第6話 二つの決着

「ははははははは! 見たか、あの生意気な小僧もこれで終わりよ!」


 トランドの嘲笑が競売場中に響き渡る。最も既に観客達や兵士の姿は無く、それを聞くのはすぐ隣でへつらう司会の男と、逃げ出そうにも逃げ出せず、ステージの端で縮こまる奴隷のエルフ達だけではあったが。


「くだらねぇ」

「!?」


 いや。一人、居た。

 振り下ろされたネオルギスの拳の先、トランドが慌てて目を向けたその場所に、もう一人。司会の男でもなく、エルフ達でもなく、勿論兵士でも観客でもない。黒い学生服の裾を僅かにはためかせ、巨大な拳を片足で受け止める少年が。


(馬鹿な! まさかあの魔獣の一撃を、止めたとでも言うのか!?)


 そのまさかであった。振り下ろされたネオルギスの拳は、突き出されたコオヤの足を前に、ピクリとも動かない。

 歯を食いしばり必死で力を籠めるネオルギス。対照的に、コオヤは涼しい顔だ。表情に僅かに険しさが混じってはいたが、しかし苦しさから来るものではない。

 それは、心に溜まる不満から来るものだ。


「確かに、よ」


 呟き、コオヤが軽く足に力を入れる。それだけで恐るべき凶獣の拳は簡単に押し返され、打ち上げられた。思わずたたらを踏むネオルギス。

 予想外の光景に驚愕するトランドと司会の男をよそに、彼等などまるで意識の外であるかのようにただ一人、コオヤは続ける。

 もしここに彼の親友が居たのならば、気付けただろう。その内に秘められた、怒りの感情に。


「勝負はほとんどついてたさ。あいつはもう動けず、あそこからの逆転なんて有り得ない」


 あいつ、とは言うまでもなく『騎士』のことだった。ネオルギスの攻撃を喰らい、動かなくなってしまった騎士。

 しかし実際、凶獣の暴威を受ける前から彼は既に満足に動くことなど出来ない状態であり、確かにもうコオヤに対することは出来なかったであろう。


「けど、よ。まだ、終わっちゃいなかった」


 コオヤの瞳が、ネオルギスを捉える。細められたその目に、そして彼から感じる異様な威圧感に、ネオルギスの脳が一瞬で沸騰する。

 それは恐怖だ。人間達に捕らえられた時でさえ、感じはしなかった圧倒的強者への恐怖。それが彼の頭を埋め尽くす。


「まだ、決着はついちゃいなかった」


 恐慌し麻痺した思考の中で、ネオルギスは本能に従い拳を振り上げた。両の拳を組み合わせ、握り締め、一つとし、天高く掲げる。或いは見る者によってはまるで、天へと祈りを捧げているように見えたかもしれない。

 恐怖を前にした時、取る反応は人によって様々だろう。逃げる者、固まる者、へたり込む者。そして彼が――ネオルギスが選んだのは、攻撃。即ち恐怖の元となる者の、排除であった。

 圧倒的な力の差を感じたにも関わらずの、愚かな選択。しかし現状を冷静に判断出来るだけの理性など、最早残っているはずもなく。


「ヒュガアアアアアアアアア!」


 渾身の、いやそれすら超える全力を以って、己が拳を振り下ろす。

 それはまさに巨大な岩塊。膨大な質量と膂力、そこに重力と振り下ろしの速さを加えれば、最早家屋どころかこの競売場そのものが崩壊しかねないほどの威力へと達する。

 もし人が喰らいなどすれば、原型を留めず肉塊になるだろう。己に迫る大き過ぎる凶器を前にしてコオヤは、


「それをよぉ……」


 静かに拳を握り締め、地を踏みしめると、


「ガアアアアアアアア!」

「邪魔してんじゃねぇよ、このくそったれ!!」


 迫る巨拳に、己が拳を叩き付けた。

 瞬間。世界から、音が消える。強すぎる力が空間を引き裂いた。

 コオヤの拳、そしてその衝撃は、ネオルギスの両の腕を貫き上半身を消し飛ばし、更には競売場の一角をも破壊して、天へと達する。

 空を覆う暗雲が、あまりの威力に弾け飛ぶ。遥か天空に、ぽっかりと大穴が空いた。

 有り得ない現象だ。とても人間に出来る芸当ではない。しかし、コオヤにならば可能な事象でもあった。

 何故なら彼は、普通ではないのだから。


「はぁ……」


 そして異業を成した当人は小さく溜息を吐くと、不満気に頭を掻いた。己の成したことになど、まるで頓着する様子はない。

 それもそのはず彼にとってはこれもまた、当たり前の結果だったのだから。今更どうこう騒ぐものでもないのである。


(あいつらは……逃げたか)


 先程までトランド達が居た場所へと視線を向けるが、すでに彼等は影も形もない。おそらくはネオルギスがやられたと分かった瞬間、逃走したのだろう。全くもって、逃げ足だけは速い連中である。

 わざわざ追いかける気にもなれず、コオヤは呆れ気味に肩を竦めた。


「さて、後は」


 気を取り直し、相変わらずステージ端で固まっているエルフ達へと目を向ける。騎士との戦いがあまりに楽しいもので忘れかけていたが、そもそも此処へは戦いに来たのではないのだ。あくまでも本来の目的は、エルフ達の救出である。

 『邪魔』のせいでどうにも下がりきったテンションのまま、さっさと彼女等を連れてジンカーの爺さんのところへ戻ろうと、コオヤはとぼとぼとエルフ達へと歩み寄った。


「よお、無事か?」


 いかにもやる気の無い気だるい様子で声を掛ければ、出迎えたのは警戒を顕に無言で此方を睨みつけるエルフ達の姿であった。


「(めんどくせぇ)もうちょっと何か反応してくれても良いんじゃねぇの。仮にも俺は、あんたらを助けに来たんだが」

「助けに……?」「何を馬鹿な!」「人間が我らを助ける、など」「ありえない」「一体どういうことなの……?」


 一瞬呆気に取られたものの、エルフ達はすぐにざわざわと騒がしくなる。やはり人間であるコオヤが自分達を助けるなど、信じられないのだろう。

 そんな彼女等にどうしたもんかなと嘆息しながらも、いまいち機嫌の良くない彼は、もう引きずって連れて行くかと物騒な案を割りと本気で考え、


「あ」


 気付いた。見上げた視線の遥か先、つい先程己が空けた大きな穴。空に空く大円の中に、見慣れた姿が浮かんでいる。あれは……


「何だ、やっぱりこの世界にもあるんじゃねぇか。――月」


 金色に輝く満月が、暗い夜空に優しい光を放っていた。それは元の世界と同じ、いやそれ以上に美しく見えて。


(あまり意識して見たことはなかったが……綺麗なもんだ)


 ほんの少しだけ、彼は上機嫌になったのだった。

 そうして暫く吸い込まれるようにただひたすらに、月を見上げていたコオヤであったが、


「あの……」


 掛けられた言葉に意識を戻す。エルフの集団から一歩抜け出しコオヤの前に立ったのは、ジンカーの孫娘であるという少女――イリアだ。

 彼女は警戒や恐怖をその身に秘めながらも、覚悟を決めた瞳で話掛けてくる。


「私達を助けに来た、というのは本当ですか?」

「ん、ああ。正確に言えば、此処に来て実際にあんたらを見てから決めたことだが……まぁ、どっちでも同じだろ」

「でも人間のあなたが、どうして」

「何で、ねぇ。理由、理由は……」

「理由は?」

「気に入らなかったから」


 あっけらかんと言い放つコオヤに、やはりエルフ達は揃って首を傾けた。


「気に入らなかった、ってそれは、その。私達が奴隷になることが、ですか?」

「他に何があるんだよ」

「あ、いえ、その……」

「ま、信じられないのも分かるさ。けどまぁ、今はそれを話してる時間はないのよな」

「時間が無い?」

「ああ。此処の兵士は皆逃げるか、もしくは俺かあのでかい獣にやられたみたいだが、どうせその内増援が来るだろ。そうなったら面倒だ。まして、お前らを守りながらってんなら尚更な。そうなる前に、とっととジンカーの爺さん達の所へ戻らねぇと……」

「おじいちゃんを知っているんですか!?」

「あ? おお。たまたま爺さんを助けて集落に送り届けたら、孫のあんたが捕まったって話を聞いてな」

「それで、おじいちゃんに頼まれて?」

「いや。頼まれたが断った」

「ええ!? じゃあ何で……」

「何となく、だよ。そんで後は、さっき言った通り実際に奴隷だ競売だ、とやっているところを見たら、気に入らなかった。だからこうして助けた。そんだけ」


 それは半分本当で、半分嘘だった。何となくというのも間違いではないが、実際の所、競売の話を聞いた時点でコオヤの胸には助けたいという思いがあったのだ。

 それは決して絶対的なものではなかったが、少なくとも彼にこの競売場にまで足を運ばせるだけの強さがあった。ジンカーを助けた時といい、何だかんだで結構優しいのだ、彼は。


「それより、早く行くぞ。急がないと、ほんとに兵士共が来ちまう」


 言いながら、エルフ達に付いている鎖を千切り、壊してやる。太く頑丈なそれも、彼にして見れば薄紙を破るようなものだ。

 容易く全ての鎖を壊し、いざ行かんとしたコオヤだが、どうにもエルフ達はまだぐだぐだと話し合っているらしい。

 このまま此処に居た所で奴隷に戻るしかないのだし、彼女等だけで逃げようにも街中で見つかった時のことを考えれば、素直についてくるのが一番のはずなのだが。


(まあ、流石にそう簡単には信用できない、か)


 一応納得し、結論が出るまで少々待ってやることにする。が、何時まで経っても堂々巡りを繰り返すだけの話し合いに、いい加減痺れを切らし口を挟もうとした、その時。


「おい……? 何だ?」


 エルフ達が、揃って此方を見ていた。皆一様に目を見開き、驚きを顕にしている。

 一瞬俺に何かあるのか、と思ったコオヤだったが、すぐに彼女等が見ているのが自分ではないことに気付く。


(後ろ?)


 視線を追い、振り返る。そうして彼が目にしたのは――


「…………」


 ステージの中央に静かに佇む、一人の騎士の姿であった。


「は、ははっ……」


 思わず漏れた笑い声。そしてコオヤ自身も、信じられないものを見たように目を見開きながらも、小さく笑みを浮かべている。

 一瞬別の騎士が来たかとも思ったが、月光に照らされ輝く傷だらけの白い鎧を見て、『彼』であると確信する。何より、その手に持つ両刃剣と、感じる気迫。今更間違えるわけがない。

 騎士は、ぼろぼろの姿で尚しっかりと己が両足で立ち。無言のまま、じっと此方を見詰めていた。


「ちょっと待ってろ」

「え、あ、あの……?」

「時間は掛けない。すぐに終わらせてくるさ」


 戸惑うエルフ達を置いて、歩き出す。一歩一歩噛み締めるように、惜しむように、騎士の前へと歩を進めた。

 そうして二人、十メートル程の間を空けて対峙する。彼等にとってはただ一度の踏み込みで詰められる、遠いようで離れていない近い距離。


「よう。まだ立てるだけの力が残ってたんだな」

「…………」

「皆もう逃げちまったぜ。あんたは、逃げないのか?」

「…………」


 無言。軽い調子で話し掛けるコオヤに対し、騎士は変わらず何一つ喋らない。けれど同時に、その身から感じる闘気が全てを物語ってもいた。


「決着を……つけさせて、くれるのか?」

「…………」

「そうかい。そうかい! やっぱりあんた、最高だぜ!」


 歓喜と同時にコオヤの体から溢れ出た力が、騎士の身を叩く。けれどそれにも臆せずに、騎士は静かに手の剣を構えた。

 彼自身、わかっているのだろう。最早長く戦っていられるだけの余裕は、自分には無いと。故に構えは、大きく右足を引き、腰を落として肩に剣を担ぐ形、即ち一撃に全てを賭ける突撃の型。

 応えるようにコオヤもまた、右足を引き、拳を強く握り締め、引き絞る。隠すことなき殴打の構え。技術も何もない、ただ相手を殴る為の形だった。


「時間も無い。一撃で――終わりにしようぜ!」


 コオヤが、足に力を籠めた。今にも飛び出していかんとばかりに前傾姿勢をとる彼に、騎士もまたその両足に力を籠めて。

 そうして二人、無言で跳び出す。低く空を翔け、互いの距離が一瞬で詰まる。

 身体能力ではコオヤが勝っているはずだが、騎士は高い技量でその差を補う。故に二人の速度は互角であり、ぶつかり合うのは丁度ステージのド真ん中だ。

 刹那の交錯。互いに突き抜けた彼等は、拳を、剣を振り切った体勢で着地すると、固まったように動かない。傍らに居たエルフ達が、思わず固唾を呑み込んだ。


「あんた、強いよ」


 呟きながら体勢を整えたコオヤが、背を向けたままゆっくりと月を見上げた。後方で、同じく背を向けたままだった騎士の身体がぐらりと揺らぐ。

 そうして、その身体がゆっくりと崩れ落ち。


「でも――俺の方が、強い」


 重い音を立てて、地へと倒れ伏した。もう、動く気配は無い。完全なる決着であった。

 ぶつかり合った強者を一瞥し、コオヤは再びエルフ達の下へと歩き出す。顔には決着を付けられた満足感と、勝負が終わってしまったことへの寂寥感が滲んでいた。


「待たせたな。そんじゃあ、行こうか」

「あ、えと……」

「ほら、さっさとする!」

「は、はい!」


 この期に及んでまだ躊躇うエルフ達へ一喝。慌てて頷いた彼女等を引き連れて、競売場の出口へと向かい走り出す。

 幸いまだ増援は到着しておらず、無事に競売場からの脱出を成功させたコオヤ達は、そのまま夜の闇をひっそりと駆け抜け消えて行く。


「成る程……興味深い、な」


 彼等を何処からか見詰める、金色の瞳に気付かずに。

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