第25話 戦い、終わって

 まるで硝子を叩き割ったかのような音が、世界に響く。

 それは、世界そのものが崩壊していく音色。レストが創り上げ、維持していた世界が、はらはらと光の粒子を撒き散らして砕け散って行く。

 後に残ったのは、何の変哲も無い……壊れかけた、第七模擬戦場の景色のみ。

 そんな、ボロボロな床の上に寝そべって、ボロボロな天井から覗く青空を、ボロボロな身体で見上げている少女が一人。


「……負けた」


 大の字に手足を広げながら、リエラは呆然と呟いた。幸い重症を負ってはいなかったが、魔力が完全に底をついている。身体も疲れ切って、録に動かない。

 あの状況で尚、そうした配慮を魔法効果として付与するだけの余裕があるとは……後一歩だったように見えて、その実どうしようもなく大きな差が、まだあったらしい。

 完全無欠の、敗北であった。


「負けた。か」


 そう、自覚して。しかし今度は清々しい顔で、リエラは呟く。

 敗北の悔しさは、憎たらしい程晴れ渡った青空の向こうに飛んでいってしまった。今はただ、全力で戦えたことが、愚かな自分の全てを振り切れたことが、溜まらなく心地よい。


「負けちゃった」


 目を閉じ、吹き抜ける穏やかな風に身を任せる。火照っていた身体が、燃え上がっていた心が、静かに落ち着いていくのを、深く感じた。

 さらりと揺れる前髪にくすぐったさを覚え、小さく笑って。


「大丈夫かい?」


 落ち着いた、優しい声に目を開けた。


「心配なんてしてないくせに、よく言う」


 そう返せば彼は、勝者であるレストは、くすりと笑って。


「まあ、ね。魔法のコントロールを誤る程、私は未熟ではない」

「ほんっと、相変わらず自身満々ね」

「事実だからね」


 悪びれることも無く言う彼に、呆れたように溜息一つ。いつも通りのやりとりが、やはり今は心地よい。


「それにしても」

「ん?」

「あんた、強すぎない? 一体どうなってんのよ」


 唇を尖らせるリエラに、レストはふむ、と顎に手を当て、僅かに考える仕草を見せた後、


「どう、と言われてもね。飛びぬけた才能と、魔導の研究の賜物、としか言い様がないかな」

「ずるいわー、才能とか」

「自身に与えられた才能を誇ることも使うことも、ずるくは無いと思うがね。まあ、そう言いたくなる気持ちも分かるが」

「そりゃ、あんだけの力を見せられりゃあ、愚痴の一つも言いたくなるっての」


 人によって才能に差があるのは当たり前だが、それにしたってあれは、差がありすぎだ。

 そう、ぶすっとした顔を見せる彼女に、小さく苦笑して。


「君だって大概だろうに」

「あ、そう、それよ。何か普通に星切ったりしてたけど、魔導真機ってあんなことも出来るもんなの?」


 魔導真機が強力なものだというのは良く知っているが、それにしたってあれは行き過ぎではないのか。少なくとも以前調べた情報の中には、あんなとんでもな力は存在しなかったのだが。


「いや、無理だね。あれは真機ではなく、君自身の力によるものだよ」

「私の?」

「そう。気付かなかったかい? 君の炎に混じる、白い輝きに」


 あ、とリエラは間抜けな声を漏らした。

 異常に高まったテンションと、打倒レストに燃えていた為に意識の外に追いやってしまっていたが、そういえば確かに輝いていた気がする。


「思い出したかな?」

「うん。でも、自分でもあの力が何なのか良く分からないんだけど……もしかして、レストは知ってるの?」

「まあ、ね」


 興味津々、早く教えろ、と目で訴えかけてくるリエラに少しばかり迷ったものの、結局当たり障りのない程度で教えることにした。


「私の知り合いも、同じ力を持っていてね。君が発現したあの力は、心の……想いの強さに応じて輝きを、力を増す。そういう力だ」

「心に、応じて。どうしてそんなものが私に?」

「恐らくは君の祖先に、何らかの手段でその力を得た者が居たのだろう。そうして、細々と君の代まで気付かぬ内に受け継がれてきた」

「へ~、じゃあそれを発現させた私は、これからいつでもあのスーパーな力が使える、ってことか」

「いや、それは無い」


 あれ? と拍子を外される。もし立っていたのならば、ずっこけていたかもしれない。


「君の内にある力は、何代も何代も命を経る中で、ほとんど失われてしまっている。残っているのは、本当に小さな欠片のみ。そこから力を引き出すことは、今の君の心では容易ではないだろうさ」

「じゃ、じゃあ、もう使えないってこと!?」

「それも違う。ただ、今回のように尋常ならざる想いの強さ、心の高ぶりがなければ引き出せない、という話だよ」


 そんな~、とリエラは露骨に肩を落とした。

 今回程の強い想いや高ぶりなど、そうそう起こせるはずが無い。何せ年単位で悩んできたものを振り切って、ようやく到達出来たのだ。ちょっとやそっとで到達出来るものならば、そもそもこんなに悩んでなどいない。


「そう落ち込むことは無い。君の心が成長すれば、その力もまた成長する。力の規模も、引き出しやすさも、多少はましになるはずだ」

「本当?」

「多分、ね」


 曖昧な答えに、もう一段肩を落とすリエラ。その顔に、すっと差す影。


「ほら、そろそろ立ち上がったらどうだい?」

「……それもそう、ねっ」


 差し出された手を取って、リエラは勢い良く立ち上がった。まだ疲労は残っているが、それでもしっかりと二本の足で立ち、地を踏み締めている。


「ねえ、レスト」


 そうして手を握ったまま彼女は、


「ん?」

「――次は、負けないから」


 にやりと不敵に笑って、そう言ったのだ。

 レストが、優しく笑う。


「もし負けたら?」

「その時は、その次で勝つわ」

「それでも負けたら?」

「その次の、その次で。例えどれだけ掛かっても、必ずあんたのその顔に、痛~い一撃をお見舞いしてやるんだから!」


 ぼろぼろで、所々汚れていて。けれど屈託の無い顔で笑う彼女は、降り注ぐ陽光と相まって、女神のように美しかった。

 その姿に、その心に、一瞬見蕩れて。


「? どうかした、レスト――っ!?」


 繋がれたままだった手が、急速に引き寄せられ。二人の唇が、そっと触れ合う。


「「…………」」


 訳が分からず目をぱちくりと瞬かせるリエラから、ゆっくりと離れるレスト。そうしてようやく事態を把握した彼女は、


「な、な、んななななななな!?」


 顔を真っ赤に染めて、狼狽した声を上げたのだった。


「あ、あんた今、一体何を!?」

「何って、ただのキスだが」

「キ!?」

「ああ。人は愛を伝える時に、こうするものなのだろう?」

「愛!?」


 わたわたと慌てっぱなしのリエラとは対照的に、レストは何でもないように平然とした態度を崩さない。先ほどの行為など無かったかのように、淡々とした様子のままである。

 けれど、その中に。確かに熱は宿っていた。


「君を、愛おしいと思った。その輝く心を、有り様を。それを、伝えたかったんだ」

「だ、だからっていきなりキスだなんて……!」


 ぶんぶんと手足を振って抗議するも、肝心のレストは何をそんなに慌てているのか分からない、とばかりに首を傾げるばかり。

 そんな彼に、更に激しく捲くし立てようとして、


「あんた、ほんとに頭おかしいんじゃっ……「ラブコメの空気を感じる」ひゃあっ!?」


 突如耳元で放たれた言葉に、驚愕の余り飛び跳ねた。

 急いで振り向けば、そこには目を細め、此方を睨む少年――芦名藤吾――の姿が。


「藤吾!? あんた、何で此処に」

「俺だけじゃないぜ」


 首を動かし促す彼に従って視線を横へと向ければ、そこには静かに佇むニーラと綾香の姿があった。

 ニーラはいつものような無表情だが、一方の綾香は何が楽しいのかニコニコと笑みを浮かべている。

 その見事な笑顔に、リエラは覚えがあった。具体的にはそう、初めて会った時とか。


「あ、綾香?」

「リエラさん」


 がしっ、と肩を掴む綾香の背から、どす黒いオーラが立ち昇る。

 先ほどまでの慌てようは何処へやら、頬を引く付かせて固まるリエラへと、


「何があったのか、お話してもらえますよね?」


 薄っすらと細められた目蓋から覗く瞳には、光が宿っていなかった。


「いやー実は、二人揃って学校を休んでいるもんで、もしかしたら、と思ってニーラちゃんに訊いて来たんだが……って、もう聞いちゃいねぇか」


 悲鳴を上げながら逃げ回るリエラと、それを不気味な笑い声と共に追う綾香。二人の姿を見て、藤吾は呆れて肩を竦める。

 その一方で、


「レスト様」

「ん?」

「…………」


 じっと己を見上げ、迎え入れるように無言で腕を広げるニーラの姿に、レストは小さく苦笑して、


「ん」


 そっと顔を近づけて。二つの影が、重なった。


「どうして逃げるんですか~?」「た、たっけてー!」「うわ馬鹿、こっち来んな!」


 藤吾をも巻き込んで加熱する追いかけっこを眺め、レストとニーラ、二人はくすりと笑い合う。


「賑やかなものですね」

「そうだね。けれどこういう賑やかさ、私は好きだよ」

「私も、です」


 さて、そろそろ止めてやるか。そう言いながらも、場をかき乱すように追いかけっこに乱入するレストと、無言で追随するニーラ。

 優しい陽射しに照らされた五人の大騒ぎは、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴るその時まで、ずっとずっと模擬戦場の中に響き渡っていた――。

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