第3話 エルフの集落

「こっちで良いのか?」

「ええ。このまま真っ直ぐです」


 老人の誘導に従い、歩き続ける。あの騒動から幾許か、コオヤは相変わらず老人を背負い、人気の少ない裏路地を進んでいた。


「この奥です」

「ここ~?」


 思わず疑問気な声を出す。仕方があるまい、何せ老人の指した場所は明らかに普通の場所ではない。というかそこは、


「ここって、下水道じゃないのか?」


 そう、街の排水などが流れ込む、石で舗装された大きなトンネル。ありていに言えば下水道であったのだから。


「ええ。わしらエルフは、こういった場所に隠れ住むしかありませんから」

「そんなに酷いもんなのか? エルフ用の居住区とかはないのかよ」

「え? ええ、そりゃもちろん。というかこの街自体に、本来ならばエルフが住むことは許されていないのです。……もしかして、知らないのですか?」

「ああ。知らね」


 この街、というかこの世界では常識的なことを当たり前に知らないという彼に老人も思わず絶句。先程己を助けたことといい、一体この少年はどうなっているのか。疑問に思いはしたが、それを問い掛けるよりも早くコオヤが口を開く。


「そうだ、せっかくだから爺さんが教えてくれよ」

「教えてくれ、とは一体何を?」

「全部」

「え?」

「だから、全部。この世界のことを何も知らないと思って、赤子にでも教えるように色々ご教授してくれ」


 奇妙な頼み。老人には、彼が何故そんなにもこの世界について無知なのかは分からない。けれど助けてもらった恩もあり、何か事情があるのだろうと己を納得させて、この世界について話すことにした。


「ええと、ですな……」


 そこからの老人の話で分かったことを纏めると。

 ・この世界は、一つの国家が世界全てを支配している。

 ・その国は人間の国家であり、かつて戦ったエルフを始めとした他人種たちを迫害している。

 ・文明的には、コオヤが元居た世界よりも大分劣っているらしい。

 ・この世界に住む者達は皆魔法を使うことが出来る。特にエルフは魔力が多く、魔法の扱いが得意。

 ・人間たちの中には『六戦将』と呼ばれる飛びぬけた実力者達が居り、そいつらが各所の支配の要になっている。

 ・そしてこの街『レンタグルス』はその内の一人、『魔導戦将レスト』が拠点として住んでいる。


「成る程ねぇ……」


 まるでゲームか何かの中にでも入った気分だ。しかし感じる風が、熱が、人々の思いが。ここがまぎれもない現実だと伝えてくれる。元より夢だ幻だ、と現状を否定していたわけでもない。異なる世界に来ているということも分かっていた事実だ。

 そうして彼は、あっさりとこの世界を、そこに来た現実を受け入れた。


「そういえば、何で言葉が通じているんだ? 多分、俺とあんたら……いや、この世界の誰の言葉でも、俺は分からないと思うんだが」

「ああ。それなら、翻訳魔法のおかげですよ」

「翻訳魔法?」

「ええ。いかんせん人間とそれ以外の間では扱う言葉が違いますし、同族の中でも地域によってやはり微妙に言語は異なります。その為、皆常に翻訳魔法を使って、互いに理解出来る言葉に変換して話しているのですよ」

「へー。常に、ね。それは、この世界に住む者なら誰でも使えるのか?」

「ええ、幼い頃に誰もが習う魔法です。簡単に習得・使用ができ、魔力の消費量も極端に……それこそ自然回復量よりも少ないので、基本的に誰もが呼吸をするように自然に使い続けているはずですよ」

「なるほどねぇ。でも、俺はその魔法を使っていないんだが……聞く分にはともかく、俺の話す言葉が爺さんに分かるのは、なんでだ?」

「それも翻訳魔法の効果です。翻訳魔法は、単に相手に理解出来る言語にするだけではなく、相手から発せられた言葉を自身に理解出来るように変換する機能もあるのですよ。その為、どちらか片方が魔法を使ってさえいれば、支障なく会話することが出来るのです」

「へ~、便利なもんなんだな」


 この世界では幼児でも知っている常識をまるで知らないという態度を見せる彼に、しかしもう老人も何も突っ込みはしなかった。いい加減、そういう人なのだろうと納得することに決めたのだ。

 薄暗い下水道の中をただひたすらに歩いて行く。太い水路の脇の細道は薄汚れて歩き辛かったが、コオヤは特に苦にすることもなく軽快に歩を進めた。日の光は無いはずだが、一定感覚に設置された壁面の照明のおかげである程度視界は通る。

 老人に聞いてみれば、下水の点検用に設置されたもので、下水の水の流れを利用した水力発電で以って電力を賄っているそうだ。この世界は文明的にはかなり低いレベルのはずだが、一部の天才達のおかげで技術的にかなり発達した部分もあるらしい。


「けど、そんな人が入るところに住居なんて作って良いのか? すぐに見つかって、また録でもない目に合わされるのが落ちなんじゃあ」

「いえいえ。確かにこうして灯りが設置されてはいますが、実際ここに点検など入った試しはないのですよ。特殊な魔法が掛けられているおかげで、特に何をせずとも問題なく機能し続けていますし、こんな場所になど誰も入りたがりはしませんから」


 下水道内部は当然汚れ、匂いも酷い。確かに進んで入りたがる人間などいないだろう。それこそ、どうしようもなく追い詰められた者――エルフでもなければ。


「おお、ここを曲がった先です」


 老人が指を指す。今まで一直線な一本道だったはずの下水道だが、そこには横へと続く分かれ道が存在していた。下水もそこまでは続いておらず、おそらくは彼等がここに住むように掘って作った道なのだろう。

 言われた通りに角を曲がるが、まだ住居は見えず、もう少し歩くことになりそうだ。と、その間何を話そうかと考えていたコオヤは、ここにきて初歩的な問題を見逃していたことに気が付いた。


「そういえば、爺さん」

「ん?」

「名前を言ってなかったな。俺はコオヤだ。あんたの名は?」

「おお、そうでしたな。わしの名はジンカー。名乗るのが遅れて申し訳ない、コーヤ殿」

「コーヤじゃない。コオヤだ」

「コーヤ、ですかな?」

「コ・オ・ヤだ!」

「コ、コーヤ?」

「だから……! はぁ。もういい、コーヤで良いよ」


 どうやら自身の名前は、老人――ジンカーには発しにくい名前だったらしい。幾ら言っても直らない発音に、もう正すのを諦めた。


「おお、見えましたぞ」


 別段自分の名前にこだわりがあるわけでもないものの、それでも何となく軽く落ち込んでいたコオヤだが、ジンカーの声に顔を上げる。すると薄暗い通路の奥に、ボロボロの木の板でできた柵と門のような物が見えた。


「あれの向こう側が、我らエルフの集落ですじゃ」

「ふ~ん。ここに全部のエルフが住んでいるのか?」

「いやいやまさか。この街の中だけでも、同じような集落は他に何箇所もあります。世界各地ということならば、それこそどれほどあるか……」

「へぇ」

「とはいえ、少なくとも此処はこの街の集落では最大のものになりますな。実に千近いエルフが住んでいるのですよ」

「そりゃ凄い」


 早速近づいて行く。と、柵の前まで来たところで、突如その間から鋭い棒のような物が突き出されてきた。


「ん?」


 顔面向けて迫る長物を、軽く掴み取る。そうして引っ張って見れば……


「う、うわあ!」


 柵をなぎ倒し、一人の男が引き出されてきた。よく見れば、その男も耳が長く鋭い。当たり前だがエルフのようだ。しかしいきなり攻撃してくるとは、どうにも穏やかではない。


(ま、それも当然か)


 彼等にとってみれば、人間は絶対的な敵である。そんな人間が自分達の集落に近づいて来たのならば、問答無用で排除しようとするだろう。


「く、くそ、人間め。は、離せ!」


 必死で棒を取り戻そうとするエルフ。しかしコオヤの手に握られたそれは、幾ら力を籠めてもびくともしない。エルフの男がやせ細っており非力なこともそうだが、何より彼の力が強すぎるのだ。

 足掻く男を見ながら、さてどうしたものかと悩む。ぶっ飛ばすのは簡単だが、そうすれば面倒なことになるのは間違いない。

 自らを殺そうとしてきた相手に随分と寛大なことだが、元よりコオヤにとってはあの程度、何と言うことでもない。蟻に殴られたところで、怒る人間はいないだろう。


「おい! 大丈夫か!」


 考えている間に、柵の向こうから更にエルフが現れる。わらわらと砂糖に群がる蟻のように湧いて出てきた彼等は、皆一様にその手に例の棒のような物を持ち、コオヤを憎悪すら宿した瞳で見詰めていた。


「こら、お前達! 何をやっておるか!」


 本格的に面倒になってきたコオヤが、もう適当に逃げ出そうかと考え始めた頃。背負っていたジンカーが、トンネル中に響くような大声で叫ぶ。


「え……ジ、ジンカーさん!?」「何!? ほ、本当だ!」「どうして人間の背に!?」「まさか、人質か!? 卑怯な!」

「静かにせい!!」


 一喝。騒ぐエルフ達を黙らせたジンカーは、背中から降りると、改めて彼等と向き会った。


「ジンカーさん、どうして……それに、その人間は……」

「落ち着け、きちんと説明はする。まずは皆、槍を下ろすのじゃ」


 どうやらあの棒のような物は槍だったらしい。正直コオヤには、単なる先の尖った棒にしか見えなかったのだが。

 ジンカーの言葉に戸惑うエルフ達だったが、彼にはよほどの信頼があるのか、やがて静かに槍を下ろす。とはいえ、未だ此方を見る瞳は厳しい。下手に動けば、またすぐに槍を向けられることになるだろう。

 最もコオヤにしてみればその程度、特に脅威でもない。緊張感もなく欠伸さえしながら、彼はジンカーが説明を終えるのを待ったのだった。


 ~~~~~~


「いや、本当にご迷惑を……」


 さて。あれからそれなりの時間を掛けて何とか事情を理解したエルフ達は、未だ警戒は解かないものの、一応はコオヤのことを受け入れた。とはいえ同時に、エルフに味方する異常な人間、というレッテルを貼られることにはなったが。


「別に良いさ。たいしたことでもない」

「いえ、本当に申し訳ない。それから改めて、助けてくださりありがとうございました」


 深々と頭を下げるジンカー。周りに並んだエルフ達も、不承不承といった様子で頭を下げる。


「それでコーヤ殿は、これからどうしますので?」

「うーん、そうだな」


 そう言われても、特に行くあてがあるわけでもない。どうしたものかと悩んでいると、グー、とどこからか音が鳴った。音の出所は……


「腹減った」


 コオヤの腹だ。


「あ~そうだよ! 今日は昼飯を食い損ねたんだった!」


 とはいえ、彼はこの世界の通貨を持っていない。ポケットに入れっぱなしだった財布はあるが、元の世界のお金など通じはしないだろう。つまりは一文無し。飯一食すらままならない。頭を抱える彼だったが、そこに救いの主は存在した。


「それならば、食事を用意しましょうか?」

「良いのか!?」

「ええ、もちろん。感謝の証ですじゃ。ただ、あまりたいした物は出せませんが……」

「良いよ良いよ。とにかく今は腹を満たすことが大切だ」


 周りのエルフ達からは不満の視線もあったが、なんのその。彼は気にすることもなく、やっとの食事に心を躍らせながら、ジンカーと共に集落へと入っていったのだった。


 ~~~~~~


 エルフ達の集落の中は、ボロボロの木の柵や板で区切られた、雑多な生活区になっていた。家屋の類は無い。彼等にはそれを作るだけの資材的余裕すらないのだ。また、空間自体はそれなりの広さがあるものの、ジンカーの話通りならばこの集落には数百に及ぶエルフが住んでいるというのだから、スペース的にも余裕はない。

 結果として、この避難所とでも呼ぶべき住居が出来あがっていた。

 ともすればスラム街よりも酷いその場所に、ぼろぼろの服と呼んでいいのかすらわからない布を纏ったエルフ達が蠢いている。その光景は、この世界での彼等の待遇の全てを物語っているといっても過言ではないだろう。


「どうぞ、コーヤ殿」


 そんな集落の一角、ジンカーに与えられているらしい小さな部屋(と言っていいのかはわからないが)の中で、コオヤはもてなしを受けていた。石造りの床に直に座り込む彼の前には、テーブル代わりの大きめの岩。その上に置かれた食事は――


「……すみませんじゃ、こんな物しか出せなくて」


 お世辞にも、良いとは言えない物であった。

 欠け、汚れ、まるで廃材のような木の器に入れられていたのは、具の無い濁ったスープと、米、に見える何か。それも、勿論きちんと炊けているわけでもない。おまけに付けられた小さな肉と少量の野菜は、萎び、腐りかけている有様で、正直残飯との違いが判別出来ない程である。

 正常な人間ならば、誰も食べたいとは思わないその『食事もどき』。客人をもてなすには無礼に過ぎるそれを前にしてコオヤは、


「いや。ありがたく頂くよ」


 静かに箸を手に取った。

 木の枝をそのまま使ったような箸もどきを使い、食事を口に運ぶ。まともに調理も味付けもされていないそれらをゆっくりと噛み締めながら、全てを腹の中に入れ終えると箸を置き、


「ごちそうさまでした。うまかったよ、ありがとう」


 小さな笑みと共に、告げた。

 普通ならば、文句をつけ激昂してもおかしくない状況だろう。けれど、コオヤには理解できていた。この粗末極まりない食事が、しかし彼等エルフにとっては精一杯のもてなしなのだ、と。

 未だこの世界について知らないこと、分からないことは多い。それでも、この集落をこうして実際に目にすれば、彼等がいかに過酷な環境で生きているのかはすぐに察せるというものだ。

 だから彼は。その精一杯のもてなしに応えるために、心からの感謝と共にありがとう、と口にしたのであった。


「それは……」


 ジンカーはそれ以上何も言えなかった。彼の気遣いを痛い程理解出来ていたから。


「それにしても、だ!」


 どこか辛気臭くなってしまった空気を払うように、コオヤが一際大きな声を上げる。


「一口にエルフ、って言っても色々何だな。俺はてっきり、皆同じような感じかと思ってたんだが」

「同じよう、とは?」

「いやさ。俺の知ってるエルフってのは大抵金色の髪をしていて、白い肌に細っこい身体をした美形ぞろいって感じでさ。でもこの世界のエルフは、そうじゃないみたいだから」

「それは、まぁ。地域によって偏りはあるかもしれませんが、特別そのように固定化されている、ということはありませんな。他の種族も同様でしょう」

「ふーん。それじゃあ実際、人間とほとんど差はないわけか」

「ええ。我々エルフに関しては、正直耳と魔力の高さを除けば、人間と特に変わりはないですし」

「寿命が長い、とかは?」

「? いえ、そのようなことはありませんが」

「へ~……」


 つくづく思っていたのと違うものである。正直、耳さえ隠せば人とエルフの区別など付かないのではないだろうか。


「しかし」

「ん?」

「コーヤ殿は御強いのですな。投げられた石を纏めて吹き飛ばした時など、我が目を疑いましたぞ。何か特別な修行でもしているのですか?」


 何やら興味津々の様子。実際、コオヤほどの力をエルフ達皆が手に入れられれば、現状は大きく変化するだろう。

 強さの秘密の一片でも知れれば、と期待するジンカー。だが、


「いんや。特に何も」

「何も、ですか?」

「ああ。俺の強さに、そういう理由は一切ないよ。加えて言えば、特別な血筋とかでもないし、変な改造を施されたーとか、身体に何かが宿ってるとか、そんなのでもない」

「では、どうして……」

「ま、そうだな。簡単に言えば才能、だな」

「才、能」

「そう。生まれた時から偶々持っていた……『強者』の才能、ってやつだ」


 語るコオヤは特段自慢気でも何でもなく、ごくごく当たり前のことを話している、という様子であった。いや実際彼にしてみれば、自慢するほどのものでもないのだろう。何せそれは、生まれた時からずっと当たり前に持っていたものなのだから。


「ま、そうは言っても勝てない奴もいるんだがな」

「勝てない奴? それは……「ジンカーさん!」ん?」


 部屋の外から突然かけられた声に、会話は中断された。そうして、騒がしい足音と共に声の主であろう若いエルフの男が顔を見せる。


「どうしたんじゃ、そんなに慌てて」

「それが大変なんだ、ジンカーさん!」

「少しは落ち着け。それでは何もわからんぞ」

「これが落ち着いてられるものか! ジンカーさん、あんたの孫娘が……!」

「何!? イリアに何かあったのか!?」


 どうやら、爺さんの孫娘のイリアとやらに何かあったらしい。二人の会話をぼけーっと座り込みながら聞いていたコオヤは、さて録でもないことになりそうだ、と軽く考えながら続きを待った。


「それが……イリアちゃんが、奴隷商に捕まっちまったんだ!!」


 ほらやっぱり。そんな風に思いながら、コオヤは肩を竦ませ溜息を吐いたのであった。

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