第11話 油断大敵、怪我一生
天板から優しい陽射しの差し込むショッピングモールのホールは、その穏やかな空とは裏腹に、剣呑な空気で満ちていた。
痛みに呻く老若男女のくぐもった声が散発し、それを守る、否、囲う牢たる男達の押し殺した殺気と呼吸が合いの手を入れる。
地に張り付いた赤い血の色と合わさり、惨劇一歩手前のその光景を、二階の通路の陰から覗く人影が二つ。
「……敵は五人。一階に四人、二階にスナイパーが一人、です」
目視と探索魔法で得られた情報を精査し、ニーラが呟く。
敵の配置を頭に叩き込んだリエラは、現状整理と共に取るべき作戦を脳内に描き出す。
「人質のリミットまで、後およそ二十分。時間もないし、下準備や複雑な作戦を立てている余裕は無い、か」
「はい。しかもどうやら、残る五人は全員手練れであるようです。人質の無事を確保することも含めて、難度はこれまでの比ではないでしょう」
「やっかいな奴等が残ったもんね。いや……初めから此処以外は捨て駒だった?」
一目で分かる明らかな練度の違いに、相手の目的を推論するリエラだが、すぐに考察を霧散させた。今重要なのは、人質の無事だけだ。
奴等の目的に関してはレストが何とかするそうなので、とりあえず任せていいだろう。どうやら彼は思っていたよりも、遥かにぶっ飛んだテイカーらしいのだから。
「あの無線で連絡を取っているのが、此処の親玉か」
一人だけ顔を隠さず堂々と立っている壮年の男の風格から、リエラは一目で彼がテロリスト達のリーダーであると見抜いた。いや、他の誰であってもすぐに分かっただろう。それ程までに件の男の纏う気概は、飛び抜けていたのだから。
集団を潰すにはまず頭を潰すべき、という自身の中の常識に従って、リエラは簡素な作戦を提案する。
「私が一気に敵の頭を叩くわ。ニーラちゃんは同時に飛び出して、まずはスナイパーを叩いて」
「その後は?」
「私が残りのテロリストの排除、ニーラちゃんが人質の防衛で。どう?」
提示された作戦を頭の中で吟味するが、特に問題は見当たらない。リエラは明らかに攻撃型のテイカーで、人質の防衛には向いていない。その点自分ならば、人質を守りながら援護も可能だ。
出来るならば事前に幾つか魔法でトラップなどの仕込みをしておきたい所なのだが、いかんせん時間が無い。二十分持つとはいっても、それはあくまで予測であり、確実ではないのだ。一刻も早く解決しなければ、死の危険は飛躍的に高まるばかりである。
「機構召喚ゼグリオン――アクレコーヤ」
ニーラがそっとその手に魔導機を現出させる。虚空を引き裂いて現れたのは、金色に輝く小さな髪飾り。手の平サイズしかないがしかし侮る無かれ、性能は他の魔導機とも遜色無い。
此処に来るまでに聞いていたとはいえ、とても戦闘には耐えられそうには無いその見た目に少々瞠目するリエラだが、すぐに気を取り直してハインツェラを持つ手に力を入れる。彼女の実力は既に此処に来るまでに幾度も見た、今更信頼が揺らぐことは無い。
「それでは、合図と共に一気に飛び出しましょう」
「分かった。それじゃあ、準備は良い?」
魔導機を髪に付けながら、ニーラが頷く。彼女の準備が整ったのを確認し、リエラの脚に力が籠もった。
左手を前に出し、指を三本立てる。
「三、二、一……ゼロ!」
最後の指が折りたたまれると同時、二人揃って陰から飛び出す。
ニーラは体勢低くホールの二階を駆けスナイパーの下へ、一方リエラは真っ直ぐ駆け出し邪魔な手すりを飛び越えて、そのまま上空から標的へと襲い掛かる。
音も無き奇襲。相手はまだ、気付いた様子は無い。
(取った!)
確信と共に、大上段に振り上げた剣を思い切り振り下ろす。おまけとばかりに炎を纏った魔導機は、確実に標的を一撃で打ちのめすだろう。
テイカーでもないただの人間に、抗う術など無い。はず、だった。
「…………」
「なっ!」
思わず驚愕の声が漏れた。確かに男に気付いた素振りは無かったのだ、目線も正面を向いたままで、此方に向けられてなどいなかった。
にもかかわらずテロリストのリーダーである男は、リエラの攻撃に合わせたように一歩踏み込むと、それだけで彼女の渾身の振り下ろしをかわして見せたのだ。
偶然? 否。それが偶然などではないことは、此方へと向けられた、男の鋭くしかし落ち着いた瞳が証明している。
鷹とでも評すべきそれと目が合った瞬間、リエラは悟った。
(気付かれていて……誘われた!)
男が無駄の無い動きで、アサルトライフルの銃口を向けてくる。スローになる視界の中では、男が引き金を引く有様がはっきりと見て取れた。
刹那、考えるよりも先に本能が動き、高速で眼前に展開された魔法の障壁が放たれた弾丸の全てを防ぎきる。
だがそれでも、男は引き金を引き続けた。至近から何十という鉛弾の雨を喰らい、リエラの障壁に皹が入る。
(持たない――!)
素早く飛び退き、距離を取る。魔力強化されたリエラの身体は常人を超える速度で彼女の体躯を動かしたが、その超人的な機動にも男は容易く狙いを定め、銃撃を続行する。
障壁が砕けるのと、銃が弾切れで止まるのは同時だった。寸での所で命を拾ったリエラは、一マガジン分の弾丸全てを正確に動く標的に叩き込むという、人間離れした技量を持つ男へと、最大限の警戒を顕にする。
「あんた、一体……、そうだ、ニーラちゃんは!?」
警戒を崩さぬまま、二階のスナイパーが居たはずの場所へと目を向ければ。
「っあ……!」
そこには、空中でスナイパーに撃ち抜かれる、ニーラの姿があった。
~~~~~~
リエラさんの合図を受け、魔力を全身に漲らせ身体能力を強化すると、一気に目標のスナイパーへと走り出す。数十メートルの距離を一瞬で踏破し、魔法で造りだした小さなナイフで以って、標的へと襲い掛かった。
回避は間に合わないタイミングのはずだった。少なくとも魔法や不思議な力を使うことの出来ない、テイカーでない彼等には。
しかしスナイパーは此方に気付くと同時、己が生命線であるはずのその手のライフルを、あろうことか放り投げたのだ。
手すりを越え飛んでいく凶器に一瞬意識が飛び、訳の分からぬ行動を前に身体の動きが僅かに鈍る。接近戦で不利となる重しを外すこと、そして意表を突かれた私の隙こそが、彼が望んだものだった。
振るわれた魔力のナイフを、スナイパーは身を逸らし辛うじてかわす。己の未熟さに内心歯噛みしながらも、表情を崩すことなく、私は追撃を仕掛けた。
体勢を整えられていない今ならば、此方が圧倒的に有利。けれど振るわれた刃をスナイパーは身を屈め前転して避けると、まるで予見していたように、更に振るわれたナイフを跳んでかわしてみせたのだ。
そのまま彼は、手すりを足場に、空中へと飛び出していく。ついでとばかりに、ホルダーから抜き出したナイフを投げるのも忘れない。
自身に迫るナイフを素早く打ち落とし、私はスナイパーを追って空に飛び出す。空中の機動ならば、やはり此方に分が有る。というかそもそも空中では身動きが取れないただの人間と、空中でもほぼ自由に動けるテイカー。勝敗は明らか、のはずだった。
残っている武装はハンドガンのみ。威力も低く装弾数も少ないそれならば、障壁で容易に防ぎきれる。
この時私はきっと、油断していたのだ。リエラさんに油断は禁物などと偉そうに言っておきながら、相手を所詮は一般人だと、テイカーである自分に叶うはずがないと、侮っていた。
そのつけを、私は支払うことになる。
スナイパーが、空中で此方へと振り向きながら、その手を構えた。何を、と困惑する私の先で、落下して来た銃が男の手にすっぽりと収まる。
(まさか最初から全て、計算づくで――)
目を見開く私の前で、男はスナイパーライフルの引き金に指を掛けると、容赦なく引き絞る。
ハンドガンなどとは比べ物にならない威力を秘めた弾丸が、咄嗟に張った貧弱な障壁を貫いて、私の身体を穿ち抜いた――。
~~~~~~
落ちて行く。ホールの中を、二つの影が。共に落下し、しかし結果は真逆のもの。
片方は見事な受身を取り隙無く体勢を整え、片方は無様に床に叩きつけられ、鈍い音を鳴らす。白いタイルを、流れ出た真っ赤な血が染め上げた。
叩き付けられたその影、自身が愛しく思う少女の姿を見た瞬間、リエラは叫んでいた。
「ニーラちゃん!」
急いで彼女の下へ駆け寄ろうとし、しかし放たれた銃撃に歩みを遮られる。鬼神の如き形相で邪魔者へと振り向けば、リーダーである男が変わらぬ冷静な双眸で此方に銃を向けていた。
そこに、年端も行かぬ少女へと凶器を向けることの忌避感は、微塵も無い。
更には男の仲間達までもがリエラへと銃を向け、彼女は迂闊に身動きが取れない状況へと追い込まれてしまう。
「デロス」
リーダーの呼びかけに応え、先程落ちてきたスナイパーが、簡潔に返す。
「問題ありません。ナイフを一つ、失っただけです」
同時、倒れ伏したままのニーラへと向けられるライフルの銃口。その光景を見た途端、リエラはリスクを承知で駆け出していた。
「まさか……させるかっ!」
当然四方八方から銃撃が放たれるが、今度の障壁は咄嗟の脆いものでは無い。大量の魔力を注ぎこんで強度を上げたうえに、三重に張り巡らせている。流石に銃の一斉射でも、易々と抜くことは不可能だ。
赤き弾丸と化したリエラが、吐き出される鉛のシャワーを突き抜ける。届けと、必死の思いを籠めて、ニーラへと懸命に手を伸ばす。
だが彼女が到達するよりも早く、スナイパーは引き金を引き絞って、
「っ!」
着弾よりも一足早く、ニーラが跳ね起きた。先程まで頭部があった場所へと、正確無比に弾丸が突き刺さる。
そのまま突っ込んできたリエラと合流し、二人、全力で障壁を張り巡らせた。銃弾は殺到するが、二人掛りで作り上げた強固な防壁を揺るがすには至らない。
このままでは効果は無いと判断したのか、銃撃がぴたりと止む。障壁を維持し、マガジンを交換しながら自分達を眺めるテロリストを警戒しながら、リエラはニーラの容態を窺った。
「ニーラちゃん、傷は!?」
「大丈夫、です……幸い障壁で逸れたおかげで、肩を撃ち抜かれただけですみました。身体強化していたおかげで、落下のダメージもほとんどありません。治療魔法を使えば、そう時間は掛からずに治ります」
ほっと、胸を撫で下ろす。確かに見た所傷は肩だけで、それも今すぐ命に関わる訳ではなさそうだ。
しかしそれでも十分重症、今もニーラは己の傷に治療魔法を掛けながら、苦痛に顔を歪めている。
彼女らしい小さな変化ではあったが、ここ数日共に過ごしたリエラには、その変化が敏感に感じ取れていた。
「……ニーラちゃん、一人でも十分な障壁は張れるのよね?」
「? はい。だからこそ、人質の防衛という任を受けたのですから」
「そう。……なら、貴女はこのまま人質の防衛と治療に当たって。私が、あいつ等を殲滅する」
深い後悔と共に、リエラは宣言した。自身の油断が、慢心が、彼女を傷つけてしまった、と。
自分はまだ、全力を出していない。魔導真機を、使っていない。この緊急極まる状況でそれは、彼女の驕り以外の何物でもなかった。
「そんな……! リーダーもスナイパーも、未だ健在です。現状一人で戦うのは、危険すぎます!」
リエラの心配にも、耳を貸す気は無い。むしろ後悔は深まるばかりだ。
「大丈夫。あんな奴等、すぐにぶっ飛ばしてやるから」
安心させるように不敵に笑って、彼女は虚空に手を差し伸べた。魔力が高ぶり、周囲の空間が歪む。立ち昇る紅の魔力に呼応して飛来する、赤き装甲。
「機構誘導リベレイト!」
掲げられた剣へと装甲は合身し、その真なる姿を顕現する。装甲は外郭へ、剣は芯鉄へ。二つは一つとなり、巨大な剣を形作る。
「潰してやるわ。――テロリスト共」
熱気が吹き荒れ、魔力の波がテロリスト達の身体を叩く。魔導真機アルダ・ハインツェリオンを手にしたリエラが、暴威を纏って一歩を踏み出す。
踏み締められたタイルが、感情の昂りに呼応し溢れ出した熱気に耐え切れず、ひび割れ溶け出した。いつでも撃ち出せるよう、炎の弾丸を己が周囲に侍らせて、灼熱の支配者は反逆者へと歩を進める。
彼女の美貌と合わさり、現実感を消し去る幻想的な――相対する者にとっては、地獄の業火を覗くような――光景を目にし、しかしテロリスト達に動揺は無い。
何処までも冷静に、ともすれば感情が無いのではないかと勘違いする程冷酷に、指揮官は部下へと指示を飛ばす。
「アイオン、ベリオス、カクリアは俺と共に赤いのを殺れ。デロスはあっちの小娘を牽制しろ」
「人質は?」
「無視しろ。元より俺達はただの囮、既に十分な時間は消費した。もう人質は必要無い」
息を潜め人質の下へと忍び寄り、障壁を張る少女をも見逃さず警戒しながら、テロリスト達は目の前の暴君の打倒へと乗り出していく。
油断も、隙も無い。だが、そんなものは関係ない。
戦力差は未だ不明。相手はまごうことなき手練であり、魔導真機を持ち出したとしても必ず勝てる保障など無い。命を落とすことになるかもしれない。此処は安全な模擬戦場などではなく、どこまでも非情な戦場なのだから。
けれどそれでも、リエラの心に躊躇いはなかった。大切な人を傷つけられた悲しみを、怒りを、心の動力に変えて悠然と歩み行く。舞い散る炎燐、滾る熱量。
黒い炎が、心で静かに燃えていた。
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