
「え、だって皆が言ってたよ。コーヤは奴隷から助けたのを良いことに、夜な夜なイリア姉ちゃんにいけないことをしてるんだ、って」
「よーしそれ言ってた奴全員連れて来い。二度と喋れないように顎ぶち抜いてやる」
拳を鳴らしながら笑みを浮かべるコオヤの言葉は、一見すれば単なる冗談だがしかし、額に浮かぶ血管を見る限り割と本気だ。
彼は仕方の無い誹謗中傷には結構甘いが、そうでないものには厳しいのである。
「コ、コーヤさん、そろそろ行きましょう。ほら、皆も離れて」
流石の彼も子供に手を上げはしないだろうが、このままでは集落の中で殺人、いや殺エルフ事件が起こりかねないと見たイリアは、慌てて集団に分け入った。
彼女の言葉に溜息一つ、怒りを吐き出したコオヤは、当初の目的を果たそうと止めていた足を動かし歩き出す。
「ほら、散った散った」
「む~しょうがないな~」「絶対また遊んでね~」「約束だよ~」
「はいはい、分かった分かった。そんじゃあまたな」
手を振る子供達に軽く手を振り返し。コオヤとイリアは、再び集落の奥へと向かっていったのだった。
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