第四話

日記帳回顧

昔、日本がまだ江戸と呼ばれていた頃。山奥にひっそりと隠されたように建つ屋敷があった。

それはとある少女を囲うためだけの、寂しい建物だった。結納を間近にして、少女は自分が嫁ぐはずだった屋敷の主に拐かされた。否、彼女は心から彼を愛し、その懐へいれてしまった結果だ。幸せを夢見た少女の、それこそ彼女のたった一度の過ちともいうべき、真実。


囚われし少女は始めこそ裏切られたことに憤り、怒り、恨み、呪い、罵った。だがそれでもなお、心の底では己が愛した男を信じざるを得なかった。人間のかかる呪いのようなものだった。

あり得ないとは思っても、現実を受け止めきれずに男を信じ続けるしかなかったのだ。それが愛してはいけない男を愛してしまった少女の末路。


少女が狙われた理由はただ一つ。彼女が日記帳の持ち主だったから。

順調に事が進んだのは屋敷の主にとって好都合、少女が自分の器を本当に愛してしまったことこそが嬉しい誤算となった。


日記帳をもたらした神妖と契約を結べるほどの力を持っていた少女は、虐げられることこそなかったものの、その力を日々吸い取られていった。───そう、屋敷の主は人間ではなかった。外つ国より渡りし妖かしだと伝わっている。

生きる気力をなくした結果、少女の力は弱まり続けた。屋敷の主の器は少女の力の波長と相性が良かったから、少女をなくすのだけは渋った。力をつけたい。だから手下の一匹を少女につけて少女の相手をさせた。

少女は心が死んでしまった。一年も経ってしまえば、助けに来ることができる者はいないことを悟り、自分の愛した男も、もういないんだと言い聞かせる日々が続く。希望などない。絶望は人の心を殺す。


少女のために作られた屋敷の主の手下は毎日毎日話し相手をした。根気よく少女に話しかけ、兎のように寂しさで死ぬことはないようにと心を尽くした。手下の妖かしは屋敷の主の良心と言うべきかと思うほど、優しく少女に接し続けた。拒絶されようとも、そんなことでは引かなかった。


手下の妖かしは、事実、屋敷の主の良心だったのかもしれない。

彼は少女が愛した男と同じ接し方だった。善なる部分が切り離され、手下となったと言えば良いほどに慈しみを注いだ。だけれど、その想いはついぞ届くことはなかった。どんなに言葉を尽くしても、彼の言葉は少女の心を開けることはできなかった。


そうして三年の月日が過ぎる。

少女と契約を交わしていた神烏がやっとの思いで少女を見つけると、神烏は少女を連れだした。少女は日記に宿った力を借りて屋敷ごと、屋敷の主とその手下を封印した。

日記帳に宿っていた複雑な妖気のせいで封印を解くのには長い年月がかかると思われた。長い長い、旅路の夢を見る。


そうして今日こんにち

三冊目の日記帳は妖怪達の間で出回っている。三冊目の持ち主は神烏によって、自らの意志をもってして、前世の記憶を引き継いで生まれてきていた者だった。幸せな愛を二度と叫ぶことはない、目的のためだけに生きる少女。自らのあの傷を負わすような真似をしたくない。契約者の魂が同じになるというならば、わざわざ人生をやり直す必要はないのだ。そう思ってあの惨劇を自らの魂が負うべきものとして、一魂に閉じ込めてしまった少女。


その契約者、翡翠の日記帳の現在の持ち主の名は───。

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