薬箱の奇跡 4

結姫に会ってから一週間が経った。これで、日記の期限はすでに半分を切る。早く書かなきゃいけない。だけど……。

光は昨日と同じくずっと寝込んでいる、はずだ。あの妖かしが怖くて見に行けないけれど、光の母親達の反応からきっと昨日のままのはず。なかなか熱が下がらないみたいだから、そろそろ危険かもしれない。医者に見せても、ただの風邪だと診断されたみたいだし……そりゃそうよね、視える人をつれてこない限り、原因不明だから風邪だと診断せざるを得ないわ。

昔から見てきたから知ってる。時代が新しくなって薬剤師が昔ながらの方法で必要とされなくなるにつれて、呪い要素の強い治療はされなくなってしまったから。だから原因不明のまま、人間の器の方が先にガタが来てしまって、大病が発症してしまう。でもただ人には大病が発症して具合を悪くしたように見えてしまう。本当は、逆なのに。大病が発症したから具合を悪くしていたんじゃないのに。

あの妖かしは私より強いようだから、私にはどうしようもできない。私が立ち向かっても、逃げることしかできないから。悶々と昨日から考え込んでるよ。結姫に連絡したいけれど手段がない、どうしようって。あぁ、烏之瑪、怖いけどこういう時に限って現れてくれないかな……。

結姫の取り付けた日記の期限はまだ先だ。でも、それを頼りにして待っていては光の身が持たない。他の家族だって妖気に当てられてしまうかもしれない。どうしよう……。

と、光の部屋の前の縁側で考え込んでいたら、玄関で声がした。この声はまさか……。

足音がこちらに向かってやってくる。体重があまりないような軽い足音。やがて見えたのは、思ったとおり結姫だった。ないす、たいみんぐ!

私は顔を輝かせて結姫の足に飛びついた。気づいた結姫はしゃがんで、私を手のひらに乗せた。


「結姫! 来てくれたの!?」

「あら、ヤクバコ。先輩が後輩のお見舞いしちゃダメなのかしら」


結姫はふふふと笑う。ううん、と私は首を振る。結姫は光の先輩だから、光が学校を休んでいるのを知っていてもおかしくないもんね。願いが届いたようで嬉しい!

私は泣きそうになった。あぁ、良かった。これで光は助かる!

私が結姫にどうやって説明しようか思いあぐねていると、彼女が話を振ってくれた。


「ねぇ、ヤクバコ?」

「え?」

「蛍野君の部屋からあまり宜しくない気配がするのは、どうして?」


私は一生懸命になって、光に宿る妖の話をした。一生懸命過ぎて支離滅裂だったかもしれない。でも結姫には伝わったようで、彼女は真剣な顔つきで眉を潜めていた。


「へえ……。分かったわ。そいつ、どうにかしてあげる」

「本当っ?」

「あら、信用できないのかしら?」

「ううん、でも結姫って術師なのか分かんなかったから」


だって、視えても術師になる人はもうほとんどいないんでしょ? テレビって奴で見たよ。術師が見世物にされてる光景。しかも、どれも偽物ばかりだった。どこかしら、術に綻びがあるの。妖かし側から見ても分かってしまうほどの綻びが。あんな子供騙し程度の術者ばかり見ていたら、術師というとのが減ったんだって思ってしまっても仕方ないじゃない?


「……まあ、とりあえず蛍野くんの容態見せて。それから、烏之瑪―、来なさーい」

『おるぞ』


うわ、庭にいたの!?

突然の烏之瑪の襲来に顔がひきつってしまう。

バサリと翼をはためかせて、結姫の左腕へと留まった


「今の話、聞いていたわよね? 部屋から妖気がここまで溢れてるってことはけっこうな濃度よ。これ、浄化できると思う?」

『お前では無理があるな。了解した。浄化は我がやる。獣とやらを片付けるのが先だろうがな』

「そうねぇ……封じれるかしら」

『封じきろ』

「はいはい、それしかないものね。いいわ、やりましょう」


どうゆうことだろう? 結姫一人では無理な可能性があるの? 浄化も、烏之瑪がやるってことは、結姫にはあまり術師としての力はないのかな?

気になったけど、気にしてられない。そんな余裕は無い。

結姫の手のひらから飛び降りて、彼女の足をつついた。そうやって結姫の視線をこちらに向けさせてから、光の部屋を指差す。


「結姫、お願い」


結姫を見上げれば、彼女は頷いてくれた。頼もしい返答に、私はほんの少しだけ安心した。

部屋の前までくると、そっと障子の隙間から覗いてみる。光の部屋には昨日以上に妖気が充満していて、遠目から見ても顔色がますます悪くなっていた。大丈夫かな……?

黒い獣が見当たらない。この隙間じゃさすがに見えないか。パタリと閉じると、結姫は腕を組んで考え込む様子になった。


「これはちょっと、すごいわね……」

『ふむ。簡易な結界が張ってあるな。これで、この部屋から妖気の気配が遮断されていたみたいだが……』

「それすらひび入れて漏れ出たのね。気がついたときには、手遅れってこと? 冗談も大概にしてほしいわ」


ふふふと結姫が笑う。さっきと同じなのに何か怖いな。

そんな私の心境は露知らず、結姫は座り込んで自分の鞄を漁っている。お、何か出した。


「あったあった、妖かし封じの御札。うまく行くかしら」

「それでどうするの?封じるだけなの?」


私は思わず聞いてしまったけど愚問だったよ。


「決まってるじゃない。この御札に妖を封じ込めてから焼くのよ」

「焼くの……? というか、なんでそんな物騒なものが鞄の中に? 日常的にあるの……?」

「気にしない気にしない、気にしたら世界が終わっちゃうわよ?」


そんなんで世界が終わったらちょっと問題だと思う。


『話が終わったらこの部屋から出るぞ、小さいの。結姫は力の加減が下手だからな。うっかりすると結界の外にまで影響してきて巻き込まれる』


なんですと。


「ひどいわね。仕方ないでしょう? ……まあ、巻き込んだらシャレになんないから、部屋の外で待っていて頂戴」


結姫がしっしっと追い払うように手を振ったから、渋々結姫から離れて縁側の縁ギリギリにまで移動する。烏之瑪が羽ばたいて一度外へと飛んだ。光の部屋の真上と庭を旋回して、戻ってくる。ちょっと風向きが変わったと言うかなんと言うか、心がざわついた。これって。


「人避けの結界?」

『よく分かったな』


私の隣に羽を落ち着けた烏之瑪に、私は頷く。


「空き家に住み着く仲間がたまに使うよ」

『力の強いのがいるようだな。結姫よ、今度訪ねてみるか』

「はいはい、お好きにどうぞ。おしゃべりはそこまでよ。二人とも身構えなさい」


背中越しに言い放った結姫が思いっきり障子を開けた。ぶわっと妖気が溢れ出す。私はぎゅっと目を瞑って、烏之瑪の弾力あるお腹に抱きついた。あわわ、妖気の勢いで飛ばされそう……!

結姫は涼しい顔をして中に入り、そのままぴしゃりと閉める。噴出していた妖気が収まった。あぁ、結姫、どうか光を助けてあげて……!

私は祈るように手を重ねる。中から余裕そうな結姫の声が聞こえてきた。


「見つけたわ、悪さをする妖怪ちゃん。ちょっと封印してあげるから大人しくしてなさい」

『ソノ霊力……オマエ、ユイキか……』


烏之瑪がびくりと体を揺らす。どうしたんだろう。不安になって烏之瑪を見上げると、烏之瑪は真剣な面持ちで部屋を見つめている。

今気づいたけれど、烏之瑪って左目が潰れてる……。右の目は紅玉を嵌めたように爛々と輝いているのに。


「へぇ、あたしの名前を知ってるわけ? どちら様?」

『ニッキをよこせ───!』

「やーよ。名乗りもしない礼儀知らずに日記を渡せますか」


ガタガタと部屋の中で何かが飛び回る音がする。ちょっと、結姫、大丈夫なの……!? こんな暴れて光が怪我とかしないでしょうね……!

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