第15話 私をめぐって争って

「うう……酷い目にあった」


 壊れ尽くした教室を掃除しながら、リエラは深く肩を落とした。周りでは同じように落ち込んだ生徒達が、箒や雑巾を手に掃除に励んでいる。

 レストの宣言通り五分が経過する頃には黒魔術の呪縛から解放されたA組の生徒達だが、その代償は大きかった。

 壊れた机に椅子、破られた暗幕。床は砕け散り、教科書やノートは原型を留めていない。

 局所的な台風が巻き起こったと言われても納得出来る凄惨な光景に、誰もが息を呑み。騒動と異常な魔力を感知して飛んで来た教師によって、纏めてお説教を喰らうことになったのだ。

 ちなみに黒魔術の教師は、いつまで経っても意識を取り戻さなかったので、保健室に放りこんである。いずれ減給なりなんなり処罰が下されることになるだろう。

 そんなこんなで魔術のせいとはいえ、教室を壊したことを散々に叱られた生徒達は、罰として自分達が荒らした教室を自分達で片付けることになった。

 ただ、とぼとぼと掃除に耽る生徒達の中に、レストと藤吾の姿は無い。彼等だけは、共に暴走したのでは無くその被害者であるとして、罰を間逃れていたからだ。

 確かに暴れてはいなかったが……藤吾はともかく、無意識に被害を拡大するような煽りをしていたレストにも罪はあるのでは、と思わないでもないリエラだったが、被害を一番出した人間として強くは言えず。

 自身の未熟さを反省しながら、ひたすらに掃除に取り組む姿勢を見せていた。


「ふ~、やっと終わった~」


 幸い人手が多かったおかげで片付けはすぐに終わり、生徒達は口々に愚痴を零しながら教室を後にする。

 既に昼休みが始まって十五分が経っていた。急がなければ、昼食を食べる時間がなくなってしまう。

 地下五階から地上四階の自分達の教室まで戻るという、無駄に長い道程に辟易しつつ教室へと帰還したリエラは、既に昼食に手を付けているレストと藤吾を纏めて恨めしげに睨み付けた。

 特に、無駄に余裕のあるレストの表情が癪に障る。


「おや、やっと戻ってきたのかい?」

「お~、お勤めご苦労様」


 片やニーラの作ったお弁当を、片や購買で買ってきたのであろう惣菜パンをつつきながら、暢気に手を振る二人に抜かれる毒気。

 無駄に怒りをぶつけてもしょうがない、と諦め、リエラは大人しく自分の席に着くとお弁当を取り出した。


「あ、あれ?」


 取り出そうと、した。だが、幾ら鞄の中を漁っても、お弁当は出て来ない。机の中、ロッカーの中、しまいには教室中を探してみるも、目的の物は影も形も見当たらなかった。


「そ、そんな……まさか、忘れたの? ニーラちゃんの愛情がたっぷり籠もった、お弁当を?」


 思わずリエラは、その場に崩れ落ちた。苦笑しながら、綾香が慰めるようにその背を撫でる。

 この学園には購買や食堂もあるのだが、レストとリエラは基本的にニーラお手製のお弁当で昼食を済ませる事が多かった。

 そっちの方が経済的に楽だし、何よりおいしい。とはいっても、リエラは特にお金を払っているわけではないのだが。

 初めは悪いと思い相応の額を支払おうとしたのだが、どうしてもニーラが受け取ってくれなかったのだ。最もそのニーラに関しても、材料費は全てレストの懐から出ているのだが。

 彼が一体何処からどのようにして資金を調達しているのかは、定かでは無い。実家からの仕送りかとも思ったが、話を聞く限りではどうも違うらしい。


 ともかく、辛い罰を越えようやくありつけると期待した希望を取り上げられたリエラの顔は、絶望で真っ青に染まっていた。今からでは購買は碌な物が残っていないだろうし、食堂もほぼ満員だろう。

 腹ペコのまま午後を迎えなければならない事と、何よりニーラの愛? を無駄にしてしまった事実に打ちのめされ、リエラは無様に地に伏した。あまりに悲惨な様相に、皆もあえて触れず気まずげに通り過ぎていく。


「そう落ち込むことは無い」


 と、そんな悲劇の少女へと、弁当を食べる手を止めレストが声を掛ける。

 自身を尻目にニーラのお弁当を貪る彼に、リエラが淀んだ泥のような目を向けた。


「何……? あんたには分からないのよ、ニーラちゃんのお弁当がいかに大切かが。あれこそ正に、学園生活最大の光にして希望なのに……!」


 ニーラのお弁当が、引いてはニーラ自身がいかに素晴らしいかを力説するリエラを無視して、レストは手を伸ばし教室の窓をがらりと開けた。

 春の気候らしい暖かな空気が肌を撫で、彼の金色の髪がさらりと揺れる。

 何処か神秘的なその光景にもヘドロのような目を向けて、リエラは全身から瘴気を撒き散らす。教室に残っていた生徒達が、一斉に距離を取った。


「何? いつもみたいに、私をおちょくってるわけ?」

「残念ながら違うね。……ほら、来たよ」


 は? と首を傾げるリエラが彼の指し示した先を見れば、今の心境とは真逆に晴れ渡った空の彼方から、何やら黒い点が此方に向かって飛んで来ているではないか。

 次第に大きくなるその点は、広大な大空と比べれば実に卑小な黒点ではあったが、無意識に魔力で強化された瞳はその正体を容易に顕にする。

 間違いない、あれは――


「ニーラちゃんの、お弁当!?」


 見慣れた布の柄に急いで立ち上がると同時、点は開けた窓から教室へと勢いよく飛び込んで来る。

 床に着く直前で、咄嗟にキャッチ。顔面を打ち付けたが何のその。


「そ、そんな馬鹿な……いや、でも」


 慌てて包み布を取り払えば、やはりそこには見慣れた弁当箱の姿があって。彼女の人生史上最大級の緊張感と共におそるおそる蓋を開ければ、型崩れ一つ無い綺麗な料理達が、食べられる時を今か今かと待ち望んでいた。

 リエラには、一目で分かった。これはニーラちゃんの料理だ、と。


「ど、どうなってんの、レスト!?」


 奇跡だ。正に、神の奇跡だ。

 目の前の現実が信じられず事情を知っているらしい男へと問い掛ければ、彼は開けっ放しだった窓を閉めながら、


「寮に居るニーラから、君がお弁当を忘れて行ったと連絡を受けてね。持ってきてもらうのも何だったから、彼女との間に魔力で道を作って、送ってもらったんだ。勿論、中身が崩れたりしないように保護の魔法も掛けてある」

「良くやったレストー!!」


 諸手を挙げて喜び、教室中を跳ね回るリエラに、温かい視線が集中する。しかしそんなものが気にならない程、彼女の喜びは深く大きい。

 やがて少しだけ気持ちを落ち着かせたリエラは地獄の底から一変、天国にでも昇ったかのような機嫌の良さで、ニヤニヤとお弁当に手を付け始める。


「うん、美味しい~!」


 随分と調子の良い彼女に小さく苦笑しながら、レストと藤吾と綾香は、リエラと共に卓を囲んで昼食を取ったのであった。


 ~~~~~~


「そういえばレスト」


 満足気に食事を終え、さてこれから何をしようか、と四人顔を突き合わせて考えている最中。唐突に、リエラが声を上げた。

 皆の視線が自然と彼女に集中する。


「何だい?」

「私とさ、模擬戦しない?」


 皆が、固まった。一杯になったお腹を擦っていた藤吾も、こっそりレストと手を繋ごうとしていた綾香も、自由気ままに雑談に興じていたクラスメート達も、皆時が止まったかのように動かない。


(あれ、私何かおかしなこと言った?)


 異常な状況に、思わずあたふた。

 訳も分からず狼狽するリエラに真っ先に反応したのは、すぐ近くに居た藤吾と綾香の友人コンビだった。


「おいおい、リっちゃんそれは……」

「リエラさん、幾ら何でもそれは……」

「二人共」


 何かを言いかけた彼等を制したのは、レストだ。彼はちらりと目配せを送り二人を黙らせると、平淡な仮面の裏に喜悦を隠し、リエラと一対一で真正面から向き合う。


「さて、私と戦いたいということだが……急に一体どうしたんだい?」

「え、えっと……ほら、この間のテロ事件でさ。私ってまだまだ未熟だなぁ、と思ったのよ」


 相変わらず静かな周囲に戸惑いながらも、彼女はぽつぽつと模擬戦を持ちかけた理由を話し出す。


「勿論、精神的にも研鑽を積まなきゃ成らない、ってのはあるんだけどさ。とりあえず単純に実力を伸ばす為の手段として、強い奴と戦うのが良いんじゃないか、って思ってね」

「それで私と?」

「うん。どうやらあんたって、かなり強いみたいだし」


 感じたものをそのまま伝えれば、レストはもう隠すことすら止めてにやりと頬を吊り上げた。しかしそれは、すぐに唇の動きに隠れてしまう。


「成る程、成る程。殊勝な心がけだ。良いよ、それなら早速放課後にでも……「ちょっと待て」ん?」


 聞き慣れない声だった。少なくとも、リエラには。制された藤吾や綾香では無い、一言も話さず此方の様子を窺っているクラスメートでも無い。もっと低く、岩のように堅く、渋い声。

 リエラがその声の元へと視線を流せば、いつの間にやら自分達のすぐ近くに、二メートル近い巨漢が姿を現している。


「え~と、用務員さん? でも何で制服?」

「俺はお前らと同じ二年の生徒だ!」


 同年代とはとても思えぬ肉体と顔にリエラが問えば、彼は顔の彫りを更に深くして激怒した。散々言われてきたことだし自覚もしているが、当然本人としては不愉快極まりない。

 そんな彼、古賀荘厳は、鼻息と共に怒りを吐き出すと、リエラを無視しレストへと詰め寄る。


「おい、レスト」

「やあソーゴン君、奇遇だね。君の教室は隣だったはずだが、どうしたのかな? まさか迷子ということもないだろう?」

「俺の名前は荘厳だとっ……ちっ、そんなことより。そこの女と戦う位ならば、この俺と戦え」


 再び空気が変わる。ただ今度は絶対零度の停止ではなく、ぬるい熱を持った停滞であったが。言葉で表すならば、またか、というものだろう。


「ちょっと! 横から入ってきて勝手なこと言って、一体何なのよ、あんたは!」


 流石に黙っていられず、捲くし立てるリエラ。だがそんな彼女にも古賀は鼻息一つ、レストを指差して、


「ふん。元よりこいつとは、俺が先に戦うと約束していたんだ。模擬戦をする時間があるのなら、先約である俺から行うべきだろう」

「え、そうなのレスト?」


 顔に似合わぬ正論を述べられ、思わずレストに確認を取る。訊かれた彼はわざとらしく指を顎に当て、考える仕草を見せた後、


「さて。そんなことも有ったような、無かったような」

「レスト貴様、とぼけるつもりか!」


 怒鳴る古賀も何処吹く風、悩むポーズを取り続けるレスト。ほんの数日前の約束を忘れるはずもないのだが、何が狙いか彼はあーだのうーだの、適当にはぐらかし続けている。

 埒が明かないと見た古賀が実力行使に出ようとした、その瞬間。横から少女が分け入って来た。


「レストはこう言ってる訳だし、諦めたら? 何であんたがそんなにこいつと戦いたいのかは知らないけどさ、今回は私。で、あんたはまた時間が空いた時、ってことで」

「ふざけるな! そんな理屈が通って溜まるか!」


 互いに互いを優先させようと、睨み合い牽制しあう少年少女。

 徐々に上がるボルテージが、周囲にぴりぴりとした空気となって溢れ出しそうになった、その時。


「そうだ。それなら、二人で戦って決めるのはどうだい?」


 レストが、そんな突拍子も無い事を言い出した。名案を思いついた、と言わんばかりに手を叩いて。


「何……? それはどういう意味だ、レスト」

「どういうも何も、そのままだよ。まずは君達二人で模擬戦をし、その勝者が私と戦う。シンプルで実に分かりやすい決定法だろう?」

「ふざけるな、何故わざわざそんな手間を……「私は良いわよ」」


 古賀の文句を切り裂き、不敵な笑みを浮かべるリエラ。


「あんたみたいなのでも、多少の経験値にはなるだろうし。私は別に、構わない」

「貴様……」

「何? もしかして、私が怖いの? その無駄にでかい図体は飾りなわけ?」

「……良いだろう。お前のような馬鹿な勘違い女程度、一撃で叩き潰してやるっ!」

「上等! やれるものなら、やってみなさい!」


 売り言葉に買い言葉、互いにいがみ合い火花を散らす二人に、レストの目が楽しそうに細まった。

 まるで玩具を買ってもらう直前の幼子のように無邪気で――だからこそ、恐ろしい。


(思い通りに動いてくれて、ありがとう)


 内心の感謝と共に、全ての意見を統合する。


「それじゃあ、勝負は放課後。場所は、私の方で確保しておこう。ルールは標準通り、どちらかが負けを認めるか動けなくなった時点で終了だ。正し、制限時間は無制限。そして勝者は、私と優先的に戦える権利を得る、と。これで良いかな?」

「オーケーよ」

「俺も問題ない」


 一触即発な二人を別つように、チャイムの音が鳴り響く。敵意を全方位に振りまきながら、古賀は教室を出て行った。


 リエラもまた、苛立ちを振りまきながら、席に着く。漂う怒気に怯えながら、気弱な教師の授業が始まった。


 決戦は、放課後。炎はまだ、燻ぶっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る