猫の鬼ごっこ 2

やって来た烏之瑪は黙りを決め込んでこちらに寄ってこない。道だけ塞いでいる状態だ。私は動く気など無いが、いささか邪魔ではあるな。

目の前のカラスがジッと無言で私を見つめるので、私は耐えられずに自ら声をかけた。


『どうした。日記はまだだぞ』

『───いや、珍しいのを連れているな、と』


烏之瑪は翼で新人ネコを指した。なんだ彼か。

自分は答える。


『新人だ。丁度お前達と会った後、仲間に入った』


新人が少し歩み出る。


『こんにちわ、新人です』


ニコニコと笑う新人ネコ。

烏之瑪はジッと彼を見つめる。


『やだなー、会ってそうそうガン付けをしないでくださいよ』


新人ネコの言うとおり、大人げないぞ。だがまあ、私は関係ないからユラユラと二つに分かれた尻尾を揺らして二人のやりとりを眺めることにする。


『はて、我の勘違いか。貴様から邪悪なる気配を感じるのだが』


首を傾げる烏之瑪。


『そんな事ある訳ないですよー。ボクは純然たるネコですし』


ふふふ、と結姫に似た笑みを浮かべる新人ネコ。コイツの雰囲気が誰かに似ている気はしていたが、そうか小娘か。いや、だが小娘ほどいたずらめいた感情は乗っていないので気のせいかもしれんがな。


『なら何故、我の声が聞こえるのだろうなぁ?』


キラリ、と妖しく烏之瑪の瞳が輝く。

はて、そう言えばそうだな。

新人ネコは猫又でない。人間が我ら動物の言葉を聞けないように、我らも多種族の言葉は聞けない。妖怪となった物ならば、相手に自分の意志を伝えることができる。相互でそれが成り立つとき、初めて会話となる。

この原理を考えると、多種族との会話ができるのは強い力を持っているモノたちだけだ。小娘もあれでいて結構な力の持ち主と言えよう。

だが新人ネコは?

コイツも妖怪なのだろうか。そうであれば猫又としての象徴の、二股の尻尾があるはずなのだが……。


『……にゃーご』

『今更とぼけても無駄だ。正体を現せ、狐』


烏之瑪がそう言った瞬間、新人ネコの周りに白い靄がかかる。その靄がだんだん膨らんでいき、その途中に私の身体が何者かによって持ち上げられた。

これは……。


『ふん。最初からその姿でおればよいものを、何故あんな姿でいた?』


靄が晴れれば、私は誰かに抱かれていた。白い髪、白い耳、白い尻尾。白い狩衣の下から深緑の生地が見えている。なんと、人型の狐に抱かれていた。というか、白すぎて目がチカチカする。


「よく見破りましたね」


白すぎる狐は柔和に微笑む。悪戯が成功したような、楽しげな表情だ。


『答えよ』


うって変わって、烏之瑪の声が幾分か厳しくなる。


「嫌ですね、そんなピリピリしないでください。日記の為に近づいたと言えばご期待に添えるのでしょうか?」

『ほう、日記か? あの小娘の。そうならさっさとやるが。私の代わりに書いてくれ』

『ならぬ』


烏之瑪の目が私を捉えた。おお、怖い。


『何でだ。別に問題なかろう? 私の代わりに書いてもらうくらい』

『そいつは日記を悪用しようとするから駄目だ』

「心外ですね。ボクはただ主のために日記を借りたいだけなのですよ。借りるくらい良いじゃないですか。彼女の一生を少しだけ」

『それが悪用というのだ、たわけ』


ふむと首を傾げた新人は手元の私を見て、またもや悪戯を思い付いた悪い顔をする。よせよせ、私を巻き込むな。

首根っこを摘まれて、前にドーンとつき出される。


「人質ならぬ猫質です」


むぅ?


『おい、新人。この体勢は老体にキツいんだが』

「これは失礼。しかし、ボクが動きにくいので暫く大人しくしていてください」


爽やかに笑うが目が全く笑っていない。どうやら私はとんでもないことに巻き込まれているようだ。

放せー、放してくれー。


「暴れないでください。摘みにくいです」


ぷらーん、ぷらーんと身体を揺らすと新人がしかめ面をした、が気にしない。

怒った口調であっても決して攻撃を加えないことから、新人に悪意がないことが窺える。危害を与えるつもりなら、もっとピリピリとした空気を纏うものだ。人でも動物でもそれは変わらない。

私は身体を揺らすのを止めて、事の次第を見守ることにした。断じて疲れたからではない。身体を揺らすのさえめんどくさがるほど、老いてはいないからなっ。


「おっ?」


突然、新人が私を摘んだまま後方へと跳んだ。その道中、白すぎる狐が移動しながら私を天高く放り投げ、左手で右の袖口を探って日本刀を取り出し、真っ直ぐに飛来してきた烏之瑪を撫でるようにして斬りつける。烏之瑪は寸での所で非行進路をそらして刀を避け、くるりと空中で大回転。そして一瞬の無重力感を味わった私も再び新人の右手に収まった。


『に゛ゃっ!』


やはり首根っこをつままれる。しかも、左手は日本刀を振り回してる。


『ちっ、うざったい!』

「このまま撒ければボクとしては万々歳なのですが」

『させるか!』


新人の背後で、烏之瑪が勢いをつけて塀スレスレの平行滑空から、新人の足下で垂直に跳ね上がる。

おいこら烏之瑪! 私に当たる所だったぞ! 新人が余裕で避けてくれたので問題は無いがな!

新人は反転すると、烏之瑪の動きにあわせて左手の刀を跳ね上げた。その反動からか、後ろに跳ぶような形になる。かなりぐるんぐるんと揺れて気持ち悪い。

塀の上での攻防から、いつしか屋根の上での攻防に移っていた。通行人は全く気付いていない模様。まあ、妖怪同士のやりとりだしなぁ。

しかし新人が着地すれば屋根はミシミシ言うし、烏之瑪が突撃すれば木はガサガサと揺れる。

その度にチラリと人間はこちらを見るが、気にしないで通り過ぎてしまう。見える人が見ればかなり激しい遣り取りなのだが。新人はともかく、烏之瑪が木にぶつかったところで通行人は飛ぶのが下手なカラスとか思う程度だろうがな。不名誉なことだな烏之瑪よ。というか本当にこの体勢は辛いぞ新人……。


「おや? 先生?」


新人がぐったりとしている私に気付いた。眉間に皺を寄せてこちらに目を向けた。


『隙ありっ!』

「あっ」


新人の右手を狙って烏之瑪が突撃する。私は新人の手から落ちた。

ぐるんぐるんと新人に振り回されたせいか、猫の癖にどうやら酔ってしまったらしい。なんとも情けないことだ。他人事のように感じはすれども、平衡感覚が不安定やら吐き気やらでまともに着地できそうにない。頭から真っ逆様だ。む、ここが私の死に所か。

そう思って目を回しながらも覚悟を決めたとき、ぽふっと誰かが私を抱き留めてくれた。おお?


「危ないわねぇ。ネコマタを殺す気?」


不敵に笑う小娘。そしてこの声。紛れもなく結姫梨香だ。


『む。私は呼んでないぞ』

「偶然よ、偶然。丁度こちらに用があったの。そしたらあなた達が派手にやってるから。ていうか烏之瑪、わざわざネコマタのいる方を狙わなくてもいいんじゃない?」

『ふん、それこそ偶然だ。私の向かう先にそれが居ただけのこと』

「あらそう。それじゃ、そういうことにしといてあげる。……んでそっちの白いの!」


小娘が声を張り上げる。新人を真っ直ぐ見つめて。


「白いのとか……。名前で呼んで下さいませ」

「却下」

「そんな、つれない……」


新人のお願いはむべにもなく、却下されてしまった。はてさて、雲行きが怪しいぞ。


「貴女を想って幾星霜、ボクの心ははちきれそうなほどです……。こんなにも貴女に名前を呼ばれたがっているのに……!」

「前にも言ったでしょ。あたしは会いたくなかったって」


小娘が煙たそうに新人を見る。新人はにこにこと笑って刀を袖に納めた。そして、それを見た烏之瑪はバサバサと新人の目の前で滞空する。私はそのまま小娘の腕の中だ。


「たまにはボクと一緒に遊びませんか?」

「嫌よ、めんどくさい。それに今日のあたしは用事があるの、見逃しなさい」

「それはちょっと聞けないです」


新人が右の人差し指を口元にあてがい、そのまま膝を曲げて姿勢を低くする。


「───織り成せ・秘狐界ひこかい


とんっと屋根を蹴ると同時に囁かれる呪。

新人の声が遠くのような近くのような場所で聞こえた。新人の方を注意深く見れば、彼はパタパタと着物の裾をはためかせて宙に浮いていた。しかも辺りははおどろおどろしい雰囲気になってる。

家の塀の亀裂が喚き叫ぶ顔のように見え、植木は古い布が千切れて引っかかったようにダラリとしなだれ、空は火の粉が今にも降りそうな程に赤黒く染まっている。……さっきまでの爽やかで明るい風景はどこにもなく、どろりとして暗い空間が広がっていた。

私はひょい、と小娘の腕の中から出て、そのまま腕を伝い、肩に座った。


「結界を張りました。これで気にせずお話しできますよ」

「……あら。あたしが貴方と話したくないっていうのを、周りが気になって仕方がないって解釈したのかしら。それなら余計なお世話よ」


小娘が肩の私を一瞥してから、おもむろに肩掛けの茶色いバックの小さなポケットに手を入れて、何かを取り出した。


「……また式ですか?」

「あら、何か文句があるのかしら?」

「───いいえ。ただ、前の貴女ならそんな小細工をしなかったのにと思いまして」


新人はいつの間にか、再びぬらりと輝く日本刀を持っていた。

小娘もその手に小さな紙の束を掴んでいる。紙の束は緑色の輪っかで留められていた。


「式紙の二・腕・顕現」


小娘が、力ある言葉を放つ。

小娘の出した式紙は、小娘の背ほどものある黒光りの籠手だった。


「白いのを捕まえなさい!」


小娘が鋭く叫んだ。

籠手は言われるがまま、新人を襲いに飛んでいく。しかし、その途中でどろん、と消えた。


「えっ」

「忘れたのですか? 結界を張ったんです。この世界ではボクが絶対なんですよ? 貴女の式ぐらい、消すなんて造作もない」


小娘が愕然とした。そんなにも衝撃的なことなのか?


『結姫よ、今回は何もするな。分が悪い』

「でも烏之瑪」

『仕方あるまい。今回は私が狐の相手をするとしよう』


小娘が唇を噛んだ。


「小娘、不調か? 魚食え、魚」

「……遠慮しとくわ」


堅い小娘の表情が少しだけ和らぐ。うむうむ、切羽詰まっても何にも良いことは無いからな。少しの余裕が人生には必要なのだ。

上を見上げる。新人と烏之瑪が一触即発の雰囲気で、お互いの出方を見ていた。うーむ、先ほどと似たような状態だなあ。巻き添えだけは食らいたくない。


「烏之瑪。仮の姿ではなく、本当の姿でかかってきてもいいんですよ?」

『ふん、余裕があるな』

「ええ。そんなちんちくりんな姿に勝っても、勝利の余韻には浸れないでしょう?」

『ぬかせ!』


烏之瑪が鋭く新人の懐めがけて飛んだ。新人は左脇腹あたりの布地を犠牲にしたものの、余裕で烏之瑪を避けた。烏之瑪は新人よりも高い位置で滞空し、新人は烏之瑪の方へ視線を向ける。

白色と黒色。分かりやすい対比だなぁ。


『ふん。確かにこのままでは埒があかぬ』

「でしょう?」

『お前の望み通り、真の姿に戻ってやろう』


烏之瑪の声は後半、ひどく冷たいものとなった。新人はにこにこと笑ったままだ。私ならあんな度胸はないなぁ。


「ちょっと、烏之瑪! あなた、その力はどこから供給してるの? 日記?」

『勿論、そうだが』

「はあ!? それ本末転倒じゃない! あ、もしかしてこの間のも!?」


大きく烏之瑪が頷けば、珍しくも小娘が声を荒げる。小娘の雰囲気からして、声を荒げて怒る姿は想像できなかったのだが、というか話が見えない。


『どういうことだ、小娘?』

「……烏之瑪は神烏の中でも特殊なの。神力の容量が小さくて、人界に降りたら降りたで神世界に帰れなくなったのよ」


小娘が手を額にあてて溜息をつく。はて、よく分からん。そのまま小娘は説明を続けてくれた。


「神世界は神々の住む天上の領域のことで、日本系統の神々はその領域にある高天原にいらっしゃるわ。で、そこに帰れなくなった烏之瑪は、私と契約を結んで、妖かし達の間で日記を回してるの。妖かしの間で回して貰っているわけだから、自然と彼らの妖気が蓄積されてしまう。だから神世界へ帰るときに、その妖気を烏之瑪の固有能力で神力に変換して使うことになっているのよ。なのに……!」


ふふ、ふふふ、と肩を震わせる小娘。

確かに小娘の言ったことは納得ができ、烏之瑪に対する怒りもいたしかたないと思わせた。まあ、私には関係がないがな。

それにしても小娘たちにそんな事情があったとは。ふむ、新人との繋がりも気になるが今は止めておこう。

なぜなら、小娘が式紙の束から五枚もの紙を千切ったからだ。


「烏之瑪。あなたが日記の力を使うというなら、あたしはこの式をあなたに向けて放つわよ」

『血迷ったか、結姫。それを放って我を攻撃しても何の意味もないぞ』

「血迷っているのはあなたよ。なら、こっちの方がお好みかしら……?」


小娘がいつも以上に怪しく笑う。取り出したのは、青い輪っかのついた紙の束だ。私にはどれもこれも、同じ紙の束にしか見えない。


『む……それは具足……! まて、早まるな結姫!』


これまた珍しい物を見た。今度は澄まし顔ばかりの烏之瑪が、すごい慌ててる。ほぅほぅ、小娘と烏之瑪の関係が本当に怪しいぞ。

やはり小娘に弱みを握られている烏之瑪の方が、立場は弱いのか? だが、日記は弱みというほど弱みには見えないがなぁ。


「さぁー、どうしようかしらぁ?」


もうこれでは小娘が悪役にしか見えない。ほどほどにしてやれよ、という意味で小娘の頬に猫パンチを食らわす。

しかし大した威力もないので、小娘にはあまり効かないがな。ふにっと肉球が当たった。ちょっとだけ結姫の表情が緩む。


「……あの、これは放置プレイというものですか。という事は愛? これも愛の試練の一種なのですか」

・おぉい、小娘。そろそろ新人が拗らせ系の怪しい独り言を始めたから、相手してやってくれ』


ジロリ、とすごい眼光で新人を睨む小娘。おお、怖い。


「仕方ないわね。烏之瑪、あたしの霊力じゃない方を使いなさい」

『良いのか』

「だって日記の力を使うことを、あたしは許さないわよ」

『……すまぬ、結姫』


烏之瑪が本当にすまなさそうに言い、小娘の近く、私とは反対の肩に留まる。

やれやれ、やっと話がまとまったようだ。

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