猫の鬼ごっこ 1

にゃーお。私の喉から出る声は、人の子にはそう聞こえるらしい。私的には今「鬼さんこちら」と言ったのだが、まあ、関係ないだろう。

当然だが、この言葉は人の子に向けて言った言葉ではない。私と一緒に鬼ごっこをしている仲間に向けて言った言葉だ。

今、三毛猫やらトラ猫やらの野良猫たちがハシャぎ回り、遊んでいる。それはそれはとても楽しそうで、元気よく立ち回る彼らにとって少し寒い秋晴れの空がちょうど良く感じられるほど。

普段ならこの時間、私は一人で日向ぼっこをしたり、野良猫生活におけるノウハウを若い猫に教えたりしている。付いたあだ名は『先生』。野良猫生活十数年。我ながら長生きしたほうだと思う。

しかし、体は老いているため最近は過激な運動を控えていたのだが、ひょんなことから仲間達と鬼ごっこをする運びとなってしまった。老体には堪えるな。

きっかけはあの小娘のせいだ。数日前、片目のカラスを連れてやって来た小娘が、私に翡翠の表紙の和綴じの本を差し出して行ったのである。




あの日もまた、今日と同じような秋晴れだったな。のんびりととある民家の屋根でくつろいで日向ぼっこに興じていたところ、人の子が物珍しそうに私の姿を眺め回していた。正確には屋根の下、しかも生け垣の向こう側からじっと見上げていたと言う。

大方、私の愛くるしい姿に和んでいるだけなのだろう。ひひひ、人気者もつらいよな、と思っていた。

だが、次の瞬間に発された言葉はひどく不愉快なものであったのだ。


「あら、あなたネコマタ? 始めて見るわ。ちょっとなんか話してみて?」


これにはムッとした。

確かに私は猫又だ。よく見ると尻尾が二つに割れている。猫の中では老体に属するが、妖怪目線で見たときは若者に属する微妙な年頃だ。そんな軽々しい態度で接されるのはいただけない。

私は小娘を捉えた目を細めて、とがった口調で呟いた。


『私の声など聞こえないくせに、何を言う』

「わ! やっぱり猫又だわ! 烏之瑪、ビンゴ!」


小娘の声が嬉々として上がった。ぬ……これは……。

当たりが外れたようだ。なんとこの小娘、私の声をただしく聞き取っているのか。


『だから言ったであろう? ここら辺に猫又がいると』


頭上から声が降ってきた。見れば電線にカラスが止まっていたな。不思議なことにそのカラスは右目だけが紅く輝いていて、左目は深い闇に閉ざされていたわけだ。

私は唖然とした。カラスと会話している所を目撃したら確信せざるを得ないだろう。まさか聞こえているとは全くもって思わなかったのだ。


「ふふふ。あたしは結姫梨香って言うの。妖怪達に日記を書いて貰っているんだけど、あなたも妖怪なら書いてくれるわよね?」


ペラペラと翡翠色の表紙の冊子を見せて、小娘が言う。私はしかめっ面になって言い返してやったな。


『何を言うておる。私は猫だ。妖怪どもと一緒にするではない』


小娘が変な顔をしよった。カラスの目がきらりと光ったのも覚えている。

だってそうだろう。たとえ尻尾が割れて妖怪に属してしまったとしても、私は猫だ。それ以外の何者にもなれないし、なろうとは思わない。

猫又は猫から生まれるから猫なのだ。妖怪という括りでひとまとめにされたくはない。括りに入れるのならば猫という括りに入れてくれ。


『まあ、何でもよいから書いてくれないか? なかなか人間の文化に触れてみるのも面白いぞ?』


カラスが話しかけてきた。

それまではとんと湧かなかったのに、人間の文化という響きに興味を抱いた。

人間は隣人だ。いつも隣り合って生きている。いつもその生活を盗み見ている。せかせかと生きている彼らは私たちのようにのんびりまったりなどしているようには見えない。休日というものですら、家を出て何処かへ行く。子供たちであってもだ。

餌を得ることに不自由しないであろう者達のその営みに興味が湧かないわけがない。

だから少しだけ思案してやった。


『ほう。面白そうだが、あいにく私は字がかけないぞ? 猫だからな』


当たり前だ。猫に字は必要ない。字を書かずとも、口頭で充分だからだ。

小娘はにこりと微笑んだ。


「心配要らないわ。字でも絵でも肉球のスタンプでもいいわ。大切なのは、あなたがどういう思いをこの日記に載せたか、っていうことだから」


あらかじめ予想していた言葉だったのか、すらすらと言葉が吐き出される、が。


『意味が分からん』


あんまし難しい事を言われても理解が追いつかない。猫はあまり賢くないのでな。自分の利益にはがめついが、それ以外の事にはとんと無頓着。気紛れ。その時の気分。今もよく理解しようとする努力はしようとしなかったわけだ。偉そうに言えることではないがな。


『だがまあ、いいだろう。しばらくの間だが預かってやろう』


なんとなく承諾をすれば小娘は笑った。気紛れだ。そんなに期待はしないほうがいい。

そう思っていたのだが、まるでこの小娘は猫というものを分かっておらん。心底嬉しそうに私に手を振ってきた。


「ふふふ、ありがと。二週間後にまた会いにくるわ」


仕方なしにピタンと尻尾を振って応じてやると、カラスが小娘の手から日記を奪うようにくわえて、私の前へ静かに落とした。

それを見届けた小娘はほっとした様子で、カラスと共に去っていった。




と、まあ回想シーンはここまでだな。日がな一日ぼーっとしている私だから書くことが無い、と思った私は急遽近くにいた仲間たちを呼んで事のあらましを話した。そうしたらそのうちの新人ネコが、この鬼ごっこを提案してくれたのだ。

ルールは簡単。鬼となったものが鬼じゃないものを触ることで鬼が移り変わっていく。人間達の遊びだが、私たちは彼らのように逃げ場が限られるということはないからな。ただ範囲は決めてある。参加するねこ達の縄張りのみ。結構な数が集まったが、まぁ問題はないだろうよ。逃げるもよし、隠れるもよし。やってみればそこそこに面白いお遊びだ。


『先生ー』


後ろから追いかけてくる猫を見てにやりとする。アレは鬼ごっこを提案した新人ネコ。彼は私が結姫から日記を受けとった後に野良猫になったばかりるしく、きちんと身繕いされていて、毛がふさふさ。目が痛くなるほどの白い毛は目の保養になる。どこの家に飼われていたのか聞いても、答えてはくれないが、まぁおいおい話してくれるだろう。

彼は必死に追いつこうとするが、残念ながら地の利はこちらにある。


『私を捕まえられるかい?』


私はすぐ近くの路地裏に飛び込んだ。塀によじ登り、屋根に飛び乗る。これだけで相手は私を見失う。目線の高低というものに慣れていないアレは、実に飼い慣らされた猫らしい。視点を変えることをよく分かっておらん。あまりにも楽しくて、目元がついつい緩む。


『まだまだよの』


新人ネコは野良猫生活に慣れていないため、この高さの塀を登ることは愚か、屋根には飛び乗ってこれまい。鬼役が新人ネコでよかった。

私はそのまま屋根に寝そべる。ああ、空が青い。こんな日は昼寝にぴったりだ。うとうととまどろみ始める。どうせここには鬼は来ないだろうと高をくくってまぶたを閉じた、が。


『先生、見つけました。鬼交代です』


ぽんっ、と背中を叩かれる。なぬっ?


『どうしてお前がここにいるっ?』

『上って来たに決まっているじゃないですか』


しまった。してやられたな。


『お前、私を見つけたのはともかくとして、よく登ってこられたな。怖くはなかったのかい?』

『そうですね、怖かったです。けれどここで先生を捕まえないと、自分が永遠に鬼ですから。先生以外のネコ……先輩達はみんな足が速くて捕まえられないのです』


そうかそうか、と私は肯いた。


『と、いうことは私が足の速いやつらを捕まえる必要が』

『ありますね』

『ないな』

『は?』


きょとんとする新人ネコの頭に私はぽんっ、と手を置いてから身を翻す。


『お前が鬼じゃぞい。私が今、タッチしたからな。私をタッチして油断していたな』

『せ~ん~せ~い~!』


ほっほっほっ。直前に鬼だったものは鬼になれないというルールは作ってないからな。私は屋根から飛び降りる。すとん、と軽く着地して上を見ると、新人ネコはたじろいだ。さすがにこの高さは飛ぶ気になれないようだ。

私は新人ネコの恨めしそうな目線を背に受けながら、悠々とその場を離れる。

ふむ。結姫という小娘に渡された日記に、このことを書いてやろうか。新人ネコの勇気と浅はかさ。ああ、でも私は字が書けないのだった。もどかしいな。

尾をゆらゆらと揺らして、私は余裕綽々の笑みを浮かべながら、新人ネコが来る前にその場を離れた。

というのに。


『先生、ひどいですよ』


先ほどの新人ネコが目の前にいるではないか。


『む。面妖な』

『ひどいですよー』


どちらに対しての「ひどい」かは分からない。私が鬼をひっかけたことへか、それとも面妖という言葉へか。


『新人、お前よく降りられたな』

『あれくらい平気ですよ』


ニコニコと笑う。

ふむ、見くびっていたようだ。この新人、勇気も度胸も持っている。周りを見る力もある。飼われていたと言うわりには野良同然の能力持ちだな。いやはや感嘆に値する。


『それより先生、鬼の交代してくださいよ』

『いやだ』


キッパリという。

鬼の運動量は老体にキツいのだ。いっそ外野となって観戦しているくらいがちょうど良いのだ。


『そんなぁ』


新人ネコは困ったように笑った。

彼も同じ過ちを繰り返したくはないのか、むやみやたらに襲ってはこない。懸命だな。ただの泥沼合戦にしかなり得ないからな。

とある民家の塀でそんなやりとりをしていると、見覚えのある片目の赤いカラスが一羽、目の前に止まった。

見間違えようもない。

烏之瑪だ。

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