薬箱の奇跡 2

怯える私を救うように、結姫はカラスの烏之瑪の胴を鷲掴みにして、私から引きはがしてくれた。ありがとう結姫!

私がほっとしていると、結姫は引きはがしたカラスを障子の近くにぽいっと放り捨てる。え、いいの?そんな扱いで。


「まあ、お願いする手間が省けたからいいかしら? ええと、付喪神、貴女の名前は?」


結姫は無関心な様子で話し続ける。ほっといても大丈夫なのかな。


「え? ええと、他の妖かしたちはヤクバコって呼ぶよ」

「ヤクバコ? もしかして貴女、薬箱の付喪神?」

「うん」


目を白黒させて言えば、結姫は納得したように頷いた。どうして?


「まあ、この家の人達は代々薬剤師をやってるらしいから、薬箱を大切にするのは必然よね」


私は納得した。そうだ、結姫は光の知り合いなのだった。

そう、そうなのである。蛍野家は代々薬剤師の家系なのだ。私の場合、かれこれ五十年ほど前までは大切に使われていたのだけれど、今は技術が発達しているもんだから、御役目御免されてる。いつもは押入の中で寝てるか、今日のように縁側で散歩しているかだ。残念ながら今日はカラスと遭遇したけれど。

まぁそのお陰で日記帳と縁を結べたわけなのだから、結果おーらい、なの!

自己紹介を終えると丁度良い間合いで、障子の近くから戻ってきた烏之瑪が話しかけてきた。わ、わ 、近づかないでよ! お願いだから!


『おい』

「なによ、烏之瑪」

『人の子が戻ってくる』


必死な祈りに反してひょこひょこ近づきながら言われた言葉に、結姫は目を丸くした。私もだ。そんなに話し込んでいたかな? 体内時間は本当にあてにならないよね。


「あらま。……よし、取り敢えずヤクバコ。あたし は結姫梨花っていうの。まぁ、知ってたみたいだから今さらでしょうけど。この日記を貴女に二週間だけ預けるから、その間にコレに何でもいいから書いて。絵でも人の文字でも妖かしの文字でもいいわ。二週間たったら烏之瑪にとりに行かせるから。いいわね」


結姫の早口に気圧されて反論しないでコクコク頷いた。ってあれ? 烏之瑪が取りに来るの!? や 、やだ! 抗議しようとしたとき、障子が開いて光が入ってきちゃった。その手には麦茶の入ったコップがある。光が不思議そうな顔をした。


「あれ? 結姫先輩、今、誰かと話していました? 」


光の問い掛けに、結姫は思いっきりとぼけた。


「ふふふ、不思議な事を言うのね。ここには誰もい ないのに……あぁ、でも」


結姫は続きを言わないで止めてしまう。その表情は茶目っ気いっぱいで。

光は「へんだなあ」とぼやきつつ机の上にコップ を置こうとして、烏之瑪の存在に気づいたみたい。本当は私も隣にいるのだけれど。そして光は机の上の烏之瑪を見て思いっきり声を上げた。その拍子に両手の麦茶がちゃぷんと揺れる。 あ、お茶がこぼれそう!


「うわ、え、カラス!? ちょっ、先輩、何で部屋にカラスがいるんですか!」

「勝手に入ってきたのよー。何も悪さしないから放っておいてもいいかなって」


結姫は涼しい顔で口元を制服の袖で隠し、微笑みながらこちらに視線を送ってきた。……なんで視線を向けるの? 何の意図があるのかサッパリ、はてな。


『行くぞ』

「うきゃあ」

『……貴様は猿か』


いきなりぐわしと烏之瑪の足に踏みつけられる。 悲鳴をこぼしてバタバタと抵抗すれば、烏之瑪が呆れつつ、日記を咥えた。そして、私を踏みつけている足でそのまま私を掴んでばさりと羽ばたいた。 え、飛ぶの? 飛んじゃうの?


「うわっ、びっくしりた……って、何くわえて持っていくんだ!?」

「大丈夫よ、蛍野くん。あれ、あたしのだから。ただの落書き帳だから好きにさせてあげましょう」


半開きの障子から軽々と烏之瑪に運ばれていくとき 、結姫がニヤリと笑ったのが見えた。私は確信する。 きっと結姫は狐が化けているに違いない。だから 、あんなに飄々とうそぶけるのよ!

そんな確信を持ってる間に、烏之瑪は一旦外に出ると、ゆったりとユーターンしてから蛍野家の瓦屋根に舞い降りた。私はぼとりと落とされる。

あー、怖かった。いつ、落とされるかヒヤヒヤした。


『おい、本音駄々漏れだぞ』

「え。ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


距離をとって土下座する。命あっての物種よ!


『本当にすまないと思えってるならこっちへこい』


う……。正論です……。

恐る恐る烏之瑪に近付くと、くわえられている日記が差し出された。


『ちゃんと書くんだぞ。書かなければ……』


キラーン。ひぇぇ、烏之瑪の紅い右目が不気味に光る。

ううう、怖いよう。


「わ、分かってる。言われなくても書くよ……」


うなだれて、頭の上からよいしょっと日記を受け取る。うっ、押し潰されそう。何だかついているようで、ついてない気がする。だって暇潰しにしてみたかったことが、こう強制されてるんだよ? 素直に喜べないじゃない!

そこでふと、思ったことを尋ねてみた。


「そうだ、結姫と光はどういう関係なの? 何で私がいることが分かったの?」

『簡単なことだ。結姫は蛍野の部活の先輩だ。お前は、我が三日ほど前に散歩をしていたときに偶然見つけたんだ』

「へえ……」


確かに三日前、雨が少しだけやんだから気晴らしに家の外まで散歩をしに行った記憶がある。もし、あの日に散歩に出ていなかったら、烏之瑪と会うこともなかっ……。

うわ、烏之瑪こっち見てる!!

私は顔に出ているであろう事を誤魔化すために、屋根から落ちないようにそっと下を覗いた。

あ、結姫もう帰るんだ。立ち上がった結姫は、成長期な光の頭一個分だけ小さい。


『さて、我も帰る。じゃあな』


烏之瑪がバサリと翼を動かして飛び立つ。三回くらい旋回したとき、結姫の「お邪魔しました」という声が玄関から聞こえた。

私は日記を持っていそいそと屋根を降りる。この日記は人の子にも見えるようだから、こっそり移動して隠さないと。

よいしょっと配管をつたって降りることにする。日記はちょっと雑だけど先にバサッと縁側に放り込んだ。光は結姫を見送りに行ってるし、雨戸は立ててないから、上手く縁側に落ちてくれた。ちょっとくしゃっとしたっぽいけど、いいよね。全く、烏之瑪ったら私が降りること考えてくれなかったんだから!


降りる前にふと空を見ると、雲が怪しくもくもくとしている。ああ、これは一雨降るな。早く中に入ろうっと。

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