第10話 道化に今、終幕を

 テロリストに属する覆面を被った男は、警戒の為、という名目でショッピングモール内の見回りを行っていた。銃を手に、人の気配の無いモール内を一人悠々と闊歩する。

 男の口元がにやりと不気味に歪み、その手のアサルトライフルを愉悦と共に眺め始めた。もし残っている人間が居るのなら、たっぷり怖がらせた後に脳天をぶち抜いてやる――そんな悪虐な思考が彼の脳内を埋め尽くす。

 男に真面目に見回りをしよう、などという気持ちは無い。彼の狙いは初めから、逃げ遅れ隠れ潜む愚かなテイカーを見つけ出し、楽しんだ後にこの手で殺す、という悪趣味極まる遊びだけだ。

 過激派と言いながら、その実ネットの中でいきがっていただけの男には、銃を手にしたというその事実だけで、道徳に背く行為を実行させるには十分であったらしい。

 まるで世界の支配者にでもなったかのような全能感と共に、男はまた一歩踏み出して、


「ぎぇ?」


 背後より振るわれた剣に穿たれ、その意識を失った。


「ふ~……これで三人目、か」


 己が剣であり魔導機でもあるハインツェラを地に立てて、リエラは背後に目配せする。物陰から出てきたニーラが、彼女に応え魔法を行使し、素早く地に倒れるテロリストを拘束した。

 光輪に縛り上げられる男を放置し、二人そそくさとモール内を疾走する。リエラの優れた脚力にも、ニーラは顔色一つ変えず追走してみせた。


「レストの話通りなら後八人、か」

「私の方でも調べてみました。確かに残りは八人、内五人は一階のホールで人質の見張りに付いているようです」


 探索魔法によって得られた情報を提示し、脚を止めないままにこの後の動きを決定する。幸い、人質はまだ暫くは持つ。まずは確実に、一人になって制圧し易くなっている見回りの兵を討つ。


「ニーラちゃんが補助系の魔法を使えて良かったわ」

「いえ、レスト様に比べれば大したものではありません。こうも上手くいっているのは、相手がテイカーではないからです」


 もし敵の中にテイカーが居たのならば、探索魔法を使って一人一人潰していく、何て作戦は通じ無かっただろう。探索魔法は優秀ではあるが、魔力を無造作に広範囲に拡げる為、使えば相手にもすぐに悟られてしまう。

 そうなれば正しい情報が届かないように阻害されるか、逆に此方の位置を特定されて反撃にあうだけである。隠密作戦に使うものではないのだ、本来は。

 だが今回、相手の中にテイカーは居ない。ならば少し魔法に手を加えるだけで、感知されることもなく撃ち放題だ。一方的に情報を得られることのアドバンテージは、大きい。


「それなりに訓練されている、って言ってたわりに大したことないし……この分なら、何とかなりそうね」

「油断は禁物です。人命が懸かっています」

「うん、分かってる」


 冷静な忠告に、リエラは緩みかけた気持ちを引き締めた。そう、この戦いには人質の命が懸かっているのだ、失敗は許されない。

 ニーラが治療魔法を扱えるという話なので、助け出すことさえ出来ればとりあえずの処置はこの場で出来るだろう。しかしそれを考えても、猶予は後三十分、といった所か。

 自分達の実力からすれば十分な時間のはずだが、現実とは何が起こるか予想も付かないものだ。今、こうしてテロリスト討滅に乗り出しているように。

 なるべく余裕を作っておくに越したことは無い、とリエラ達は駆ける速度を三割増し、新たな標的へと飛び掛って行った。


 ~~~~~~


「隊長」


 広々とした空間の中にたった十数人しか居ないという、寂しさ感じるホールの中、テロリストの一員は彼等の指揮官へと歩み寄り声を掛ける。


「何だ」


 簡潔な答えを返した指揮官たる男は、他のテロリストとは少々違った出で立ちだ。ホールに居る他の四人が全員黒い覆面を着けているのに対し、彼だけは顔を顕にしている。

 年は四十程であろうか、岩のようなごつく硬い顔面に、鋭い双眸と幾つもの古傷が張り付いている。その身から漂うのは、まさに歴戦の戦士の貫禄。

 そんな男のぎらつく眼光にも怯まず、部下は起こり始めた異常を報告した。


「見回りに出した者達との連絡が取れなくなっています」

「……全員か?」

「はい。三分程前から、ずっと」


 目を細める上官へと、部下は続ける。


「所詮奴等は寄せ集めの素人、連絡も無視して勝手な行動に出たのかとも思いましたが……全員というのは異常だと感じましたので、報告を」

「……応答しろ」


 指揮官が己の無線機を手にし確認を取るが、やはり誰にも通じない。部下の無線機が壊れた、という訳でもないらしい。


「……総員に通達する」


 低い声が、ホールの中に静かに木霊した。先程報告して来た者を含め、四名の部下たちが一斉に姿勢を正し耳を傾ける。


「武器を、警戒を、連携を、密に構えろ。――敵だ」


 迷い無き断言だった。そしてそれを、彼の忠実なる部下達は疑わない。迷い一つ無く、指揮官の指示に従い意識の空隙を埋め、脳内に叩き込んであった敵の来うる場所をもう一度確認し、そして物理的に来れないはずの場所にも警戒を怠らず飛ばす。

 何せ相手は恐らくテイカー、何処からどんな攻撃が来ても不思議ではないのだ。


「人質はこれ以上必要ない。生け捕りなど考えるな、慈悲など与えるな。見つけ次第、殺し抜け」


 ホールを冷酷な殺気で満たし、狩人は獲物を待つ。自分達もまた、狩られる獣であると自覚しながら。


「来い、テイカー。凡人の力を教えてやる」


 ~~~~~~


 闇の中に道化は笑う。高らかな嘲笑を上げ、約束された時を今か今かと胸を高鳴らせ待ち望んで。

 芝居がかった仕草で腕を振り上げ、大仰に天を仰ぐ。九割九分、いや一厘の間隙すらなく、己の策が成ったと確信し、高鳴る鼓動は今にも破裂し鮮血の雨を降らせてしまいそう。


「ああ、いよいよだ。全ては成る、私が成す。祝福の燐光が舞い踊り、天の契印は地に刻まれる。空に出でし太陽が灼熱を以って戦乱の始まりを告げ、巡る世界が私を頂へと導くだろう。……しかし、残念だ。ああ、実に残念だ」


 舞台上に立つ演者もかくやという見事なステップと回転を踏み切り、地獄に落ちたように肩を落とした道化は、深く腰を曲げ身を屈めると、次の瞬間身を跳ね上がらせ再び天を仰ぐ。

 歪められた双眸からは、今にも涙が零れて来そう。潤む瞳が薄暗い照明を反射して、心と正反対に輝いた。


「こんなにも喜ぶべき時に、心に刻むべき記念日に。私の神道に横たわろうとする、忌憚な愚者と邂逅しようとは」


 心の底から残念そうに、しかし同時に愉悦を滲ませ。道化は袖振り、暗闇へと手を差し伸べる。

 曲がらぬ指の先に導かれ、闇の中から浸み出す漆黒。黒より黒きその影に、道化は嘲り声掛けた。


「さてはて、一体何の御用かな? 九人が一人――『魔導戦将』君?」


 不躾な侵入者をも寛大に迎え入れ、道化は笑みを深くする。纏うジャケットを翻し、シルクハットをくいと上げ、袴を揺らし、長靴を履き鳴らす。

 支離滅裂な格好をも味方とし、道化の気炎が場に満ちる。しかしその全てを無縁に捨てて、光に晒された影は青年を形造ると、コンクリートの廃屋を打ち鳴らし、静かに姿を現した。


「私が誰か理解していながらその余裕とは、思った以上に君は道化だよ」


 冷ややかな目を向ける総学の制服に身を包んだ青年へと、劇の始まりを示す支配人のようにうやうやしく礼をして、道化は絶えぬ嘲笑を顔に貼り付ける。


「いやいや、これは手厳しい。しかし勘違いしないで頂きたい、私に余裕などこれっぽっちも御座いません。何せあのレスト・リヴェルスタを前にしているのですから、私の矮小な度胸では耐え切れるはずも無く。ほら、この通り」


 道化の胸元が瞬く間に膨れ上がり、音を立てて破裂する。赤水が飛び散り場を染めるも、レストの表情は動かない。己に飛び込む紅の色を、魔法で留め払いのけ、けたけた笑う道化を見やる。

 開いた道化の胸元には、真っ赤に弾けた水風船が一つ。


「下らない嗜好だ。何が面白いのか、理解に苦しむ」

「そう邪険にせずともよろしいではないですか。単なる仕込芸、頭を空っぽにして驚いていただければこれ幸い。そしてそんな陳腐な道化の質問に、そろそろお答えいただければ、これも幸い」

「分かっているだろう? 後ろに控える、その悪趣味な兵器を潰しに来たんだ。ついでに、君自身もね」


 答えを聞いた途端、道化はオーバーなリアクションで振り返り、背後で薄ら寒く輝く人間大の球体を見詰めた後、上半身だけ百八十度回してレストへと視線を戻す。


「おやおや、それはまた。哀れなピエロの玉乗りを邪魔しようとは、いささか酷いのでは御座いませんか?」


 捻じれた身体を解き放ち、ぐるぐるとその場で廻りだす道化へと、レストはただ平淡な瞳を向けて、


「そんなことは無い。君の役目はもう終わったんだ。出番の無い役者は、大人しく舞台から降りるべきだろう?」


 道化の眉が、ピクリと動いた。回転を止め、細めた瞳でレストを見る。


「私の役目、ですか」

「ああ、君は素晴らしい道化だったよ。彼女が成長するに丁度良い機会を、こうして提供してくれた。場は既に整った……だから、もう良いんだよ」


 慈悲さえ乗せて、レストは紡ぐ。


「君の舞台は、始まる前に終幕だ」


 妖しく微笑み、魔力の鳴動が場を満たす。道化の飾り立てられた狂気を貫いて、真なる極性が空間を支配した。

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