第7話 お出かけ! 九天島
聞きなれた鐘の音が鳴り響き、今日一日の終わりを教えてくれる。最も、時間自体は未だ夕方といった所なのだが、学生達、特にその中でも一部の者にとっては終わりといっても過言ではないだろう。
そんな一部に属する者達――即ち帰宅部であるレストとリエラは、揃って寮への帰路に着いていた。今度は朝と違って、二人共しっかりと地に足を着けて歩いている。
「君は部活には入らないのかい?」
「ん~……考えてみてもいいけど、今はとりあえずこの学園に慣れる方が先かな」
別段、二人揃って帰らなければならない理由など無いのだが、逆に同じ部屋にも関わらず別々に帰らなければならない理由も無い。何だかんだ言って、転校して来たばかりのリエラにとって最も親しい人物は、同室のレストなのだ。
「ただいま~」
「はい。おかえりなさい」
認証を済ませ扉を開ければ、静かな声が出迎えてくれる。流麗な動きで頭を下げたニーラは、そのまま指示を待つ子犬のように清廉な瞳でレストを見上げた。
「今日は少し早めに夕食を頼むよ」
「かしこまりました」
一礼し、台所へと消えて行くニーラを見送ったレストとリエラは、またも揃ってリビングへと腰を下ろしたのであった。
~~~~~~
「そうだ、実は一つ頼みがあるんだけど」
夕食を終え一息ついた所で、唐突にリエラが切り出してきた。食後のお茶を飲むレストと、疑問符を浮かべるニーラに、彼女は続ける。
「明日って休みじゃない?」
「そうだね。それが?」
「それでさ、買い物に行きたいから、ニーラちゃんを貸してくれないかなって」
ふむ、と頷いてコップを置くレストに、リエラは手を合わせながら、
「私まだこの学園に来たばかりで、この辺りのこと知らないからさ。案内してくれる人が欲しいの。駄目?」
「私は別に構わないが……ニーラ」
君はどうしたい、という意思を籠めてニーラを見れば、彼女は瞬寸考えた後、軽く姿勢を正してリエラへと向き直る。
「私としても、構いません」
「そっか、良かった。それじゃあ明日はお願いね」
喜びながら明日の予定を話すリエラだったが、残念ながらそれだけで終わってはくれない。横からの声が、彼女の歓喜に水を差す。
「ところで私からも一つ、提案があるのだが」
「提案? 一体何?」
何かついでに買ってきて欲しいのか、と脳裏に疑問を描く。まあメイドを借りていくわけだし、その位のお使いならば受けてもいいかな、と思いながら次の言葉を待つリエラへと、レストは、
「私も一緒に行っても良いかな?」
変わらぬ淡々とした表情で、そう告げた。
~~~~~~
時は過ぎ次の日。朝日が昇ってから幾許か経った寮の前で、リエラは陽光を一杯に受けて伸びをした。
時刻は午前九時三分前。出かけるには丁度良い時間帯だろう。いつもの学生服ではなく私服に着替えた彼女は、短いスカートからその美しい脚を惜しげもなく晒し、同行者を待つ。
そうして待ち合わせ時間である九時ぴったりに、彼等は現れた。
「あ、レスト! 遅いわよ!」
ニーラには文句は言わなかった。メイドである彼女が、主人を差し置いて勝手に来れるはずも無い。
いつもと変わらずメイド服姿のニーラを三歩後ろに侍らせ、長いコートの裾を翻し歩くレストは、己を待つリエラへと呆れた声を出す。
「時間は丁度のはずだが」
「五分前行動、って言うでしょ。私なんて、十分前に此処に来てたのよ」
別段本気で怒っている訳では無いが、口を尖らせ注意する彼女に、レストは持論を展開する。
「成るほど、それは立派なことかもしれないが……私はその考え方があまり好きではなくてね」
「? どうしてよ?」
「本当に五分前に行動する必要があるのなら、それも含めた時間設定にすれば良い。わざわざそこを除けて、暗黙の了解にする意味が分からない」
つまり彼はこう言いたいのだ。例えば九時丁度に行動を開始する為に五分の準備が必要だというのなら、そもそも設定する時間を八時五十五分にすれば良いのではないか、と。
「業務の為の準備にせよ、想定外の事態に備える余裕にせよ、遅刻しない為の早めの行動にせよ。本来ならばそれらも含めて、予定時刻を立てるべきだ。必要なものよりも五分遅れた時間を設定して、それよりも早く動くことで補填するなど、何をしているのか、と問い掛けたくなる」
むう、とリエラは唸りを上げた。彼の言うこと全てに納得出来た訳では無いが、成るほどそういう考え方もあるのかもしれない。
「まあ、私とて五分前行動を全面否定する訳ではないよ。多くの人にとってそれは必要な精神なのだろう。ただ私の場合は、対処出来ない事態、時間通りに行けない事態、というものがほとんど発生し得ないからね」
えらい自信だった。要するに、自分は常人が困難と感じるあらゆる事態を容易く乗り越えて時間通りに行動出来るから、五分前に動く必要は無い、ということである。
唯我独尊にも程があるだろう、と呆れるべきか。或いは自信過剰だ、と叱責するべきか。迷ったリエラだったが、結局仕方が無いと言いたげに溜息を吐くだけに留めることにした。
「はーいはい、レストは凄いね。それじゃあとっとと行きましょうか」
投げやりな彼女の態度にも眉一つ動かず、レストは後を追うと隣に並ぶ。軽口を叩きながら街へと繰り出す二人と、その後ろを追従するニーラ。
本来おまけであるはずのレストが隣でニーラが後ろなことにも突っ込まない辺り、リエラも大概彼等に染まって来ているようだった。
~~~~~~
突然だが此処で、レスト達の通う総学周りの土地や街について説明しておこう。
そもそも総学は日本所属の学園であるが、同時に単に日本という枠に収まっている訳でもない。それは、かの学園が建てられているのが、非常に特殊な土地であることが理由として挙げられる。
総学が建てられているのは、日本に程近い太平洋の海上に浮かぶ、巨大な島の上なのだ。それも、数十年前までは存在しなかったはずの島である。
ことの起こりはおよそ三十年前。とある事件をきっかけに、日本の一部が浮遊した。意味が分からないかもしれないが、まさに文字通りで、とある県がまるまる日本から切り離され、空中浮遊したのである。
そうして空を飛び移動したその大地は、太平洋の一角に落着。巨大な島として存在することとなったのだ。
当初この島の扱いについては、様々な意見が飛び交った。単純に日本所属とする案、どこの国でもない公共の土地とする案。幾多の国々の利権が絡まりあい、世界を巻き込んだ議論へと発展した結果、最終的に島は日本とテイカー達との半々で運営されることが決定付けられた。
当時、世界ではテイカー達による独立運動の機運が高まっていたからだ。世界中に散らばる数多のテイカー達は、単純な国境を越えて互いに結びつくことで、自分達独自の土地や国を得ようと画策していたのである。
これはどうしても発生する力を持つが故の自尊心や、逆に力を持たない者との確執が原因だったと言われている。それを解決する為、世界はこの降って湧いた島をテイカー達に与え、ガス抜きとしたのだ。
無論元は日本の土地であった上、テイカー達の独立を簡単に認める訳にはいかないという事情もあり、あくまでも日本所属の島を貸し与える、という形ではあったが。
とはいえ元々独立を望んでいたのはテイカー全体から見ても一部でしかなかったという現実もあり、彼等は諸手を上げてこれを喜び受け入れた。
こうして、後に『九天島』と名づけられたこの島は、テイカー育成の総本山である第一魔導総合学園が建てられたり、彼等独自の街が作られたりとテイカー達の本拠地とも言える発展を遂げてきたのである。
そしてそんな特異な島には、もう一つ特徴があった。
「しっかしこの辺りは、総学の学区と違って熱いわね~」
「しょうがないさ。此処は島の南……即ち『夏』のエリアだからね」
ぱたぱたと手で顔を仰ぎながら、不満を漏らすリエラ。足元のコンクリートは強く熱され、むんむんと熱気を放出し続けている。街路樹には青々とした葉が付き、蝉の鳴き声が何処からか響いてきていた。
そう、それはまさに夏と呼ぶのが相応しい光景だった。寮や学校のある場所が心地よい暖かさと穏やかな空気に包まれていることを鑑みれば、電車に乗ってそれなりの距離を移動したとはいえ、通常ありえない変化である。
しかし、そのありえないが当たり前に起こるのが、この九天島。
「話には聞いていたけど、不思議なもんね。島の各所で四季が違う、っていうのは」
「そうだな。幾ら魔法や不思議な力が溢れる世界と言えど、こんなおかしな場所は此処だけだろう」
九天島は、島の東西南北によってそれぞれ違う四季が一年を通して固定化され現出している、おかしな島でもあったのだ。
学園のある東は春、住宅地や行楽地広がる西は秋。夏の南には商区や工業区が立ち並び、冬の東には山岳地帯などの自然的な部分が多かった。
そして買い物目当てのレスト達一行は今、夏の商区にやってきているのである。
「というかレスト、あんた熱くないの? 後、ニーラちゃんも」
今日は夏の中でも特に暑い日なのだろう、三十度を余裕で超える気温の中でも尚、涼しい顔を崩さない主従に訝しげな顔をすれば、
「いいや、全然。魔法を使っているからね」
あっけらかんとそう答えた。後ろのニーラもコクコク頷き同意している。
言われて探ってみれば、確かに彼等の周りに魔法の反応を感じ取れる。レストとニーラは、揃って自身の周りに気温操作の魔法を展開することで、このうだるような熱気をやり過ごしていたのだ。
考えてみれば当たり前の話である。ロングコートを羽織るレストに、決して涼しそうには見えないクラシックなメイド服姿のニーラ。意味不明な奇妙存在であるレストは置いておくにしても、ニーラはその褐色の肌から南方の国出身で暑さに強いだけかと思っていたのだが、それにしたって汗一つ掻かないというのは流石にありえない。
「ずるい~私にも掛けて~」
暑さにだらけたリエラがニーラに傾れかかれば、確かに彼女からはひんやりと心地良い空気が伝わってきた。迷わず彼女を抱きしめ、涼を取る。
「リエラさんもテイカーなのですから、自分で掛ければ良いのでは?」
当然の疑問を呈するニーラに、リエラは渋い顔で答えた。
「私、戦闘用以外の魔法はあんまり得意じゃなくて。仮に使ったとしても、長く維持してられないの」
「良くそれで天才と言われたものだな……」
火口にでも飛び込んだのならばともかく、この程度の気温を御する魔法ならば、十分基礎の範疇である。テイカーであるならば小学生でも出来る程度のものだ。
そんな魔法さえ上手く扱えない人間が、天才テイカーなどと持て囃されるなど、あまりに頓珍漢で滑稽としか思えない。
「だって、子供の頃から戦闘関係一筋で来てたし。他の魔法は、適当でも問題なかったんだもん」
馬鹿にされたと思ったのか、ぷくりと頬を膨らませてニーラを抱きしめる腕に力を籠める彼女に、レストは溜息。
「藤吾との模擬戦では炎を操っていたが、その熱はどうしたんだい?」
「そこら辺は、戦闘用の魔法の中に一体化して入ってるから。それだけを取り出すのは駄目なんだけど、何故か戦闘魔法の一部とすると、上手くいくのよね」
自分でも何故なのか分からない、と首を傾げるリエラ。恐ろしいまでの脳筋であった。これまでの授業の様子を見れば、勉学の面でも十分優秀なはずだが、それもあまり意味は無いのかもしれない。
恐らく彼女は、ノリと勢いで戦いを突き抜けていくタイプだ――漠然とそう感じる。そこに『彼』を連想して、レストはひそかに笑みを浮かべた。
「仕方が無いな。ほら」
「わっ、急に涼しくなった。ありがと、レスト!」
手放しで喜ぶリエラの姿にまた一つ笑みを浮かべ、三人揃って歩き出す。立ち並ぶビル群の中へと消えて行くその姿は、もうすっかり友人と呼べるものであった。
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