番傘の空 2

私は気がつくと少女に見つめられていた。

だだっ広い和室の中央にぽつりと置かれ、孤独感があふれているような気がする。

静かに私を見つめる少女は何の表情もなく、ただただ無気力に見つめてくる。


『……なんだお前』

「なのるときはじぶんからよ」


見た目とは裏腹に、拙い声で言ってくる。でもなぁ、


『私の名前は何だ?』

「しらないわよ」


怒った口調のくせに声が淡々としていて気味が悪い。

なんだこいつ、生きてる感じがしないぞ。


「どうかいたしましたか? 貴女が独り言とは珍しい」


障子が開かれ、誰かが入ってくる。そいつは白い耳に白い尻尾を持ち、深緑の単の上に白い狩衣を纏っていた。

そいつは何か箱を持っている。


「おや? その番傘、妖怪化しておりますね。いつの間に……」


ふるふる、と少女は首を振り、隠すように後ろ手で私の姿を白い奴に見せないようにした。なんだなんだ。


「隠しても遅いですよ。それをこちらへ」

「いや」

「我が儘はいけませんよ」


少女の元へ近づいて手に持つ箱を置く。


「さあ、今日のお召し物です。色はどれがお好みですか?」

「あいいろ」

「またですか。たまには別の色でも……」

「きつねのくせに、にんげんのかちかんでかたらないで。あたしはあいいろがいいの」

「……かしこまりました」


きつね? 狐なのかこいつ。私の知識の狐とは成りが違うぞ。まぁ私の知識なぞ、たかがしれてるがな。

失礼しますと狐が言えば、少女は立ち上がる。ぼんやりと天井を見つめる少女は恥ずかしがらずに狐の成すがままだ。これぐらいの年頃の少女なら、もうちょっと恥ずかしがって見せるだろうに。狐は少女の着物をするする脱がしていく。

一度、身に付けていた全ての着物を脱がしてから、真っ白な単を着せて、その上に藍色の小袖を着させた。小袖の裾近くには小さな白い花の模様がちりばめられていて、可愛らしい。


「我が親しき友、今日も大変似合っておいでです」

「ともだちじゃないわ。ともだちなら、あたしをこんなところにとじこめないもの」


狐は寂しそうに笑った。

それ以上何も言うことなく、少女が着ていた着物を丁寧にたたんで箱に入れ、私と一緒に抱える。およよ? 抱えられてしまった。


「どこにつれてくの」

「主の元へです」

「そのこ、どうなるの」

「おそらくは処分かと」

「……そう」


少女はじっと私を見つめてくる。


「せっかくうんであげれたのに……。ごめんね」


少女の目に少しだけ悲しみの色が浮かんだ気がした。

うんであげれた……少女が私を生んだということか? すごいな。ということはお前は私の母というものなのか。


「……驚きました。主にほとんど力を吸われているはずなのに、よくこれを生み出せましたね」

「あたりまえでしょう。あたしをだれだとおもってるの。わずかにのこっているあたしのちからを、まいにちすこしずつながしたから」

「そうですか」


狐は何か思案するように黙り込むが、すぐに和室を出てしまう。あの和室には家財が少しある以外にほとんど何も置かれていないが、少女は何をして過ごすつもりなのだろうか。

ピシャリと障子を閉めた狐はそろそろと廊下を歩く。廊下は庭に面しているようで、見渡しが良かった。

色々な種類の木々が覆い繁り、ちょっとした池もある。

その廊下を別の棟へ向かうように狐は進んでいく。


『おいお前』

「名乗る時は自分から名乗るのが礼儀ですよ」

『さっきの少女と同じ事を言うな。残念ながら私は生まれたばかりで名前がないのだ』

「生みの親であるあの方につけてもらわなかったのですか?」

『ああ』


そうか。名前は生んでもらったやつにつけてもらうものなのか。だがあの少女はつけてはくれなかったぞ。


『で、お前は誰だ?』

「残念ながら、ボクも名前がないんです」

『じゃあ、あの少女は?』

「存じておりません」


なんだそれは。

名前も知らないで、どうして友達と名乗れるのか。それとも私が知識として把握していないだけで友とはそうやってなれるものなのか。


「さて、貴方をどうしましょうか。主に見せるまでもない。ここで処分いたしましょうか」

『処分?』

「報告が面倒ですから。大丈夫、暗いところに戻るだけですよ」


ぼっ、と狐の持つ箱が一瞬にして燃え上がり、灰となる。あれのようになるということか。


「一瞬ですから、気にはなりませんよ。保障いたします」

『……暗いところは嫌だ。せっかく私は私となったのに、逆戻りだなんて』


もやもやと重たい感情が質量をもって私の中にわだかまりを残す。嫌だという感情。寂しいという感情。怖いという感情。負の感情が抑えきれないのは何故だ。寂しい、寂しいと嘆く声は、私の中からあふれでて、どうしたいのだ。


「くっ……」


よろり、と狐がよろめく。


「かなりあの方の影響を強く受けているようで……!」


這うように寂しいという感情が、寂しくないように誰かを取り込もうとする。もっと温めて。もっと自分に寄り添って。もっと沢山、愛を囁いて。


「分かりました、分かりましたから。その負の感情を流してくるのをやめてください!」


言われ、私は理性を取り戻す。ああ、一瞬意識が飛んでいた。ぽっかりと虚しい心というものを埋めていた感情はどこから延びてきたものだろう。世界に生まれ落ちたばかりの私にはまだ、難しい感情だった。


「あの方の孤独の感情の大部分で貴方は構成されてるようですね。負の感情に敏感だ。仕方がないのであの方にお返しするしかありませんね……。ただし、主には内緒ですから馬鹿な考えなど起こさないよう」

『おお、ありがたい』


良かった。とりあえずの危機は去ったようだ。

さっと踵を返した狐は来た道を戻ると、障子を静かに開く。部屋に無造作に放り込まれて、私は畳の上に転がった。


「あら」


少女が気がついて、私の元へやってくる。そして手を伸ばして自分の手元へ引き寄せる。

目を丸くして、心底驚いているようだった。


「どうして?」

「ボクでは少々手に負えません。全く、貴女は何てものを生み出してくれたのでしょう」


苛立ちの募る声で狐は言う。

すまんな、何てものに生まれてしまって。


「もう、もどってこないとおもった」

「消すのは得意です。お望みなら消しますよ」


少女はぶんぶんと首を振って否定する。そういう仕草をすれば年相応に見えて可愛らしい。人の子もかわいげがある。

それから私を抱いて、


「おかえり」


と言って、なでてくる。

むー、くすぐったい。

もぞもぞと身体をふるわせるけど、それでも少女はなでてくる。その楽しげな顔にほだされそうになるが、やめてほしい。


「……笑いましたね」


狐がぽつりと呟いたので、私はついとそちらへ意識を傾けた。

狐は狐で驚いたような寂しいような表情で障子の前に立ち尽くしている。一体、何に驚いているのだろうか。


『そうだ、お前。名前をつけてくれ。狐が、私の名前はお前がつけるはずだと言ったのだ』

「なまえ?」


少女が首を傾げる。


「そうね、あたしがつけないと。うーん……かさ……かさかさ……ん! かささ!」

「カササ?」

「おはなの“はな”にたなばたにつかう、たけの“ささ”で、かささよ」


花笹。

それが私の名前か。

そう認識した途端、私の身体の中で何かが生まれた感覚がした。その違和感に少しだけ心を傾けてみる、と。


『む?』


夜色の粒子が身体から溢れ出して、人型となる。


「おとこのこだ」


少女が少しだけ目を見開いて、すぐに微笑む。

むむ。人型になった。

私は雄か。


「なにもきてないのね。きつね、なにかきるものはある?」

「……こちらに」


何もないところから着物が出てきた。少女の着ているものと瓜二つだ。


「それはおんなものよ」

「男物の服は用意されておりませんから、我慢してくださいませ。人間には女装という文化がございますよ」


狐はぽふっ、と私に藍色の着物を投げつけた。

少女は狐をきっと睨んで、それから私に着物を着させてくる。うー、この着物とやら、無駄に動きにくくさせるだけではないか。

こんなものを好んで着る人間がわからない。

それでも、もそもそと少女に着付けられていく。


「かささ、できたわよ」

「ありがたい」


狐がじっと私を見つめているの気づく。

一体何事か。


「何だ?」

「名前……」


ぽつりと狐が漏らす。

名前? 名前がどうかしたのか。


「ボクも名前が欲しいです───」


それは羨ましいような哀しいような、不思議な声音。

狐が無意識のうちに呟く声に少女が振り向く。


「あなたにだって、なまえがあるはずよ」


言われて初めて狐が、自分が何を言ったのか理解したかのように「あ」となる。

狐はそっぽを向いて誤魔化そうとするが、少女はそれを許さないでたたみかける。


「なまえ。あるでしょう」

「……ありません。主にとってボクは、貴女の玩具程度にしか思われておりませんから」


観念したように狐は言う。少女の玩具? お前の主はひどい扱いをしているな。

私なんかでも生を与えられているのだ。私より生き物らしい狐が生き物として見られていないのは可哀想だ。


「なぁ、少女」

「あたしのなまえはしょうじょじゃないわ」

「じゃあなんて呼べばいい」

「おしえれないわよ。なまえはいちばんみじかい”しゅ”なのよ。こんな、てきじんちでばくろできないわ」


しゅ?

何のことだ? 怒ったように言われてもわからないぞ。


「“呪”ですね。名前はまじないの一種ですから」

「ほー、そーなのかー」


私はそんなこと気にしないからな。呼ぶ喜びと呼ばれる喜び。これはとても尊いことだろう。


「だから、いや」


それなのに拒絶されたが、狐はすまし顔だ。


「まあ、貴方はそれでなくとも、自分の名前が奪われている状態ですから……」


ぼそりと狐が何事か呟いたがうまく聞こえなかったな。うん。


「なあなあ。だったらお前たちで名前を付け会ったらどうだ? このままでは呼びづらい」


提案してみると、二人ともキョトンとする。

だってなぁ。


「少女」

「ちがうわよ」

「狐」

「……」

「ほら、名前が必要じゃないか」


してやったり、とか思っていると、二人とも苦虫を噛み潰したような微妙な顔をしている。


「私は名前あるから、お前たちでつけあってはどうだ」


我ながら妙案だ、と思っていると、


「どんなにへんななまえになっても、きつねがぎゃくじょうしなければいいわ」


ちょっと待て、変な名前になること前提か。


「嫌な名前になった場合、ボクの狐火が暴走するかもしれません」


狐も暴力宣言するな。

むう、やはりこの案はなしか? とか思ってると、やれやれといった体で少女と狐はうなずき始めた。


「しかたないわね。たしかにいつまでもきつねではかわいくないし、かささだけがなまえってのも、へんよね」

「そうですね。ボクも貴女を呼ぶのが人間の小娘とか長くて長くて困っていたのです」

「へぇ……? わがいとしきとも、とかよんでたうらでそうおもってたのね」

「おや、失敬」


少女の目が据わる。

ともかく、ともかくだ!


「少女、狐の名前をつけてやれ」

「めいれいしないでよ。そうねぇ……」


むす、としながらも考えるあたり、少女は優しいのだろう。


「狐も考えろ」

「貴方に指図される意味が分かりません」


ぼっ、と手のひらから狐火が顕れ───


「はいはい、きまったきまったー」


ぷすん、と不発で終わる。

ありがとう少女よ。私は命拾いをしたぞ。

狐はびっくりしたように少女を見て固まっている。


「いい、きつね? よくききなさい。あなたのなまえは、はくせ。しろいせかいのはくせ。あなたはつくられてまもないから、せかいをしらないのでしょう。むちなあなたにぴったりじゃない?」


狐が───いや白世が目を見開いて少女を見つめる。


「白世……」


口からこぼれる吐息は、今までのような凍れるほど冷たいものではなく。


「ありがとうございます」


花が綻ぶように、その顔にはわずかに感情が見え隠れする。あれは、喜びだろうか。

名前をもらうだけでこんなにも人が変わるものなのか。やはり、名前は尊いものということか。


「それではお礼です。あなたの名前は──るるあ。一縷の望みが束となった空、縷々空です。ボクの希望を乗せ、貴女の希望も乗せ、明るい先へ向かう、そんな名前です」


何かに吹っ切れたように白世は微笑んで、少女───縷々空に寄る。


「へんななまえね。にんげんらしくないわ。それにあなたがきぼうをかたるなんて、すごくこっけい」

「お気に召しませんでしたか?」

「───まあ、いいわ」


縷々空も心なしかほっとした声音に聞こえる。無表情な少女に、わずかな表情が戻ったようにさえ見える。

名前とはなんとも素敵なものだ。

たった一つの音を決め、字を決め、意味を決めるだけで、存在を持つ。それを与えられたものは、それだけで尊く見える。

今もそうだ。

狐だった白世が、少女だった縷々空が、傘だった花笹が。それぞれ自分を見出して成された。

こそばゆい感じの中に安心感が生まれる。自分という存在を認められた安心感が。


「早速ですが縷々空」

「なによ」

「もっとボクの名前を呼んでください」

「はあ?」


何言ってるんだこいつ。縷々空じゃなくても思わず顔をしかめてしまう。


「……はくせ?」

「違います」

「はくせ」

「違う」

「───白世」


縷々空の声がいつもよりもはっきりと澄んでいて、凛とした言霊を放つ。

白世はうっとりとした表情でそれを聞いていた。


「へんなの」


縷々空はいまいち白世がそうする理由が掴めずに言葉をこぼす。

私もそう思うよ、縷々空。

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