薬箱の奇跡 6
ぐるりと烏之瑪が部屋の中を何度も何度も旋回した。その度に机上に散らかっていた教科書や、壁のポスター、部屋の隅に積まれた本、カーテンが揺れた。
烏之瑪の翼に触れた妖気がどんどん霊力に変わっていく。すごいや、烏之瑪。噂は本当だったのね。
日記を運んでくる鳥だっけ?なんだっけ?まぁつまりは烏之瑪のことなんだろうけど、妖力を霊力に変換する力を持っているっていうの。
最後にぱんっと手を叩く音が、光の部屋に響いた。結姫が拍手を打って、妖力の代わりに充満した霊力を散らした。
「終わったわよ」
ひらひらと手を振った結姫は、私の目線に合わせるようにしゃがんで笑った。
「根本的な原因のあの妖怪を退治できたら良かったんだけどねぇ。一応、部屋に漂ってた妖気は烏之瑪に浄化してもらったし。悪質な妖気から変換した霊力は人の体には毒素が強いけど、それも散らしたし。しばらく安静にしていれば、体力もすぐにもどると思うから」
「ありがとう、結姫!」
私はぴょこんと飛び跳ねて結姫の肩に何とか登る。そして、そっと結姫の頬を撫で撫でしてあげた。
「くすぐったいわ、ヤクバコ。……本当は追っ払うだけじゃなくて、封印できたら良かったんだけれど……」
「ううん、十分だよ!」
「ごめんなさいね。でも、もうここには寄ってこないはずよ。私と接触したから、私本人との対峙を臨んでくるだろうし……日記を狙う輩、とうとう現れたわねぇ」
「なんか、結姫の方が大変じゃない?」
「そうねぇ」
苦笑する結姫。なんで日記は狙われるんだろう? なんで結姫は日記を妖の中で回しているのだろう? わざわざ危険な目に遭ってまで。噂は噂だもん。本人から聞いてみたいけど、聞いちゃダメなことなんだろうなぁ。
色々聞きたいけど、やめておいた。うっかり重要な事を聞いて、ああいう妖怪にだけは狙われる事は避けたいし。
冷たいけれど、それは弱い自分の身を守るためだから。仕方ないのだ。
「とりあえず私たちは帰るから、蛍野くんの看病をよろしくね」
「え?」
なんですと?
看病ですと?
「え、じゃないわよー。視えないからって遠慮することはないわ。貴女、薬箱の付喪神なんだから、薬に詳しいんでしょ? こっそり、水とかに体力がもどるような薬を盛りなさい」
うって変わって鮮やかに笑う結姫。いや、さすがにだめじゃないかな。
『結姫、それはだめだろう』
おお、烏之瑪と初めて意見があった。
「あら、そう?」
「そうだよ。それに、私が光に近づいたら私の妖気で」
「それは問題ないわ。貴女は仮にも付喪神なんだから。人の想いの結晶が人に悪影響及ぼすはずがないわ。貴女に悪意がない限り、きっと大丈夫」
そうなのかなぁ?
私は言われてもまだ不安だった。でも結姫がふふふ、と笑いながら私を下に降ろす。
「日記、まだ書いてないでしょう? 何なら、この看病のことを書きなさいな」
「え?」
「他の妖じゃそうそう出来ない事よ? ───楽しみにしてるわ」
結姫が立ち上がった。
私は首を傾げた。私にしか出来ないこと? 人の子の看病が?
確かに他の妖は私みたいに、積極的に人と関われる機会なんてないよ。日記にだってそんなこと書かれてなかった。そっかあ。
……決まった。私が日記に書くこと。
結姫の言うとおり、光の看病について書こう。毎日、ちょっとずつ回復していく光について書こう。
私を降ろした結姫は玄関に向かって行った。烏之瑪は庭先から飛び立つ。
私は日記の元へ歩きながら、眼を輝かせる。
さあ、今日からしばらく、徹夜で人の子の看病だ!
†☆†☆†
光の看病をした。
犬っぽい妖怪に取り憑かれたせい。
とても可哀想。
だから、私は看病する。
今もつらそう。
私が光のお姉さんだったら、こんなまどろっこしいことしなくても良かったのに。
早く元気になってね。
†☆†☆†
───期限の日がやってきた。
よいしょっと引きずって持ってきた日記帳を結姫に返す。
「これでいい?」
「ええ。ありがとう」
中身を確認した結姫は柔らかく微笑んだ。こうしてみれば、結姫ってかわいいよねー。迫力のある笑顔は怖かったけど。
本当は烏之瑪に預ける予定だったけれど、光の家に遊びに来たついでと言うことで、たった今日記を渡してあげた。光が飲み物を取りに行った隙にこっそりと隣の部屋から出て、結姫に会った。
因みに烏之瑪は縁側。だから結姫が障子を開いて烏之瑪を呼び込む。
『全く。今回は余計な騒動が絡んだな』
「そうねぇ。はい、日記。戻ってきたから、次に書いてもらう妖かしを探しに行ってらっしゃい。向かいの家の掛け軸とかどう? 私は行けないけれど」
『……全く、人使いの荒い』
「人じゃないでしょう? カラスなんだから」
やれやれといった体で、烏之瑪は部屋に入って早々に羽ばたいた。舞い上がって一回旋回してから部屋を飛び出していく、と。
「うわ、カラス!?」
ガチャンとガラスの音を響かせて、光が声を上げた。あや、戻ってきちゃったのね。
「先輩! なんでまたカラスが入ってきているんですか!」
「気にしなーい、気にしない。そんな小さいことを気にしたら世界が終わっちゃうわ」
「終わりませんよ!?」
光、それは私も思うよ。同意見だよ。
結姫はやっぱりそんな事などお構いなしだ。光からお茶を受け取って、ちびちびと飲んでいる。
ああ、平和だなあ。
「そういや、先輩。俺、寝込んでいる間少し不思議な夢を見ましたよ」
「あら。どんな夢?」
「なんか、手のひらサイズのちっこい日本人形っぽいのが、看病してくれました」
私ははっと顔を上げた。机の上にいる私は思わず、今まさに座り込もうとした光に飛びつく。
「あぁ、嬉しい。視えていたのね!」
たった一回でも、嬉しい。とても嬉しい。
結姫がますます目を細くして微笑む。結姫、私の心、今すごく温かい! 嬉しい、嬉しい……!
「素敵な夢ね」
「そうですか? どちらかというと奇妙な夢じゃありません? 動けない自分を日本人形が看病するんですよ?」
「あら、日本人形じゃないかもしれないわ。もしかしたら、ね……」
そうなのか。日本人形なのか私。私、光にそう思われたのか。
意外な言葉にちょっと半眼になって光を見つめていれば、結姫が光に視線を向けるようにして私に視線を向けた。
「元気になって良かったわね」
それは光に対するお見舞いの言葉のようであり、私に対する安心の言葉であり。
どっちとも取れる言葉だけれど。
───私は敢えて後者で受け取った。
「ありがと、結姫」
私は素直にお礼を言った。
光もちゃんとお礼を言うのよ!
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