エピローグ 始まる一日、続く未来

「そういえば」


 いつもの朝の、いつもの朝食後。リエラはふと思いついた、とばかりに切り出した。

 レストとの戦いで負った傷もすっかり完治し、気力十分の様子で久しぶりの登校の準備を整えながら、彼女は続ける。


「レストにさ、聞きたいことがあったんだけど」


 ふむ、と一つ頷いたレストは、湯のみをテーブルに置くと、彼女と向き合い続きを促した。


「なんだい? スリーサイズなら教えないよ?」

「誰が聞くか! そうじゃなくて、『彼』のことよ」

「『彼』?」


 はて何のことやら、と首を傾げるレストにも、リエラの心は波立たない。この男がこうしてとぼけたふりをするのにも、もう慣れたものだ。


「そう。あんたを倒したっていう、『彼』」

「ああ、『彼』のこと、か。何故今更そんなことを?」

「いやさ、この間の戦いであんたの力は良く分かったわけだけど……そんなぶっ飛んだ力を持つあんたを倒した、っていうその男は、一体何処の誰なのかと思ってさ。気になるじゃない?」


 遥か高みにあるレストの実力を知った今でも、テイカーの頂点に立つ、という目標は諦めていない。むしろ登りがいがある、とやる気が出たくらいだ。

 以前の自分であればそんな考えは出来なかったのかもしれないが、吹っ切れた今となっては、どれだけ力の差があろうともそんなもの、夢を諦める理由になどなりはしない。

 所詮未来なんて不確かで分からないものなのだ。なら、出来ると信じて、やるのだと気合を入れて、ひたすらに突っ走った方がよっぽど気持ちが良い。

 例えそれで駄目だったとしても、後悔することなんて無い。今の自分ならばそう、断言出来る。

 ともかく、そうして頂点を目指す今、レストを倒すのは当たり前なのだが……その彼を上回る存在が居るというのなら、当然その者も倒さなければ頂点になど成ることは出来ない。

 まずは打倒レストが最優先とはいえ、多少なりとも情報を仕入れておくに越したことはないだろう。


「ふむ。そうか、『彼』について、か」

「何? 何か言えない事情でもあるの?」

「いや、そうではないのだが……正直君が知ったところで、あまり意味は無いと思うよ」

「どうしてよ?」

「『彼』は、テイカーでは無いからね。テイカー達の頂点に立ちたい君にとっては、特に関係の無い存在だ」


 はあ? と呆けた声が出た。テイカーじゃない? そんな馬鹿な。幾ら現代科学が発達しているといっても、あんなふざけた力を持つレストに、テイカー以外の人間が勝てるものか。

 そんな思いを乗せて視線を突き刺すも、レストは気にした風も無く、


「加えて言えば、『彼』はこの世界に居ない存在だ。だから、そもそも戦うことは出来ない」

「この世界に居ない? あっ……」


 レストの伝えたいことを察して、リエラは僅かに目を伏せた。

 詰まりは、そういうことなのだろう。レストの目標とする『彼』は、もうこの世に存在しない。ようするに、『あの世』へ逝ってしまった、ということ。

 もう会うことも出来ない、記憶の中の存在を懸命に超えようとしている――そう知って、彼女はレストへの評価を大幅に改めた。

 最も、その評価急上昇中の本人は、


(別段、『彼』は死んでなどいないのだが……まあ、勘違いさせたままにしておこう。その方がおもしろそうだ)


 何て、知られれば元以上に評価が下がりそうなことを考えていたのだが。


「ちなみに『彼』は日本人で、結婚もしていれば子供も居るよ」

「へー、そうなんだ。案外、その子供ってのが近くに居たりしてね。実はこの学園に通ってる、とか」


 ははは、と重くなってしまった(正確には彼女だけ、なのだが)空気を振り払うように冗談めかして言うリエラに、レストはぱちくりと目を瞬かせ、


「何を言っているんだい?」

「へ?」

「近くも何も、そこに居るじゃないか。ほら」


 あっさりと指差す、その先に居たのは。


「……?」

「え、ふえ? ……ふぁっ!?」


 朝食の片づけを終え、台所から出てきたニーラであった。


「ちょ、どういうこと!? ニーラちゃんが、ええ!?」

「どういうも何も、ニーラは『彼』の娘だよ。ねぇ?」

「……どうも、娘です」


 来たばかりで話は分からなかったが、とりあえず乗っておくニーラ。この間の追いかけっこへの乱入といい、存外乗りの良い性格なのかもしれない。

 ともかく、信頼する少女にまでそう言われれば、信じないわけにもいかない。


「はー、そうだったんだ。……あれ? でも、そうすると……」


 むむ、とリエラは頭を唸らせた。そうしてたっぷり十秒は考えた後、


「ねぇ、レスト」

「ん?」

「流石にそんな人の娘に、あれなことをさせるのはどうかと思うわよ。幾ら強制では無いとは言っても」

「? あれなこと?」

「だーかーらー! ……その、いかがわしいこと、とか」


 最後の方は消え入りそうな程小さな声で告げられた言葉に、ぽかんと呆気に取られた後。くすくすと、押し殺したようにレストは笑い出す。


「ちょ、何笑ってんのよ!」

「いや、そうか。そういえば、そんなことも言ったね」

「そういえば、って……」

「冗談だよ」

「へ?」


 今度は、リエラが呆ける番だった。

 今、こいつは何と言った? ジョーダン? じょうだん? 上段? いや、間違いなく冗談。詰まりは、嘘?


「なんだい、その表情は。もしかして、本気にしていたのかい?」

「…………」

「ふむ。これは暫くは動けそうにないかな。もう良い時間だし……ニーラ」

「はい」

「後は頼むよ。私は学校に行って来る」

「はい。お気をつけて」


 固まってしまったリエラを置いて、レストは一人玄関へと向かうと、扉に手を掛ける。静かに頭を下げるニーラに見送られて、彼は部屋を出て――


「ちょ、ちょっと待ったーー!」


 再起動を果たしたリエラが、叫びと共に慌てて駆けだした。

 そのまま振り向いた彼の肩を掴むと、がしがしと揺らしながら捲くし立てる。


「どういうこと!? 冗談って、それ本気で言ってる!?」

「さて。どうだろうね?」

「んな!?」


 茶目っ気たっぷりに笑ってみせるレストに、一瞬拍子を外されて。その隙に彼は此方の手をするりと抜けると、外に飛び出していた。

 ふわりとバックステップし、一跳びで廊下を、そしてその柵を越えると、そのまま地上に落ちて行く。


「逃がすかーーーー!」


 再び雄叫びを上げたリエラが、魔導機をその手に召還し、後を追って青空に飛び出した。

 残されたニーラは、魔法で扉を閉めると、何事も無かったかのように静かに家事に戻って行く。


「待てーレストー! 真実を教えなさいー!」

「ははは。校舎に着くまでに私を捕まえられたら、教えてあげても良いよ」


 地上数十階の高さも何のその、魔法で落下を軽減し見事地上に落着した二人は、そのまま猛烈な勢いで通学路を駆けて行く。

 正確に言えば駆けているのはリエラだけで、レストは低空を高速で飛行していたが。


「お? どうしたんだ、レスト、リっちゃん――」

「おはよう御座います、師匠、リエラさん――」


 途中、通学路を歩いていた藤吾と綾香を追い越して、二人の争いはまだ続く。

 本来ならばマナー違反な魔導機の使用も、今のリエラには馬耳東風。そんなもの、求める真実に比べればゴミみたいなものだ。


「やあおはよう、ソーゴン君」

「む? レスト貴様っ、俺の名は荘厳だと「邪魔っ!」ぶあっ!?」


 道を塞いだ荘厳を吹き飛ばし、二人の追いかけっこは続いて行く。

 雲一つ無い快晴の空の下、全てを照らす温かい光に祝福されて。彼の、彼等の未来を示すように、何処までも、何処までも。


「いい加減にしろ、この偏屈男ー!」




 ―― ナインテイカー第一章 完 ――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る