猫の鬼ごっこ 3
小娘が私を足下へとおろし、目を瞑る。私は何か起きるな、という予感がしたので小娘から距離をとった。再び新人に捕まる事も予想されるので、すぐに小娘の方へ行けるよう、そんな大きくは離れないがな。
小娘は左手を突きだした。袖口から小粒の石が連なった腕輪がちらりと見える。
「───我が魂に刻む・儚し紙片から悪意在る波動へ」
すぅっと息を吸って小娘が唱えると、僅かに風が動いた。段々と風が土埃を巻き上げて、ゆっくりと膨らんでいく。
小娘の髪や服がそれに合わせて空気をはらんでいくが、小娘自身は直立したままだ。腕輪がカチカチと鳴動する。
『いいのか、結姫』
「いいわよ。二度も言わせないで」
風がいっそう膨らみ、破裂する。腕輪は四散した。
私は吹き飛ばされそうになったが、なんとか地面にかじり付いて事なきを得た。そして得体の知れぬ違和感を小娘に抱き、思わず身構えてしまう。
なんだ、この肌を撫でつけるような嫌な気は。すごく気持ちが悪い。そもそもその出所が小娘なのが解せない。
「──この、妖力」
新人も軽く驚いた様子で、じっと小娘を見つめる。
新人の呟きをうまく拾ったから言えることだが、これが妖力なのか? 小娘がこんなにもおぞましく大きい妖力を隠していたと言うのか? そんな事をして小娘は平気なのだろうか。小娘は一体何を抱えている。
新人も似たようなことを思っているのかは知らないが、その表情は段々と険しくなっていく。
だが、そんな新人を気にも留めず、小娘は烏之瑪しか見ていない。
「烏之瑪。やるなら早くしなさい」
『……すまぬ』
言葉短く烏之瑪が謝り、宙に羽ばたいて地面に平行に少し移動した。あまり小娘から離れていない場所で、烏之瑪は力有る言葉を放つ。
『──我が真名と魂に刻む・瑪瑙で創られし之こそ主が為の鴉』
黒い風が烏之瑪を覆った。細かくいえば、夜色の結姫の妖力が烏之瑪に集束する風に絡みついているのだ。黒い竜巻の中心に烏之瑪がいることとなる。大丈夫なのだろうか。
小娘の時とは違って、完全に烏之瑪の姿が隠れてしまう。風に色が付いているせいだろうか。
やがて竜巻は細くなり、消えた。そして一匹の天狗が、金環の連なる錫杖を持って現れる。
カラスの姿が見えない。まるで、カラスが天狗になったように跡形も無かった。
天狗は地面を軽く蹴って、空に舞い上がった。そうして新人の正面で相対する。
「───狐、これで満足か」
厳かな声で放たれた言葉は正しく烏之瑪のものであった。ということは、天狗は烏之瑪なのか。
新人は何が面白いのか嘲笑う。
「何が可笑しい」
「いえ。自身の力を思い通りに使えないのはなんとも滑稽なことかと思いまして」
烏之瑪は動じない。静かに新人を見る。
「誰かのせいで、長く人界に住み着いてしまったからな。だがそれも我だけではないだろう」
「それではボクの勝利しか目に見えないじゃないですか」
「それはどうか。───巻いた風は竜の如し!」
烏之瑪が唱えると、その手の錫杖に集められる。かなりの量の風が集められているようで、私は吹き飛ばされそうになる。もう一度地面にかじりついて、飛ばされないように踏ん張るが、結構近いからか引きずられてしまう。
ぐぬぬ、どれほどこうしていればいいんだ烏之瑪!
「に゛ゃっ」
案の定飛ばされた。けれど、すぐに小娘に抱えられたので何とかなった。
ざわざわと肌を撫でつける強い妖力は気持ち悪いが、この際文句は言ってられない。礼を言おうと顔を上げたら、真っ青な顔をした小娘がそこにいた。
じっとりと額に汗を浮かべ、唇は紫色になっている。肌は血の気が全くなくて、真っ青を通り越して蒼白だった。
何も言えずに目を丸くしている私に、小娘は人差し指を唇の前で立てて内緒の合図をしてくる。そして、息も絶え絶えに術を唱える。
「──我は魂に刻む・悪意在る波動を儚し紙片へ……」
唱え終えると妖力が霧散し、小娘はへたり込む。
小娘がぜぃぜぃと肩で息をし始めた頃、烏之瑪の集束していた風の動きが止まった。それに気づいてそちらを向く。
目を凝らしてみると、烏之瑪の錫杖に風の球体があるではないか。なんだあれ。あんな沢山の風を集めておきながら、あんな小さいものにしてしまったのか?
「行け」
烏之瑪が一言命じると、風の球は歪んで跳ねた。
「そうこなくては」
新人は楽しそうに跳ねた風の球を避ける。風の球はまるで生きているかのように空中を跳ねていく。
新人は手に持つ日本刀でそれの進路を反らしたりはするものの、風であるので切れてはいない。
幾度か風の球を避けた新人の背後から烏之瑪が錫杖を凪ぐ。新人は反転しつつ、日本刀を持たない方の腕で錫杖を弾いた。
「背後からですか」
「今更ではないか」
余裕の体でそのまま日本刀で切りつける。
烏之瑪は錫杖で受け止めた。
「こちらばかりに注目していていいのか」
「───がッ!?」
一瞬の油断で、背中に風の球が命中した。渦巻く風が新人の背中を抉る。
「くっ……!」
新人は挟まれる状態でいるのは最善ではないと判断したのか、せめぎ合う日本刀を引いて、烏之瑪の真横をすり抜けた。
しかし私の心配はあんな馬鹿どもの方へは向きはしない。気にはなるが、それより気になることがあるのだ。新人と烏之瑪が空中で切り結び続ける中、小娘の顔色はますます悪くなって行くばかりだった。
『……大丈夫か?』
「……そうね。封印の術は、唱えたから。でも、石がないから仮留めにしかならないわね」
ふふ、と笑いながらも、息も絶え絶えに小娘が言う。
大丈夫とは言うものの、全く大丈夫そうには見えないのだが。
小娘の呼吸が荒くなっていく。はぁはぁ、と息を吸って吐いてを繰り返す呼吸から、喉の奥がひゅぅ、ひゅうとひきつっているような細い呼吸へと変わっていく。
「……さすがに、堪える、かしら」
『小娘!?』
ぐらり。
小娘の身体が前へ傾いだ。それでもなんとか地に手をついて身体を支える体勢となって、保つ。
呼吸は荒いままで、私にはどうすることもできない。
『小娘、小娘!』
おいおいやめてくれ! 私は猫だ、人間の看病の仕方なぞ知らんぞ!
慌てふためけども、回りには新人の結界のせいで人っ子一人おらんではないか!。
ああ烏之瑪、なぜ小娘が大変なことに気づかない。新人も、どうしてそこまでする必要があるのだ。
沸々と怒りが湧いてくる。他人様に迷惑をかけてまで、争う意味があるのか。
私自身の妖力が、怒りでチリチリと毛を逆立てていく。もう怒った、日記か。日記が悪いのか。
私が日記を預かってさえいなかったら、私は日がな一日のんびりと過ごしたままでいられて、小娘も苦しまなかったのだろうか。元凶は日記なのか。
ならば、そんな平穏な日々を失わせるような物はない方がいいに決まってる。
私は妖力を集めた。
───実際にやるのは初めてだが、仲間内からよく話は聞いていたので問題はなさそうだ。もちろんこの場合の仲間とは、いつもの弟子猫ではなく猫又仲間達のことを指す。
妖怪は能力を持つものがいるという。認めたくはないが、妖怪に分類されてしまう私に能力があってもおかしくはないのだ。
本体と別に身体を持つことを想像する。どんな姿がよいか。ああ、小娘。お前の姿を借りよう。
私の身体から夜色の粒子が、糸を解くようにするすると出てくる。そして私本体より大きい、人間の幼い子供程の大きさで形作る。
目を開くと、いつもより高い目線でいつも通りの視野のままの世界が広がっていた。
変化
もしくは人型。
小娘を意識したので、顔つきなどは小娘に似ているだろう。身体があまり大きくないのは不慣れだからか、私の妖力が少ないからか。
ちゃんと服も着ている。黒い襦袢に、赤いちゃんちゃんこと赤い頭巾。何だか人間でいう還暦祝いみたいだな。姿は幼児だが、精神年齢が老人とでも言いたいのかこれ。考えたのは自分なのだがな。
私は別れてしまった自分の本体を抱く。
そうしたときやっと、私の変化に気づいた新人と烏之瑪がその攻防をやめた。そして倒れている小娘にも気づく。
「結姫!?」
「───っ!」
新人が烏之瑪よりも一拍早く、動いた。だが、遅い。
「
慣れないながらも、私が術を紡ぐ事の方が僅かに早い。
猫を殺すと七代祟るという。その真実を見せてやろう。
私が術を紡ぎ終わったとき、私が還るべき身体は消え、一つの三味線が私の手に現れる。
私はそれを構えた。
「先生、何を───」
「日記を祟ろう。私は自由を脅かすものほど嫌いなものはないからな。この状況を生みだしたのが日記なのなら、気に食わないそれに仇をなすのが猫であろう」
「貴様────!」
けらけらと嘲笑ってやる。烏之瑪が風の球を私に向かわせるが、気にしない。
私の祟りの方が絶対に早い。
私が三味線を鳴らそうと手をかける、と。
「……駄目よ、猫又」
へたり込んでいたはずの小娘が、小さな私を後ろからそっと抱きしめてきた。ふわりと甘く優しい香りが、刺々しい小娘の妖力の残滓と共に鼻につく。
「烏之瑪に殺されちゃうわ……」
脂汗を額に浮かべ、辛そうにしているのに小娘はかすれた声で笑う。
烏之瑪が風の球を止めた。
「結姫どけ!」
「誰のせいだと、思ってんの……」
結姫は私を抱えたまま、のろのろと顔を上げて烏之瑪を睨んだ。ついで、空中で動きを止めていた新人にも視線をやる。
「やっぱり今日のところは、出直して頂戴。あなたがまだ……あたしを想ってくれるのなら」
途切れ途切れに言う言葉は切なそうにさえ聞こえて、小娘が痛ましかった。
新人は完全に表情が消え、冷たい目で私を睨み日本刀を袖にしまう。
「……解き解せ・秘狐界」
世界がほろほろと崩れていき、元の青空のある世界に戻ってくる。新人の結界が解けたのか。
新人が悲しそうに最後小娘を見て、夜色の霧となって散った。本当にあいつは仲間ではなかったのだな、と今更ながらに思った。
空を眺めている私に、小娘が耳打ちする。
「ネコマタ、術を解いてくれるかしら」
「無理だ。猫又の術は我が身を犠牲に相手を祟るから。私の身体が三味線になった時点で、もう後戻りできない」
「馬鹿め。何故そんな事をしてまで我らの日記を呪おうとした」
空から降りてきた烏之瑪が厳しく追求してくる。
「私は終日穏やかであることを願うのが常。小娘を弱らせてでも争う烏之瑪達が気に食わなくてな。そんなことになるなら、日記を祟ってやろうと。───ノリで」
「ノリで日記を呪うな!」
烏之瑪が怒る。
いいじゃないか、結局祟らずに済んだのだし。
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