藤の想い出 1

これは夏の始まりの出来事。

自分はいつものように、舗装だけはされている人通りのない山道の路肩で、ぼんやりと待ち人を待っていた。そうしたらどうだろう。たまに通る車以外、ここ数年見かけたことなかったのに、なんと少女がカラスを連れて暗がりのトンネルから姿を現した。

人の子はお化けトンネルと噂して近寄っては来ないこの場所。外からの来訪者がたまに通るくらいの廃トンネルに近い代物だ。電気は通っているようだが、その長さに反して光源が少ない。そんなトンネルから少女が姿を現したのだ。

少女は髪を二つにくくっていた。光の反射で右目が赤く輝いたようにも見えた。その顔には面白そうな笑みを張り付けて、ここに来た。


「はじめまして付喪神。あたしは結姫梨香。そしてこっちのカラスが……」

『烏之瑪という。暇ならば少々、頼み事があるのだが、暇潰しに聴いてはもらえんか』


頼み事など聴く気はない。なぜなら自分は忙しいからだ。待ち人を待つのに忙しい。


『待ち人を待つくらい片手間でできるだろう』

「自分は待ち人を見逃すわけにはいかないんだ」

「そうねぇ……」


少女は結姫と言ったか。彼女は自分の言葉に少々考える様子を見せた。どうせ考えても無駄だ。自分はここで待ち人を待つ限り、その他の事など目に映らない。


「日記を書いてもらいたいんだけど……駄目かしら?」

「日記などまた妙なことを。日がな一日待ち人を待ち続ける自分に書くことなど何もないよ。断る」

「そう……それなら取引をしない?」

「取引?」


茶目っ気一杯に笑う結姫に、自分は眉を潜めるしかない。

だってそうだろう? 取引の内容は何かは知らないが、自分はどうしたって書く気などないのだ。自分はただただ、待ち人を待つのみなのだ。


『どうせ待ち人をいくら待ったって、相手が来るか分からんのだろう。だからお前は待ち続けている。たまの気まぐれと思ってやってみまいか。結姫の取引を聞くぐらい手間でもないだろう?』


……癪に障る言い方だな。だが、否定はできん。来ないときは来ない。だからこそ、自分はもう何年もここで待ち続けている訳なのだからな。

せっかくここまで足を運んでくれたのだ。それくらいには報いてやろうとは思うから、話だけは聞いてやろう。取引に応じるかどうかはまた別ではあるが。


「……話を聞こう。だが、取引に応じるかどうかは分からんぞ」

「十分。だってあなたは、あたしの取り引きに応えるしかないんだから」


さっきの茶目っ気はどこ行ったのか、不敵に笑った結姫を見て後悔する。あぁ、これは早まったかもしれない。向こうには絶対の勝算があるようなのだから。こちらに不利になるような取り引きではないのだろうが、如何せん、まずもってめんどくさい。


「自分は日記を書けばいいのか?」


お面を付けているからか、自分の声がくぐもって聞こえる。弓のように細められた目と真っ赤な唇。真白の白粉をはたいたような面は、自分の素顔を知られないためのもの。自分の素顔は醜いのだ。

さてそんなことよりも、自分の目の前で起きていることの方がよほど重大なわけなのだが。

最近は物騒な話をよく聞く。なんでも街の方で妖怪が暴れたとか。まさか自分のところにそんな狂暴な奴が現れるとは思っていないが、念のため怪しいことには極力関わりたくはないとは思うのだ。自分のめんどくさいは怠惰から来るのではないということだけ理解していれば良い。


「そうよ。で、日記の期限なんだけどいつもは二週間の猶予を与えているの。でも今回はその前に、同じ二週間、あたし達はあなたの待ち人を探してあげる」

「どうせ見つからんだろう」

「そうねぇ。その時はその時よ。見つけられなかったら日記を書けなんて言わないわ。だからまずあたし達が先に二週間時間をもらう。その後、もし見つかったら……」

「自分が次の二週間で日記を書くのか」

「そう。どう? たまには積極的にいってみない?」


自分よりも小さな背の少女が姿を上目遣いに挑戦状を叩きつけてくる。この挑戦状、分が悪いのは結姫の方だ。だって、待ち人を探すなんて、有象無象の人の世で無理に決まっている。

それなのに、右目が紅く輝く少女はそう言うのだ。

取り引きはまぁ、悪くはない。自分はいつここに待ち人が来ても良いように残らねばならないからな。結姫の取り引きはこちらに損はない。応じてやりたいとは思う。

だがな、根本的な問題があるのだよ。


「自分はものを書く道具を持っていない」

『結姫に借りればよかろう』


断るための口実を口にすれば、片目のカラスがそう言う。それでは断る理由がなくなってしまうではないか。

身一つの自分には道具というものがないからな。これは良い断り文句になると思ったのだが。ああ、それともう一つ。


「そもそも、自分は文字が書けない」

「別に文字じゃなくていいわよ。人の文字じゃなくたって妖かし用の文字とかあるでしょう? それすら書けないなら絵だっていいの」


むぅ。


「最早それは日記ではない気がするが?」

「人間の文化には絵日記と言う、素敵なものが存在するのよ」


ふふふ、と少女は笑う。風に煽られた髪が軽そうにはためく。なんだか面白がっているみたいだ。

それに、と結姫はつけたす。目を伏せて、優しそうな表情を作る。


「書く手段が大切ではないの。一番大切なのは想い。だから実際問題、文字じゃなくたって大丈夫」


こいつらは、何が何でも自分に日記を書かせたいようだ。人間の癖に生意気な。……カラスは神妖のようだが、この際無視だ。

そんな優しい表情をされては断れなくなるではないか。彼女なりの精一杯を差し出してくれているのだろう。何の目的かは知らないが、仕方がない。取り引きに応じよう。どうせ待ち人を見つけられずに、日記の話は無くなるだけだ。


「……そうだな」


あまり乗り気にはならなかったが、相手が折れる気配もないのだ。夏とはいえ、ここは山だから夜になれば気温も低くなる。時間的にもそろそろ帰らないと、この少女にはかなりの負担になるだろうしな。

自分は普段、こんなに優しくない。妖かし相手だったら簡単に切り捨てるが、さすがに人間相手にはそうもいかないからだ。なにせ、人間はすごく弱いのだから。

だから自分は渋々ながらも納得し、日記を書くことを承諾した。


◇◇◇


自分はいつも思い出す。

十四年前の夏の夜。ちょうどこの頃だったか。

お化けトンネルに肝試しをしに来た人の子達がいた。そのうちの一人の少年が、トンネルを抜けた先にいた自分を見つけたのだ。

月がきれいな夜だった。町からやって来てトンネルを抜けると、自分の本体がガードレールの外にある。ガードレールの外は斜面となっていて木々が繁っているものの、舗装された道路から空を見上げれば十分に綺麗な夜空を見ることができたのだ。だから自分はぼんやりと道路の真ん中で空を見上げていた。

少年は自分を見て挨拶をした。こんにちわ、なにを見ているんですか。自分は答えた。月を見ているのだと。そうなんですか、きれいですね。

しかしそれは、少年以外の人の子には異様に見えたのだろう。誰と話しているんだ、そこには誰もいないじゃないか。他の子らに言われて、自分が話しているモノが何か察したんだろう。少年は怯えた。

周りの友人は自分を見ていないから、少年の怯えが異常に見えただろう。だがしかし、少年は知っていたのだな。自分が見えているものが何なのか。ガタガタと震える少年はその時、泣き叫んだのだ。

「お前らなんか、見えなくなればいいのに……!」


子供たちはその言葉を自分達への言葉だと勘違いしてしまったんだろう。悪態をついて、少年を置いて帰ってしまった。置いてかれた少年はますます泣きじゃくった。

暫くは放っておいたんだが、こんな綺麗な月夜に泣き声は頂けなかった。だから自分はつい声をかけてしまった。


「少年、見えなくなりたいのか?」


話かけた理由は単純。珍しかったし、話し相手になって欲しかったからだ。なんだかんだで寂しかったからな。

だから言った。

見えなくなりたいのならば、明日もここに来いと。そうしたら見えなくしてやると。自分は少しのいたずらのような気持ちで言ってやった。少年は涙を引っ込めて頷いた。その後すぐに、少年は心配で迎えに来た親に連れられて帰っていった。

……翌日、少年はのこのことやってきた。

どうやったら見えなくなるのと真剣な顔をして言う少年に、自分はまぁ待てそう急くなと勿体ぶった。見えなくはしてやるから、その対価に今までお前がその目で見てきた世界を自分に話してくれ。

渋々ではあったが少年は語ってくれた。最初はぼそぼそ。でも途中から話が止まらなくなった。

春に行った遠足の話。沢山の動物が檻の中で退屈そうにしている横で、悪戯好きな小人がケタケタ笑っていた。夏の海水浴の話。ビーチは塩辛い海の中で波に浚われて泣いていたら、心優しい人面魚がビーチまで送ってくれた。秋の紅葉狩りの話。山の中で木の葉を集めて焼き芋をしていたら、木霊達が物珍しそうに木陰で見ていた。冬の雪だるまの話。昼間に雪だるまを作って、夜中にこっそり見に行ったら雪女が雪んこを連れて町内の雪だるま巡りをしていた。

少年の語る世界は色とりどりで、自分の知る世界とは全く違っていて、とても楽しかった。

だから自分は視える少年が勿体なく思ってしまった。ちょっとした気まぐれに、さらに気まぐれが交ざったのだ。

自分は中途半端に力を封じてやった。ちょっと大きな妖がやってきたら自分のところへ助けを求めに来るように。どのみち、自分の力では継続して視える力を封じることはできない。

少年にかけた封印はちょっとした暗示。自分以外に目移りしないための暗示だ。これで小物は視えなくなるだろうが、存在を無視できないような妖かしには通じない。

暗示もいつかは解ける。そうなったらきっと少年もここにもう一度来てくれるだろうとそう思った。

───だが。

少年はいつまで経っても、やっては来なかった。

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