第22話 変わる世界、浮かぶ魔法陣

 何が正しく、何が間違っているのか。それは、分からない。

 ただ、正しいとか正しくないとか、そんなの関係なく……退きたくないと、そう思ったのだ。

 それは、間違った判断なのかもしれないけれど、それでも良い。理屈が正しい方向を向いていても、本能が正しい方向を向いていても。それでも、心が向いた方向へ。

 どうしても、そうしたいと思った。どうしても、そうしなくちゃと思った。なら例え、それがどんなに愚かで無謀な道でも……進むことに、意味はあるのだろう。

 心がそう感じたから、何てあまりに不確定で馬鹿な理由だけど……それで、良いのだと思う。

 きっとそれが、理性でもなく、本能でもなく。心という、第三の機関がある理由。


「体調も、魔力も、ばっちり」


 自らの身体の状態を確認して、私は満足げに頷いた。優れた治療魔法のおかげもあって、すっかり傷は癒えている。消耗した魔力も、一晩ぐっすり寝て回復していた。

 時計を見れば、時刻は十一時三十分。今から病院を抜け出せば、丁度十二時前には模擬戦場に着くだろう。

 近くに置いてあった、学園の制服に袖を通す。流石に病衣のままでは気合が入らない。

 本来ならば、この制服も破れるなり汚れるなりしていたはずなのだが。


『直しておきました』


 制服と一緒に置かれていたメモ書きを見て、小さく笑う。真っ直ぐ綺麗で簡潔な、実にあの子らしい文字だった。

 メモは、後二枚。順番に目を通す。


『早くお怪我が良くなることを願っています』


 女の子らしい丸みを帯びた、かわいらしい文字。この島の設備や魔法ならば一日と経たずに治る程度の怪我だと分かっていてもこう書く辺り、丁寧で微妙に心配性な彼女らしい。


「ぷっ。へったくそな絵」


 残る一枚のメモを見て、つい吹き出してしまった。頑張れよ! と汚い文字と共に、おそらくはピースをしているのであろう人の絵が描いてある。いかにも大雑把な所は、彼らしいと言うべきか。

 一頻り笑った後、メモを仕舞おうと魔導機の入っている異空間を開き……やっぱり止めて、制服の内ポケットに仕舞い込んだ。

 変わりに異空間から、以前買い物に行った時に購入した靴を取り出す。幾つか気に入った物の中から、ぼさっと突っ立っていたレストに無理矢理選ばせたんだっけ。

 靴を履き、乱れた髪を整える。制服がおかしくないか確認し、顔を洗って、鏡の向こうの自分と目が合った。

 鏡面に映った少女は、これから戦いに赴くとは思えない程、穏やかな表情をしていた。


「よしっ」


 気合一つ、向かうは窓。憎いあん畜生が舞い降りた、硝子の扉に手を掛けて、がらりと勢い良く開け放つ。

 生憎と天候は雨だった。傘は持ち合わせていないし、あっても差す気は無い。何だか今は、無性に思い切り走りたい気分だったから。

 窓枠に、足を掛ける。四階層下の地面は遠かったが、その程度なんのその。テイカーにとっては、ベッドから飛び降りるのと大差ない。


 ぎゅっと、唇を引き結び。私は、真っ白な病室から飛び出した。


 ――見えないはずの太陽に、照らされた気がした。


 ~~~~~~


 ぽつぽつと、絶えず鳴り響く雨の音を聞きながら、レストは静かに待っていた。

 立ったまま、空を見上げる。模擬戦場のドーム型の天井に遮られその先は見えなかったが、少し視線を動かせば、大きく空いた亀裂から曇りの空が窺えた。

 本来ならば魔法を使って今日中に直すつもりであったらしいのだが、レストが此処を使う、と他者を追い出した為、修理はめっきり進んでいない。入り口も、瓦礫で塞がれてしまっている。


「まあ彼女なら、どこからでも入ってこられるだろう」


 楽観的に、レストは呟いた。実際、昨日綾香達が彼女を運んだ時は、壁の亀裂から出て行ったのだ。入り口が駄目ならば、他から入れば良い話。

 時刻は現在、十二時五分前。手持ち無沙汰になり、何とは無しに立ち尽くしていた彼は、ふと昔のことを思い出す。


「そういえば、あの時もこんな天気だったか」


 尊敬し、目標とし、打倒しようとしている『彼』。一度は勝利し、敗北を刻み込んだはずの『彼』との二度目の戦いの日も、確か朝から雨が降っていた。

 来るはずが無いと思っていた。圧倒的な力を見せつけ、完膚なきまでに打ち倒し……しかしそれでも、『彼』は来た。


「そう、あの時は、確か――」


 ドォン、と大きな音を鳴らして、入り口の扉が瓦礫と共に吹き飛んで行く。見れば、もうもうと上がる土煙の中に、人影が立っていた。

 風が、吹く。晴れた土煙の中から現れたのは、白い制服に身を包み、真っ赤な髪を雨に濡らした、ちっぽけな少女。

 雲の切れ間から降り注ぎ、天井の亀裂の合間を縫って、優しい陽の光が彼女の姿を照らし出す。


 十二時零分。気が付けば、雨は上がっていた。


「ここまであの時と同じ、か」


 ぼそりと放たれたレストの呟きは、風の中に儚く消えて。


「……レスト」

「やあ。来たんだね、リエラ・リヒテンファール」


 二人、じっと見つめあう。けれどそこに甘い雰囲気など微塵も無く、ピシリと空気は張り詰める。

 雨の雫を地に落としながら、リエラが静かに口を開いた。


「ええ。戦いに、ね」

「決心は、変わらなかったのかい?」


 こくりと一つ頷いて、少女はゆっくりと歩を進める。水気を吸いきった靴が、びちゃりと嫌な音を鳴らしていた。


「念の為。一つ、確認しておこうか」


 足が、ぴたりと止まる。

 数十メートルの距離を空け、二人は真っ直ぐ向かい合う。


「君にはまだ、教えていなかったね。実は私は――」

「学内ランキングの第七位、でしょ?」


 また一つ、雫が落ちた。


「ナインテイカーの一人にして、魔導戦将。魔道を極めた、とまで呼ばれる程の絶対者。……そりゃ今までのぶっ飛んだ行動も納得いくわ。魔導真機どころか、魔導機さえ使わずにそれらを遥かに凌ぐ力を扱う、学園の公式記録にも記載されている最強の一角ってんじゃあね」

「良く調べたものだ」

「馬鹿にすんな。この程度、全部学内ネットワークであんたの名前を調べれば出てくる情報でしょ。むしろ今まで何で調べなかったのか、惰性に流され続けていた自分を後悔した程よ」


 今まで何度か、気になり調べようと思ったことはあったのだが、その度に何か用事が出来たり声を掛けられたりして、後回しにしてしまっていた。

 今思えば、あまりに都合が良すぎたような気もする。もしかして……とレストを睨むも、彼は此方の疑念など毛程も気に掛けることは無く、


「それで、多少なりとも私の実力を理解しながら、尚も君は挑むのかい?」

「そう何度も確認しなくても、今更決心が揺らいだりはしないっての。ここで平謝りして逃げる位なら、初めからあんたの前に姿を現したりしないわよ」


 ああまで大見得切っておいて退けるほど、彼女は恥知らずでは無い。そんな見栄っ張りさが自分を追い詰めたとは分かっているのだが、どうにも変えられない、それが所謂『己の性分』であるらしい。

 馬鹿な自分に溜息を吐きながら、リエラは何処か清々しい気分を感じてもいた。


「そうか。愚かな選択だが……私はそんな君を、喜んで歓迎しよう」

「……機構召喚ゼグリオン」


 レストが臨戦体勢に入ったと、彼から滲み出た魔力から判断したリエラは、そっと呟いた。呼応し、空間が歪み、彼女の手に赤き剣が握られる。


「魔導機――ハインツェラ」


 剣を振り、軽く調子を確かめる彼女へと、レストは意地悪く問い掛ける。


「おや。魔道真機は、使わないのかい?」

「っ、それは……」

「それとも、使えない、のかな?」


 歯を食いしばり、俯くリエラ。

 彼女は怖かったのだ。魔道真機を使うことで、再び自身が中途半端な使い手だと、そう自覚させられることが。

 幾ら振り切ろうとした所で、その恐怖は容易に消えるものでは無い。ずっと背負い、維持してきたものが砕けた衝撃は、あまりに大きな影となって彼女の心に闇を振りまいている。

 魔導機を握り締め、何も言い返せないリエラの姿を一瞥したレストは、僅かその目を細めると、


「まあ、良いさ。使おうが使わまいが、どちらにしても大した差は無い。少なくとも、私にとってはね」

「はっ。随分な自信ね」


 言いながらも、リエラにいつもの調子は無かった。自覚してしまっているからだ、自分と彼との間に、それだけの差があるということを。

 実の所、学内ネットワークを漁って手に入れられたレストの情報は、ほとんど無い。それこそ先ほど言ったことだけ、と言っても過言でない程だ。

 曰く、彼はほとんどの戦いにおいて本気を出すこと無く、相手を適当にあしらって終えてしまうのだという。それでいて数少ない本気を出す時には、何処か遠く別の場所に戦場を移して戦う為、熱心な研究会のメンバーでさえ、彼の正確な情報を得ることが出来ないでいるのだそうな。

 そんな、不確定で不安定な情報しか無いにもかかわらず。十万を超える学内ランキングの第七位に位置しているということが、彼がいかに頭抜けた存在であるのかということを、如実に表しているとも言えた。


「当然だよ。慢心でも驕りでも無く、厳然たる事実として、私にはそれだけの力があるのだから。……さて、リエラ・リヒテンファール」

「何よ。改まって」


 内心の不安を隠すように不機嫌な顔を見せる少女へと、レストは淡々と、しかし何処か惜しむように語り掛ける。


「君はこれから、無情な現実を知ることになるだろう。あまりに大きく、あまりに遠すぎる力。蟻が神に挑むよりも隔絶した、絶対的な格差というものを。この先君が目にするものは、全てが現実であり、決して幻や錯覚の類では無い。リエラ・リヒテンファールという人間の抱いていた常識を完膚なきまでに叩き壊し、そのまま大海にばら撒いてしまうような……絶望的な、世界だ」


 ぞくりと、リエラの背筋を嫌なものが走った。本能が告げている、彼の言っていることは決して誇張表現でも何でもなく、事実であると。


「きっと多くの者は、その現実に折れ、消える。けれど君はそうではないと……折れること無く立ち向かってくれると、そう期待し、願っているよ」

「レスト、あんたは……」

「さあ――場所を、変えようか」


 何かを言いかけたリエラを遮って、レストが宣言する。それは最早、後戻りする為の道が無くなったも同義。逃れえぬ戦いの、始まりでもあった。

 ふわりと、レストが宙に浮かぶ。両腕を大きく広げ、いつの間にやら、その身には黒いマントともコートとも付かぬ布を纏っている。

 一瞬の内に溢れ出した、リエラの理解を超える魔力が場を支配し、全てを書き換えるように世界に染み渡っていった。認識すら出来ぬ程に広大で緻密な魔法が形を成し、黒く周囲の空間を染め上げていく。

 レストを中心に展開される黒界が、世界を侵食する。いや、それは侵食では無い、重複だ。空間が彼の力によって置き換わり、包まれていく。

 その異常事態を、リエラは指一本動かせず、ただ見ていることしか出来なかった。それは、空間の展開に掛かった時間が僅かであったこともそうだが、何より圧倒されていたのだ。レストから感じる、規格外の力に。

 やがて、異常は終わりを迎える。レストとリエラ、二人だけを包み、黒き異空間は正しく現世となる。

 真っ暗で何処までも広大な世界の至る所に、小さく輝く点が見えた。此処は、まるで――


「宇宙……?」


 呆然と、リエラは呟いた。テレビや写真の中であったり、幼い頃に行ったプラネタリウムで見たような世界が、そこには広がっていたのだ。

 彼女の近くを――といっても、実際の距離としては相当離れているはずだが――大きな丸い塊が、通過していく。その姿にリエラは見覚えがあった。具体的にはそう、教科書とかで。


「あれって、火星? え、ちょ、は? どうなってるの?」


 戸惑い、後退さろうとしたリエラは、地を踏むことも出来ずバランスを崩す。けれど彼女の身体は落ちたり転んだりすることなく、ふわりと宙を回って。


「あ、そうか無重力なのか……って、え? ほんとに?」


 現状が信じられないながらも、呆けた頭で此処はもしかしたら本当に宇宙なのかもしれないと思い、


「って、やばっ!」


 慌てて口を押さえ、呼吸を止めた。咄嗟に現状を打破しようと魔法を使おうとするが、こんな状況に適した魔法など持ち合わせている訳が無い。

 あわあわと焦りを顕にする彼女へと、レストは苦笑と共に話し掛ける。


「そう焦らずとも大丈夫だよ。此処では、普通に呼吸が可能だ」


 ほらこの通り、と大仰に息を吸って吐いてみせる彼の姿を見て、恐る恐るリエラもまた息を吸ってみれば、


「ほ、本当だ」


 当たり前のように、空気が肺に入り込んできた。続いて何度か深呼吸してみるも、特に異常は感じない。

 どうなっているのか、と首を傾げる彼女への答えは、当然レストから。


「私がそういう風に創ったからね。この宇宙には、空気が満ちているんだ。だから呼吸が出来るし、話も出来る。魔法を使わなくとも、何の問題も無く生存出来る。便利なものだろう?」

「え、あ。そう、ね」


 未だ事態に付いていけぬリエラでは、まともに返事をすることさえも困難だった。それでも平然と浮遊し宇宙空間を眺めるレストの姿に、多少は平静を取り戻し、何とか問い掛ける。


「えっと、此処は何? もしかして、転移魔法? でもそうだとしたら、さっき言った造ったって言葉が合わないし……幻術とか?」

「私は言ったはずだが。この先君が目にするものは、決して幻や錯覚の類では無い、と」

「え、じゃあ本当に此処は宇宙なの?」


 一つ頷き、レストは語り出す。


「此処は、今まで居た世界とは違う、私の創った世界の宇宙だ。故にその全てを空気で満たす程度は、創造主である私には造作も無い」

「世界を、造った? じゃあ此処はあんたの展開した、異空間の中ってこと?」


 彼女の問いに、レストは静かに首を横に振る。事実はもっと大きく、もっと残酷で。


「そんな矮小なものでは無いよ。限定的な異世界・異空間の形成ではなく、完全なる一個の世界の創造だ。故に此処には星が在り、銀河が在り、宇宙が在る」

「……完全なる、世界の創造? そんな馬鹿な、それじゃあまるで神――」

「そう、神の領域だ。もっとも私が居るのは、その更に先だがね」


 ぱちぱちと、目を瞬かせる。今こいつは何と言った? 神の領域、或いはその更に先? ありえないだろう、そんなこと。


「信じられないのは分かるが、事実だよ。君の目の前に広がる風景が、全てを示しているだろう?」


 確かに目の前には何処までも果ての無い漆黒の宇宙が広がっている。しかしこれを創ったと言われた所で、幾らレストがとんでもない奴だと判明した今でも、到底信じられることでは無い。

 どう反応して良いか分からず固まるリエラを見やり、レストはふわりと飛翔し距離を取る。


「信じようが信じまいが、まあどちらでも良いさ。どのみち私は、君に講釈を垂れたい訳では無い。私の目的は唯一つ、君の目的も唯一つ。そう――」

「っ!」


 感じ取った異様な気配に従い、リエラの身体が戦闘体勢を取る。魔導機を握る両手が、大き過ぎる力に恐怖して、音を立てて震えていた。

 全身に伝播しかけたその怯えを、なけなしの意地で無理矢理押さえ込む。


「唯一無二の、闘争だ」


 レストの背後に浮かび上がる、無数の魔法陣。まるで以前のテロ事件の時に見たニーラのような光景だが、しかし彼のそれは規模が違う。

 浮かぶ魔法陣の数、実に千二百四十五個。二メートル近い大きさのその魔法陣に籠められた力は、どれ一つとっても、今のリエラの全魔力に匹敵する程である。

 自身を遥かに超える力の総量に、リエラの全身が粟立った。


(ありえない。何、この力――!)


 光が隆起し、魔力が鳴動する。活性化する魔法陣を背景に、呆気なく、当たり前に、容赦なく、


「さあ。足掻いてくれ、可能性を持つ者よ」


 戦いの始まりは、宣言された。

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