第二章 『暴君』

第1話 高天試験

 六月某日、日曜日。比較的人の少なくなった学園の一角にて、こっそりと誰にも気付かれること無く、秘密の会談が執り行われていた。

 専属の清掃員によって綺麗にされた厳かな学園長室には、二つの人影。どちらもラフな私服であり、いまいち生徒にも教師にも思えない。

 けれど確かにこの二人は此処、魔法を始めとした特異な力を操る者達――即ちテイカー――を教育する機関である『第一魔導総合学園』、通称『総学』の教師であり、特に片方にいたってはその学園長なのであった。

 そんなこの学園で一番偉いはずの人物が、年季を経たいかにも高級そうな机にだらしなく突っ伏しながら、言う。


「と、いうわけで。君には今度行われる試験の、最終関門になってもらいたんだよね」


 実に気の抜けた、力の無い口調であった。女性でありながらまるで整えられていないぼさぼさの茶髪や、ぐちゃぐちゃに着崩された服装からは、彼女が自身の容姿というものにまるで頓着が無いことが窺える。

 或いは、目の前の人物に対し余程気を許しているのか。どちらにしろ、幾ら自分の部屋とはいえ学園の一角であるこの場所で、三十手前の女性がする格好では無いことだけは確かだろう。

 ずり落ちる眼鏡を直しもせず欠伸を浮かべる彼女と相対しているのは、此方もまた妙齢の美女であった。

 ただ、学園長とは違ってだらしなくは無い。ラフな格好を雑ではなく、活力的と思わせるような、力に満ち溢れた人物だ。

 バランスの取れた女性的な身体、整った容姿。鮮血よりも鮮やかな真紅の長髪がさらりと揺れる。年の頃は、二十代前半といった所だろうか。完全に調和の取れたその姿たるや、美の化身と評しても過言では無い。

 ノースリーブのシャツにショートパンツという、非常に肌色面積の大きい組み合わせは、男達の目を引き付けてやまないだろう。ただ、儚さとは無縁の、自信と強さと男らしさに溢れた彼女の表情の前では、大抵の男はしり込みして声も掛けられないだろうが。


「なーるほど。まあ別に良いけどさ、それって私が関門になるってことがどういうことだか、ちゃんと分かって言ってる?」


 一応は上司であるはずの学園長を何一つ敬らない、ふてぶてしい態度。けれど学園長は、そんな彼女にも機嫌を悪くした様子は無い。慣れっこなのか、許しているのか、もしくは注意することさえ面倒臭がっているのか。

 何にせよ、この程度のやりとりは二人の間ではいつものこと、らしかった。


「大丈夫、僕だってそれ位分かってるよ。どうせ今度のは試験という名の遊びみたいなものだし、通過者が出なくってもさ、別段困らないから」

「そ。なら思いっきりやって良い、ってことよね?」


 にやりと、好戦的な笑みを浮かべ確認を取る女性に、学園長はひらひらと手を振って、


「うん。どうせなら全員纏めて蹴散らしちゃってよ」


 とても、教育者とは思えぬ答えを返す。だがそれを聞いた女性の笑みは、更に深まるばかりで。


「了ー解。んじゃ生意気なガキ共に、教師の力ってやつを教えてやりますか」

「お願いするよ。エミリア・エトランジェ先生?」


 一部の学生達にとって大き過ぎる障害が立ちはだかる事が決定した、残酷な瞬間であった。


 学生達の本分とも呼べる戦いが今、幕を開ける。


 ~~~~~~


「高天試験?」


 以前の破壊からすっかり立ち直った総学第七模擬戦場で、リエラ・リヒテンファールは汗を拭いながら疑問を顕にした。

 土と埃に塗れ汚れた真っ赤な髪や身体に顔を顰めながら、彼女は聞きなれぬ単語を口にした少年とも青年とも呼べる存在へと目を向ける。


「ああ。七月初めにある期末テスト、その最後に行われる追加試験の名前だよ」


 彼の名前は、レスト・リヴェルスタ。金色の髪に金色の瞳を持った美丈夫で、その輝きたるや地上に降りてきた月のよう……なのだが、若干胡散臭いというか、妖しげな雰囲気のせいであまり積極的にお近づきになろうとは思えないタイプの男である。

 そんな彼等はレストのメイドである少女、ニーラも加えた三人で学園寮の同じ部屋で暮らしている訳なのだが、今日はせっかく休日だということで、朝からこの模擬戦場でテイカーとして戦闘力を高める為の特訓を行っていた。

 といっても実際訓練しているのはリエラだけで、レストはといえば基本空中に魔法で寝そべり、本を読んでいるだけであったが。

 ちなみにニーラは家事がある、ということで寮に残っている。彼女を妹のように溺愛しているリエラとしては当然付いて来て欲しかったのだが、そう言われれば仕方が無い。

 正直、初めてレストと戦った後のちょっとした『告白』以来、彼と二人きりになると少々妙な気分というか、どぎまぎすることもあり、あまり積極的に二人きりになりたくはないのだが……最近はある程度落ち着いてきたこともあって、無理に同行を願うことはしなかった。

 その代わり、という訳では無いが、特訓の相手として二名ほど追加の人員が駆けつけてくれている。


「そっか、リっちゃんは転校生だから、まだ知らないのか」

「私達は去年すでに経験していますからね。とはいえ内容はその年その年で変わるそうですけど」


 上から順に、芦名藤吾、二条綾香である。

 リエラよりも激しく土塗れになり、その上所々焦げている藤吾は、どういう訳か少々ずれた人間であるレストと親友という関係を結べている稀有な少年だ。

 対し綾香もまた、レストの弟子という、この学園で二人だけ(もう一人はニーラ)の希少な地位を保持している少女である。

 二人共に休日の突然の誘いにも快く乗ってくれる、気の良いクラスメート兼友人だ。


「へ~、そんなのがあるんだ。一体どういうものなの? それから、レスト」


 訊き返しながら、自身の現状をアピールするように軽く腕を広げる。それを見たレストが小さく指を振るうと同時、彼女を淡い光が包み、次の瞬間には髪も服も身体も、汚れ一つ無い綺麗な状態に戻っていた。

 幾らかあったはずの怪我や服の破損も、今や一つとして見えない。どころかお肌のケアまで万全である。

 ほぼ戦闘特化のリエラには出来ない、実に便利で羨ましい魔法の使い方だった。


「そうだね……簡単に言ってしまえば、戦闘評価試験なのだが」

「え? でもそれって、通常の試験にも含まれてるじゃない」


 俺も俺もー、と騒ぐ藤吾を無視して返されたレストの答えに、首を傾げる。試験は各テイカーの方向性によって何種類か存在するが、基本的に筆記テストと実技試験は全員が行うはずだ。

 中でも戦闘系のテイカーは正に直球で、実際に模擬戦を行って戦闘能力を評価する方式のはずである。わざわざ面倒な追加試験など設ける意味は、特に見当たらない。


「まあ、言ってしまえばおまけというか、試験終わりのスペシャルイベントのようなものだよ」

「スペシャルイベント?」

「ああ。この追加試験であまり良い成績を出せなかったとしても、評価がマイナスされることは無いし、そもそも強制参加ですら無い」

「要するに、参加自由の上に加点式の緩いお祭りみたいなもの、さ」


 話を軽く纏めた藤吾に、更に綾香が補足する。


「去年は学年ごとにトーナメント方式の勝ち抜き戦を行っていました。最も、この学園は生徒数が膨大ですので……自由参加とはいえ相当な数になってしまい、無茶苦茶な大騒ぎになっていましたけど」


 あはは、と思わず苦笑い。


「一体どんなトーナメントだったのよ……」

「何。勝敗が付いた五秒後には次の試合が始まるという、少々過密なスケジュールになっただけだよ。後はまあ、場所の問題で同じステージ上で数十組が同時に試合を行ったりね」

「あの時は凄かったですね。他の試合への流れ弾なんて当たり前でしたし、次の対戦相手になるであろう相手をわざと盾にして先に消耗させておいたり。それから皆で共謀して、厄介そうな参加者を事故のふりをして潰しにかかったり、なんてこともありました」

「えぇ……」


 正直ドン引きである。ルールも何もあったものでは無い。というかそれで、まともに評価など出来るのだろうか。おまけとはいえ一応学園側が公式に執り行う試験なのだし、適当で許されるものではないと思うのだが。

 そんな気持ちを素直に伝えてみれば、藤吾は軽く肩を竦めて、


「適当でも仕方ない。なにせ、あの学園長が発案しているんだぜ?」


 そうそう、と他の二人も追随して頷いた。言われたリエラも、ちょっぴり納得。

 まだこの学園に来て日の浅い彼女でもそう思ってしまう程、学園長という存在は『きちんとした』、からは正反対の印象を受ける人物だったのだ。


「じゃあ何? 今年もそんな、無茶苦茶な何かが催されるって訳?」

「多分、そうだと思います。内容の発表はまだなので、確定ではありませんが……」

「いやー、ほとんど確定だと思うぜ。高天試験が始まってから、ずっとそんな感じらしいしな」

「そんな試験に、良く皆参加するわね」


 当然の疑問。幾ら評価が欲しいとはいっても、あくまでおまけ。減点も無いとなれば、そんな試験にわざわざ参加することも無いだろうに。まして、通常の試験を終えて疲れている所で、だ。


「言ったろ? お祭りみたいなものだ、って。皆、試験勉強やその本番で積もっちまったストレスを、思いっきり発散したいのさ。実際、参加しないで見ているだけの奴等も、楽しそうにはしゃいでいるしな」

「後は、成績優秀者は何らかの賞品が貰える、というのもありますね」

「賞品?」

「はい。記憶が正しければ去年の優勝者には、現金で一千百十二万円が贈られたはずです」

「一千っ……!?」


 リエラの目の色が変わった。学生にとっては、いや学生でなくとも、一千万円はとてつもない大金である。

 確かに優勝は至極厳しい道なのだろうが、それにしても、この額はどうなのか。

 思わず優勝し大金を手に入れた自身の姿と、その使い道を妄想するリエラを置いて、他の三人の会話は続いていく。


「そうそう、学園長が自身の誕生日に合わせたんだよな。ていうか去年の優勝者って誰だっけ? レストじゃないよな?」

「私はそもそも参加していないよ。私達の学年――当時の、一年生――の優勝者ということなら確か、練夜れんや君のはずだが」

「ああ、ナインテイカーの。今は順位が一つ上がって、八位になったんだっけ? うかうかしてると、レストも抜かされちまうぞ」

「別に構わないけれどね。抜かされたところで」


 ナインテイカー――それはこの学園に存在するテイカー達を実力によって順位付けした非公式ランキングの、上位九名。

 何を隠そうこのランキングの第七位に席を置くレストにとって、件の八位の少年は、正に己を追い抜かんとする脅威……で、あるはずなのだが、肝心のレストにはまるで焦る様子は無い。

 それもそのはず、正直彼としては順位というものに大してこだわりを抱いていないのだ。一応この学園では、実力が高ければ様々な融通が利いたり、特典が付与されたりすることはあるのだが、それはあくまで純粋な実力やテストの成績によって判定されるものであり、非公式のランキングの順位によるものではない。

 とはいえ彼我の立場の差が目に見えて分かりやすいという理由もあり、自ら順位を示すことも往々にあるのだが。


「レスト! あんた、今年の高天試験には出るの!?」


 と、固まっていたリエラが再起動したかと思うと、いきなり詰め寄って来る。目は妙に血走り、呼吸は荒くなっている。


「まだ何とも言えないが……正直、気乗りはしないかな」

「そう。出ないのね!」


 対照的に平淡に返せば、しかし彼女は落ち着くことなく、勝手に此方の行動予定を決定してきた。

 別段そのことに不満は無いが、そもそも彼女が何をそんなに興奮しているのか、それが純粋に疑問である。

 答えは、天に拳を突き上げたリエラ自身が叫んでくれた。


「これで強敵が一人減ったっ。テイカーの頂点に立つという目標の為にも、今年の高天試験は、私が優勝してみせるわ!」


 否、お題目上は感心することを言っているがその実、瞳は欲望に染まっている。具体的には、人が欲しがるものをランキングに並べたら一位・二位を争うであろう存在――金に。

 どうやら一千万という大金は、彼女の心に火を点けたらしい。それまではあまり参加意欲を見せていなかったにもかかわらず、今は一度は仕舞ったはずの魔法補助機関兼武装である『魔導機』、ハインツェラを虚空から取り出し、ぶんぶんと振り回している。

 赤き長剣にこれまた真っ赤な炎が宿り、周囲に熱気を振りまくその姿を、残りの三人は呆れた様子で見詰めていた。


「別段、今年の優勝賞品も大金とは限らないのだが」

「でも、それに匹敵する何かの可能性は高いでしょ!?」

「そうかもしれないが……いや、せっかくやる気を出しているところに水を差すのも何だ、これ以上は言うまい」


 リエラのやる気は衰える気配など一切見せず、むしろ天井知らずに増大していく。大金を手に入れたらニーラちゃんに可愛い服を一杯着せるんだー! と語気荒く誓う彼女に苦笑して、レストはその重い足を上げると地に降り立った。


「さて。それじゃあせっかくだし、私が稽古をつけてあげよう」

「え”」


 ぴた、と狂喜乱舞していたリエラの動きが止まった。油の切れたロボットのようにぎこちない動作で振り向くと、頬をぴくぴくと痙攣させる。死刑宣告を受けた被告人の方がまだましなリアクションをするだろう。


「いや、それは、ちょっと。ほら、また藤吾と模擬戦するのが丁度良いんじゃないかな~なんて、あははははははは」

「遠慮するな。死なない程度に甚振ってあげるよ」

「だからそれが嫌だって言ってんでしょー! 今朝最初にあんたと戦った時なんて、全身の骨がバキバキに折れて、冗談抜きで死ぬかと思ったんだからね!」

「何、ほんの数十本じゃないか。それにきちんと全部治しただろう?」

「治せばいいってもんじゃないでしょうが! この常識知らずめっ……!」


 まるで悪びれる様子の無いレストに悪態をつくも、既に彼は戦闘体勢に入っていて。


「さあ、始めようか」

「ちょ、まっ。藤吾、綾香!」


 最後の希望とばかりに二人に縋るも、友人達は揃って首を横に振るばかり。


「諦めろ、リっちゃん」

「このような結果になって残念です、リエラさん」

「ちょおっ!?」


 お通夜のように顔を伏せ、悲しみを露にする綾香に声を上げるが早いか、レストの背後に浮かび上がる魔法陣の群れ。

 その常軌を逸した魔力量に冷や汗を掻く暇すら無く、彼は小さく笑って告げた。


「戦闘開始、だ」

「ふぉあああああーーーー!?」


 錯乱し奇声を上げるリエラへと、容赦なく魔砲の豪雨は降り注いだ――。

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