薬箱の奇跡 3

日記に何を書こう?

日記を受け取って四日が平和に経っちゃった。日記にくっついて話されていた妙な噂が気になるけれど、怪しいことが起きる様子もないし。というわけで、本当に書くことが何もないんだよねー。日記っていざ書くとなったら大変なのね……。

薬箱が収められている押入れの中で悩む私。暗い場所でも付喪神の私には関係ないもん。

自分と同じ身長のペンをよいしょと担ぐ。ちなみにこのペン、光の筆箱から夜のうちに拝借しておいた。


「うーん、よし。書けそうなものを探しにいこう」


担ぎ直したペンをえいっと転がしておいてっと。押入れの戸をそっと引いて外に這い出る。むむむ、また雨が降ってるなぁ。

薄暗い庭にしとしとと降りしたたる雨は気味が悪いや。


「うわぁ、雨だー」


縁側を通って居間に行く。時計を見るとすでに午後七時。チクタク時計が指し示してた。


「光の帰ってくる時間だ。お出迎えしてあげよう」


光は部活とやらをやっているらしいから、最終下校まで学校にいるんだって。最終下校は午後六時で、部活なんてほとんどできないじゃんと、入学した直後の食卓で話してたのを覚えてる。ふふふ、私はどこにでもいるんだよ!

ニコニコと玄関に行く。あっ、光の傘が傘立てに差しっ放しにされてる。忘れていったのかな?


「もー、馬鹿だなー、光めー」


帰ってきたら笑ってやろう、「濡れねずみ~」と言って。それから、そうだ。日記にこのことを書いてやろう。あの日記、何か面白いことが書いてあるのかと思って読んでみると読めやしない。妖の文字は読めるけど、肉球とかから何が読めるというのかな。肉球で判子とか。日記ですらないよ。結姫の大雑把さに吃驚だよ。

ぶつぶつ呟きながら光の帰宅を、靴箱の上で待ってみる。よじ登った靴箱の上には、蛍野家の家族写真と一輪挿しの花が置いてある。水を一杯に吸いとってお腹いっぱいなお花は、眠たそうに首をもたげていた。

写真を眺めて暇を潰す。この写真にも実は私がいるんだよねー。

赤ちゃんの光を中心に、家の庭でとってる写真。光の祖父だって写ってる。彼もまた、赤子の頃から知ってた人間。蛍野家の人の成長は、私がこの目でずっと見守ってきた。中には薬剤師にならない人もいたけれど、それでも蛍野家は私を代々大切にしてくれた。大切にしようとする生業をしてきた。

不思議な気分だけど、それがずっと昔から行われてきた営みだもんね。今だって、たまに光のお父さんが私を押し入れから出して手入れをしてくれる。だから私も、私なりの誠意をこの家の人たちに向けてあげたいと思うんだよ。


「ただいま……」

「あ、光。お帰り!」


やっと帰ってきた!

思いっきり靴箱からジャンプして、光のブレザーによじ登って、彼の肩に乗る。話しかけても見えないだろうけど、特に意味は無い。気分だけ味わうの。

……でも、あれ? 顔色が悪いな。

すごく顔が白くなっていて、唇も紫色になっている。風邪でも引いたのかな……?

確か、通学に一時間かかると言っていたかな。それを傘なしで帰ってくるなんて、なんてマヌケなんだろう。途中で調達してこれば良かったのにね。

笑ってやりたいけれど、光の顔は本当に辛そうだ。

私はちょっと寂しくなる。

光の祖父も曾祖父も、その前だって。人間はぽっくり死んでしまったんだもの。いくら薬剤師だからといって、死を克服する薬は作れない。


「……人はなんでこんなに脆弱なんだろう」


ぽそりと言葉がこぼれ出た。

ざわざわと胸が揺れた気がする。私は頬に伝う水滴を一滴ぬぐってやり、肩からストンと降りて、押入れにユーターンした。私のみたいなモノの気に、あんまり触れてたら悪化するかもしれないからね。


◇◇◇


「わ、綺麗!」


雨の後の雫できらきら輝いてる青い小さな花。名前は知らないけど、私はこのお花が好きだ。

光は案の定、熱を出して寝込んでいる。あまり力の強くない私とは言えども、妖かしは妖かし。私の妖気に触れて悪化したらいけないと思って、ずっと押し入れに引きこもっていたけど、もう我慢できない。お見舞いぐらいならいいよね?


「よいしょ」


一輪だけ抜いて縁側によじ登り、光の部屋へゴー。


「光、光。お見舞いだよ」


笑顔満面で障子を開けて中へ入った瞬間、私はぎょっとして思わず飛び退いた。


「何よこれ!」


着物の袖で口許を覆う。

部屋に妖気が充満していた。


「私のじゃないわ……一体誰の……っ!」


部屋の真ん中で布団を敷いて、苦しそうに息をつきながら寝ている光の枕元。四つ足の、黒い犬のような体躯の獣が光の顔を覗き込んでいた。


「ど、どうしよう……」


だ、大丈夫、私の存在には気づかれていない。私にあれを追い払うだけの力はないから、結姫に知らせてお願いするしかない。あぁ、でも、結姫に退魔の能力はあるのかな?

無かった時は無かった時で考えよう。そう思って障子を閉めようとした時だ。


『ソコにいるのはダレだ……』

「ひっ………!」


ば、ばばばばばれた!?

烏之瑪の数百倍は怖い視線に貫かれて身体が強張る。どうしよう、どうしよう……!

のしのしと障子の近くまでやってきた犬型の妖かしは、私を右足で押さえつけてきた。ぱたん、と私は軽々と転がされた。妖かしは湿った鼻を押しつけてにおいをかいでくる……ひぃっ。


『オマエ……チカラはヨワいが……ハラのタシにはナりそうだな……ニンゲンをクうなとイわれてイるが……コイツなら』


あわわわ、食べないでえ……。

ぐわりとあぎとが開かれた瞬間。

───私の身体は夜色の粒子となって霧散した。

これぞ奥の手! 本体に強制帰還!

夜色の粒子は霧散した後、居間の押し入れの中にしまわれている本体の薬箱に吸収され、また再び私を形作る。すっと薬箱から飛び出て、押入から顔を覗かせる。光の部屋の隣だけれど、あの妖がくる様子はない。良かったぁ。

恐怖から逃げ切って安堵する。あぁ、怖かった。心臓がバクバク、ドクドク。でもでも、光をあのままにしておけないよ……。

結姫に教えなくちゃ。

でもどうやって?

約束の期限まではまだ時間があるもの。結姫が光を気遣ってお見舞いに来てくれることを祈るしかないよね……。

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