第5話 異次元の二人+一人

「まだ、授業中だが」


 有無を言わせぬ口調ではあったものの、一応抵抗してみるレスト。別段彼女に付いて行くことに躊躇いや戸惑いがあったわけでは無い、ただのお遊びのようなものだ。


「それなら心配要らないわよ。ほら」


 軽く後ろへと振り返ったエミリアが、教室の時計へと目を向けた。同時、針が無音で一つ刻を進め、学園に聞き慣れたチャイムの音が鳴り響く。


「授業なら、丁度終わった」


 またもにやりと笑う彼女に、観念したように溜息一つ、静かに席を立つ。彼女の性格上わざわざ此処まで計って行動していた、ということは無いだろうが、そう思いたくなってしまう程のタイミングの良さである。

 此方の意思を確認したエミリアは、肩で風を切り、一人教室の外へと歩いて行ってしまった。続いて自身も足を動かす、その前に、


「それでは、少し行ってくるよ」


 先ほどまで共に遊びに興じていた三人に軽くそう言って、彼女の後を追い教室を出た。授業終了の正に直後ということもあってか、廊下に人影はほとんど無い。

 そんな数少ない人影の一つ、エミリアの隣に素早く並ぶ。多少距離はあったはずだが、まるで急いた様子も見えない、ごくごく自然な動きでの追随。

 魔法では無い。レスト自身の持つ余裕、或いは洗練された動作がそう錯覚させるのだ。


「聞かれて困る話かい?」

「ん~……まあ、そうかな」


 答えを聞いたレストがそうか、と短く返した途端、周囲の風景が一変した。

 落ち着いた色合いの、広々とした室内。行き過ぎない程度の装飾や、気品の有る調度品、天井から垂れ下がる美しいシャンデリア。

 少々古臭い石造りの暖炉では、薪がパチパチと小さな音を立てて燃え上がり、室内を快適な温度に暖めている。

 窓が無く外が見えないことを除けば、理想的な貴族の邸宅、その一室と言って良いだろう。

 継ぎ目も分からぬ程ごく自然に行われたその変化に、しかしエミリアは一切驚くことは無い。寸分の淀みも無くレストと共に部屋の中央にあるこれまた高級そうなソファーへと向かうと、そのままテーブルを挟んで座り合う。

 程よい弾力と柔らかさが、ショートパンツごしに伝わった。


「相変わらず良いもん使ってんのね」

「一応は応接室なのでね。あまり派手なのは好きではないから、飾りつけは程々だが。その分、質には拘っているよ」


 ほら、あれなんて二億もかかったよ、と壁に掛けられた一枚の絵画を指差すレストだが、エミリアは興味無さそうに一瞥するのみ。


「ま、それはどうでも良いんだけど」

「連れない態度だ。そう焦らなくても良いだろう? 時間は幾らでもあるんだ」

「そりゃあ、此処が通常の時間軸から離れた場所だってのは知ってるけど。だからって芸術品だの何だのの話をされた所で、私には分からないし」

「くくっ、全く君らしいよ」


 此方に一切の配慮を見せず、また取り繕うこともしないその様子に、思わず苦笑する。彼女とはもう一年以上の付き合いになるが、この自分らしいとも、自分勝手とも取れる態度が、レストは好きだった。

 下手に誤魔化し嘘をつく人間よりも、余程付き合い易い。男らし過ぎるというか、あまりにも女性らしさというものを意識していない点は、少々直した方が良いとは思うが。

 何せ彼女、出会ってからこれまで一度たりとも化粧をしている所を見たためしが無い。また以前本人から聞いた話では、ダイエットをしたことや、美容に気を使ったことも皆無だそうだ。

 にもかかわらずトップモデルでさえ裸足で逃げ出すような美貌と体躯を持っているのだから、世の女性にとってこれ程羨ましい存在もそうそう居まい。彼女が自身の美貌について一切頓着せず、むしろどうでも良いとすら思っているなどと知ったら、嫉妬でおかしくなってしまうのではないだろうか。

 そう考える此方の前で思い切り背もたれによりかかった彼女は、頭部を支えるように両手を頭の後ろで組むと、そのまま両足をテーブルの上に投げ出す。そうして更に、その見せ放題の足を組む。

 まるでそこらのチンピラか何かがやっていそうな格好だが、しかし彼女のそれには自然と湧き立つ、健康的な色気があった。張り出され強調された胸のせいか、惜しげもなく晒された素足のせいか。それは分からないがしかし、もし藤吾や一般的な男子生徒が此処に居たのならば、理性を飛ばして襲い掛かってもおかしくない程に。

 無論、レストはその程度で欲情したりはしないが。


「それじゃあ、そろそろ本題に入ろうか。わざわざ私を訪ねてくるなんて、一体何の用だい?」


 問われたエミリアは、組んでいた両手をすっとソファーの後ろに垂らすと、


「実は、聞きたいことがあってね。レスト、あんたさ、今度の『高天試験』には出るの?」

「ふむ……」


 少し、考え込む。出るか出ないか、ということもそうだが、何故彼女がそんな質問をしたのかについても。


「今の所、特に出る予定は無いが。どうして、そんなことを?」

「ん~……。まあ、あんたには話しても良いか。今度の高天試験では、一種のレースみたいなものをすることになったんだけど、さ」

「先着順に評価が付く、ということかい?」

「そういうこと。で、その試験には幾つか関門が設定されているんだけど……」

「ああ、大体理解した。その関門の一つに、君が居るんだね?」

「正解。二年の部の、最終関門にね」


 軽く肩を竦めるエミリア。そんな態度をする理由は、此方にも何となく分かった。

 実際レースがどんなものかは知らないが、彼女が勤める関門など、どう考えでも実践的な戦闘に他ならない。他の方法ならば、もっと相応しい教師が居るだろうし、わざわざ彼女を採用する意味は無いからだ。

 しかし、だからこそ呆れた。あくまでもおまけという高天試験の特異性から鑑みれば、確かに参加した誰もが関門を突破し、評価される必要は無いだろう。実際、去年のトーナメントでは一定以上の順位に到達していない者は、一律で評価無しとされている。

 だがそれでもトーナメントという方式上、必ず優勝者は出た。が、今回のレースでは、恐らくそうでは無い。おまけである以上、優勝者がいなくても問題は無いだろうが……それにしたって、エミリアを置くというのはあまりに大き過ぎる試練である。

 まるで絶対に完走者は出さないぞ、と言っているかのような学園側の大人げなさには、流石にレストも、試験を行う本人であるエミリアも、呆れざるを得なかったのだ。


「しかも関門の内容は私との直接戦闘。出し抜いて突破するのも駄目、あくまでも私を倒さなければ通過とはみなさない、ってさ」

「酷すぎるな。その試験を突破出来る可能性を持つ者など、この学園に十人と居ないだろうに」

「担当する試験は二年だけだから、実際には片手で数えられる程度ね。で、そんな可能性を持つ者の一人であるあんたが参加するかどうかで、私の方の対応も変わってくるから」

「おや、意外だね。君は相手が誰であっても、対応を変えない人物かと思っていたが」

「別に、態度や戦闘方法は変えないわよ。たださ、今回の試験……一応の配慮というか、ハンデのつもりなのか、連戦や複数人で掛かってくることに制限は無いみたいだから。流石にあんたクラスのテイカーと多対一、あるいは休み無く連戦ってのは、私でもきついしね」

「故にそうならないように、事前に確認や交渉をしておこう、と」

「ええ。二年の中で私の脅威になって、かつ今回の試験に参加するかもしれない奴っていうと、あんたと『極剣』くらいだから。だからとりあえず、あんたに声を掛けたの」


 極剣――本名、四字よんのじ 練夜れんや。以前の話にも出てきた昨年の高天試験優勝者であり、学内ランキング第八位、即ちナインテイカーの一人に位置する少年である。

 極剣という通称通り剣を扱う武人であり、高みを目指す彼ならば、今回の試験に参加してくる可能性は高い。ましてエミリアが立ちはだかると聞けば、まず間違いなく出て来るはずだ。

 彼にとって強者と戦うことは、自身を高める最上の手段の一つなのだから。

 逆に他のナインテイカーのほとんどは、不真面目だったり面倒くさがりだったりで、試験に参加することは無いだろう。全員がそうというわけではないが、少なくとも二年に在籍する連中は皆そうである。

 そんな、メンバーの行き先があらかた予想出来る中、気まぐれなレストに関してだけはどうにも判断しにくかった。去年参加しなかったからといって、今年も必ず参加しない、とは断言出来ないのだ。

 偶々気が向いたから、という不安定な理由一つで、参加もすれば不参加になりもする。それが、レスト・リヴェルスタという男だった。

 故にの確認。もし彼が参加しないというのなら、必然的に脅威となる人物は四字練夜一人だけであり、憂慮すべき点は消える。ただ、全力でぶつかり合えば良いだけなのだから。

 勿論、参加しないと言っておきながら後から反故にされる、という可能性もありはしたが、しかしエミリアはその可能性を考慮しなかった。そんな舐めた真似をすれば個人的に自身からの罰(という名の制裁)を受けることになると、流石の彼も理解出来ているはずだから。

 自身が無礼な態度が常態であるせいか、不躾な態度を取られることには寛容なエミリアだが、舐められるのは嫌いなのだ。もしレストがそんなことをしようものなら、彼の全身の骨が木っ端微塵に砕け散るまで、ぼこぼこに殴られるはめになるだろう。

 最も、レストが全力を尽くして抵抗するというのならば、話は別なのだが……その場合、全宇宙などという規模では済まない死闘が繰り広げられるのは間違い無い。

 何せ彼女は、エミリアは――


「たかが七位と八位に対して、随分と警戒するものだ。いっそのこと纏めてなぎ払ってしまえば良いんじゃないかい? 学内ランキング第三位――『暴君』エミリア・エトランジェ君?」


 ナインテイカーの、一人なのだから。


「あの順位は所詮、私達の力を正しく判別出来ないままに暫定的に付けられたものでしょ。数の上ではどうでも、実際の実力差はほとんど皆無だって、そんなの言わなくても分かってることでしょうに」

「まあ、そうだね。例外は一位の彼くらい、か」

「そ。だからあんたらに二人纏めて来られると、ちょっときついわけよ」

「負ける、とは言わないんだね」


 答えは、分かっている。それでも言ってみれば、彼女は予想通り獰猛な笑みを浮かべて、


「当然でしょ。何人相手だろうと、誰が相手だろうと。私に負ける気なんて、一切無いわ」


 ぶわりと、風が吹く。彼女から発せられた気迫が、物理的な干渉を伴って空間を圧する。次元の震えがそのまま空間を歪ませ、空気を動かし風の流れを生んでいた。

 そしてそれは発生した時と同様、唐突に静止する。レストから発せられた力がエミリアの力と衝突し、完全に相殺し合うことで、空間はかろうじて正常に保たれたのだ。

 レストは別段、彼女への対抗心から力を解放したわけでは無い。ただこのままだと室内がぐちゃぐちゃになり、せっかくの調度品の数々がその運命を儚く散らす結果に成りかねないからである。

 魔法を使えば修復すること自体は容易だが、なるべくならばそうしたくはなかった。誰だって直せるから、というだけの理由で自身のコレクションがばらばらに壊されるのを容認しはしないだろう。

 やがて、互いの力は静かにそれぞれの身の内に収められ、集束し消えていく。エミリアとて余計な争いごとを生みたい訳ではないし、そもそも力が溢れ出たのだって、ちょっと気合が入りすぎただけだ。最も、そのことを悪びれるつもりはさらさら無いが。


「ま、とにかくあんたが出ないってんなら、それで良いわ。後は私に挑んでくるガキ共を、片っ端から叩き潰していけば良いだけだし、ね」

「同情するよ。君に挑まなければならない、生徒達には」


 すっかり弛緩した空気が、二人の間を漂った。緩やかなその空気は、生徒と教師、というよりは唯の友人というのがしっくり来る。


「それで? 話が終わったのなら、すぐに戻るかい?」

「ん~、どうしようかな。せっかくだし、少し休んでいっても良い?」

「構わないよ。どうせなら、食事の一つも用意しようか。――リッカ」

「はーい、はいはーい! お呼びですか、レスト様ー!」


 彼が誰かの名前を呼んだ途端、がちゃりと部屋の隅にあった扉が開き、騒々しい声が飛び込んでくる。

 その声の持ち主、クラシカルなメイド服を着た妙齢の女性は、何が嬉しいのかぴょんぴょんと飛び跳ねレストの傍まで来ると、実に珍しい虹色の双眸で彼を見詰め指示を待つ。耐え切れず小刻みに揺れるその身体からは、隠しきれない嬉しさが滲み出ていた。


「何か適当に食事を作ってくれるかい。私とエミリア女史、二人分だ」

「かしこまりましたっ! このリッカ、レスト様のメイドとして最高の食事を作り上げて見せます!」


 ビシッ! と効果音の付きそうな元気な敬礼をして、今度はスキップを踏んで部屋から出て行く。実に明るい黄緑色のポニーテールが尻尾のようにゆらゆら揺れていた。

 その姿をしっかり見送ってから、口を開く。


「いっつもテンション高いわよね、あの子。良くあれで疲れないもんだわ」

「いや、普段はあんなでは無い、らしいよ? 私はほとんど見たことは無いが。実際出会った当初の彼女は、随分と暗い子だった」

「ほんとに?」


 とてもでは無いが信じられない。今まで何度か会っているが、その度にあの異常なテンションの高さで応対してくるのだ。しかも恐ろしいのは、そこに演技の色が一切見られないことである。

 例えばアイドルなどの芸能人であれば、ああまで極端なキャラ作りをすることもあるだろう。あるいは一般の人間でも、ある程度猫を被ることはある。

 けれど彼女からはそういった演技、嘘の皮は微塵も感じ取れないのだ。エミリアは大雑把な人間に見えて、その実そういった嘘や虚飾の部分には鋭い。そんな彼女が何も感じ取れないということは、つまりはあれがリッカの素だということである。

 そんな彼女が、暗い? 一体それは、どんな冗談だというのか。


「嘘ではないよ。まともに人と話せず、かろうじて何かを喋る時には、聞き取れない程小さな声でぼそぼそと。いつも俯いていて、長い髪に隠れて表情も満足に読み取れない状態だった」

「それが今じゃ、あれ?」

「勘違いしないでほしいが、彼女の根元はそう大きく変わってはいないよ。聞いた話では、私が居ない時の彼女は、以前とあまり変わらない様子らしい。まあ、多少ましになってはいるようだが、ね」


 言われ、思い出す。


「そういえばあの子と会った時って、いつもあんたも一緒だったっけ」

「彼女は対人恐怖症だからね。だから此処に閉じこもっている位だし。ただ私と一緒に居る時だけは、あんまりにも嬉しいもので抑えられない位に気分が高揚してしまうんだそうだ」

「だから、あのテンション?」

「そう。限界まで振り切っているせいで、人とも関われる。一種のトランス状態なわけだ」

「へー。随分慕われてるのね、あんた」

「ああ。嬉しいことだ「レスト様ー!」」


 微笑むレストの言葉を遮って、元気な声と共に扉が開かれる。姿を見せたのは当然リッカで、その両手には小さなお盆が載せられていた。


「食事は少々時間が掛かりますので、先に紅茶とちょっとした軽食を用意しましたっ!」

「ああ、ありがとう」


 お礼を言われて嬉しいのか、わーいと両手を上げながらリッカは一回転。しかしお盆の上の紅茶は一滴も零れることは無く、軽食にも乱れは無い。

 魔法や特別な力は一切使用していない。純粋なメイドとしての力量による、非常に高度な技だった。少々使いどころを間違えている気もするが。


「はい、エミリア様、どうぞっ!」

「ん、ありがと」


 早速、目の前に置かれたティーカップを手に取り、口を付ける。爽やかな味と香りが喉を通り、身体の中へと落ちて行った。

 温度もほどよく飲みやすい。パーフェクトな仕事ぶりだ。


(この子、ほんとメイドとしては超が付くほど優秀なのよね)


 高すぎるテンションとのギャップを感じ、神妙な表情になる。その間にレストの分の紅茶と軽食も置き終えたリッカは、今度はくるくると回りながら部屋を出て行った。


(あれで素は暗い、と。まだまだ世の中には、不思議なことが眠っているものね)


 感慨深げに頷いて、軽食に手を付ける。幾らかの具を挟んだだけのサンドイッチではあったが、これもやはりそこらの飲食店など話にならないほど美味しい。


「人は見かけによらないとは正にこのこと、か」


 呟き、再び紅茶を口に含む。交わされるのは、対等な友人同士の他愛の無い会話の連続だ。

 刻々と流れていく、時間から外れた時間の流れ。やがて出された幾多の食事は、当然ながら美味だった。

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