翡翠色の魂 3

『なにー!! 結姫がさらわれただとっ!? 貴様、いったい何やっていたんだ!』

「うるさい。自分だって結姫の元にいなかったじゃないか」


藤子の抵抗はむなしく、梨香はあっさりと連れ去られてしまった。当たり前だ、藤子は自衛の術ぐらいしか持っていないのだから。そもそも側にいなかった烏之瑪が悪いのだと、事が起こった後にのこのこと顔を見せた烏之瑪に愚痴愚痴と藤子は文句を連ねる。

烏之瑪は悪びれた様子は全く見せず、あまつさえ助けに行くのが面倒だとでも言うように身繕いなんかしている。藤子は本当に烏之瑪と梨香の関係の微妙さ加減が分からない。


「助けに行かないのか」

『……そうだな。行くには行くが、助け出せるかどうかは分からぬ。何たって相手はあの狐だからな。また何年も行方を眩ませられる可能性もある』


溜め息をつくように烏之瑪は荒ぶらせていた翼を折り畳んだ。烏之瑪でも白すぎる狐の相手はあまりしたくない。すこぶる相性が悪いのだ。そもそも烏之瑪は戦う術を、あの白すぎる狐程持っていない。生まれの由縁からくる違いが深く関わるのである。

そんなんだから本当は極力あの白すぎる狐とは関わって欲しくなかったのだが……。言っても今更、後の祭りだ。やはり前世からの繋がりを断つことはできないらしい。

烏之瑪は赤い右目だけをくるりと動かした。閉じられた左目は梨香に契約の証としてやったものだ。梨香と繋がっているから、彼女が死んだ時はこの目が教えてくれる。あの白すぎる狐の事だから、梨香を殺せるかどうかは怪しい。以前もあれは敵なのか味方なのかよく分からない行動を起こしていたから。


『我は好きで結姫から離れていたのでない。少し思い当たる伝手を探しておったのだ』


弁解するために烏之瑪のくちばしがやっと開いた。


『イロリという囲炉裏の付喪神なのだが、奴にあの狐の封印をしていた所を結界で囲ってもらっていたんだ。案の定、封印されていた場所には狐の新しい結界が張ってあって近づけんし、イロリも早々に元の住処に戻っていた。奴の話によると狐は目覚めてもう一年経つらしい。お前等と会うとっくの昔にこちらの動向は調べられていたようだ。何にしろ日記の存在は目立つ』


藤子には言わないが、日記が欲しいのはあの白すぎる狐ではなくその主の方だ。以前自分達を襲った妖かしがうっかり口を滑らせて狐に抹殺されていたのを思い出す。あれがいってることが正しければ、主の方ももう起きているのだろう。

だがどういうわけか、その主の方は封印の外へ出た形跡がない。完全に白すぎる狐の意志だけで自由に振る舞っているようだ。

とりあえず敵地へ行こうにも烏之瑪一人では心許ない。かといって攻撃的な妖怪の知り合いもいないから、供に引き連れることもできない。

ならば奥の手。


『藤子、お前の男を借りてもいいか』

「別にいいが……いったい雪斗をどうするつもりだ?」


藤子は首を傾げた。烏之瑪は雪斗を使って何がやりたいのだろう。


『それはだな』


ガタガタガタッ!

突然音がしたのでそちらを振り向くと、一人の少年が腰を抜かして入り口に座り込んでいた。今の会話を聞かれていたらしい。


「か、カラスが喋った……!」


烏之瑪の姿も声も常人に見える仕様となっている。だから梨香の見舞いにきた光が烏之瑪と藤子に出くわすのも無理はないが、何か解せぬ。

そして烏之瑪は気がついた。


『ふむ……。藤子、今の話は無しだ。雪斗ではなくこいつを使う』


きょとんとする光を置いておいて、藤子は烏之瑪に尋ねる。


「何故だ?」

『こいつ、どういうわけか暗示が効かないらしい。現に今、人払いの暗示をこの場にかけていたのに入ってきたからな』

「む。いつの間にそんな術を張っていた」

『最初からだ』


烏之瑪はバサリと飛んで光の頭に乗る。


『というわけでよろしく頼むぞ、蛍野。いざ行かん、結姫を助けに』

「……へ?」


休み時間になったから梨香の容態を見に来たというのにどういう状況なのか。肝心の本人はいないし、変なドレスのコスプレ女子いるし、カラスは喋るし、先輩を助けにどーのこーのと言っているし。

光は茫然とした。



◇◇◇



朦朧とした頭で懐かしい顔を正確に捉えた。思わずその懐かしさから彼の名前を掠れた声で呟けば、驚いたように彼は目を丸くした。端整な顔立ちを歪ませて、自分の身体の温もりを求めるように掻き抱いてくる。

痛いほど抱かれながら、ゆらゆらと意識を浮き沈みさせることを繰り返す。

やがてぽっかりと頭が覚醒した頃には、ズキズキと身体中の血管から血が噴き出しているように火照って痛むのを知覚する。もう慣れた痛みだが、梨香はじっと動かないで痛みの波が収まるのを待つ。


「起きましたか?」

「……?」


うっすらと目を開けると白すぎる狐の顔が目の前にあった。梨香は自分が彼の腕の中にいることに気づく。じろりと睨んで、冷めた表情を作る。


「離してくれる?」

「嫌です、と言ったら?」

「殴るわよ」

「そんな体力もないのでしょう? でも貴女に嫌われるのは身が引き裂かれるほど悲しくなりますから、大人しく引き下がりましょう」


白すぎる狐は笑って梨香を横たえた。敷き布団の上に寝かされて、丁重な扱いをされていることが伺える。どうやら白すぎる狐は梨香に危害を加える気はまず無いようである。

横たえられた姿勢で目線を真っ直ぐに向ければ、見覚えのあるような無いような天井に気が着いた。天井のあちこちにある染みが、梨香の記憶の底を叩いている。

唐突に、白すぎる狐が言った。


「懐かしいでしょう。ここは、ボクと貴女が初めて出会って過ごした場所ですから」


言われて、視界の靄が晴れるような気持ちがした。懐かしい景色、これは現世ではなく前世の記憶だ。魂に刻み込まれる、古くて頼りない欠片の光景。

梨香は否定する。


「……あたしはここにいるべき人間じゃないし、彼女だって、そうだったはずよ」


言えば、白すぎる狐は不思議そうに首を傾げた。


「おかしな事を言うのですね。貴女はボクの唯一の友でしょう。何を今更」

「違う、あたしはもう縷々空でも蘭奈でもないのよ……もう変わってしまっているのよ」

「それでもいいですよ。目印があるから探し出せます」


目印……。梨香は何のことかを考えようとしてすぐに思い当たる。梨香の内側にある、本来は持ち得るはずのない妖力のことだ。あれはこの白すぎる狐のものだったモノだ。白すぎる狐がそれを頼りに梨香を探しても不思議ではない。

梨香は前世を覚えている。でもそれはまるで他人事のよう感じる時があるのだ。同じ自分というものの記憶であるのに、見ていた景色が全て違うから、今の自分と切り分けて考えるようにしている。例えどんなに懐かしくても、それは物語の感傷に浸るようなものなのだと自分に言い聞かせてきた。だから白すぎる狐に前世のことを引きずられても、梨香はそれに答えることはできないのだ。

答えることはできても、それは彼が望む答えではない。

梨香は何ともいえなくて再び目を瞑った。ふわりと衣擦れの音がして、冷えた手の感触が額に当てられる。妖力に苛まれていた身体から重たいモノが抜けていく。急に妖力を抜かれた反動で、梨香の意識は深いまどろみへと落ちていく。


「ど……して………」

「深い意味はないですよ。もともとこの妖力はボクのモノですから、何をしようとボクの勝手でしょう?」


赤子をあやすような声音に、梨香は苦笑した。この狐はこんなにも人間くさかっただろうかと。

落ちてくる瞼を必死で押し上げながら、梨香は白すぎる狐の手の感触を感じた。滑らかに撫でてくれるその手は、熱を出した子供に親がよくやる行動だ。魂にまで染み込んだ妖力はもうすでに吸われきって持ち主のもとへ戻っている。白すぎる狐が梨香を撫でる理由はないのだ。

それなのに、白すぎる狐は梨香が安らかな寝息をたてはじめてもしばらく撫で続けた。なくした日々を埋めるかのように。

そう、白い狐は後悔に苛まれ続けていた。

けれどもきっと、今世でも貴女を裏切らなければならない。

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