第21話 宵闇に輝く

「ん……ここ、は?」


 目を覚ましたリエラの目に映ったのは、薄暗く真っ白な天井だった。ぼやけた頭で何となく周囲を見渡せば、自分が見慣れぬベッドに寝かされていて、恐らく此処は病室であろうことが見て取れる。

 はて、どうして私はこんな所に居るのだろうか。そう、眠る前のことを思い返して。


「っ! そうだ、私……!」


 慌ててベッドから飛び起きた。が、身体の痛みに呻きを上げ、即座に行動を停止する。自らの身体を見下ろしてみれば、クリーム色の病衣の隙間から、幾つもの包帯が覗き見えた。

 重症、という訳ではないが、それなりに深手を負ったらしい。


(それも当然、か)


 意識を失う直前に見た、あの一撃を思い出す。自身の持つ最大の攻撃を容易く消し飛ばし、己を呑みこんだ蒼紫の重力波。

 幾ら全力で身体強化を掛けていたとはいえ、この程度の怪我で済んだのは奇跡と呼んで相違あるまい。


「いや、違う。手加減された、のかな」


 魔導真機に目覚めたばかりでありながら、機構解放という非常に難度の高い技術を行使していながら、相手に合わせ必殺の一撃を手加減するというそのありえない力量に、彼女は一つの確信を抱く。


「あいつが、凄いんじゃない。私が、あまりに未熟だったんだ」


 項垂れ、呟くリエラ。彼女の長い真っ赤な髪がベッドに垂れて、さらりと小さな音を立てる。

 本当は、前から薄々感づいていたのだ。彼女とてそれを扱う者として、魔導真機については何度も調べたことがある。

 その情報の中にあった魔導真機の使い手達は、自分のように、小さなステップアップなどしていなかった。もっと大きく、階段を三段飛ばしで駆け上がっていくような、そんな成長段階こそが、真機の使い手が別格視される理由の一つなのだから。

 その点、自分はいつまで経っても遅々とした成長ペースから抜け出せなかった。他の真機使いがしなくても良い努力を必死でこなし、得られる成果は十分の一も無い。


 いや、そもそもスタートラインにすら、立てていなかったのだ。


 もしかしたら、とは思っていた。だが同時に、それを認めるわけにはいかなかった。


「だって、そんな……皆の期待を、裏切るようなこと」


 魔導真機の使い手となった時。誰もが皆、自分を祝福してくれた。家族も、学校の皆も、見知らぬ誰かでさえ。

 勿論そんな正の感情だけでなく、負の感情もまた幾らでも向けられた。それが彼女に、意地を張らせる理由になるほどに。

 祝福、期待、羨望、嫉妬。他にも幾つも幾つも感情をぶつけられ、それに応えようと、負けぬようにと、懸命に頑張ってきた。

 皆の見ていない所で努力をし、魔導真機に選ばれた者として何の問題もないように振舞ってきた。

 天才だと、祭り上げられて。退くに退けない状況を乗り切る為に、自分自身に何度も言い聞かせてきたのだ。


 私は、魔導真機の使い手なのだ、と。


 けれどその思いは今、呆気なく覆され、粉々に砕かれてしまった。

 焦燥の最中にあった彼女にはレストの説明は届いていなかったが、それでもこれまで集めてきた情報と見たばかりの現実を繋ぎ合わせれば、答えは出るというものだ。


「はは……情けないわね、私」


 テイカーの頂点に立つ? はっ、一体どの口がそんな冗談を言ったのか。扱いきれない力に振り回されて、見栄だけご立派に張った馬鹿女が。

 幾多も幾多も、自身を罵倒する言葉が湧き出てくる。こんな時にだけ異常に良く回る頭が恨めしい。いっそのこと脳みそなんて取り出して、空っぽの頭で生きていけたら良かったのに。

 ぐちゃぐちゃになった心が整理も出来ず溢れ出し、瞳から涙となって零れ落ちた。

 窓から差し込む月光に照らされて、輝く雫が一つ、二つ、三つ……際限なく落ち、ベッドに染みを広げていく。

 両手で顔を覆って止めようとしても、涙は手の隙間から零れ落ちて行くばかり。


「う、うっ……ぅう……」


 押し殺した泣き声が、暗い病室に響き渡って。


「初めて見たよ。君の、涙は」


 落ち着いた、平淡な声が、静寂を引き裂いた。


「っ!? レス、ト?」


 慌てて顔を上げれば、いつの間にやら開いていた窓に、レストが腰掛け此方を見ていた。

 金色の髪が、風に流されゆらりと靡く。月光を反射し輝くその姿は、流麗な金の双眸も相まって、まるで月が地上に降りてきたかのようだった。

 平淡であるはずなのに、何処か慈愛を感じさせるその光景に、自然と視線が引き寄せられる。

 目を、離せない。胸の奥で、何かが小さく弾けた気がした。


「何があったのか、覚えているかい?」


 彼には珍しい、はっきりと分かる、優しい声だった。

 我に返ったリエラが目を伏せ、小さく頷く。


「……うん」

「それじゃあ、君自身の現状は?」

「…………うん」


 怪我の具合のこと、ではない。自身が半端な魔導真機使いだと、そう理解出来ているのかという質問に、彼女はたっぷり間を空けてから正直に頷いた。

 また、涙が零れ落ちそうになる。


「ほんと、どうしようもない愚か者よね。天才だって言われて調子に乗って、おだて上げられ退けなくなって。自分を騙して、皆を騙して……大切なことを、誤魔化し続けていた。そんなもの、いつまでも続くわけないのにね」


 弱弱しく、心境を吐露する。ずっと抱えてきたものを、誰かに聞いてほしかったのかもしれない。


「そうして、現実を突きつけられて。結局こうして泣き喚くことしか出来ない。弱くて、情けなくて、醜くて、嫌になる」


 彼女の独白を、レストはただ黙って静かに聞き続けていた。

 いかに自分が努力してきたか、いかに自分が愚かだったか、いかに自分が苦しんできたか。嗚咽を上げながら、抱え込み続けていたもの全てを吐き出すのに掛かった時間は定かでは無いが、少なくとも十分や二十分で済むような短いものでなかったことだけは、確かであった。

 その全てを、目を逸らすことなく聞き終えたレストは。ふわりと、音を立てることなく室内へと足を下ろすと、リエラの傍まで歩み寄る。


「――君は、それで良いのかい」


 優しい、優しい声だった。


「君が、辛く、苦しく……一人では立っていられないというのなら、私は今すぐ君を抱きしめて、君の心の支えとなろう」


 聞く者全てが身を委ねてしまうような、甘く、柔らかな声だった。


「君の頭を撫で、君という存在を肯定し……君を害しようとするあらゆるものから、君を守ろう」


 己の全てを無条件で差し出したくなるような、慈愛と威厳に満ちた声だった。


「君はただ、私に全てを任せて……共に笑って、日々を過ごしてくれれば良い」


 そんな、何処までも優しい声のままで、彼は言うのだ。


「もう一度だけ、訊くよ。――君は、それで良いのかい?」

「私、は……」


 リエラの心に、彼の言葉が染み渡って行く。

 そうだ、何を躊躇うことがある。全て彼に委ねて、自分は楽になってしまえば良い。

 今の自分ならば良く分かる、彼はとても素晴らしい人間なのだろう。それこそ、先ほどの言葉の全てを容易く実現出来る程に。

 迷う必要何てない。下らない重荷など、全て捨ててしまえば良い。魔導真機使いなどという称号は捨てて、天才という呼び名も捨てて、極普通のテイカーとして生きれば良い。

 レストが居て、ニーラが居て、藤吾が居て、綾香が居て、自分が居る。これからもっと、その輪は広がる。寂しくなんて無い、こんな自分でも、皆はきっと受け止めてくれる。

 余計なものを降ろせば、もっと多くのものが手に入るはずだ。平凡で、当たり障りの無い学生生活。頂点なんて行き過ぎた無謀な夢を目指さないで、少し上の、手の届きそうな目標に向かって、一生懸命頑張れば良い。

 そうして、疲れたのならばレストに寄り掛かって。苦しいことは全て投げ出して、幸せな人生を生きるのだ。

 そうだ、それが良い。それが、それこそが――



 ――本当に、それで良いの?



 自分の、けれど今の自分でない誰かの声が、頭に響いた。


「……ねえ、レスト」

「何だい?」


 俯いたまま、リエラは問い掛けた。表情は影に隠れ、窺い知れない。

 返すレストの声は、まだ優しいままで。


「古賀は、どうしたの?」

「彼なら、君との戦いが決着した後、私に勝負を挑んできたよ」

「戦ったの?」

「ああ」

「結果は?」

「当然、私が勝ったさ」


 そこに、自慢げな色は無い。古賀荘厳を見下す響きも、同じく無い。ただ当たり前の事実を当たり前に告げているだけの、無色な返しだった。

 それを聞いたリエラは、


「そう」


 とだけ呟いて、また黙り込んでしまう。

 一秒、二秒……時間が、流れる。


「ねえ、レスト」

「何だい?」


 今度は、顔を上げて。


「私と、戦って」


 真っ直ぐレストを見詰める瞳には、月光とは違う、赤き輝きが宿っていた。小さく、儚く……けれど確かに、煌めいている。

 返す言葉は変わらず、優しい音で。


「それで、良いのかい?」

「……分からない」


 ふざけている、訳ではないようだった。迷いながら、躊躇いながら、それでも彼女は真剣な口調で、言葉を紡ぐ。


「分からないけど、でも……戦わなくちゃ、いけない気がしたの。手が届かないかもしれない程、遥かに高い目標に――それでも、挑まなきゃいけない気がしたの」


 自分でもまだ、心を形に出来ていないようだった。けれどそれでも、否定すること無く。彼女ははっきりと、意思を発する。


「だからお願い、レスト。私と、戦って」


 じっと、見詰める。目を、逸らさない。此処で逸らしてはいけないと、漠然と心が感じていた。

 時が止まってしまったかのように、二人固まり、見つめあう。先に動いたのは、レストの方だった。


「君は、馬鹿だね」

「自分でも知ってる」


 くすりと、二人笑い合う。先程までの偽りの優しさでは無い。レストの言葉には、小さな呆れと共に、本当の、温かい優しさが籠もっていた。

 すっ、と笑みを消し、真剣な表情で彼は問い掛ける。


「いつなら、戦える?」

「いつでも」


 真剣に、リエラも返す。

 レストが、問い掛ける。


「怪我は?」

「問題ない」


 包帯を掴み取り、引き出し払い去りながら、リエラが返す。

 紅の髪が、ふわりと舞った。


「ならば、そうだね。時間は、明日の正午。場所は、第七模擬戦場」

「学校は?」


 明日は平日だ。まさか昼休みの間に戦おうなどと、舐めた真似をする気ではあるまいか。


「心配せずとも、学校は休むさ。君も、明日一日は療養の為欠席、ということにしておこう」

「それで、場所の確保が出来るの?」


 訊きながら、内心こいつなら出来るのだろうな、とリエラは思った。


「問題ないよ。あそこは、私に与えられた遊び場だ」

「そう」


 やっぱり。


「それでは、また明日」

「ええ。また、明日」


 短く別れを告げて、レストの姿が掻き消える。窓は、いつの間にか閉まっていた。


「全く、余計な気を使って」


 窓位、自分で閉められる。小さく笑って不満を漏らし、広がる星空を眺める少女。

 ――誰かさんのように綺麗な三日月が、暗闇に輝いていた。

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