薬箱の奇跡 1
目の前の真っ赤な片目のカラスが私をつついた。きゃあ、ヤメテヤメテ。
縁側をパタパタと走り回った挙げ句、和室のひとつに走りこんだ。そこは、今年十七になるこの家の長男、
男の子は赤みがかっている茶髪で、Tシャツにジーンズという簡単な出で立ち。女の子の方はというと、対照的に真っ黒な長髪を二つにくくっていて、えーと、そう、制服! 光が通う学校の制服ね。紺のブレザーに灰色のスカート。臙脂色のネクタイがポイントかな?
男の子の方は言わずもがな、さっき言ったこの家の長男の光。女の子の方は、知らない。
するりと部屋に入り込んだら、パタンと小さな障子の隙間を閉じる。私の体だと重労働だけど、なんとかやってのけたよ!
カラスが追ってくることはもうないだろうと、ほっと胸をなでおろした。さてさて、ほっとしたところで光と女の子の会話が途切れて、光が立った。コップを持っている所を見ると、飲み物のおかわりを持ってくるのかな?
光が、私がせっかくぴったりと閉じた障子を開けた。
「うわ、カラス!」
えっ、カラスまだいるの?
光についていこうとしたけれど、やめるよ。だって、カラスにつつかれたくないんだもん。
どうしようかなー、と入り口付近でうろうろしていると、誰かが私を見ている気がした。おかしいな。賢いカラス以外に私が見えるはずもないんだけど……。
キョロキョロするとバッチリ女の子と目があった……気がした? 気のせい?
え、でもやっぱり私の方をじっと見ている気がするよ。やっぱりおかしいな? ……って視えてるの!?
「見つけたわよー、付喪神ちゃーん」
「きゃあ! 人の子、何で私が視えてるの!?」
思わず飛び退いて及び腰になっちゃったじゃないのっ。付喪神暦百数年、こんなことめったにない。
一体どうゆうことなの!
とりあえず、私は自分の姿を振り返る。何かいつもと変わったところとかないかな。あったらそれが視えてる原因かもしれないし。
人間の手のひらサイズの私は、古風な淡い緑を基調とした小花模様の着物に身を包んでいる。髪は木の幹のような茶色で、女の子よりもふわふわな感じで頭の登頂辺りで二つにくくってる……とまぁ、生まれたときと同じ姿のまま。変わったところはないわ。
私は付裳神。つまりは妖かし。普通なら私のことは視えないはず……なのに。
「ふふふ、烏之瑪ったら見事に当たりを引いてくれたわねえ」
ぬばたまのような綺麗な髪の女の子はにっこりと意地悪そうに微笑んだ。対照的に私は冷や汗ダラダラ。でも、キリリと睨み返してやる。
「な、何よ、人の子!」
「あら? 手のひらサイズの癖に元気な付喪神ね」
「ぶ、無礼ね!」
うぅ~……。つつかれる。むにむに頬っぺたをつつかれる。さっきのカラスよりは怖くないけど、人間は礼儀がなってない! 私が憤慨しつつもされるがままになっていると、女の子はポンと思い出したように手を打った。
「忘れるところだったわ。貴女、コレ知ってる?」
そう言って、自分の脇に置いてあった鞄を手繰り寄せ、一冊の和綴じの本を取り出した。それは、綺麗な翡翠の色をした冊子で、表に墨で『交換日記』と書いてある。
って、え?
交換日記?
交換日記といえば、とある噂を思い出す。それは最近、周りの付喪神達が騒いでいること。噂の詳細を思い出してみる。確か、緑色の冊子を持った人間の娘が妖に日記を書かせるために、あちこちに出没しているのだっけ?
目の前の人の子を見てみる。確か、その人間の名前は……
「もしかして、
私は思いっきり日記帳を指差して、目を丸くした。
それから捲し上げるように結姫に迫る。
「ねえねえ、それ、私が書けばいいの? ねえねえねえっ!」
「あらー。喰い付きすごいわね」
てこてこと結姫だと思われる女の子に近づいて叫べば、彼女はちょっと吃驚しちゃったみたい。それでも私は舌を奮う。全く結姫は事の重大さを分かってないんだから!
「そりゃそうよ! こんな面白そうなこと、暇を持て余している私達がほっとくわけないじゃない! 結姫っていう人の子が、妖かしものの類に日記を書かせてるっていう噂が今、私たちの間で流れているの。向かいのおうちの付喪神も言っていたわ。知らないの?」
「向かいのってというと……
「知ってるんじゃないの!」
妖は気まぐれだ。楽しいものには食いつくし、そうじゃないものは気に留めない。私だって例にもれないもの。ここ数日、梅雨だから雨ばっかりで他の妖かし達とも会ってないし。退屈だったし。
私にとって暇つぶしは重要なのよ。それなのに結姫は軽く言う。
ぷくぅって頬を膨らませれば、結姫は笑った。
「あら、本当に知らなかったわ。あたし、人間だもの」
結姫の左目が煌々と紅く輝いた。深い深い赤色。片方だけ色が違うなんて珍しいね。瞳の色が黒に見える気がしていたど、光の元でよく見れば赤色。その色に惹きつけられそうになった。人の癖になんて不思議な色の瞳をしているのだろう?
「お向かいの付喪神とは別の妖かしが、結姫を見たって言ってたけど……。言っていた姿と全然違うわ」
吸い込まれそうになるのを誤魔化すために私が首を傾げながら言うと、結姫がへぇ……と目を細めて笑った。
「その妖かしは何て言っていたの? 気になるわ」
結姫が知りたそうにしていたので、私は心優しく教えてあげる。ええと……
「確か……毛むくじゃらで真っ黒な熊みたいで、片目が紅く輝いて、凶暴な鳥の妖を手下にしてる、だったかな?」
「……へぇ、そうなの」
結姫が半眼になる。すると、
『くくくっ』
「笑うな、烏之瑪!」
『仕方なかろう?』
え、今、知らない声がした? したよね? 結姫は一体、誰に話しかけたの?
きょろきょろと部屋を見渡して、障子に目を向ける。もしかして。
「不法侵入者!」
障子に近づいてぱっと開くとギャ、カラス!
「あわわわわわ」
またまた私は及び腰になって後ずさった。
逃げ出そうとした私の着物の裾をカラスがパクリと咥える。いーやー、食べないでぇ!
『誰が貴様なんぞ食うか。あんまり騒ぐと本当に食うぞ? なんていったって我は、結姫の凶暴な手下らしいからな』
恐怖で口をパクパクさせるしかない。食べられる、絶対食べられる……!
「ちょっと烏之瑪? そんなに怖がらせないの」
『何を言う、結姫。こやつが勝手に怯えておるだけだぞ? 我は関係ない』
「はいはい。いいから、その付喪神こっちの机に持ってきて……もとい連れてきて」
カラスは頷く代わりに私を咥えたままひょこひょこ歩いて机に飛び乗って、私を解放した。
し、死ぬところだった……!
「それにしても、この日記も有名になったものねぇ」
日記を持ったまま表紙を眺める結姫は、なにやら感慨深そうだ。
私は堂々と言ってやる。
「そりゃそうよ。あなた、色々な所で妖に日記を書いてもらってるでしょ? 近所の妖かしが騒いでたわよ。こんな面白そうなこと、噂にならないはずないわ」
カラスの目線が怖くてフルフルと声と身体が震えてるし。あわわ、お願いだからこっち見ないでえ~。
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