番傘の空 1

こつこつと硬い靴が床を鳴らしてこちらへ近づいてくる音がした。んぁ、なんだ。

ごろんと畳に転がっていたら雑多な店の方からひょこりと二人の人の子が顔を見せた。客か。

少女と少年の二人。少女の方と目があった気がする。ごめんください、と少年の方が奥に向かって声をかけた。


「いらっしゃ……げ」


店主がのそりとやって来る。ちらりと私に一瞥してからまぁ大丈夫か、と暖簾をあげて店に来た二人に顔を出した。


「こんにちわ、店主」

「なんだ結姫か。帰れ、お前の欲しがるようなものは何もないぞ」

「いえいえ、あるわ、匂うわ、きっとあるわ……と言いたいところなんだけど、今日はちょっと趣旨が違うのよねぇ」


結姫と呼ばれた少女と店主が何やら言い合っている。ふむ、暇だしちょっと成り行きを見守ってやろう。

暖簾の下から興味津々に見上げていると、店主にげしっと蹴られた。あたた、何をする。

連れ添いの少年の方が不思議な顔をした。あら、と結姫が気づく。今度はばっちり目があった。


「やっぱりあるんじゃない」

「うるさい。それで、何のようなんだ。わざわざ店まで来て」

「そうそう。そうね」


ぽんっと思い出したように手を打つ結姫。なんだか結姫とやらは表情豊かだなぁ。それに比べ、少年の方は借りてきた猫のように縮こまっている。


「紹介するわ。この子、部活の後輩、蛍野くん。蛍野くん、こちら骨董店の店主よ」

「あ……は、はじめまして蛍野光です」

「ああ。俺は……まぁ、気がねなく店主と呼んでくれ」


店主がしどろもどろに言うと、不思議そうな顔をしながらも蛍野はうなずいた。ふむ、素直だな。

店主は半纏の袖に腕を入れて、めんどくさそうにそれで、と話を促した。まったく店主はせっかちだな。


「それで用とやらはなんだ」

「あたしたちの作品のテーマを提供して頂戴」

「はぁ?」


作品? 店に来たこいつらは何か作っているのか。それはそれは、興味深い。


「六月に蛍野くんが、七月にあたしが、入れ替わるように寝込んじゃっているから、ぶしができてないのよ」

「武士? なんだお前そんなことやってるのか。時代遅れも甚だしいな。しかも女子供がやることじゃないだろう」

「はい? 何を言ってるのよ。女子供がやるからこそ夢が溢れるのではなくて?」

「んな危ないこと許されるわけないだろ」

「危なくないわよ。本名晒してやるわけじゃないのだし」


ん? なんだこの会話。二人とも言っていることがめちゃくちゃじゃないか。


「発行取り消しになったシーズンものでやると季節感台無しになるし、かといってあたしも最近調子悪いからまたいつ休むか分からないしで」

「まてまて、そもそも武士に季節感なんて要らないだろう」

「季節感を出すことは定番じゃない。それに趣あるじゃないの」

「定番? そんな武士知らないし、貴族みたいになよいな」

「ちょっと、何が言いたいのか分からないんだけれど。これだから学歴ないと困るって忠告したじゃない。まぁこれは学歴関係ないけれど……どちらかというとこの文化は貴族寄りだから間違ってはないでしょう」


呆れたもの言いの結姫に、渋い顔で腕を組む店主。さすがの私も二人の会話が噛み合ってないことに気づいているんだが、どうして当人たちは気づいていないんだ。

話のオチを見守ろうと思って成り行きをじっと見ていると、とうとう埒が明かないと痺れを切らしたのか、蛍野がおずおずと挙手して二人の会話の間に割り込んだ。


「あの」

「なぁに蛍野くん」

「先輩、僕らの活動内容ちゃんと店主に店主に伝えてあるんですか……?」

「だから言ったじゃない。ぶしの発行のためにテーマを提供してくださいって」

「武士の発酵……?」


ますます怪訝な顔をする店主。まてまて、店主よ。発音が微妙に違わんか?

その事に蛍野も気づいているのか、こほんと咳払いする。


「先輩、店主さんの言ってるぶしと僕らのぶしは違うと思います」

「あら?」

「たぶん店主は侍の方の武士を言ってますよ」

「あ」


結姫が気づいたように目を丸くする。店主の方は、ん? と首をかしげた。


「僕ら、文芸部って言う部活動をしてるんです。部誌って言うのは文芸部誌の略で、文芸作品を載せた雑誌の一種なんです」

「ほう」


ぽんっと手を叩いて合点がいったと店主は頷いた。ほうほう、武士ではないんだな。それならば勇ましくある必要はないな。

店主の性質上、少々思考が現代的では無いことを知ってはいるが、まさかここまでとはな。くくくと笑ってやるとまた蹴られた。痛い。


「テーマとはその作品の題材と言うことか。それならそうと言え」

「あたしはそう言ってたじゃないの。なぁに、烏之瑪に通訳してもらわないといけないほどに難聴なのかしら?」

「ぬかせ。お前の話は要領が得ん。詳しいことはこっちの後輩に聞くとするから、お前はそこで待ってろ。蛍野、上がれ。詳しい話を聞きたい」

「え、あ、いいんですか?」

「良いと言ってるんだから遠慮せず入れ」


そ、それじゃあ、とちらりと結姫を見てから蛍野はそろそろと土間の店先から靴を脱いで一段高い畳に上がってくる。私の横をすり抜けて、二人は奥の階段を上って二階の居住スペースへと上がっていった。


「全く、これだから会話ができるようでできないんだから……」


ぶつぶつと残された結姫が何やら言ってるが、今回ばかりは仕方ないだろう。知らない言葉を聞き取れというのは難しい。

私だって会話に入りこそしなかったが、言われるまで本当の意味がわからなかったからな。文芸部というのは分かるぞ。店主がたまに読む文芸書とやらに似た何かなのだろう。部活と言うものは学校で集まって活動するものだ。私も一時、演劇部とやらに勤めていたからな。分かるぞ。今は売られてこんなところにいるわけだがな。


「店主って長く生きてるわりに人間と関わろうとしないからどんどん時代が遅れていくのよ。時代遅れはどっちだか。そう思わない? 付喪神ちゃん?」

『ん?』


なんだ? 今誰に向かって話しかけたんだ。もしかして自分か。

注がれる結姫の視線は見事に私に向いている。なんと。本当に私に話しかけたのか?


『私……のわけは無いよな』

「いいえ、あなたよ。番傘の付喪神」


なんと。

さっきからちらちらと視線が合致していたのは気のせいではなかったと言うことか。

なんだなんだ人の子。


「あら……あなた」


結姫はこちらへと近づくと、何かに気づいたかのように目を見張った。それからちょっぴり切なそうな顔になる。


「頼み事をしたかったのだけれど、だめね。あなたには難しいかしら。店主、この事を分かって無いって言い切ったのね」


もう、余計なお世話なんだからと大きくため息。なんだなんだ、失礼な奴だ。


『頼みごとなど、私にできるのは日除けぐらいだ。紙が古いから雨避けには向かないしな』

「いいえ、傘としてお仕事を頼みたかった訳じゃないのだけれど……人型にはなれないでしょう?」

『人型か? あいにく呪いのようなものを受けていてな。人型は取れん』

「そうよねぇ。腕さえあれば筆を持てなくとも肉球でも押してもらえさえすればいいんだけど……あなたには無茶ね」


くすくす笑われる。笑うなんてひどいな。付喪神たるもの、人型くらいとれなくてはならんというのは馬鹿にしすぎだ。中には私のように人型になる力を失ったモノもいれば、生まれつき人型がとれない奴だっているんだ。

人の子だって得手不得手があるように、私たちにだってあるものなんだ。


『馬鹿にしないでもらいたい。私が人型をとれないのには深い深い理由があるんだ』

「あら。そうなの。それなら……そうね、暇だし聞かせてくれないかしら」

『暇潰しになどでするような話じゃないぞ』


心外だ。私のこの記憶はおいそれと他人には話してやれない大切なものだ。それをどうしてふらりとやって来た奴に話してやらないといけないんだ。

くすくすと結姫は分かる。私は怒っているんだぞ。それを笑われてはますます怒りたくなるではないか。

笑っていた結姫が不意に目を細める。きらりと左目だけが赤く光ったように見えた。

……なんだこの既視感。

誰かに、誰かに雰囲気が似ている。私の記憶の中で最も強烈に位置付けられた記憶の中に、この違和感がふわっと隆起してきた。いや、だがはっきりと分からない。誰かに似ているんだが……。


「寂しいのは嫌いなの。話し相手になってくれても良いじゃない。昔話に花を咲かせましょう」


───あ。

分かったぞ。これは私の記憶の根本にあるものだ。まるで記憶が切り取られたかのようで気持ち悪いな。

そういえば先程懐かしい名前を口にしていたな。これがもし私の知ってる名前だったなら。


『なぁ人の子』

「なぁに?」


私にそっぽ向かれたことが悲しかったのか、土間から上がる縁側に腰かけて店をぼんやり見ていた結姫が気のない返事をする。まったく、話したいことがあるのにその返事はなんだ。

怒りたいがあえて止めておこう。そんなことより聞きたいことがあるのだから。


『お前はさっき烏之瑪の名を口にしただろう』

「あら。よく聞き取ったわね」

『烏之瑪とは、あの烏之瑪か。神烏の』


この名をを口にするのはいつ以来か。それこそ数百年来か。

懐かしいその名の持ち主を詳しく訪ねれば、結姫はそうよとあっさり頷いた。


「こんな変な名前の奴が他にもいたらびっくりよ」

『……あまり名を馬鹿にするのは感心せんな』


名は短くはあれども呪となる大切なものなのだ。それを昔、私を生んでくれた奴が言っていた。どんなにへんてこでみょうちきりんな名前でも、その者にとっては得難いものなのだと、自分の身をもって私は知っているつもりだ。

それをなおさら、縁の深い烏之瑪を知る者に馬鹿にされたくはないだろう。


「ごめんなさい、そうね。名前は大切。どんな名前でも個人にとっては二つとないものだわ」

『分かっているなら、いい』


頷けはしないが、きっと人形をとっていたら頷いていたと思う。まぁ、許してやらないことはない。

素直な奴は嫌いじゃない。そうだな、さっき気になっていた話をしてやろう。私も店主以外の話し相手などそうそう居ないからな。


『烏之瑪の縁者なら、知っていて損はないだろう。もしかしたらお前の生あるうちに深くか変わるかもしれない奴らの話をしてやろう』


そう、それは気の遠くなるほど昔の話だ。

私が生まれ、少女が空を飛ぶまでの話。

寂しさの中で生まれた、心の話。

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