番傘の空 3

『──何だ、その奇妙な呪は』

「……これですか? ちょっとした余興ですよ」


提示報告に参上して早々、気づかれる。だが落ち着いて答える。

返答がないからと、のろのろと顔を上げて己が主を見上げると、間近にその顔があって、思わずのけぞる。


『何だ、その反応は』


主は白すぎる狐に向かい、にたにたと嘲笑わらう。

ただただ嘲笑う。

知っているから。

その呪いが何なのか知っているから。

だから嘲笑うだけ。

にたにたと嘲笑うだけ。


『主を裏切るか? この主を裏切るか?』


白すぎる狐は再び顔を伏せて、表情を読ませない。

ただ淡々と、人形のように言う。


「そんなことよりも。主様、お体の調子はどうですか。天より落とされた御身には随分と堪えましょう」


白すぎる狐が薄く笑えば、主も薄く笑う。


『お前が気にする事では無い』


そう言って、主はふと顔をあげる。白すぎる狐の身にも、清らかな風が吹いてきたのではっとする。結界が破られたのだと、体で感じる。

主が、縷々空の力を吸うために張っていた結界が、外からの重圧でたわみ、破られたようだ。

白すぎる狐は頭を深く深く下げて指示を待つ。

主は静かに立ち上がった。


『出る』


白すぎる狐は、主が部屋を出ようとするのをすんでのところで止めた。


「お待ちくださいませ。ボクが見てきます。何かあったら、ボクが対応いたします」

『できるのか? 我を裏切らないと、あの者にほだされていないと、誓えるのか?』


静かな視線を受け止めて、白すぎる狐は頷く。

主が部屋の奥の、幕の内へ戻っていくのを見て、白すぎる狐は静かに身を翻した。


───ああ、まだ余興を楽しんでいたいのに。


運命の歯車の清らかさは、それを赦してくれないようだ


◇◇◇


縷々空が顔をあげたので、私も顔をあげた。


「どうした?」

「けっかいが、やぶられたわ」


小さく小さく、声を抑えて縷々空が言う。

縷々空に身繕いされていた私は立ちあがって、そっと廊下を伺ってみた。うーむ。


「なにしてるの?」

「結界が破られたのを見てみようと思って」

「みえないわよ。からだでかんじるものだから」


縷々空に言われて、そういうものなのかとうなずく。とりあえず障子を閉めて、部屋の中央へと戻った。


「結界が消えるとどうなる?」

「あたしがとくをするわ」


縷々空にとっては良いことらしい。では、白世にとっては?


「わるいわ。いまごろ“あるじさま”とやらに、おこられているんじゃないかしら」


飄々と言ってのけるので、大して心配することではないのだろう。それにしても、結界とやらはなんで破られたのか。

それが不思議で首を傾げていると、閉めた障子の向こうからバサバサという派手な音がした。

そちらを見れば、白世よりも大きな影が障子に映っている。なんだあれは。しかも背中の辺りがもっさりしているし。


「……うのめだわ」


縷々空が立ち上がって障子を開こうとする。


「待て、縷々空! お前はこの部屋から出られないだろう!」


縷々空は閉じこめられていると言っていたんだ。しかも縷々空は今までに、部屋の中央付近から移動している様子がない。結界とやらは縷々空を外へ出さないためのものであるのだろう。

案の定、縷々空は障子に届きそうもないところで、見えない壁のようなモノに弾かれた。


「縷々空!」


慌てて駆け寄ると、縷々空は障子を指さして、あけて、と囁いた。

縷々空の代わりに障子を開けてやると、庭に面した廊下には黒いもさもさの翼を持つモノが、幾つもの輪っかを連ねた金色の棒をシャラリと鳴らして立っていた。なんだなんだ。デカいぞ。


「探したぞ」

「ごめんなさい、でもしかたないわ」


ゆっくり身を起こして縷々空は黒いのを見上げる。

黒いのは何かに気づいたように眉根を寄せた。


「お前、その姿───」

「けっかいがここにもはられてて、それでれいりょくがすわれてるのよ」

「破ればよいのか?」

「そうよ」

「分かった」


そう言って黒いのは、金色の棒を構える。シャラリと涼しげな音が鳴る。そしてその金色の棒を突き出し、


「行くぞ。───結びし世界を解き給う」


黒いのはそのまま金色の棒で切り裂くように横一文字に振った。すると、パチンという火の粉が弾けたような音がする。

びっくりして目をつむってしまった。ものすごい風に煽られるがなんとかそれに耐える。恐る恐る目を開けてみると──横に縷々空がいない。


「縷々空!?」


慌てて辺りを見渡せば、いつの間にか黒いのがぐったりした縷々空を担いで、廊下に出ていた。


「お前、縷々空に何する!」

「るるあ? 馬鹿を言うな。こいつの名は、」

「いいえ、縷々空です」


つい先ほどまでいた者の声が廊下の先から聞こえてきた。


「遅かったですね。我が主はもうお目覚めいたしますよ、烏之瑪?」

「───何故、我が名を知っている。貴様、何者だ」


黒いのは白世に向き直った。

そしてそのまま二人の世界に入ってしまったようで、無視される。おい待て。私を無視するな。

憤慨してみるけども、届かない。無理に近寄ろうとすると、なんだか“私”という存在が壊されそうなほどに、黒いのは洗練された力が周囲に振りまかれている。私がアレに触れるのはやめておいた方がいいと、本能的に察してしまった。

仕方なしに、部屋の中からそっと伺う。


「そうですね、聞かれたので名乗りましょう。……ボクは外つ国より渡りし天狐・耶赦やしゃが眷族。名は白世と申します。以後、お見知りおきを。名前を知ってるのは主様から伺っているからです。神烏の烏之瑪」


妖艶とはまさに今の白世を指すのだろう。唇の端をわずかにあげ、間を細めて、袖を口元にあてがうその姿は、何とも言い難い艶やかな雰囲気を漂わせている。


「ふん。同胞なものか。我は耶赦と違い、天より落とされた分けではない!」


ぐわっと風が荒ぶる。

ふふふと笑った白世は、風に衣をたなびかせると、唇に柔らかく人差し指を立てた。


「織り成せ・秘狐界」


白世がそう言った瞬間、世界がぐにゃりと曲がっておどろおどろしいものへと変貌する。

庭に生えていた趣ある木々は、だらりと枝が垂れて葉は全て落ち、ささやかに生きていた緑の草花も茶色に染まって生きる力が萎えている。畳もぼろぼろのものとなり、障子は穴が開いて、張られていた紙が溶かされたように申し訳なくたなびく。

空は赫く染まり、辺りは一気に薄暗くなる。

相手の顔がよく見えなくなる中、ぼんやりと白すぎる白世の姿だけが浮かび上がった。


「さあ縷々空。こちらにいらっしゃい。ボクと一緒に行きましょう。主様がお待ちかねです」

「いや、といったら?」


今までぐったりとしていた縷々空が、やっと顔をあげて挑戦的な目で一睨みする。白世は困ったように笑った。


「困ったお人です」


ぱちん、と指をならす白世。音が弾けると空間が歪んだ。

目眩を起こしたように気持ち悪くなって立ってはいられない。目を固く閉じて、景色を見ないようにする。

もういいだろうかと薄く目を開けると、縷々空の周囲の空間が捻りに捻れた後に彼女の姿は無かった。


「……この世界ではボクが絶対の理です。縷々空だけを直接、主様の元へ送り込みました。さあ烏之瑪、ボクと心置きなく遊んでくれませんか?」

「ふん。我の目的はあれを連れて帰ることだ。他は知らん」

「そんな事を言わずに……」


突如、白世の周りに幾本の日本刀が宙に現れた。ちゃきり、と金属音を響かせ、日本刀が黒いのの方を向く。

黒いのは金色の棒を一薙した。

風が起こり、出現したばかりの日本刀を吹き飛ばす。


「雑魚が」


そう言って白世に背を向けたとき、黒いのの目前に日本刀が出現する。


「……何の真似だ」

「ここではボクが絶対の理です、と言ったでしょう? 適当な場所へ日本刀を出現させることなんて、容易いのですよ。ほらこんな風に───」


言った瞬間、私の身体に鈍い衝撃が走った。痛みはない。だが、力を吸われていく感覚がする。その部位を見ると、あの日本刀が突き刺さっていた。

腹へ真っ直ぐ突き刺さった刃。その刃を伝う生温かい液体は、血……? そうか妖かしの私でも、血は流れるのだな。

黒いのが軽く目を見開いた。が、それだけだ。こんなもののどこに価値がある、という顔。簡単に切り捨てようとする瞳だ。


「貴方がなんと思おうが知りませんが、良いことを教えて差し上げましょう。そこな付喪神は縷々空の寂しさが生んだモノ。縷々空のお気に入りですよ。それが消えたら、彼女はどうなるんでしょうね。大切な人に裏切られ、貴方がいない間の心細さを埋めるために作ったそれが消えたとき、彼女はどんな反応をするのでしょうか」


恍惚とした笑みを浮かべて、白世は言う。私は私の体がどうなるのか見当も付かない。

私は傘だから、壊れても直せるのだ。

我関せず、と言った体で構えていると、体の奥底で何かがざわついた。どくどくと流れる血と共に、何かが混み上がってくる。


「……あれが悲しむ顔でも見たいのか?」

「さあ? どうなんでしょう。ボクにはよく分かりません。ボクは主様が創ったただの人形ですから。人形に感情は与えられていないのです」


ただの人形。そんな悲しそうな顔をしてよく言うものだ。生まれたばかりの私だって、喜怒哀楽くらいは分かる。感情は与えられるものじゃないんだ。

……私は寂しさや悲しさには敏感だ。それは生んでくれた縷々空の影響なのだろうか。孤独に包まれていた縷々空の気配。生まれて初めて目にした儚い少女。縷々空は私のことをどう思っていたのだろう。

 体の底のざわつきが膨らむ。膨らんで膨らんで、最後には溢れた。


「何だ!?」

「これは……?」


妖力とも言うべきモノが、部屋を渦巻く。おどろおどろしい白世の世界を塗りつぶすように、小さいながら私だけの世界が作り上げられる。

私の世界には何もない。

暗闇の空間だけが広がっている。

腹の刀を気にせず引きく。血はもう出ない。だが癒えているわけではない。ゆっくり歩み出せば、私の世界が広がる。


「こ、れは……!」


白世を目指して歩き、彼に触れた。私の世界が彼に触れた。


「負の……寂寥の念……?」


黒いのも私の世界に触れた。

私は、ふわりと舞い上がって、白世の袖に自分の指で、しかと触れた。


「な……!?」


寂しいのは嫌だ。自分一人にされるのは嫌だ。裏切らないで。置いていかないで。お前の本心に触れたい。私のことをもっと理解してほしい。私がお前のことをどう思っているのか、他者がお前をどう思っているのか。お前は気づいていないだけだろう。お前が拒絶するから、私は拒絶され、寂しさが募るんだ。この寂しさという感情は私から生まれるものじゃない。お前から生まれるものなんだ。

私の体の底でざわついていた寂しさが、白世へと流れた。

白世がぐらりと傾く。


「やめ……て、ください……!」


白世は体をよじり、私の手から必死に逃れようとする。だが、それは虚しい抵抗で、白世は崩れ落ちる。かろうじて膝で立っている程度だ。

その様子を見て、黒いのが憐れみの視線のようなものを向けた。


「……狐。お前は人形と言ったが、感情が無いわけではないのだろう? 寂しさを感じるのならば、それと対極の感情を知っているのだろう」


黒いのがそれだけ呟いて、金色の棒をシャランと鳴らした。


「──結びし世界を解き給う」


まず私の世界が崩れ、その後白世の世界までもが崩壊し、元の明るい普通の部屋に戻った。ただ違うのは、私が人型を保てず本性の番傘に戻ってしまったことと、白世が膝を折ってしまっていることだけだ。

白世はぼんやりと宙を見ていたが、のろのろと首を動かして私を見ると、ふてくされたような表情をしてへたり込んだ。


「……だから嫌いなんですよ、花笹。出し惜しみしないで素直に寂しいと言える貴方のことが───」

『初めて私の名前を呼んでくれたな、白世』

「今はそんな事言う場合じゃないでしょうに」


唇を尖らせて、白世は目を瞑った。彼がそんな表情をするところを初めて見た。白世でもそんな子供っぽい表情をするんだな。

それから白世はゆっくりと立ち上がって、部屋に転がる私を手に取る。

そして投げられた。


『おおう』

「む」


黒いのがうまく手の内に納めた。


「持って行ってください、邪魔ですので。ボクは主様の元へ戻ります」

「みすみす我が逃すと思うてか」

「着いてきたいなら着いてこればいい」


白世が部屋を出た。その足取りは僅かに重たい。

黒いのがその後ろを静かに歩き出す。翼を折り畳み、床をぎしぎしと軋ませて。

私は先ほどの白世の攻撃で破れた部分にぼんやりと意識を向けていた。

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